1982 中国料理店「敦煌楼」オープン
秋田県が甘粛省と、秋田市が甘粛省蘭州市との友好都市提携が調印された、昭和57(1982)年8月5日、秋田市山王に中国料理店「敦煌楼」(とんこうろう) が、日中友好のモニュメント的存在としてオープン。
本場の料理人がつくる中国料理とあって、当初は話題を呼び連日の大繁盛。一番の人気メニューは、注文を受けてから手打ち・手延べでつくる蘭州ラーメンだった。
秋田と甘粛省の架け橋に、本場の中国料理をどうぞ
敦煌楼は昭和57年8月5日、秋田県・甘粛省、秋田市・蘭州市の友好提携が調印された記念すべき日に合わせてオープン。秋田県、秋田市、日中友好協会、中田県議会議長、秋田銀行等、官民合体で資本を出し合い、両省県、市友好の記念碑的存在と自負しています。現在、甘粛省から三人のコックさんが派遣されていますが、いずれも中国の国家試験で特級、一級、二級の資格をとった人たち。本格的な中国料理はもちろん、手軽なランチタイムもご好評をいただいています。
当初は第三セクターで経営する計画であったが、飲食店の経営はふさわしくないとの声が挙がり、第三セクター案は頓挫。
そこで、「敦煌楼」開設にあたり、中国との交渉にあたった県議会議員・中田初雄氏(中田建設創業者社長)が社長に就任し、株主として秋田市・秋田県・秋田銀行などが名を連ねた。
華々しくオープンした「敦煌楼」であったが、評判はかんばしくなかった。
甘粛省の味付けをそのまま提供する料理は味が淡泊で、秋田県人の口に合わず、注文を受けて料理が出てくるまでの時間がやたらに長い。
その後、日本向けに味付けを変えるなど工夫をしたようだが、毎年数千万円の赤字が常態化し、それを中田氏のポケットマネーで補填していたという。氏が中国側と交わした約束もあり、おいそれと閉店することもできなかった。
秋田市・秋田県・秋田銀行などの出資者に配当が出ない状態がつづいたため、中田氏が株式を買い取り「敦煌楼」は中田建設が経営することとなる。
甘粛省から派遣された料理人は中国の公務員で、一年交代で帰国させる条件であったが、入国間際になって外務省から「赤字つづきの会社に就労させることはできない」との通達を受け、オープンから4年目の昭和61(1986)年4月閉店した。
「敦煌楼」跡 2016.03
「敦煌楼」跡
↓「敦煌楼」と同じく、中田初雄氏が経営した能代の日本海サニーランド
- 関連リンク
- 中田建設株式会社
| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
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