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「Help me!!」娘。が秋田にやってくる


モーニング娘。 『Help me!!』 (Dance Shot Ver.)

2013年1月23日発売、モーニング娘。52ndシングル「Help me!!」
作詞作曲・つんく 編曲・大久保薫 コレオグラファー・YOSHIKO

前々作の「One・Two・Three」前作の「ワクテカ Take a chance」に続くエレクトロ路線にして、11期メンバー・小田さくら加入後の第一弾シングル。

高画質・大画面・ヘッドフォン推奨。

つんく♂のぶっとんだ「詩曲」、大久保薫のクールな「アレンジ」、YOSHIKOによるフォーメーションで魅せる少し奇妙な「振り付」がトライアングルを成した快作に「娘。」が挑む。

ダンスショットバージョン公開から一ヶ月で再生回数245万再生を越え、コメント数6,000超。公開して間もなく、各国の「娘。」ヲタたちがYouTubeに「踊ってみた」をアップしはじめた。↓

helpme!! 踊ってみた - YouTube
helpme!! DanceCover - YouTube


『CDジャーナル』2013年2月号
編集者の遊び心で CDJournal の末尾に「。」が

現在のメンバーは、先ごろ在籍10周年を迎えた6期メンバーの道重さゆみ・田中れいな以外は中・高校生、平均年齢16歳。

今年5月に卒業する田中れいなと共にセンターをつとめる鞘師里保(さやしりほ・画像・中段左から二人目)は、Perfumeを輩出した「アクターズスクール広島」出身。スクール在籍中からダンス能力の高さが注目されていた逸材。ちなみに、「鞘師」という珍しい名字は、先祖代々、姫路城下で「刀の鞘を造る鞘師」を生業としていたことに由来、元広島東洋カープの鞘師智也は叔父に当たる。

歌唱を強化するための歌姫オーディションでただ一人選ばれた小田さくら(画像・下段中央)は、Bメロのソロパート(「こころじゃいっつも叫んでいるのに・・・」の部分)を担当。初レコーディングとは思えない、華のある伸び伸びとした歌声を聞かせている。

「Help me!!」のテーマは「都会の中の孤独感とすぐそばにあるポジティブ力」。サビの振り付けは11人で翼を広げ、飛び立たんとするフェニックスを表現。思えばちょうど一年前、10期メンバー4人が加入、一気に平均年齢が下がった新体制での第一弾シングル「ピョコピョコ ウルトラ」はかわいらしいヒヨコがテーマであった。

2013年1月28日はモーニング娘。メジャーデビュー15周年記念日。メンバーの卒業・加入を重ねるごとにメタモルフォーゼし続ける不死鳥「娘。」の「今」が面白い。そして、まだうら若き「娘。」たちのさらなる成長を期待せざるを得ない。


モーニング娘。 『Help me!!』 (MV)

「Help me!!」リリースに合わせて、現在「全国47都道府県キャンペーン」を実施中。近々選抜メンバーが来秋の予定。詳細は下記特設サイトで。

モーニング娘。[Help me!]特設サイト

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関連リンク

モーニング娘。Official Channel - YouTube

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明徳館から「エリアなかいち」まで・根小屋町の220余年

▼秋田県「教育の中枢」東根小屋町

東国において「山上に城のある城下町」を意味する「根小屋・ねごや」という地名が付けられた東根小屋町の一画、藩の馬場・馬小屋ならびに佐竹家臣の屋敷数軒を取り払った跡に、寛政2年(1790)藩士のための学校「学館」落成。

校名を「明道館」次いで「明徳館」と改称、儒学を中心に医学館、和学方、武芸所(槍・刀・居合・柔術・弓術・軍学)を併設、明治始めまで存続した。


「明徳館」明治27年刊『小学教科秋田県史話』より


明治元年「秋田城郭市内全図」より
点線で囲まれた区画に記された「師範学校」「裁判所」は明治元年以降に創設された施設。

明治3年(1870)「明徳館」を「藩学校」と改称。
明治4年(1871)廃藩置県にともない「藩学校」を「県学校」と改称。
明治5年(1872)8月、学制発足により「県学校」廃校。
明治5年(1872)10月「秋田県庁」を旧城(現・千秋公園本丸)から旧「明徳館」に移設。
明治6年(1873)「秋田県庁」(旧・明徳館)焼失


