二〇世紀ひみつ基地

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2013年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年04月

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大人の童話『赤い絨毯』元切り込み隊長

有料コンテンツ配信プラットフォーム cakes(ケイクス)では、春休み期間中(2013年3月25日〜4月2日)、過去の人気記事の一部を無料公開中。

お薦めは、元切込隊長「やまもといちろうBLOG」でおなじみ、山本一郎氏による、大曲を舞台にした自伝的小説『赤い絨毯』。
元切込隊長、webを中心に雑誌、テレビなどで活躍されている実業家、投資家・山本一郎さん @kirik の小説です。山本さんの書きおろし小説に、驚かれた方も多いのではないでしょうか。秋田大曲を舞台に、父に捨てられた孤独な少年の青春が描かれます。主人公を優しく見守る祖母、そして初めてできた友人のK。豊かな自然の中で、彼はどのように成長していくのでしょうか。だれもが子供のころを思い出さずにはいられない、感動の物語です。




まさに「心がゴトゴトと動かされる」哀しくも美しき大人の童話である。是非、無料期間中に一読の程を。閲覧は以下関連リンク先から。

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ケイクス通信 【cakes開設半年記念号】

cakes(ケイクス) クリエイターと読者をつなぐサイト

やまもといちろうBLOG(ブログ)

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町家の軒先に違和感・季節外れの御神灯


高堂酒店(秋田贔屓)2013.02

川反一丁目の町家「高堂酒店」旧店舗。

現在は秋田の工芸品・雑貨などを扱うデザインショップ「秋田贔屓」(あきたびいき)が入居しており、営業中は御覧のように「左巻き三つ巴紋・裏に日の丸」が印された提灯を看板代わりに下げているのだが、それを目にするたびに強い違和感をおぼえてしまう。特に雪の降り積もった冬場は。

そもそもこの提灯は、外町(とまち)の総鎮守である日吉(ひえ)八幡神社、通称「山王さん」の御神灯(ごしんとう)で、日吉八幡神社秋季大祭(山王祭)の二日間に限って(かつては春季大祭の折りも)家々の軒先に下げられるもの。

ハレの日でも無いのに、年がら年中、軒先に山王さんの御神灯を下げることは、祝日でも無いのに毎日、軒先に「日の丸」を掲揚するのと同様な、常識を外れた行為なのである。


山王祭の宵(豊島町にて) 2005.09

外町の家々に御神灯がともる光景は初秋の風物詩。

文化年間(1804〜1818)の『六郡祭事記』に、「この夜、総氏子より出す所、灯籠百千数、城下より八橋の里に到る道路、社の境内まで昼の如し」と、山王祭が久保田町(現在の秋田市中心部)を代表する祭りだった往年の、きらびやかな宵祭りの様子を伝えている。

各町内には置山と舞台が設けられ、大きな曳山が練り歩き、近在からの見物人もあわせて、深夜まで大いににぎわった秋祭りも、今では規模を縮小し、外町の一部住人だけの、さびしいものとなっている。

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さようなら「ホテルはくと」協働社のウサギ


2013.02 クルーザー・バレー ホテルはくと

アパホテル県内初、秋田市に進出 「はくと」買い取り営業

 総合都市開発のアパグループ(東京)が、秋田市千秋矢留町の「クルーザーバレー・ホテルはくと」の土地、建物を買い取り、21日から「アパホテル秋田千秋公園」として営業を始める。県内にアパホテルがオープンするのは初めて。

 ホテルはくとは、鉄骨造り10階建てで客室は134室。分譲マンション販売のフナコシヤ(札幌市)が1999年、経営破綻した協働社から土地、建物を購入し、「ホテルはくと」の名称を残して営業を継続。2007年7月にリニューアルオープンした。

 しかし、その後、JR秋田駅周辺のホテルとの競争で苦戦を強いられ、売り上げが思うように伸びなかった。東日本大震災以降は、稼働率が1割程度にとどまる日もあり、ホテル経営はフナコシヤの不採算事業になっていたという。

