二〇世紀ひみつ基地

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2015年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年01月

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2015「二〇世紀ひみつ基地」PVトップ100

2015年「二〇世紀ひみつ基地」PV(ページビュー)トップ100

集計期間 2015.01.01~2015.12.29

今年も「覚醒剤「ヒロポン」の時代」が、12855PVで断然のトップ。マスメディアで話題に上がるたびにPVが上がる。

2015年3月6日、NHK地上波で『ドキュメント72時間「秋田・真冬の自販機の前で」』が全国放送された影響で、「土崎港「B級的昭和レトロ自販機」佐原商店」が上位にランキング。

レトロ自販機

取材時に壊れてお湯があふれていた、うどん・そば自販機は放送に合わせてリニューアル。放送後、各地から物好きが集まり一時は行列ができる異常事態に、それまで気軽に利用していた常連は足が遠のく。

2015年12月29日に人気作品9本を一挙に放送した『朝までドキュメント72時間』では「もう一度見たい72時間」の第1位に輝く。

土崎湊祭り
港自販良いダシ(山車)曳(ひ)き出す そば うどん
平成二十七年 土崎湊祭り・見返し

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ちん餅・師走の風物詩

 ちん餅
昭和34(1959)年師走 新聞広告

現在の大町三丁目に店舗があった、宝永2(1705)年創業の元祖秋田諸越本舗「杉山寿山堂」による「ちん餅」の広告。

「ちん餅」という言葉にピンとこない人も多いと思うが、「ちん」とは「賃金・工賃」の「賃」で、おもに正月用の餅を工賃を払って餅屋や米屋、菓子屋に搗いて貰うことをいう。

江戸時代に江戸から始まった言葉らしく、古くは臼・杵をかついで市中を回り、注文された家の前で、餅搗唄にあわせて餅を搗く職人も存在した。

ちん餅
『縁組連理鯰』より

天明1(1781)年刊『縁組連理鯰』から、「ちんもち」の看板が見える餅菓子屋の挿絵。暖簾に「突」の字、中央奥に米俵と米を水に浸す桶、左手にせいろで米を蒸す男、右手の棚には商品が並べられている。

我が家で「ちん餅」を注文していたのは、大福餅とかき氷が名物の楢山本町(通称・楢山表町)「斎藤もちや」。

暮れも押し詰まった29日頃、父が自転車で「ちん餅」(鏡餅・のし餅)を運んで来ると、正月を迎える師走気分が一気に高まった。

まだ柔らかさが残る搗き立ての「のし餅」は、新聞紙を敷いたちゃぶ台にのせられ、包丁にくっつかないように片栗粉がまぶされて、長方形に切りそろえられる。それをつまみ食いするのが毎年の楽しみだった。

昭和40年代後期、殺菌真空包装の「切り餅」が発売され、未開封で一年間という長期保存が可能になったが、加熱処理することにより、搗き立ての味がそこなわれる欠点があった。

昭和50年代に入って、無臭・無毒の脱酸素剤が発売され、食品の流通に革命を起す。パッケージ内の酸素を吸収し、食品のカビ発生や風味の低下を防ぐ脱酸素剤の登場によって、新鮮な状態の「切り餅」を長期保存することが可能になり、餅屋に注文する「ちん餅」の需要は徐々に低下してゆく。

鈴為餅屋
鈴為餅屋 2015.12

南通みその町の「鈴為(すずため)餅屋」も、師走は「ちん餅」で忙しく、名物の「ミルク焼」はお休になる。

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川反にあやしいポスター・副業詐欺

詐欺ポスター
2015.12 秋田市川反

師走の川反通りで見つけた詐欺案件ポスター。2件確認したが、どちらも建物の側面に掲示されていた。右下に小さく「震災復興支援ポスター」とあるのが笑わせてくれる。

スケベ心で電話すると、おいしい話を聞かされたあと、仕事をするには数万円の登録料金が必要といわれる。

欲に駆られて登録料金を振り込んでも仕事の依頼があるはずもなく、やがて電話も不通に。電話番号と社名を変えた業者は次のカモを待ち受ける。

ポスターに掲載されたフリーダイヤル番号をググると、当該業者のウェブサイトのほかに、なぜか岡山の学習塾、そして詐欺に対して注意を喚起し相談を受けるブログが何件かヒットするのだが、これも詐欺業者と同様に胡散臭い。

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web漫画『秋田妹!えびなちゃん』表紙に金萬

『週刊ヤングジャンプ』連載で、今年アニメ化された『干物妹(ひもうと)!うまるちゃん』に、主人公のクラスメートとして登場する人気キャラ・海老名菜々を主人公としたスピンオフ漫画「秋田妹(あきたいもっこ)!えびなちゃん」が、ウェブコミック配信サイト『となりのヤングジャンプ』にて、2015年12月7日から連載を開始。菜々の名にちなんで毎月7日に更新する予定だ。