▼火に呪われた師範学校時代

明治7年(1874)「秋田県庁」(旧・明徳館)跡に、教員養成を目的とした「伝習学校」および「洋学校」を合併した「太平学校」を新築開校。以降、学校制度の変更に合わせて、校名をめまぐるしく変える。


「太平学校」初代校舎

明治10年(1877)「太平学校」焼失
明治11年(1878)3月「太平学校」再築。


「太平学校」再築校舎

明治11年(1878)4月「太平学校」を「秋田県師範学校」と改称。
明治11年(1878)12月「秋田県師範学校」を「秋田師範学校」と改称。

明治14年(1881)「秋田師範学校」焼失
明治16年(1883)「秋田師範学校」新校舎落成。


「秋田師範学校」新校舎

明治19年(1886)「秋田師範学校」を「秋田県尋常師範学校」と改称。
明治31年(1898)「秋田県尋常師範学校」を再び「秋田県師範学校」と改称。

明治40年(1907)12月「秋田県師範学校」全焼

明治42年(1909)4月、女子部を独立させ「秋田県女子師範学校」を創設、通称「女子師範」。「秋田県師範学校」は男子校に。
明治42年(1909)9月、秋田市手形字深田(現・手形学園町、秋大キャンパスの一部)に「秋田県師範学校」を新築移転。(この手形新校舎も火災に遭い、昭和4年、保戸野原の町、現「秋大附属小・中学校」の地に移転)

東根小屋町の「秋田県師範学校」跡地は「秋田県女子師範学校」の校地となる。


▼「秋田県女子師範学校」校舎の時代


「秋田県女子師範学校」大正初期撮影

明治42年(1909)4月「秋田県女子師範学校」開校。

昭和18年(1943)「秋田県師範学校」および「秋田県女子師範学校」を統合し、官立「秋田師範学校」創立。旧「秋田県女子師範学校」校舎に女子部を設置。

昭和24年(1949)「秋田師範学校」「秋田青年師範学校」「秋田鉱山専門学校」を統合、新制「秋田大学」発足。

まだ新校舎を建設する余裕もない復興期、旧「秋田師範学校」男子部(保戸野原の町、現「秋大附属小・中学校」の地)に学芸学部(本部)を、旧「秋田師範学校」女子部(東根小屋町)に学芸学部教育部を設置。この時代、学生たちは時間割に合わせて各校舎を行き来することになる。

昭和38年(1963)手形キャンパスに「学芸学部本館」「音楽棟」「体育館」竣工。東根小屋町および保戸野からの移転を完了。昭和42年、学芸学部を教育学部に改称。

昭和39年(1964)、空き家となった東根小屋町の旧「秋田大学学芸学部教育部」校舎に、「県立秋田高等学校定時制課程」から独立した「県立秋田東高等学校」(現・県立秋田明徳館高等学校定時制課程)が入り、昭和42年(1967)まで使用。

昭和41年(1966)1月「市立山王中学校」焼失。市内4カ所での分散授業を開始。翌年の新校舎完成までの期間「県立秋田東高等学校」を仮教室として、二年生16学級が授業を受ける。

昭和42年(1967)3月、中通六丁目に「県立秋田東高等学校」新校舎完成、移転。

各学校の詳細は下記リンク先に。

関連リンク
秋田師範学校 - Wikipedia
秋田大学 - Wikipedia
秋田県立秋田明徳館高等学校 - Wikipedia


▼昭和36年「婦人会館・児童会館・福祉会館」オープン

秋田国体が開催された昭和36年(1961)10月、「秋田大学・学芸学部教育部」北側に「秋田県婦人会館」オープン。三階建てのビル内に「県児童会館」「県福祉会館」が同居。「児童会館」は現「秋田県民会館」の場所から移転、その他は新設された施設であった。

昭和55年(1980)4月「県児童会館」山王の現在地に移転オープン。
昭和61年(1986)8月「県社会福祉会館」旭北栄町に竣工。
平成元年(1989)11月、中通二丁目にオープンした「秋田総合生活文化会館アトリオン」6階に「婦人会館」入居。