 全国で192ホテルを運営するアパグループは、チェーン拡大計画の一環でホテル購入を決定。今後、全室に32型以上の大型液晶テレビを導入するほか、オリジナルブランドのベッドを設置するなどし、順次、ホテルをリニューアルしていく。 (2013/03/09 10:46 更新)
さきがけonTheWeb より

「アパホテル」は「ホテルハワイ」一号店(川反店)から数えて、この地で四代目のホテル経営会社となる。

昭和54年(1979)秋田市に本店を置く量販チェーン「協働社」が「ホテルハワイ」川反店を譲り受け、長期滞在者用客室を備えた「ホテルはくと・パンションはくと」としてリニューアルオープン。


ホテルはくと・パンションはくと(旧・ホテルハワイ川反店)

手前がホテル、奥にパンション、その向こうに「鷹の松」が小さく見える。

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メーカー直接仕入れ・大量仕入れ・薄利多売、そして協働共栄をモットーに、東北各地にチェーンを広げ、晩期はホテル業にも進出した「協働社」は、翌昭和55年(1980)浅利社長の地元で「協働社」創業の地である角館町の中心地に、ホテル兼商業施設「角館プラザビル」を建設。


角館プラザ

ホテルに「協働社」が同居し、最上階に回転展望レストランを設置した「角館プラザ」は、「角館プラザホテル」と名を変えて今も営業しているが、展望レストランは回転停止中。最近の姿は以下関連リンク先に。(追記・平成26年(2014)2月「角館プラザホテル」廃業。) 

関連リンク
角館プラザホテルの写真一覧 - 旅行のクチコミサイト フォートラベル

「協働社」が経営した「ホテルはくと」の「はくと」とは「白兎」のこと、秋田市広小路「協働社ビル」の食堂街には、自社経営の和食レストラン「はくと」があった。

ウサギといえば「靴と傘なら協働社」のなつかしきシンボルマーク。多産なウサギは古来より「子孫繁栄・豊穣」を象徴する縁起の良い動物とされたが、それに加えて「協働社」のウサギには、創業者社長・浅利喜智治氏の経営精神が秘められていた。
昭和41年(1966)新聞広告より
絵と文・長崎抜天(ながさき ばってん・漫画家・1904-1981)

 「世間一般のデパートは、商品の品種を揃えることを目標としていますが」  ウチは少々違うと、協働社の浅利社長は解説してくれる。一般デパートは何でもあるが、さて好みの品を選ぼうとすると品数が少なくて案外希望するものが買えない。  「狭く深く・・・・・・がウチの目標です。カサ、クツ、ゴムグツ、電気器具などは特に重点的に揃えております」ゴム靴の売上げでは、日本中のデパートの最高だと自信満々。その表情には誠実さがあふれている。  「協働社という名に経営者の気持ちがうかがえますが、このウサギのマークも変わっていますね、耳の長いのと尻ッ尾の短いのは当然だが口が無くて後ろ足の短いのはどういうことで」  「他人の言をよく聞けと長いミミ、饒舌を慎めと口を描かず、捕らえられるような悪事をするなと尾を短く、亀に負けた愚を忘れるなと、長すぎた足を亀の足に代えました」経営者と従業員はこの精神で奉仕しているという。

「協働社」と浅利社長にゆかり深い、約35年間つづいた「ホテルはくと(白兎)」の名は失われ、間もなく「アパホテル秋田千秋公園」として生まれ変わる。「協働社」が元気だった昭和の記憶がさらに遠のくようで、なんだかさみしい。

