二〇世紀ひみつ基地

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2017年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年12月

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1973 大町にGパンの「ドン」オープン

70年代秋田のジーンズ・ブーム(2)

仙台に本社を置き、東北・北海道に店舗を展開するジーンズ・ショップ「アメリカ屋」のウェブサイトによれば、その創業は戦後間もない昭和25(1950)年。

1950年(昭和25年)宮城県石巻立町にて、斎藤商店創業[(株)アメリカ屋の前身]


米軍の古着等を仕入れ、北海道、東北各地を訪ね販売を開始。

1970年(昭和45年) 待望の固定型店舗となる石巻立町店オープン。

‥‥後略‥‥

会社案内 | ジーンズショップ アメリカ屋 より

東北における輸入中古衣料・ジーンズ販売のパイオニア「斎藤商店」が、60年代から70年代にかけて、秋田でバザーを開催した会場は、コンサート・イベント会場、そしてダンスホールとしても利用され、県民に親しまれた「秋田産業会館」一階大ホール。ホールを埋めつくす多彩かつ大量の商品にいつも圧倒されたものだ。

米軍払下品バザー
↑ 70年代「斎藤商店」折り込みチラシ

フライトジャケットMA-1 を初めとする米軍払下げ品、スカジャン、Gパンなど衣料品の他、登山用品、ハイピーシートなど、幅広い品揃え。ハイピーシートとは今でいうブルーシート類のこと。

米軍払下品バザー
↑ 70年代「斎藤商店」折り込みチラシ

米軍払下品バザー
↑ 上掲チラシ 部分拡大

こちらのチラシを見ると、共催店として「斎藤商店」と血縁関係にあった秋田のジーンズショップ「ドン・日米」が名を連ねている。「日米」は「ドン」の姉妹店で営業期間は短かった。


▼ジーンズの「ドン」大町一丁目にオープン

若者のあいだでジーンズ・ブームが本格化した、昭和48(1973)年8月、秋田市大町一丁目「秋田魁新報社」(現・サンパティオ大町)斜め向かいに、ジーンズショップ「ドン」開業。経営者は「斎藤商店」起業家の五男。

ジーンズショップ・ドン
↑ 昭和48(1973)年 折り込みチラシ

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」跡 2016.09

創業当時の建物が今も残るジーンズショップ「ドン」一号店跡。

チラシに「Gパンのデパート」とあるものの、数人の客で満員になるほどの狭い店内は商品であふれ、正面のテント看板に大きく店名が踊っていた。

次々と飛ぶように売れるジーンズの裾上のため、一日中ミシンを使う店員は腱鞘炎になったという。

「ドン」が立ち退いたあと、平成8(1996)年7月、この地で「チーズ&ワイン アベ」が創業、平成21(2009)年、古川堀反町通りに移転。そのあとに入居したレストラン「米カフェ」も向かいに新築移転したため今(2017.11)は使われていない。

ジーンズショップ・ドン

「ドン」のシンボル・イラストを、当時のクラフト紙袋風に再現。

ジーンズショップ・ドン
↑ 昭和58(1983)年 新聞広告

70年代中頃、中央通りの家電店「工藤テレビ」跡に支店を開設。当初は二階にグランド喫茶「王朝」があった。のちに改装して「中央通りNKビル」と改称、二階の喫茶店は「葡萄屋」に。

中央通りNKビル
↑ 中央通りNKビル 2004.01

「中央通りNKビル」晩期の店舗は、二階 Beer & Cafe「SR」三・四階に刺身居酒屋「一心太助」。平成23(2011)年、日赤跡地再開発事業により解体される。

なかいち駐車場入口
↑ 中央通りNKビル跡 エリアなかいち駐車場入口 2017.08

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「日米」→「ドン」南通り店跡 2017.05

同じく70年代、南通りにジーンズショップ「日米」を開設。のちに「ドン」と名を改める。

斜め向かいに「ドン」南通り店が新築移転したあと、ウエスタン風の三階建てを改修して居酒屋「ひょっこり屋」が入居。平成23(2011)年2月、ノロウイルスによる集団食中毒を起こし、数日間の営業停止処分をうけて間もなく廃業する。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2015.04

一時は「秋田フォーラス」にも出店していたが、最終的に南通り本店に一本化。この地にかつて、家電・家具の月賦販売「緑屋信販」が存在した。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2011.02

二階で同社がアンティーク・ショップも営んでいたが数年前に廃業。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2015.04
 

▼ジーンズの老舗「ドン」42年の歴史に幕を下ろす

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2014.11

平成26(2014)年、閉店セールが始まり、間もなく閉店。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2016.08

