二〇世紀ひみつ基地

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穴門の堀に龍神を観た・広小路「蛇柳」跡ポケットパーク

広小路「木内」向かいにポケットパーク誕生


2004.04 旧瀧不動産・旧マルキン本店(消失物件)

平成十九年(2007)に更地となったあと、しばらくは不動産屋の看板が立っていた、秋田市広小路「木内」向かい、旧「瀧不動産」および旧「マルキン本店」跡地で、昨年春から始まったポケットパーク造成が、平成二十四年(2012)春に竣工した。


完成予想図

イラストでは人物の比率が小さく描かれているため、実際よりもずいぶん広く見える。北側水上に係留した移動式デッキは、最近まで広小路・キャッスルホテル向いのお堀に係留されていたもの。オープン以降、デッキはイベント時における、カヌーおよびボート乗り場として利用されている。


2011.08

広小路側に千秋公園方向を眺望する芝生の斜面を配置。平成二十三年(2011)九月、植栽した茨城県産の芝生から、県の通常レベルを超える放射線が検出されていたことが公表され、同年十月初旬、汚染芝生を除去。

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2011.10 汚染芝生除去作業


2011.09


2012.05


2012.04


2012.04


2012.05

「芝生の外野席」めいた傾斜を観客席にして、小規模なアコースティック・コンサートをやるのも面白い。ただし、人家に隣接しているため大きな音は出せず、車道に近く日中は騒音が気になる。


▼蛇柳の伝説

以前に書いたように、かつてこの地に、「蛇柳」(じゃやなぎ)と称する柳の名木が存在した。


勝平得之『蛇柳夜景』昭和十年発表

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堀端の「蛇柳」にまつわる伝説はさまざま。
  • 久保田城の築城のみぎり、初代藩主・佐竹義宣公が萬代までの形見(記念)として植樹。
  • 久保田城築城のとき、築城師が差し込んだ杖が柳になった。
  • 築城に際して人柱を立て、その供養のために柳を植樹。
  • 築城に使役した者を城内の秘密が他藩に漏れることを恐れて殺害、この地に死体を埋め柳を植樹。
  • 旧藩時代、柳を切り払った人夫が、柳の霊の祟りで急病にかかった。その柳の霊は大蛇でお堀の主という。
明治期にまとめられた『羽陰温故誌』「蛇柳神社」の項によれば、
・・・広小路の堀端に妖しい小祠(しょうし)があり、祭神は不詳。祈願する者は編笠と七種類の菓子を供えるという。子供の夜泣きにこの笠を借りてきて、頭にかぶせると必ず霊験があり、そのため編笠と穴明き石が多く納められている。・・・
明治末から大正初期、同地はベンチや八重桜を配した小公園となる。
市内広小路の城濠(俗称穴門)の角に蛇柳(ぢゃやなぎ)と称するローマンスに活(い)きたる名木あり幹枝反曲(かんしはんきょく)して濠中に延び根本に濠(ほり)の主と云う大蛇を祀(まつ)れる石の小祠あり其の辺りの小溝を画して児女の戯遊さるべき空地にベンチを設けなどし更に近年は誰が風雅の士の手すさびにや枝も見事なる八重桜を植えつけ一層付近の風致を増し道行く人の足を停(とど)め春の花の晨(あした)秋の月の夕(ゆうべ)今日此頃の納涼などには近くして好適な場所たりし‥‥後略‥‥
大正三年『秋田魁新報』より
『羽陰温故誌』で「祭神不詳」とされ、奉納品を納めるほどのスペースがあった祠(ほこら)は、記事が書かれた大正三年の時点ですでに無く、その代わりに「濠の主と云う大蛇を祀れる石の小祠」が祀(まつ)られている。その石祠のそばに「大柳・熊柳」の文字が刻まれた石碑が存在したとの昭和初期の記録もある。

大正三年、同地に「佐々木靴店」開業、広小路側からは靴屋の建物にさえぎられて「蛇柳」の上部しか見ることができなくなる。


秋田市広小路・大正六年頃の絵葉書(人工着色印刷)

