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公園外濠ノ景・風景を読む

消えた堀の記憶(一)

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公園外濠ノ景・明治末
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千秋公園(久保田城)を取り囲む外堀を写した明治末期の絵葉書。記念スタンプには「国民新聞主催東北遊覧会歓迎記念明治四十二年九月十九日秋田市」とある。しかし、あまりにも現在の景観と変わっているため、初見ではこれが一体どこなのかさっぱり見当がつかなかったが、調べていくうちに、公園西側の千秋明徳町周辺を千秋公園の高台から写したものという結論に至った。

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公園外濠ノ景・解説図

穴門橋はすでに埋め立てられて土橋になっているが、明治二十四年までは堀にかかる木橋で、城から通町を通って八橋、土崎湊に向かう重要地点のため、橋を渡った和洋高校入口付近の穴門には足軽番所があって、二十四時間態勢の警備はきびしかったという。

城へ入る穴門橋は、ゆるやかにそり返った木橋であったが、明治二十四年に取り壊し、その下の堀を埋立てて土橋とした。


古川堀反町から久保田城を望む・明治初期

穴門堀にかかる穴門橋、右上の建物は御出し書院、左手に御隅櫓。

古川堀反(ふるかわほりばた)町(現・秋田市千秋明徳町)の「古川」とは、「旧旭川」のことをさす。徳川時代以前の旭川は仁別川と呼ばれ、佐竹氏による掘り替え工事が行われるまでは、現在よりも東側の千秋公園の裾すれすれを蛇行して流れていた。写真に写る外堀は、旧河川の一部を改修して外堀としたもので、仁別川と呼ばれていた往年の旭川の面影を色濃く残している。

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左端に小さく見える白壁の店舗は広小路の木内商店。その背後が県庁舎と関連施設。古川堀反通りの堀端には数軒、掘立小屋のような建物が見える。

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現在、JAあきた会館の建つ場所には馬が放牧されている。

スタンプに隠れている大きな二階建ての建物は、明治四十年開校の「秋田女子技芸学校」。同四十一年に茶町から土手長町(現在の大橋旅館の地)に移転。県内でもっとも歴史のある私立学校で、のちに現在地(平野美術館の隣)に移転し、現在は「学校法人敬愛学園・国学館高等学校」と改称し男女共学の学校となった。

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明治期の周辺地図

緑色が土塁。写真は赤丸でマーキングしたあたりから撮影したと思われるが、今は成長した樹木と建物が邪魔をして全く見通しが効かない。

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現在の周辺地図

この周辺で今に残る堀はL字の穴門の堀と県民会館北の内堀のみ。穴門の堀も周囲を埋め立てて建物を建てため、少しだけ狭くなっているのがわかる。

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現在の穴門橋(上図のピンク部分)

通町方向から千秋公園へ向かう、ゆるやかな坂道。往時はこの小路を南北(左右)に横切って仁別川(旭川)が流れ、佐竹氏の時代には、堀となって穴門橋が架かっていたことなど今となっては想像もできない。

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