平成27(2015)年、しばらく門を閉ざしていた「ドン」の看板が「BLUE HOPE」(上掲画像右手)に架け替えられて営業再開。在庫整理のために再開したのであろうその店も、最後は全品80%off、展示用什器も含めて破格の価格で処分する閉店セールの後、平成28(2016)年6月12日閉店。42年におよぶ歴史に幕を下ろす。

ジーンズショップ・ドン
↑ 解体中のジーンズショップ「ドン」南通り本店 2016.08

白壁でベランダがあるコロニアル様式の「ドン」が解体された跡地には、同地の東側で活動拠点を構えていた日蓮宗系新興宗教団体の会館が移転・新築された。

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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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1971 秋田にGパンの「アメリカ屋」オープン

70年代秋田のジーンズ・ブーム(1)

1960年代終盤から始まったジーンズ・ブームの波が地方都市まで到達した70年代初頭、秋田にもジーンズ専門店が続々と誕生。その先陣を切ったのが「アメリカ屋」であった。

ヤングにモテモテ「Gパン」
手軽でカッコよい

専門店もグンと増加

ジーンズブーム

若者の遊び着としておなじみのジーパンが、県内でも大流行している。「とにかく売れて。売れて」というわけで、秋田市を中心に「ジーンズ・専門店」の看板をかかげる店や「Gパン・コーナー」を設ける店が急増、業者にとってはまさにヤングさまさま。業者らによれば全国的にジーンズの第二次ブーム、本県ではワンテンポ遅れ第一次ブームの到来だという。

ジーパン流行の最初は昭和三十八年。米軍放出の中古品が、若者の間で爆発的な人気を呼び、全国に流行した。ただし、品数が限られていたほか「秋田の若者には合わなかったらしく」(業者)本県ではあまり流行しなかったとか。

しかしここ一、二年の間に再びブームが到来、県内の若者の間でもジーンズ愛好者がふえたという。二年前に専門店を開いた秋田市の“老舗”によると「最初はたいして売れなかったが、昨年夏からめちゃくちゃに売れ出した。テレビドラマやCMに登場する若者の服装や、ヤング向け週刊誌の“あおりたて”のおかげですかね」

昨年からGパン・コーナーを設けた同市のデパートも「毎日平均四十本は売れますし、ヤング向けの主力商品となりました。高校生なら一人三本は確実に持ってますよ。多い人なら七、八本はあるでしょう。第一高くても三千円どまり。手軽に買えるし長持ちはするし・・・・・・」という。

こうしたブームにあやかってか昨年暮れから秋田、大曲、大館、能代、鹿角など県内各市で続々、ジーンズ専門店が店開き。秋田市ではここ半年の間に専門店、専門コーナー合わせて十一もの“ジーパン業”が誕生した。

特に専門店となると名の通った十種類近いメーカー品のほかジャンパー、チョッキ、ベルトの三つぞろい。同じ生地(デニム)を使った帽子、バック、ブックカバー、ライターケース、サイフ、貯金箱のはてまで“完備”。ジーパンも「二歳半の幼児から身長二メートル、体重二百キロの巨人用・カラーも十種類まで取りそろえてある。

店主のAさん(二七)によると急増の秘密は「安いし、資本がいらない。背広など普通の衣料品より利幅は少ないが、若い人相手なので売り掛けもない。職人さえ置いとけばその場で手直ししてすぐにはいて帰れるし・・・・・・、とにかく確実に売れますからねえ。これ以上店が増えるとちょっと心配です」

‥‥後略‥‥

昭和48(1973)年8月11日付『秋田魁新報』より

記事にある「二年前に専門店を開いた秋田市の“老舗”」とは、中通四丁目にかつて存在した「アメリカ屋」のこと。

「アメリカ屋」といえば仙台に本社を置き、東北・北海道に展開するジーンズ・ショップを連想するだろうが、70年代はまだ、その「アメリカ屋」は「斎藤商店」(1950年創業) の名で営業しており、秋田に創業した「アメリカ屋」とは直接的な関係はないと思う。

ちなみに、台東区上野のアメ横でジーンズやアメカジを取り扱う「アメリカ屋」の創業は昭和27(1952)年。当初は米軍放出の中古ジーンズなどを販売していた。

「Gパン」という日本独自の呼称については、進駐軍兵士が普段着にジーンズを着用していたことから、米兵の俗称である「GI」から「GIパンツ」と呼ばれるようになり、それが転じて「Gパン」となったといわれ、また「ジーニング・パンツ」の略という説もある。