右手に見える白壁の土蔵建築が「木内商店」。



広小路名物「疋田家の三本松」の後ろに「風間洋服店」、そして掘端通りを隔てた堀端に「佐々木靴店」。建物の裏手に見える緑が「蛇柳」か。「佐々木靴店」より東側はまだ埋め立てられていない。

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大正三年の新聞記事にみえる、「蛇柳」の根本に存在した石の祠(ほこら)とおぼしき物は、終戦後、古川堀反(ふるかわほりばた)町の堀端の埋め立て地に創建された「雄柳大龍王尊神社」に蛇柳神社の遺物として遷(うつ)される。

「蛇柳」の御神体はこの時点で大蛇から龍神へと昇格したわけだが、龍神の原型は「水神としての蛇」であるから不自然なことではない。「雄柳大龍王尊」の名は、法華経に登場する「八大龍王」にあやかったものだろう。実際、「雄柳大龍王尊神社」では法華経に基づく神仏習合の祭事が執り行われていた。

関連リンク
八大竜王 - Wikipedia


雄柳大龍王尊神社・蛇柳の石祠

大正三年の新聞記事に記載された「濠の主と云う大蛇を祀れる石の小祠」とおぼしき物件。これは「蛇柳神社」にまつわる遺物に違いないが、上部に「三つ星に一文字」の渡辺紋があることから、元々は旧家の屋敷神を祀(まつ)る祠(ほこら)であったものを、「蛇柳」の地に移して再利用したものと思われる。そのなかに納められた騎龍観音(きりゅうかんのん)の絵は印刷物で古いものではない。


2007.06 広小路より古川堀端町通り「雄柳大龍王尊神社」を望む

古川堀端町通りの「雄柳大龍王尊神社」は諸事情により維持困難となり、平成十九年(2007)六月、千秋公園本丸「八幡秋田神社」に御神体を遷(うつ)し、まもなく社殿は解体。水辺の龍神(水神)はお堀(水)から離れて、本来の存在意義を薄める。


2010.09 「八幡秋田神社」内「雄柳龍神」


2012.05

「蛇柳」跡ポケットパークに植樹された樹木は柳ではなく桜(染井吉野)。

「蛇柳」が存在した往時の小公園が、時を経てポケットパークとして再生されたこの機会に、自分が担当者ならば、伝説を偲ぶよすがとして柳を植え、藩政期からこの地に刻まれた歴史を今にとどめたい。勝平得之の版画『蛇柳夜景』を解説付きパネルにして掲示するのも良いが、そこまでするのは野暮な気もする。


大きな地図で見る
「蛇柳」跡・ポケットパーク


▼蛇柳の起源と柳の霊力

湿潤を好み、深く根を張る性質を生かし、柳木は水害をふさぐ自然護岸として利用されてきた。秋田市の中心地を流れる旭川の運河部分、川反に面した一帯にも護岸を目的とした柳を植樹。旭川の川岸に風情を添えた柳は花柳街・川反のシンボルとなる。


川反柳・川反四丁目橋から三丁目橋を望む 大正後期

「蛇柳」(じゃやなぎ)という名称の起源は和歌山の高野山にある。『紀伊国名所図会』によれば、「その昔、悪さをなす大蛇を弘法大師空海が法術をもって退治。その体から柳の木を生じ、臥した蛇体を連想させる形姿から「蛇柳」と名付けられた」。


『紀伊国名所図会』(天保九年発行)三編 六之巻「高野山之部」より「蛇柳の図」

もうひとつの伝承は、「高野山の寺に一人の僧あり、陰謀をめぐらし寺主の地位を奪い取ろうとしていたことが発覚して捕らえられる。その行為に対する見せしめのため、僧を生き埋めの刑に処しにしたうえに柳の木を植え「蛇柳」と名付けた」というもので、この伝説を元に、歌舞伎『蛇柳」が創作された。