▼秋田赤十字病院の30年間、そして空洞化

昭和43年(1968)「県立秋田東高等学校」跡地に「秋田赤十字病院」新築移転。中央通り側にはビルが建ちならび始める。


第三代「秋田赤十字病院」左手(西側)に「血液センター」

昭和49年(1974)「県婦人会館」西隣角地の「秋田市保健所」跡に、交通事故被害者の救命を目的とした「秋田県交通災害センター」オープン。仲小路を隔てた「秋田赤十字病院」三階部分と渡り廊下で結ぶ。


「秋田県交通災害センター」中通一丁目

「秋田市保健所」は「県婦人会館」の向かい、道路を隔てた東側に移転。平成11年(1999)八橋の現在地に移る。平成17年「秋田市保健所」跡地に秋田県教育・福祉複合施設「明徳館ビル」(県立秋田明徳館高等学校)竣工。

平成10年(1998)「秋田赤十字病院」秋田市上北手に新築移転。職員ならびに来院者を主なターゲットとしていた近隣の商店・飲食店は大きな打撃を受け、市街地の空洞化が顕著となる。

日赤・婦人会館跡地に「キャッスルホテル」を含めた再開発計画が立てられるが、景気の低迷も影響して実現は先送りとなり、跡地はイベント広場として利用される。

平成13年(2001)8月、20日間にわたって県内で開催されたスポーツ国際大会「ワールドゲームズ秋田大会」に合わせて、砕石を敷いて整備した日赤・婦人会館跡地に「ワールドゲームズプラザ」オープン。世界各地からの選手もまざって、連日のにぎわいをみせた。


ワールドゲームズプラザ・於日赤・婦人会館跡地


秋田大会公式キャラ「ナミー&ハギー」ワールドゲームズプラザにて

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関連リンク
2001年 秋田大会(第6回)| 特定非営利活動法人 日本ワールドゲームズ協会

再開発地にはホテルのある複合商業施設を建設、「キャッスルホテル」跡地に駐車場を造る計画だったが、先の見えない再開発にしびれを切らした「キャッスルホテル」は計画から離脱、平成23年(2011)全館リニューアル・オープンする。


2010.05 中通一丁目 中央通り

平成24年(2012)7月、日赤・婦人会館跡地、中通一丁目再開発地区に、当初の計画より床面積を大幅に縮小して「エリアなかいち」オープン。

平成24年(2012)9月、旧「三光堂書店」をはじめとするビルが並んでいた中央通り側にマンション「セントラルアベニュー中通」(エリアなかいち住宅棟)竣工。


2012.10 中通一丁目 中央通り

関連リンク
Central Avenue 中通【公式】エリアなかいち 秋田市中通1丁目新築分譲マンション


▼附録1「秋田県女子師範学校」校舎変遷・明治から昭和まで


「秋田県女子師範学校」大正初期撮影 校門は現・中央通り側

明治42年(1909)4月「秋田県女子師範学校」開校
昭和18年(1943)官立「秋田師範学校」女子部
昭和24年(1949)新制「秋田大学」学芸学部教育部
昭和39年(1964)定時制高校「県立秋田東高等学校」
昭和41年(1966)焼失した「市立山王中学校」の仮教室を「県立秋田東高等学校」内に置く
昭和42年(1967)「県立秋田東高等学校」移転、校舎解体


▼附録2「明徳館」跡地・変遷レイヤー・明治から平成まで



ベース・明治42年(1909)開校「秋田県女子師範学校」配置図(藩校「明徳館」跡地)

緑・昭和36年(1961)〜平成元年(1989)「県婦人会館」
赤・昭和43年(1968)〜平成10年(1998)「秋田赤十字病院」「血液センター」
青・昭和49年(1974)「秋田市保健所」跡に「秋田県交通災害センター」オープン
黄・昭和44年(1969)頃、新設道路「仲小路」秋田駅前から「産業会館」脇まで貫通。

