二〇世紀ひみつ基地

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木内デパートの箱文字看板消滅す・昭和の面影


2013.02.17

秋田市広小路「木内」の東側面で、永年にわたり存在感を放っていたステンレス製箱文字看板が消えた。

少し前に外装の工事をしていたので、そのとき腐食が発覚し、落下の恐れがあるため取り外したのかもしれない。


2013.02.17

看板の痕跡の右側に並んだ金属棒は懸垂幕(垂れ幕)を取り付けるためのハシゴ。「木内」がデパートだった時代、セールを告知する懸垂幕がいつも下ろされていた。

過去記事から「木内」の箱文字看板がある画像をピックアップ。


1970年代

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1973


2005.07

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広告で見るバレンタインデー『秋田魁新報』編

広告で見るバレンタイン・プレゼント(2)日本(秋田)編


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』

おそらく秋田で最初のバレンタインデー企画広告。

中央下部の囲みにバレンタインデーについての解説がある。
今から約千七百年前アイルランドに「バレンタイン」というカトリック教徒がいました。その頃、ローマ皇帝はしきりにキリスト教を迫害しバレンタインも投獄されたりしましたが彼はそれにもめげず貧しい人々をあわれみ、子どもたちを可愛がり、すべての人を愛しました。しかし西紀元二六九年二月十四日、異教徒により遂に殉教したといわれています。それ以来この心やさしい聖徒バレンタインの日を記念し友情の日、敬愛の日、恋人の日などと呼び愛する人への心からの手紙や美しい贈り物をする習慣になっています。
以下拡大画像のように、内容は婦人向け商品が多い。


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』

秋田・放送局前 化粧品「ホープ」8ミリシネが当たる資生堂男子用化粧品デー
大町一丁目「竹谷徳之助」指輪
上通町「吉川洋品店」セーター・下着
能代市富町「誠和産業」紳士・婦人服地
大曲駅前「石橋ストア」
広小路「木内」婦人ショールほか


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』

金座街「大森」膝上靴下
川反五丁目・花とおしゃれの店「ヤマト」カネボウ化粧品
すずらん通り「竹屋」婦人セーターほか
横手市「ヤマカワ」
すずらん通り「佐藤洋傘店」洋傘・セーターほか
金座街・カバンと洋品の「金座マルキン」セーター・ワイシャツほか
横町・洋品の「ヒノデヤ」婦人セーターほか

バレンタインデー当日(金曜日)に掲載された広告を見て、実際にアクションを起こした人数は、はたしてどれほどだったのだろう。同様なバレンタインデー企画広告が掲載されるのは、これから数年後のことになる。


昭和37年(1962)1月16日『秋田魁新報』

大手菓子メーカーで、最も早くバレンタインデーとチョコレートを結びつけた広告を大々的に展開したのが森永製菓。


昭和37年(1962)1月16日『秋田魁新報』
あちらの映画・TVでおなじみ《愛の日》バレンタインデー.若いヒトが贈物や手紙を交換しあう日です.チョコレートをそえて贈れば,レイケンアラタカとか・・・・あなたも一度ためしてみては?!
「贈物や手紙を交換しあう」バレンタインデーのプレゼントの「添え物」として提案されたチョコレート。景品が指輪であるように、女性にターゲットを絞った企画であったが、宣伝効果はかんばしくなく一時中断している。


昭和43年(1968)2月13日『秋田魁新報』


昭和43年(1968)2月13日『秋田魁新報』


昭和43年(1968)2月13日『秋田魁新報』

秋田ステーション・広小路・名店街「竹谷本店」ガスライター
金座街・横町「アザミ」ブローチ・ネックレス ハンカチなど
金座街「ワタナベ時計店」各種ライター
広小路「木内」春の新色毛糸
金座街・おしゃれ用品「金座マルキン」ブラウス風セーター
駅前中央通り・おしゃれの店「マスコット」