関連リンク
歌舞伎『蛇柳』 - Wikipedia


歌舞伎十八番『蛇柳』 作・香蝶楼豊国 出版・嘉永五年

高野山における「生き埋め処刑」、久保田城の「人柱(生き埋め)と殺害」、ほかに「柳の下に幽霊」の例もあるように、柳には陰気な伝説がつきまとう。しかし、柳自体は「陰木」ではなく、縁起の良い「陽木」とされてきた。
「柳」の字を分解すると「木」と「卯」。方位学(風水)で「卯・う」は「日いづる真東」に位置し「春・物事の始まり」を表す。春一番に勢いよく芽吹く生命力あふれる姿から、柳は長寿・繁栄の象徴。

正月の三が日に使う「祝い箸」は柳の木を削った「柳箸」。白木の「柳箸」は清浄にして、しなり強く、邪気を祓(はら)い長寿をもたらすとされる。

古代中国では、親しい人の旅立ちのおりに、柳を手折ってはなむけとした。

中国北魏(386−534)の農書『齊民要術』にいわく「正月旦、取楊柳枝著戸上、百鬼不入家」(正月の朝、楊柳の枝を戸口に挿しておけば、百鬼が家に入らない)。

陰陽道では柳木を植えて鬼門除けにした。
つまり、邪気・陰気の強い場所に「陽木」である柳を植えることで、邪気を祓(はら)い、陰気を中和して場のバランスを図ろうとしたわけだろう。久保田藩の処刑地、八橋村の「草生津刑場」にも柳の古木があった。


▼佐竹氏の町割・旭川仁別川)堀替え・「穴門堀」変遷

秋田市広小路「蛇柳」跡に造成されたポケットパークは、旭川(仁別川)旧河川ライン上に位置する。詳細は下記リンク先に。

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ピンクラインが旭川の旧河川(想像図)

秋田へ移封された佐竹義宣は城下の町割りのため、旧河川を埋め立て、その西側に運河を堀替えて内町(うちまち・武家屋敷)と外町(とまち・商工業地帯)を区画し、旧河川の一部をお堀として活用。そのうち現存するのが「穴門の堀」の一部であり、旧河川の名残「穴門の堀」沿いに南北に延びる、高禄の家臣が住んだ武家町が「古川堀反(ふるかわほりばた)町」(古い川の堀端の町)、そして「蛇柳」の別名は「穴門の柳」。


千秋公園より「古川堀反町」および「穴門の堀」を望む(明治四十年代)



旧河川を利用して造築された「穴門の堀」を横切る土橋「穴門橋」以北(画像下手)の、鷹匠町へと連なるお堀は、大正から昭和にかけて埋め立てられた。

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2012.05「蛇柳」跡ポケットパークより穴門を望む


蛇柳ヨリ穴門ヲ望ム 画・広瀬柴波
『千秋園風景-秋田県公園-』(明治三十六年刊)より

右上方に千秋公園の木造鐘楼(昭和四十八年、鉄筋コンクリートに改築)。「穴門の堀」の突き当たりは土橋の穴門橋、その北側にもお堀が水をたたえ、水上に鷹匠町方向へ通じる木橋が描かれている。

穴門橋北側の埋め立てられた道路沿いに、大正末の頃から飲食店が建ちはじめ、その後、穴門橋南側も同様に埋め立てられ、昭和三十年前後から徐々に飲食店などが建ちはじめる。


