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旧「マルシメ鎌田」倒産・鎌田会館のミスド

秋田駅ビル・ミスド
ミスタードーナツ 秋田トピコ ショップ 2016.01.15

秋田駅ビル・ミスド

平成28(2016)年1月17日、秋田駅ピル「トピコ」一階のミスドが、経営不振を理由に閉店した一ヶ月後、秋田県内でミスドを独占展開する「KAMADAスマイルコーポレーション」が破産していたことが明らかになった。

県内ミスド経営、KAMADA破産 負債総額5億7千万円

 秋田市南通宮田のKAMADAスマイルコーポレーション(鎌田壽社長、資本金1千万円)が、秋田地裁から破産開始決定を受けていたことが26日分かった。県内でミスタードーナツを独占経営していたが、コンビニエンスストアとの競合により、近年の収益は赤字基調で推移していた。東京商工リサーチ秋田支店によると、開始決定は18日で負債総額は約5億7千万円。

 同社は1946年に先代が冷菓製造販売を目的に個人創業。61年12月にはJR秋田駅前に自社ビル「鎌田会館」をオープンさせ、大食堂や宴会場、結婚式場を運営した。72年にダスキン(大阪府吹田市)とフランチャイズ契約を結び、2年後に株式会社化。鎌田会館にミスタードーナツの県内1号店を開いた。ピーク時の99年9月期は売上高16億1800万円を計上した。

 一方でレストランや宴会場を運営していた別会社の「杉のや本店」(秋田市中通)は経営が振るわず98年に閉店。2002年には鎌田会館も閉めた。営業不振から同市内で2店舗展開していた「ドトールコーヒーショップ」も09年までに経営から手を引き、同社の事業はミスタードーナツのみとなった。

詳しい記事は秋田魁新報朝刊で
このページの記事は簡略版です。詳しい記事は「秋田魁新報朝刊」か「さきがけ電子版」でご覧ください。
(2016/02/27 12:33 更新)
さきがけonTheWeb|秋田魁新報社

記事を補足すると、「KAMADAスマイルコーポレーション」が経営していた、秋田県内12店舗、青森県1店舗のミスドは、運営元であるダスキンの子会社に譲渡済みとのこと。


▼酒まんじゅうの○〆(マルシメ)鎌田

「KAMADAスマイルコーポレーション」の前身は「(株)鎌田会館」その前の社名は「(株)マルシメ鎌田」そして初代の「鎌田冷菓店」。

戦後の混乱期、「鎌田冷菓店」創業者・鎌田貞政氏(大正5(1916)年~平成7(1995)年)は、夫人と共にリヤカーによるアイスキャンデーの移動販売を開始、徐々にその事業規模を広げ、やがて、浅利(協働社)大内(金萬)らとともに、高度経済成長期の秋田市において、一代で急成長をとげた優良企業のひとつとなる。

昭和31(1956)年の営業品目を列記。

冷菓・菓子・清涼飲料 製造卸
冷菓機械・冷菓原料 販売
株式会社○〆鎌田
本店 秋田市中央大通り(※中央通りのこと)
支店 秋田駅前金座街 

○〆アイスクリーム
鎌田のパン
鎌田のジュース
鎌田のラムネ
ミリオンサイダー

鎌田の甘納豆
蕗羊羹
諸越
おのろけ豆

豆砂糖かけ一切
バターピーナッツ
落花生
かわり玉
金平糖

駅前支店
喫茶
酒まんじゅう

森永ドライミックス秋田県特約店
東和ソフトクリーム機械販売
森永・日世・東和 コーンカップ特約店

店頭で蒸されてホカホカと香り立つ「○〆鎌田の酒(さか)まんじゅう」は「金萬」とならんで秋田駅前の名物であった。

アイスクリーム工場はその後、自社ブランド製品のほかに、森永乳業のアイスクリーム・ブランド「アルプス」を製造する「アルプスアイスクリーム秋田県委託工場」となる。

昭和30年代~40年代にかけて、噴水ジュース自販機、そば・うどん自販機を販売。

昭和40年代、日産三万食規模の製麺工場を山王大通りに面した旭北栄町で操業開始。

飲食店事業では、駅前・金座街に酒まんじゅう売店・食堂・宴会場を兼ねた飲食ビル。昭和30年代、秋田駅前「秋田ショッピングセンター」(現「ホテルα-1秋田」の地)に、のちにミスド一号店が入る「鎌田会館」開業。昭和50年代初頭、中央通りに六階建て総合飲食ビル「ロイヤル鎌田・杉のや」開業。