解説文は昭和33年(1958)とほぼ同じ。当時は男性へのプレゼントの代表格であったライターの広告が2件。


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・協働社ビル


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・協働社ビル
心をヨセている彼への贈りものに
サンヨーカドニカカミソリ
ブラウンシンクロン
高級春物ネクタイ
VAN各種セーター
アーノルドパーマー・ボディシャツ
紳士用化粧品セット


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・木内デパート


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・木内デパート

70年代に入ると、バレンタインデーは「女性が思いを寄せる男性へプレゼントする日」という、本来とは異なる認識が一般化したのが商品のラインアップからうかがわれる。

昭和40年代前後からチョコレート業界・流通業界がこぞってバレンタイン商戦に力を入れ始め、50年代には日本独自のバレンタインデーが定着、脇役だったチョコレートがプレゼントの主役となり、その後、義理チョコ、返礼としてマシュマロやキャンデーを贈るホワイトデーが創案され、この時期がチョコレート業界のかき入れ時となった。


詳しい歴史は下記関連リンク先に。

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広告で見るバレンタインデー・米『LIFE』編

広告で見るバレンタイン・プレゼント(1)米国編
バレンタイン‐デー【St. Valentine’s day】
2月14日。269年頃殉教死したローマの司祭、聖バレンタインの記念日。この日に愛する人に贈り物をする。日本では1958年頃より流行し、女性から男性にチョコレートを贈る習慣がある。
広辞苑 第六版 (C)2008
聖バレンタインの日、欧米の男女間で交わさせる親愛のプレゼントは、花・キャンディ・チョコレート・ネクタイ・バレンタインカードなどと多彩。

女性から男性への一方的なチョコレートのプレゼント、そしてその返礼としてのホワイトデーは、どちらも日本の菓子業界が仕掛けたイベントで、もちろん義理チョコなど存在するはずもない。

それでは、ハートまみれのバレンタインデー・レトロ広告をどうぞ。次回は日本編(秋田編)の予定。


『LIFE』1941年1月13日


『LIFE』1943年2月8日


『LIFE』1944年2月7日


『LIFE』1947年1月27日


『LIFE』1947年2月3日


『LIFE』1950年2月6日


『LIFE』1950年2月6日


『LIFE』1954年2月1日


『LIFE』1958年2月3日


『LIFE』1965年1月29日


『LIFE』1965年2月12日


▼バレンタイン・カード


『LIFE』1951年2月5日













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秋田駅前「加賀谷書店本店」跡に「和民」オープン


JAPANESE DINING「和民」秋田駅前店 2013.02

平成25年(2013)2月6日、秋田駅前「加賀谷書店本店」跡に、居酒屋「和民」オープン。秋田駅前店は秋田県内第一号店となる。


「加賀谷書店本店」2012.10


「加賀谷書店本店」2012.10


「加賀谷書店本店」2012.10

平成19年(2007)秋田フォーラス(旧なかよしビル)6・7階に「ジュンク堂」オープン。
平成23年(2011)フォンテAKITA(旧イトーヨーカ堂)5階フロアに「宮脇書店」オープン。

相次ぐ全国チェーン店の秋田駅前進出に打撃を受けた「加賀谷書店本店」は、平成24年(2012)11月7日閉店、60年の歴史に幕を下ろした。最盛期は市内に7店舗を展開したが現在は東通店・茨島店の2店に縮小。

昭和23年(1948)「加賀谷書店」創業者の加賀谷豊治氏は、古書同好の文学青年たちと共同出費、「木内百貨店」内に古書店を開業。紙不足で新刊書の出版が難しく、国民が活字に飢えていた時代であった。

昭和28年(1953)秋田市久保田町の十七連隊跡地に「加賀谷書店」開業。今にすれば小さな店だが、当時は県内一の売り場面積を誇っていた。

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昭和40年代から秋田関連の重要書籍を次々と出版。

企画・出版物の一部
『新編佐竹氏系図』加賀谷書店 1973
『秋田沿革史大成』加賀谷書店 1973
『秋田書画人伝』加賀谷書店 1975
『勝平得之全版画集』講談社 1975
『秋田県史』加賀谷書店 1977
『平福百穂画集』集英社 1978
『在県秋田の美術と文化』学習研究社 1982