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アパホテル〈秋田千秋公園〉【公式】アパホテル

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接客ロボットの名はミミちゃん・1971協働社ビル


昭和46年(1971)4月 新聞広告

「靴と傘なら協働社」のキャッチフレーズでおなじみ、秋田市広小路の量販チェーン・ストア本店「協働社ビル」の新聞広告。

当時、ゲームコーナーとイベントスペースがあった四階では「大蛇展」を開催中。「大蛇展」は70年代の人気企画、市内のデパートでも度々行われている。


昭和46年(1971)4月 新聞広告

ペットネームを募集している「CMガール」とは、一階と四階の入口に一時期設置されていた接客ロボット。

マットを踏むと電気が流れ、テーブル上の人形が頭を下げ、回転する仕掛けで、子どもたちの人気者だった。


昭和46年(1971)5月 新聞広告


昭和46年(1971)5月 新聞広告
CMガールのペットネーム(名前)が決まりました。
「ミミちゃん」です。

どうぞ仲良くして下さい
協子ちゃん、バニーちゃん、ミミちゃん、ラビットちゃんなど楽しい名前を沢山いただきましたが、次の方々が入選と決まりました。
決定した「ミミちゃん」を初めとして、協働社のシンボルマーク「ウサギ」にちなんだ投票が多かったようだ。

協働社の「ウサギ」に込められた秘密については次回に。



こちらは店員とお揃いの制服を着たミミちゃん。昨今の女子高生みたいにスカートがやけに短い。

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秋田市大町の老舗宝飾店跡にセブン-イレブン建設中


2013.03.01

通町(とおりまち)から大町通りに抜ける丁字路で、コンビニエンスストア「セブン-イレブン 通町店」の建設工事が始まっている。当物件を含め、秋田市内5店舗が3月末の同時オープンを目指して只今工事中。

どうやら、通町に面した「竹半駐車場」が「セブン-イレブン」の駐車場となり、入口が通町に向くため「大町店」ではなく「通町店」と命名したようだ。

関連リンク
店舗検索|セブン-イレブン~近くて便利~


大きな地図で見る
セブン-イレブン通町店(「竹谷金正堂」跡)



角地の「竹半駐車場」は、南隣の「サンパティオ大町」で営業する「竹半スポーツ」の旧店舗があった場所。

そして、「セブン-イレブン」店舗建設中の土地が、平成23年(2011)に店を畳んだ老舗宝飾店「竹谷金正堂」(竹谷徳之助)跡地。


明治41年

廃業した「竹谷金正堂」(竹谷徳之助)の本家は、川反二丁目の「金光堂」(竹谷金之助)。現在は「竹谷本店」の名で、広小路と秋田ステーションビル「トピコ」で営業する同店は、天保元年創業(1830)という、言わずと知れた老舗中の老舗。広告の受賞歴にはパリ万博の名も見える。

関連リンク
株式会社 竹谷本店 ホームページ 秋田銀線細工のお店


大正2年

藩政時代は主に県内産原料を加工し、刀剣の鍔(つば)を初めとする刀装具などが、久保田藩お抱えの鐔工(たんこう)「秋田正阿弥」一派により製作されていたが明治維新で衰退。
しょうあみ【正阿弥】
鐔工(たんこう)の一派。また、その製作した鐔(つば)の称。初期のものを古正阿弥といい、室町末期に起こる。鉄地に金象嵌(きんぞうがん)を施し、一般に武骨なものが多い。京・伊予・阿波・会津・庄内・秋田など各地に分派が生じた。元禄頃の京正阿弥の政徳(まさのり)は有名。
広辞苑 第六版 (C)2008

明治晩期から大正にかけて竹谷金之助ら、名工の尽力により優秀な職人を数多く輩出、販路を県外へ広げて秋田金工の名声を博し、金銀細工は秋田市の重要産品となる。

大正初期における秋田市内の金銀細工製造戸数は大小あわせて約40戸、最盛期の職人数約150人。

大正10年度「金銀細工商」納税額トップ4
渋谷金治 川反三丁目
竹谷金之助 川反二丁目(現・竹谷本店)
竹谷徳之助 大町一丁目
升谷長吉 上肴町(現・仏壇の升谷)