「秋田ステーションデパート」内で麺コーナー、コーヒースタンド、酒まんじゅう・おにぎり売店を経営。「秋田プラザ」(現・キャッスルホテル)内に、お好み食堂、麺コーナー・ソフトクリームコーナーを経営。

秋田駅ビル・トピコおよび秋田空港で和食「杉のや」を経営。等々。

「KAMADAスマイルコーポレーション」と社名変更後は、ミスドの経営に専念する。

鎌田の酒まんじゅう、アイスクリーム、ミスド一号店などの詳細は、下記関連記事を参照のこと。

 

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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1972・ABSラジオカー「エコー」誕生・秋田放送

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年10月 新聞広告

“民放ラジオの黄金期”といわれる1970年初頭、創業20年を迎えたABS秋田放送が、新たに導入する3台のラジオカーに乗る、女性キャスター(レポーター)兼ドライバーと、ラジオカーの愛称を募集。

応募資格に「19歳から29歳まで」「正確な標準語を話す必要はありません」とある。

添えられた女性のイメージ・イラストは60年代末から、70年代前半まで流行した末広がりパンツのパンタロン・スタイル。

11月にはキャスター(レポーター)が決まり、ラジオカーの愛称が発表された。

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年11月 新聞広告

FMカーのペットネームが決まりました。

当選「エコー」

「エコー」今日から出動

☆あなたの街を今日からABSの「エコー」が走ります。
皆様から寄せられた、たくさんのペットネームのなかから選ばれ、「エコー」と名づけられたFMカー三台が、国道から県道へそして、あなたの街を走り交通情報から多彩な生活情報まで取材します。

ABSラジオは本日から皆様により親しまれ、より密着した放送をするために、即時性をフルに発揮する地域社会のレーダーとして変身します。

☆この三台のFMカーエコーの中には最新式の無線送信機、三回路ミクシング・アンプ、カセット・テープレコーダー、ワイヤレスマイク、拡声機等を搭載しており、この操作はスイッチ一つですべての機器の動作、停止をおこなう事ができ、レディキャスターのワンマン・コントロールで放送する事ができます。

☆6人のチャーミングなレディキャスターが、今日から、カーラジオを聞くドライバーをはじめ聴取者のコミュニティメイトです。

☆今日からみなさんと対話するスペシャルワイド番組が始まります。
 
11月よりこのエコーの活躍によって活性化される番組は次の通りです。

“週刊レジャー情報”
“ハロー940”
 いずれも土曜日の午後のジャンボサタディの中のスペシャルワイドです。
 そして今年のクライマックス12月の午前中には月金の帯ワイドプロとして“それ行け!エコー940”がスタンバイしています。

種苗交換会期間中特別番組
“940こちら交換会”
11月8日~14日迄毎日

文中にある「FMカー」というのは、FM波を使った中継用無線機搭載車という意味らしく、全面広告の下段に、FM無線機のメーカーである「松下電器」が「ナショナル放送装置」の広告を載せている。

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年11月『秋田魁新報』

無線カー“エコー”誕生
ABSラジオ

走る小型放送局県民との対話、なお密に

 チャーミングなレディー六人がファッショナブルなビューティフルパンツで(カラーはすてきなイエロー)さっそうと登場!
 ABSラジオでは、このほど無線カー三台を購入し、、県民にお目見えすることになった。
 すでに、この無線カーのペットネームが、新聞や放送で広く募集され、一千通以上の応募はがきの中から「エコー」という愛称が選ばれた。この「エコー」車の側面にはABSラジオの周波数九四〇が、くっきりと描かれており内部の設備もスイッチ一つですべての機能の操作がワンマンコントロール出来るように設計され、マイク二本のほかにテープレコーダーなどの調整が出来る調整器や、どこからでもオンエア出来る無線送信機、高性能の拡声器などが積みこまれ、いうなれば“走る小型放送局”である。

ナウなニュース伝達

 ラジオの特性はよく「即時性」であるということがいわれ、テレビの娯楽性に対面し、ラジオは情報媒体としての速報性、移動性の機能を強化することが要請されてきた。
 この「エコー」によってABSラジオはスタジオから飛びだし「さわるラジオ」や「コミュニティと対話するラジオ」へ脱皮することになる。たとえば、定時のニュースが交通事故を伝える場合、ほとんどが過去形で語られて来たのに対し、「いま。国道○号線○○信号交差点で接触事故がおき、信号○回待ち」という現在進行形で、時にはパトカーと連絡し迂回路も教えるというカーラジオを聞いているドライバーへの生きたナウな道路情報として活用されるものに変化する。