古川堀反町より久保田城を望む・明治初期

穴門堀にかかる木造時代の穴門橋、右上の建物は御出し書院。左端に小さく御隅櫓が見える。


久保田城郭ジオラマ「穴門堀」旧河川部分

手前に今はポケットパークとなった「蛇柳」跡、上手に穴門橋。穴門橋を城内(東)に向かうと、今の和洋女子高前に城門「穴門」があり、見張り番が常駐していた。

明治二十四年、穴門橋(木橋)を撤去、その下を埋め立てて土橋とする。


2012.05 「穴門橋」跡より城門「穴門」跡を望む


城門「穴門」跡より「穴門橋」跡を望む


▼蛇柳の別名「穴門の柳」

江戸時代後期の紀行家・菅江真澄は文化十二年(1815)の紀行文『久保田の落穂』に「蛇柳」のことを「穴門の大柳」と記している。

千秋公園の「内堀」に柳の大木があり、近年その根元に「穴門の柳」と記された解説文の無い標柱が建てられのだが、千秋公園の造園が始まった明治二十九年以降に植樹されたと思われるこの柳は、「蛇柳」(穴門の柳)のような来歴があるものでなく、どのような根拠をもってこれを「穴門の柳」としたのか解せない。


2012.05

文化財愛護シンボルマークが付けられたこの標柱が『久保田の落穂』に記された「穴門の大柳」を指すのであれば、「穴門の柳跡」と書き替えて、本当の「穴門の柳」が存在した「蛇柳」跡ポケットパークに移すべきだ。


2012.05

右手に「穴門の柳」の標柱がある柳。左手に県民会館。


秋田県公会堂

明治四十五年頃の同地点。内堀の堀端に連ねて植えらた柳も、今は一本を残すのみ。県民会館の高台にあった「秋田県公会堂」についての詳細は下記リンク先を参照のこと。

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▼蛇柳龍神の風水学的考察

ユーラシア大陸を流れるアムール川・中国名「黒竜江」。日本の「九頭竜川」「天竜川」「蛇尾川」(さびがわ)「蛇喰川」(じゃばみがわ)など、地表をうねりながら流れる河川には「竜」や「蛇」に例えた河川名が散見する。

日本神話のヤマタノオロチの正体は「斐伊川」(ひいかわ)であり、スサノオによるオロチ退治とは「氾濫を繰り返す斐伊川の治水」を意味するとの解釈もある。

とうとうと流れる河川は大地に恵みをもたらし、ときに激しく氾濫し水害をもたらす。その両面性は「慈愛と破壊」という「龍神」の両義性に相通ずる。

河川の流れを風水では「水龍」と称し、「水龍」=「気の流れ」の変化は、都市の吉凶に少なからぬ影響を及ぼすと信じられていた。

秋田の「蛇柳」にまつわる「お堀の主・大蛇」=「龍神」とは、風水でいうところの「水龍」=「旧河川の水流」のことであり、旧河川・水龍ラインの南端に位置する、埋立地への柳の植樹には、埋立てにより分断され動きを封じられた「龍神の鎮魂」=「変質した気(水龍)の流れを整える」という風水学的な意味合いもあったのではないか・・・、などと妄想を巡らせてみると、上掲図の旧河川ラインが蛇行する蛇体・龍体に見えてきた。

そして、旧河川・水龍ラインの真上にあたる「穴門の堀」の堀端に存在し、数年前に惜しまれて閉店した中華料理店「萬帝楼」の壁面に、奇しくも龍神が居たのだ。


「萬帝楼」2009年解体

中華料理店の装飾に龍は定番。しかし、こんなにも大きく描かれた龍は珍しい。偶然といってしまえばそれまでだが、その壁画は「地霊」がささやく「土地の記憶」を、施主が無意識のうちに感受した結果の産物だったのかもしれない。


2012.08 千秋公園より「蛇柳」跡ポケットパーク


秋田市広小路「木内」付近・大正6年(1917)頃


2012.12 秋田市広小路「木内」付近

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℃-uteコンサートツアー12月30日 YouTube 生配信

『℃-uteコンサートツアー2012~2013冬 神聖なるペンタグラム』12月30日(日) Zepp Fukuoka(福岡) 夜公演をYouTubeで生配信。℃-ute Official Channel にて18:00からの予定。

℃-ute Official Channel

ハロプロキッズ同期の Berryz工房とともにアイドル歴10年のベテラン、ライブ・パフォーマンスに定評がある℃-ute。最近ことに女性ファンが急増し、単独ライブはチケットが入手しづらい状態にある。


