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十字路の石敢當・眠りから覚めたら・・・

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その六



所在地・南通亀の町(旧中亀ノ丁上丁)
表記・石敢當  高さ・約61cm
撮影・2005.04

南通りの十字路、立派な土蔵が目を惹く佐竹藩士・仁平家の一角、「平田篤胤大人終焉之地」碑の後方に遠慮気味に建つ石敢當(いしがんとう)。


2005.04


2005.04

石敢當はそもそも、丁字路や曲り角など、突き当たりに建てられるものだが、この物件はその原則を無視した十字路の一角に位置している。あるはずのない十字路に存在するわけは、明田地下道から五丁目橋に通じる南通りが開通する以前、この地が下図のように丁字路の突き当たりであったため。当物件は仁平家の北隣に接していた家(下図マーキング地点)が建てた石敢當と想像される。


明治後期

やや縮尺の不正確な地図だが、石敢當を示すマーキングの下(南)の道が、レストラン「道化の館」がある小路。右上の「大林区」が現在の「東北森林管理局」(営林局)。今は道路となった、五丁目橋の突き当たりに「病院」とあるのは「公立秋田病院」を引き継ぎ、穂積氏が経営した「秋田病院」。その上の「倶楽部」が「あきたくらぶ」、現在の「ホテルグランティア秋田」。

その後、五丁目橋に貫通する新道路(昭和12年完工)を造成する際、もしくは土地買収で屋敷を取り壊したとき、その延長線上に存在した石敢當は地中に埋められてしまうが、昭和53年に着工した南通りの拡幅工事中に土中から発掘され、現在地に再建。道路拡張後、南通りの愛称は南大通りに。

地中での永い眠りから叩き起こされ、変貌した街角に再建された石敢當であったが、もはやそこは記憶にある往時の丁字路ではなく、魔除けとしての存在理由を失ってしまった。


石敢當のある十字路から五丁目橋を望む 2005.04


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