昭和47年(1972)隣接した広小路側の土地を取得、店舗を拡張してリニューアルオープン。


昭和47年(1972)新聞広告より(見開き広告の中央上部)

見開き2面にわたり主要出版社の書籍広告がずらりと並ぶ。


昭和47年(1972)新聞広告より

宝飾の「竹谷本店」と婦人服「平徳本店」の間が増築部分。それ以前この場所に「菅長駅前電化ストア」があった。

「加賀谷書店事務所」とあるのが「加賀谷書店」初期店舗。その北隣が「オノ時計店」。この区画に今は「秋田ビューホテル」が建つ。

「加賀谷書店事務所」南隣には「エルザ」「それいゆ」と、二つの喫茶店がならび、コーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読むのが定番コースであった。喫茶「それいゆ」の跡に「リーガルシューズ」が入ったのは70年代後半の頃。

「加賀谷書店」の向かいにあった「文具のイトウ」が実際よりも西側に描かれているが、ずいぶん長いあいだ空き地(駐車場)になっていたその跡地に、平成24年(2012)12月、居酒屋「寧々家 秋田駅前店」オープン。


2013.02

看板建築的店舗の後方に廃墟化して久しい「ホテルハワイ駅前店」。

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2003.10

地元の大型書店であった広小路の「三浦書店」(二階建て、上階に千秋公園に面した喫茶コーナーを併設)、中央通りの「三光堂書店」(四階建て、店舗は三階まで)はすでになく、ついに「加賀谷書店」までも撤退。秋田駅前から地元書店が消えた。


大きな地図で見る
「和民」秋田駅前店(加賀谷書店本店跡)

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「本屋」二〇世紀ひみつ基地内検索

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「恵方巻」の内緒話・はしたなき奇習

▼「恵方巻」はどこから来たのか

節分の行事といえば「豆まき」と相場が決まっていたのが、大阪起源の「恵方巻」という、お行儀の悪い奇習が全国的に定着して久しい。

縁起物としての「丸かぶり寿司」に関する最古の現存資料は、昭和7年(1932)「大阪鮓商組合後援会」発行の宣伝チラシという。その内容は以下の通り。
「巻寿司と福の神」
節分の日に丸かぶり

この流行は古くから花柳界にもて囃されていました。
それが最近一般的に宣伝して年越には必ず豆を年齢の数だけ食べるように巻寿司が食べられています。
これは節分の日に限るものでその年の恵方に向いて無言で一本の巻寿司を丸かぶりすればその年は幸運に恵まれるということであります。
宣伝せずとも誰言うともなしに流行ってきたことを考えるとやはり一概に迷信として軽々しく看過すべきではない。
‥‥後略‥‥
昭和七年「大阪鮓商組合後援会」発行宣伝チラシより
まだ「恵方巻」の名は見えない。注目すべきは「この流行は古くから花柳界にもて囃されていました」の一文。

当初は大阪のごく一部だけの流行で、戦後はすたれていたものを、1970年代、大阪の海苔問屋など業界団体が宣伝活動を再開、昭和60年(1985)頃に到って大阪で大流行、やがて周辺都市部にも知れ渡るようになる。

昭和60年(1985)の『秋田魁新報』に「好運を呼ぶ巻き寿司」の広告がある。文面は下記の通り。
幸運を呼ぶ巻きずし

丸かぶり

一本四〇〇円


鬼は外、福は内
節分の日にその年の恵方を向いて
巻きずしを丸のまま食べると
幸運がやってくる。
恵方とは其の年の良い方向で
今年は[西南西]の方向に
歳神様が宿ってるのです。
家族全員それぞれその方向に向かって
無言で巻きずしを切らず丸ごと食べると
幸運と健康がかなえられる。
七色の材料を使った幸運の巻きずし。
鬼は外!!福は内!!そして福は寿司。
丸かぶりを食べましょう。
お近くの秋田県すし組合加盟店でどうぞ。