2012.04.08))アイドル横丁祭(( 世界一HAPPYな女の子~ JUMP/℃-ute

最近の曲では最もアイドルっぽい「世界一HAPPYな女の子」。右手で右足をつかむ、サビのチャールストン風ダンスがキュート。


℃-ute 『悲しきヘブン』 (910 Live Ver.)
2012年9月10日 SHIBUYA AX「℃- ute Cutie Circuit 2012 ~9月10日は℃-uteの日~」より

鈴木愛理と岡井千聖のツインボーカルで、他の三人はダンスに徹する、往年のジャパニーズロック風の「悲しきヘブン」。2012年9月発売のシングル「会いたい 会いたい 会いたいな」のカップリング曲なのだが、A面よりも人気が高く、発売後、ファンの声を受けて急遽MVが制作された。

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1979年のクリスマスプレゼントは木内で


昭和54年(1979)12月 新聞広告

秋田市広小路の「木内」がデパートだった時代の全面広告。ドラえもんサンタが「木内」の包装紙でラッピングされたクリスマスプレゼントを持っている。株式会社「ポピー」(現・バンダイ)とのタイアップ広告のため、すべての商品が「ポピー」ブランド。

「バンダイ」の子会社「ポピー」は、子ども向け漫画・テレビ番組と連動したキャラクター玩具を製造・販売していた。


超合金 ガチャガチャ ドラえもん CM


リニューアル版「ガチャガチャドラえもん」

1979年発売の名作玩具「ガチャガチャドラえもん」は数年前に復活し「バンダイ」から発売中。


CM popy ザ・ウルトラマン ビームフラッシャー

ウルトラマンシリーズ唯一のアニメ作品「ザ★ウルトラマン」に登場する変身アイテム「ビームフラッシャー」。


CM popy ウルトラマン エレクトロ光線


ポピー「くるくるてれび」テレビCM

超合金「未来ロボ ダルタニアス」↓
【懐かCM】超合金【ポピー】超合金「未来ロボ ダルタニアス」
未来合体ダルタニアス

「銀河鉄道999」未来ステーション オメガベース ↓
未来ステーション オメガベース 銀河鉄道999

「バトルフィーバーJ」バトルコンビネーション2 ↓
バトルコンビネーション2 バトルフィーバーJ ポピー

「おしゃれなカーラちゃん」ピカピカドレッサー ↓
おしゃれなカーラちゃん

「キャンディキャンディ」のいんさつやさん ↓
いんさつやさん | ナツカシキ オモヒデ・・・

「花の子ルンルン」魔法のカギペンダント ↓
「花の子ルンルン」魔法のかぎペンダント・懐物らんど


昭和54年(1979)12月 新聞広告

こちらは秋田駅前ホテル「アルファーワン」の場所にあった「チャイルドセンターなかよし」のクリスマス広告。



木内の広告にもあった「ポピー」の超合金シリーズは高価で、多くの子どもたちにとっては高嶺の花であったため、状態の良いものがオークションに出品されると、当時は買って貰えなかった、もしくはかつて所有していた世代によって高額で競り落とされる。

その他、「チェリコ」のレーシングセット、「トミー」のプラレール、ラジコンカー、LSIゲーム(電子ゲーム)など。



1974年誕生のロングセラー「モンチッチ」↓
モンチッチホームページへようこそ!

海外にも輸出された「こえだちゃんの木のおうち」はリニューアルされて「タカラトミー」から発売中 ↓
こえだちゃんの木のおうち・ タカラトミー

1977年の発売以来、現在まで約2.000万台を販売するロングセラー玩具、磁力を使ってスクリーンに絵や文字が書ける知育玩具「せんせい」シリーズ ↓
商品情報|せんせい|タカラトミー

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米国に夢のあかりを輸出した「秋田クリスマス電球」
朝刊の「Xmas ぬりえ」にワクワクした昭和30年代の師走
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雪の千秋公園・2012 師走

秋田市 千秋公園
2012年12月9日
寒波襲来


新県立美術館より





































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