となりのヤングジャンプ : 秋田妹!! えびなちゃん

えびなちゃんは高校入学のために秋田から単身上京という設定で、おいしいものに感激したり、気がゆるむと飛び出す秋田弁が萌えポイントの巨乳キャラ。

作者は秋田出身ではないので秋田弁がヘンテコなのは仕方ない。

えびなちゃん

第一話のカバーイラストに秋田名菓「金萬」が登場しているが、浅草に出かたえびなちゃんが「金萬」そっくりな「都まん」を見つけて、それが「金萬」のルーツと知ってショックを受けるエピソードが・・・・・・あるわけがない。

干物妹!うまるちゃん - 週刊ヤングジャンプ公式サイト

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1970「日本海サニーランド」オープン

日本海サニーランド
▲昭和45(1970)年 新聞広告より

米代川河口に近い能代市落合の能代温泉に、昭和45(1970)年5月18日、「日本海サニーランド」オープン。

「日本海の波濤に太陽」を組み合わせたロゴマークに、 キャッチフレーズは「歌と踊りと大プール」。

37,600平方メートルの敷地に、ウォーターシュート付き温水プール、温泉、大広間、レストラン、宿泊施設、テニスコート、ゴーカート場、ゲームコーナーなどを備えた総合レジャー施設であった。

能代の「中田建設」創業者社長で県会議員の中田初雄氏が、地元有志から出資を募り「日本海サニーランド株式会社」を設立、中田氏が社長に就任。

昭和41(1966)年、福島に開業した「常磐ハワイアンセンター」(現・スパリゾートハワイアンズ)の成功を契機に、

昭和42(1967)年「山形ハワイドリームランド」開業
昭和44(1969)年「茨戸ハワイランド」(札幌)開業

等々、昭和40年代初頭から“常夏の楽園ハワイ”をテーマに、大型温水プールを中心とした総合レジャー施設が各地にオープン。「日本海サニーランド」もその流れに乗ったもの。

氷点下の真冬でも常夏気分を楽しめる「日本海サニーランド」は、当初の予想を大きく上まわる活況を呈した。

※「能代温泉」昭和40年代始め、石油試掘ボーリング中、70度の温泉が噴出したのが能代温泉の始まり。

日本海サニーランド
▲昭和46(1971)年

利用料金・大人 350円 小中学生 200円 幼児 100円。ちなみに、ラーメン一杯180円(東京)銭湯40円の時代。

熱狂的なボウリングブームのほとぼりが残る、昭和46(1971)年5月、隣接地に「能代サニーレーン」開業。

日本海サニーランド
▲昭和48(1973)年

日本海サニーランド
▲昭和48(1973)年

左手に「能代サニーレーン」。そのとなりの二基のテント、そして右上に二つ並んだドーム状の物体は、秋田における史上最大規模の博覧会「秋田博」のパビリオンを再利用したもの。

「日本海サニーランド」を経営する「中田建設」が「秋田博」の建設を請け負っていた関係で、そのパビリオンと遊具の一部がこの地に移設された。

秋田博
▲昭和44(1969)年 秋田博メイン会場の一部(会期前)

右上に、かまくらをイメージした「四季のイメージ館」のうちの二棟。右下にジェットコースターが見える。

日本海サニーランド
▲昭和45(1970)年 「日本海サニーランド」新聞広告より

ふたつのドーム状構造物の内部はゴーカート場。ゴーカート、そして、屋内に設置された遊具・コーヒーカップも、秋田博の「子供の国」から移設したものであった。

秋田博
▲昭和44(1969)年 秋田博「子供の国」(会期前)

※「秋田博」(八郎潟干拓記念・秋田農業大博覧会)秋田市臨海工業地帯をメイン会場に、「大阪万博」を翌年に控えた昭和44(1969)年8月から9月の55日間開催。県内外からの入場総数102万人。

日本海サニーランド
▲昭和50(1975)年10月撮影

「秋田博」から移設したテントおよびドーム状のパビリオンは、この時点で姿を消している。パビリオン類のほとんどは、会期中だけ持てば良い仮設建設のため、耐久性が低い。

日本海サニーランド
▲昭和55(1980)年

昭和58(1983)年5月26日11時59分57秒、マグニチュード7.7を記録する日本海中部地震発生。

砂丘を越えて高さ3メートル弱の津波が「日本海サニーランド」を襲う。駐車場、テニスコートが地割れをおこし、建物は地盤沈下による配管破損がいちじるしかった。

オープンから2年ほどは黒字であったものの、その後は経営不振がつづいていたことから、この震災を契機に「日本海サニーランド」の閉鎖が決まる。その後「能代サニーレーン」は、土床の室内ゲートボール場として整備された。

日本海サニーランド跡
▲日本海サニーランド跡 2012.09撮影・Googleストリートビュー

平成26(2014)年、「日本海サニーランド」跡地と市道を隔てた隣接地に「中田建設」が年間発電量約110万キロワット規模の太陽光発電所を建設。

かつて「太陽と波」をシンボルマークとする“陽光の楽園”が存在した地に、今は(2015)ソーラーパネルが林立している。


▲日本海サニーランド跡・能代落合太陽光発電所

中田建設株式会社

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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