平成24年(2012)竣工「エリアなかいち」内建造物配置図


大きな地図で見る

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大雪の秋田駅・雪の花咲く千秋公園 2013.01.12

2013年1月12日
秋田県内は沿岸部を中心に大雪
JRのダイヤは大きく乱れ、運休が相次ぐ
















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東宝チャンピオンまつり・1971「秋田東宝」正月番組


昭和45年(1970)12月 新聞広告

かつては映画街であった秋田市有楽町通り「秋田東宝劇場」(のちのプレイタウンビル)の、昭和46年(1971)正月番組は「東宝チャンピオンまつり」四本立て。



春・夏・冬休みに合わせて公開され人気をあつめた「東映まんがまつり」に対抗して生まれたのが「東宝チャンピオンまつり」(1969〜1978)。「ゴジラ」シリーズに代表される特撮映画をメインに、テレビアニメなどが同時上映された。

昭和39年公開のオリジナルを短縮編集したリバイバル作品『モスラ対ゴジラ』。


モスラ対ゴジラ (1964) オリジナル版

怪獣のなかで「モスラ」がいちばん好きだった。初期「モスラ」シリーズで小美人を演じたザ・ピーナツがエキゾチックなメロディーにのせて唄う劇中歌にシビれた。その話はいずれまた。

もう一本の怪獣映画『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』は「ゴジラ」を生んだ特撮の神様・円谷英二亡きあと初の東宝特撮作品。イカの怪獣「ゲゾラ」蟹の怪獣「ガニメ」亀の怪獣「カメーバ」が南海で対決するB級映画。



アニメ作品は『アタックNo.1 涙の世界選手権』(製作・東京ムービー)と『昆虫物語 みなしごハッチ』(製作・タツノコプロ)。

『アタックNo.1』フジテレビ(AKT秋田テレビ)日曜日19時〜19時30分、1969年12月〜1971年11月。
『昆虫物語 みなしごハッチ』フジテレビ(AKT秋田テレビ)火曜日19時00分〜19時30分、1970年4月〜1971年12月。「ハッチ」はフジテレビの「8チャンネル」から命名。



昭和46年(1971)新春第二弾は『日本一のワルノリ男』と『若大将対青大将』。

『日本一のワルノリ男』はクレージーキャッツの植木等が主演して1960年代に人気をあつめた「日本一シリーズ」の晩期作品。すでにクレージーキャッツの人気は低下していたため、同じナベプロの後輩グループ、ザ・ドリフターズの若手・加藤茶を準主役に起用している。

加山雄三主演「若大将シリーズ」(1961〜1971 全17話)の最終話『若大将対青大将』。三十路に入っても大学生役、その後は社会人を演じていた加山も、もう「若大将」とはいえず、新若大将としてザ・ランチャーズ(加山が結成)のギタリスト・大矢茂が起用された。



映画はすでに「娯楽の王様」の座をテレビに奪われ、斜陽の下り坂をたどっていたが、県内にはまだ、東宝系映画を上映する映画館だけでも、これだけの数が残っていた。

大曲(現・大仙市)の「月岡シネマ」は平成18年(2006)10月閉館。このなかで今も残っているのは、小坂の大正レトロ建築「花園館」のみ。

関連リンク
N氏の映画館:花園館(秋田県小坂町)
飴色金魚 / 秋田県 / 小坂町 / 花園館

ちなみに昭和46年時点での秋田市内映画館は以下の通り。

有楽町
秋田東宝(邦画)秋田大映(邦画)秋田松竹(邦画)秋田日活(洋画)秋田ピカデリー(洋画)秋田パンテオン(洋画)みゆき座(成人映画・実演)

大町五丁目
秋田東映(邦画)

秋田駅前
テアトル秋田(邦画二番館・中通二丁目)読売ホール(洋画二番館・中通四丁目)

土崎
土崎映画劇場

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謹賀新年・平成二十五年元旦


広小路を秋田駅前停車場へ 1960s

秋田市交通局 市電 200形202号
昭和34年(1959)新車購入
日本車輌製造KK ボギー客車 定員96人

昭和41年(1966)秋田市電廃止にともない、岡山電気軌道KKに譲渡。
以降の経緯は下記リンク先に。

二〇世紀ひみつ基地 岡山軌道「たま電車」は秋田市電200形の末裔


秋田市広小路 2012.12

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