すべての名字に「谷」があるのが興味深い。偶然にしては出来すぎ。

明治から大正にかけての全盛期に盛んに造られたのが、繊細にして華やかな簪(かんざし)。婚礼で花嫁の髪を飾ることが多かったため「秋田花嫁簪」とも称された。下記関連リンク先に「秋田花嫁簪」および「秋田正阿弥」の画像あり。

時代が下って簪(かんざし)の需要はほとんどなくなったが、その製作でつちかわれた技術が「秋田銀線細工」として今に伝えられている。

関連リンク
秋田花嫁簪10組 : なんでも鑑定団お宝情報局2
テレ東「開運!なんでも鑑定団」で鑑定された秋田花嫁簪

秋田正阿弥献上鍔 - 半死の白頭翁の愚痴話
唐草文図鐔 正阿弥伝兵衛 Denbei AkitaShoami Tsuba - 鐔鑑賞記 by Zenzai
秋田正阿弥 藻貝散し図 鉄地 丸形
日本美術刀剣保存協会秋田県支部 木賊図透鐔 無銘 秋田正阿弥


大町一丁目「竹谷金正堂」(竹谷徳之助)大正中期


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』バレンタイン企画広告の一部

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 広告で見るバレンタインデー『秋田魁新報』編

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2013.03.06 追記


2013.03.06


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山王に屋内ゴルフ練習場オープン・1972初春


1972

サッカーの試合が行われている「秋田市営八橋ラグビー場」(現・市営八橋球技場)の後方に見える、カマボコ屋根の大きな建物は、けやき通りをへだてた丁字路角地にあった「山王ゴルフ練習場」(昭和47年(1972)オープン)。




新聞広告 昭和47年(1972)1月



建物後方に「AKT秋田テレビ」。けやき通り側に駐車スペース、交叉点側に軽食「ナイスオン」を併設。






昭和50年(1975)国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省(C)

右上の白っぽい建物が「AKT秋田テレビ」。川尻総社町から八橋本町一丁目・AKT前に通じる「けやき通り」は、八橋一里塚まで完工している。「AKT秋田テレビ」の下(南)八橋一里塚交叉点の角地にカマボコ屋根の「山王ゴルフ練習場」。

「市営八橋ラグビー場」(昭和28年(1953)竣工)南側の建物は「秋田市民会館」と併設の「勤労青少年ホーム」。

昭和32年(1957)千秋公園北の丸に産声をあげた「秋田市公民館」は、昭和40年(1965)「市民会館」と名を変えて八橋に移転。昭和55年(1980)「中央公民館」と名を改め、平成15年(2003)「秋田ニューシティビル」五階に移転、中央公民館・青少年センター・女性学習センターの三施設が集合した「サンパル秋田」としてオープン。「秋田ニューシティ」解体を前にした平成22年(2010)「秋田市文化会館」内に移転し今に到る。

昭和61年(1986)「山王ゴルフ練習場」跡地に五階建て賃貸マンション「ロイヤルイン秋田」竣工、一階にイヤタカグループ経営のBEER&焼酎ダイニング「小中大」が入居していたが、平成24年(2012)解体、現在は跡地の一角で「ローソン 秋田山王けやき通店」が営業している。


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「山王ゴルフ練習場」跡


市営八橋ラグビー場 1972


市営八橋球技場(旧・市営八橋ラグビー場)2007.10


▼附録「山王官庁街」幼年期


昭和37年(1962)国土画像情報 国土交通省(C)

田んぼが広がる山王地区。山王大通り沿いの右下に「市立体育館」(昭和29年(1954)開館、旧称・山王体育館)。その西隣が「秋田県庁」(昭和34年(1959)落成)。

「秋田県庁」北側の色濃く整地された区画に、昭和39年(1964)「秋田市役所」および「NHK秋田放送局」落成。

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