レディーキャスターも

 このように、国道から裏路地までエコーを運転しながら、インフォメーションを入れ、それをそのままオンエアするドライビングキャスターに六人のレディーが選ばれたわけである。このカッコイイユニホームのお嬢さんたちは、街を行くドライバーのアイドルとして、またコミュニティたるべく猛訓練中。
 彼女たちは、金曜から種苗交換会期間中、会場内を取材した後、土曜の午後の開放感を楽しむ人たちを対象とした、四時間の超ワイドプロ「ジャンボサタディ」の中の週刊レジャー情報(午後1時から)やハロー九四〇(2時40分から)で活躍することが決定した。無線カー三台の機能をフル発揮し、催し物案内、映画紹介、ゴルフ、釣り、ボウリング情報などますます多様化するレジャーをとらえ、また道路情報や、ナウなトピックスを送り出すことになるが、このパーソナリティ(総合司会)にはABSの公開番組アナとして多年親しまれてきた神永光が張り切っている。

ワイド番組も準備

 さらに十二月にはいよいよ本格的な月~金の帯ワイド番組(午前9時40分から)「それ行け!エコー九四〇!」がスタンバイしている。これは街角のレポートや「しょうばいじまん」のコーナーから、行政機関への注文や回答など、聴取者からの電話の活用まで含めて、ローカル独自の素材を中心に構成され「県民と対話するラジオ」が誕生する。このような番組が企画され創造的に仕事が進められている中でいろいろ新しい問題も提起されている。たとえば「身上相談」などは、中央キー局のネットもので、ある程度の聴取率をあげてきているが、今後このローカルワイドの中で、秋田で生活している人たちの悩みや訴えに、じっくり取り組むことになっている。

昭和47(1972)年11月『秋田魁新報』

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年11月 新聞広告の一部

ラジオカーを駆使して放送された番組のひとつ「モーニングエコー940!」のパーソナリティーは、当時の人気女子アナで、ネコちゃんの愛称で親しまれた中村峰子。

秋田放送ラジオカー
昭和50(1975)年 書籍広告

八橋運動公園をバックに。この時点でユニフォームがサロペット・スカートに代わっている。
 

秋田放送ラジオカー

初期ラジオカーの特徴である、放送中に点灯するパトランプと拡声機が取り付けられた車体。疾走感を表現した流線型に、大きく周波数を配置したペインティング。

ラジラオ周波数 940kHz は、昭和53(1978)年11月の周波数一斉変更により、936kHzに変更された。

新聞記事にも広告にも、ベースとなった乗用車の名は無いが、そのイラストから察するに、マツダ初代カペラのGシリーズ(1971年10月追加)に違いない。

Capella
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上の画像はマツダミュージアム(広島市)収蔵のカペラ・ロータリー・セダンGR。広告のイラストと同じだ。

ロータリーといえば、昭和44(1969)年8月から9月、秋田市臨海工業地帯をメイン会場に開催された「秋田博」のモーターショーに展示されていた、マツダ・ロータリーエンジンの原理を説明する断面模型のなめらかな動きが強く印象に残ってる。

昭和46(1971)年「マツダ・カペラ ロータリー クーペ」カー・オブ・ザ・イヤー(モーターファン誌主催)受賞。
昭和47(1972)年「MAZDA RX-2」(日本名カペラ ロータリー)、インポート・カー・オブ・ザ・イヤー(米ロードテスト誌主催)受賞。

初代カペラのうち、ロータリーエンジンを積んだカペラの輸出車名が「Mazda RX-2」。欧米での人気は高く、今も現役のRX-2も少なくはない。


▲1972 Mazda RX-2 セダン

秋田放送ラジオカー
2013.07

現在のABSラジオカーの名は「ラジPAL」(一台のみ)。周波数 936kHz にちなんだカーナンバーを取得している。

画像の車輌は数年前から使われていてるマツダ プレマシー。先代のラジオカーはマツダ カペラワゴンだったはず。初代から連綿とマツダが使われているのかもしれない。

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季節もの記事二題・恵方巻とバレンタイン

過去記事から、二月のイベントに関するものをピックアップ。

  1. 上方落語に恵方巻の起源を聞く。
  2. 日本におけるバレンタイン・プレゼントの変遷と、米国『LIFE』誌のレトロ広告に見るバレンタイン。

両者ともに、原型とはかけ離れた意味合いに変化して定着した、食品ビジネスがからんだ、現代日本の奇習といえる。

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