●協賛 高岡屋会
秋田県鮨商環境衛生同業組合加盟店
協賛の「高岡屋会」とは、「幸福のり」のブランド名で名高い海苔の老舗「高岡屋」(本社・東京)のことだろう。同社が大阪でのブームを全国に広げ、海苔の拡販につなげようと、各地の寿司屋組合と共同企画した広告の秋田版と思われる。

昭和64年(1989)広島県内のセブン-イレブン一部店舗にて、丸かぶりする「巻寿司」を節分の縁起の良い風習として紹介。「恵方巻」の商品名で売り始める。同県の店舗オーナーが「大阪では節分に巻寿司を丸かぶりする」と提案したのがきっかけであった。

平成7年(1995)セブン-イレブンの関西以西で販売。
平成10年(1998)全国のセブン-イレブンで販売。

そのブームにコンビニ各社、スーパーマーケットまでも便乗、全国展開するようになり、大阪のローカルな奇習が全国的に定着する。


▼上方落語に「恵方巻」の起源を聞く

気になるのは、昭和7年(1932)「大阪鮓商組合後援会」発行の宣伝チラシにみえる「この流行は古くから花柳界にもて囃されていました」の一文。

現代の「恵方巻」の起源と思われる花柳界の風習とは、一体どのようなものであったのかと調べていた数年前、古い上方落語に「巻寿司の丸かぶり」に関する興味深い話があるのことを知った。

題名は『遊山(ゆさん)船』。江戸落語の熊さん・八つぁんに相当する喜六・清八の二人は浪速橋へ夕涼みにでかける。氷屋や西瓜屋が店を出し、花火が打ち上がるにぎわいのなか、川面に目を落とすと船遊びに興じるたくさんの屋形船(遊山船)。


浪花百景「浪花橋夕涼」絵師・歌川国員 出版・嘉永年間


屋形船(遊山船)明治期

屋形船の上には舞妓や芸妓をはべらせた旦那衆。やがて例の黒い棒状の「海苔巻」が運ばれてくる。そのシーンの抜粋は以下動画で。

師弟関係にありながら両者の語り口はもちろん、内容も少し違うので聞き比べると面白い。


上方落語「遊山船」六代目 笑福亭松鶴(1918-1986)

「尺八喰い」=「丸かぶり」
「まぁしゅう」=「舞妓衆」?
「きゃあ」=「客」
「ねずって」=「ねぶって」
「席駄」(せきだ)=「雪駄」(せった)に同じ、「草履」のこと


上方落語「遊山船」七代目 笑福亭松鶴(1952-1996)

年端もいかない舞妓に太い「海苔巻」を「尺八喰い」させ、目を白黒とする様子を見て喜ぶ旦那衆。これが現代の「恵方巻」の起源か・・・・・・。

古くは節分にかかわらず花柳界において行われた、このセクシャルな遊びは、商売繁盛と「舞妓に良い旦那(スポンサー)が付くように」と願う、オマジナイの意味もあったと言われている。花柳界(水商売)は今でも縁起をかつぐ風潮が強い。

以上のような花柳界におけるお座敷遊びと、陰陽道を起源とする「恵方信仰」(歳徳神信仰)を結びつけて、縁起の良い「恵方巻」が創作された。

関連リンク
歳徳神 - Wikipedia

上方落語の喜六・清八が現代に現れ、水商売でもないシロウトの老若男女が、恥じらいもなく「巻寿司」を丸かぶりするのを見たら、開いた口がふさがらないことだろう。


上掲画像は「恵方巻撲滅をめざす@ ウィキ」で配布している「恵方巻撲滅チラシ」を縮小したもの。「セクハラ」と断罪するのは野暮な気もするが、「恵方巻」花柳界起源説にまつわる情報がまとめられている。

関連リンク
【破廉恥】恵方巻撲滅をめざす@ ウィキ - ウソ風習の恵方巻の正体を暴いてやる!!


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