昭和46(1971)年9月、「秋田予備校」に近い秋田市中通四丁目(旧・中谷地町)に、ジーンズ専門店「アメリカ屋」開業。

アメリカ屋
↑ 昭和46(1971)年11月 新聞広告

冬物半額セール
Gパンお買いあげの方に
3千円のポスター贈る

アメリカ屋

若者の合言葉をご存じですか。街角での会話はすべて「アメリカ屋」のジーンズファッションのことです。

それはなぜか・・・ジーンズに関するすべてがそろっているからです。

だからこそオシャレは「アメリカ屋」のジーンズから始まるのです。

ほんの一例を紹介してみます。まずアンアン、ノンノンなどですでに紹介されている。サロペット、ダンガリーシャツ、それにバギーパンツ、カラフルな春着など、また今年の流行品ブリーチ(脱色)ジャンパー、パンツも豊富に取りそろえてお待ちいたしております。サイズも子供用は三歳から、大人用はウエスト一メートル八十センチまでどんな種類もあります。

さて「アメリカ屋」本店(秋田市中通四丁目、読売ホール裏)を初め秋田市手形入口に新設した駅前店、大館市日敷前の大館店、大曲市消防署前の大曲店では十二日から十七日までGパンのすべてを値上げ前の旧価格で販売することにしました。これは日ごろみなさまのご愛顧に感謝して「アメリカ屋」が特別奉仕するものです。若者のみなさん、ぜひこの機会を見逃さず、友だちをおさそい合わせのうえご来店ください。きっとご満足いただけることと思います。また、「アメリカ屋」ではGパン一本お買いあげの方に三千円の大型ポスターを差し上げます。

‥‥中略‥‥

ところで「アメリカ屋」各店では丈詰めなど三分間で手直しできるよう三台の電機工業ミシンがフル回転してサービスしています。したがってお買いあげと同時にはいて帰れるし、また、修理も二年間無料であるのも魅力の一つとなっています。

値段は旧価で、品質は高級舶来品。さあ、君もあなたも、キングサイズの人も、先ず、「アメリカ屋」のGパンをはいて街を歩きましょう。

昭和49(1974)年2月12日付『秋田魁新報』広告記事より

ジーンズ専門店の特徴は品揃えの豊富さと、買って数分後に裾上げができ、その場で履いて帰ることもできたところ。

広告記事のように「アメリカ屋」本店では、三台のミシンを駆使して迅速な対応をしていて、忙しいときはまだ若い店主も「昔取った杵柄」とか言いながらミシンをかけていた。

洋服店やデパートでズボンの裾上げを依頼すると、数時間後はまだしも、数日間も待たされることも珍しくはなかった時代、ジーンズ専門店のサービスは画期的なものであった。

アメリカ屋
↑ 昭和48(1973)年1月 新聞広告

アメリカ屋
↑ 昭和49(1974)12月 新聞広告

アメリカ屋

「アメリカ屋」のシンボル・イラストを、当時のクラフト紙袋風に再現。

旧時代のジーンズを象徴するカウボーイと、新世代のヤング・カルチャーを象徴するヒッピーが、時代を超えて肩をならべて唄っている。

ヒッピーのズボンは当時流行のベルボトム。膝から裾にかけてフレアするシルエットがベル(鐘)の形状に似ることから命名された。

Hippie
↑ Isle of Wight Festival 1969

1969(昭和44)年、野外ロックフェス「ワイト島音楽祭」で撮影されたヒッピーのカップル。

イングランド南岸・ワイト島に開催されたフェスには、ボブ・ディラン、バンド、リッチー・ヘヴンス、トム・パクストン等が出演、3日間で15万人の観客を集めた。

70年代に放映された、ジーンズの老舗 Levi’s のサイケデリックなテレビCM。

昭和51(1976)年の「アメリカ屋」店舗をあげると、秋田市内に中通本店、駅前店、有楽町店のほか、大曲店、大館店、本荘店の計6店。

秋田のジーンズ・ブームのパイオニアであった「アメリカ屋」が店を畳んだのは、80年代後半のことと思われる。

アメリカ屋後
「アメリカ屋」跡

かつて「アメリカ屋」が存在した場所は「歩兵十七連隊」の西端に位置し、その東隣に「歩兵十七第連隊跡」の碑、北向かいの児童公園(佐竹家臣・大和田祥胤家跡)には国学者「平田篤胤誕生地の碑」がある。

70年代「アメリカ屋」と「秋田予備校」のあいだで「おばこ食堂」が営業していた。


「アメリカ屋」跡

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:08 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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