二〇世紀ひみつ基地

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川反の灯ひとつ消え……

山王大通り「升屋」の角を川反通りに曲り、少し歩いた交番の斜向かいに、老舗割烹「いくよ」がある。古き良き川反の風情を今に伝える純和風建築の料亭だ。

子供のころ「いくよ」という店名は「行くよ」だと思って「いくよに行くよ」などと言葉遊びをしていたが、その由来は「幾代」にも続く繁栄を願って命名されたものだろうか。

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先日のたそがれ時、川反を歩いていたら、いつもはそこにあるはずの馴染の風景が変わっていた。割烹「いくよ」が忽然と姿を消していたのだ。思いもよらぬ出来事に、しばし呆然とその場に立ち尽くしてしまった。

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「いくよ」秋田市大町三丁目(川反三丁目)

「いくよ」の初代経営者は、六郷町に生まれ、川反の料亭で修業を積み、艱難辛苦を乗り越えて、大正十三年には念願であった自分の店を開いた立志伝中の女性で、川反でその存在を知らぬ者はなかったという。

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「いくよ」が創業した大正末から昭和始めは川反の全盛期、芸妓置屋が四十軒ほど、芸妓、半玉の数は二百人に達したという。それから約八十年の歳月、川反の栄枯盛衰、そこに生きる人たちと、行き交う人々の流れを眺め、川反の歴史とともにあり続けた料亭。

先年の老舗料亭「あきたくらぶ」の倒産と同様、バブル崩壊に次ぐ不況、官官接待の社会問題化による官公庁の利用激減が廃業の要因か。

かつて高級料亭は敷居の高さこそがステイタスだったが、今ではそれがかえってウイークポイントになり、一般市民は敬遠してしまうため旧態のままで営業を続けるのは難しい。そのため、大正八年創業の老舗料亭「濱乃家」では、別館に和風レストランを開き、明治十九年創業の老舗割烹「かめ清」では、和風建築からモダンな店舗にニューリアルし、和風ダイニング「さい賀」を併設したりと、敷居を低く大衆化して生き残りを図っているのが現実なのだ。

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昭和三十四年 『秋田百点』より

建物の古さからいえば、大正八年創業の「濱乃家」に次いで、川反で二番目の歴史を有する建築物だったが、増改築を重ねた「濱乃家」とくらべ、「いくよ」は創業時とほぼ変わらないたたずまいを見せていただけに、諸行無常とはいえ、その消失が惜しまれる。

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北隣にあったスナック喫茶「ダブ」も同時に取り壊され、晒された広大な空地が虚しい。跡地は駐車場になるのだという。


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