二〇世紀ひみつ基地

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2010年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年08月

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医王院前町の石敢當・ブロック塀と一心同体

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その七



所在地・楢山本町(旧楢山医王院前町)
表記・敢當石  高さ・約31cm
撮影・2006.07

屋敷側面のブロック塀と一心同体の石敢當(いしがんとう)。

板塀もしくは生垣をコンクリートブロックに改装する際、地中に隠れていた土台部分を断裁して埋め込んだものだろうか。それともブロック塀をつくるときに、新たに発注して組み込んだ比較的に新しい物件か。

コンクリのなかに違和感なく納まる姿、そして力強くバランスのとれた刻字が端正で、おもわず見とれてしまう。


2010.06


2010.06

旧町名「医王院前町」の由来は、町の東側に真言宗の寺院「医王院」があったことから。昭和初頭、医王院を撤去し、築山小学校の旧正門(現グランド)に通じる道を開いた。


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平成二十二年度「土崎湊祭り」御幸曳山点描

飯島中学校出身のタレント・佐々木希は自らのブログで、「大好きな「崎祭り」に今年も行けなかった」と、親友から送られてきた曳山の写メを貼ったり、「でも祭に出てる友達が電話で私のためにみんなで「ジョヤサ!」してくれた♪」などと、土崎の祭に対するあふれる想いを綴るのが、この時期の恒例になっている。

2010年07月20日のブログ|佐々木希オフィシャルブログ

「崎の祭り」といえばヤンキー娘たちの大好物。ネット上を駆けめぐる「佐々木希・元ヤン説」が一層真実みをおびてくるが、そんなうわさ話はさておき、いっそのこと彼女を土崎の観光大使にしたてて、崎の祭りを全国に宣伝したら集客を望めるのではないだろうか。それに本人もそれを口実にゲストとして帰省できて大好きな祭りを堪能できるわけだ。しかしながら、売れっ子のタレント事務所がそんな仕事を受けるわけもなく、それよりもまず土崎の祭りは、集客のために開催日を三日・四日と延ばしつづけた竿燈のような観光化されたイベントではない。あくまでも地域住民が主人公の祭りなのだから、遠くからわざわざ観光客を集める必要もないのだ。

多様な湊囃子、多彩な演芸、曳山の風流、湊衆の反骨精神あふれる「見返し」のユーモア、勇壮な曳山と優美な踊りのコントラストに湊町特有の泥臭さを添えて、祭りのエッセンスを集約した土崎の祭りは、祭り好きを魅了して止まない。

土崎の祭りはよく角館の祭、いわゆる飾山囃子(おやまばやし)と比較される。囃子のバリエーション、勇壮な曳山と優雅な手踊りの対比など共通する部分が多いが、角館の祭では選ばれた乙女だけが曳山に上がり手踊りを披露するのに対して、土崎の祭りでは物心のつき始めた幼児から年配者まで、年齢性別にかかわらず、祭りという神遊びの輪のなかにひとつになり跳ね踊る、その姿が麗しい。

曳山は神霊の降臨する神籬(ひもろぎ)、たとえるならば“天と地をつなぐアンテナ”。そのアンテナにリンクした曳山の綱(つな)は、神(天)と人(地)と、人と人をつなぐ絆の輪。その輪のなかで踊る人々は、やわらかに相和し、綱を強く握りしめ、輪になって曳山を曳く“曳き子”たちもまた、ひとときの絆でつながり、むすばれる。

平成二十二年七月二十一日
土崎港曳山祭り(通称・浴衣祭り、かすべ祭り) 
土崎神明社・例祭
御幸曳山(みゆきやま)より

     
























新城町・見返し
知らぬ間に自分自身(鳩山前首相)が仕分けされ




旭町三区・見返し
鳩逃げて闇将軍は爪隠す










将軍野三区・見返し
オバサンの支持率アップだ韓(菅)流で



















































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約束の如く茂れる壁の蔦


10.07

この5月(2010)に解体された、土手長町通りにあった蔦のからまるレトロ建築「旧安田医院」の旭川をはさんだ真向かい、川に背を向けて緑濃い蔦に覆われた壁面をみせる飲食ビルは、川反五丁目の居酒屋「蘇州」。

例年にも増して葉が密集し建物をすっぽりと覆いつくす光景は、あたかも「旧安田医院」の壁面を飾っていた蔦の遺志を継ぎ、その分までも、いっそう葉を茂らせているかのよう。


在りし日の旧安田医院

植物同士がコミュニケーションをとりあい、危機意識を共有するという疑似科学的な研究があったが、旭川をはさんで対峙していた壁面の蔦同士も、そのように植物の言葉で会話を交わしていたのかもしれない。


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千秋学園・・・金照閣そして・・・金照寺山麓今昔


10.06

羽越本線金照閣踏切。線路の向こうは金照寺山、後ろを振り向けば牛島商店街に突きあたる新屋敷(しんやしき)小路、左手に歩を進めると楢山寺小路。金照閣踏切の名は、踏切を渡ってすぐ右手にあった温泉旅館「金照閣」に由来する。

まずは今から100年前にタイムスリップして、この場所に刻まれた記憶をたどってみよう。


●陶育院・千秋学園の時代


金照寺山より陶育院を望む 明治末期

見渡すかぎりの田圃が広がっていた金照寺山の麓、河辺郡牛島町の田圃 3.000坪を県が買収し、明治45年(1912)「秋田県陶育院」落成。明治37年、手形新町の旧塾舎を借りて創立した陶育院は、不良少年や、その恐れのある児童を収容し更正指導する全寮制の、今でいう児童自立支援施設。


金照寺山より陶育院を望む 大正5年

大正5年(1916)「陶育院」北西の一郭を羽越線が通ることとなり、建物全体を40メートルほど後方に移動。

昭和8年(1933)「秋田県立千秋学園」と改称。
昭和30年(1955)人家も少なく閑静で教育に最適な環境であった同地も、永い年月を経て人家が迫り、土地も手狭となったため、秋田市新屋割山に移転。


●金照閣の時代、そして・・・

「千秋学園」が移転して間もなく、跡地に割烹旅館「金照寺山温泉」オープン。市内で材木商を営む佐藤敬繁氏が創業、のちに敬繁氏の子息で元衆議院議員の佐藤敬夫氏が経営にあたった。


「金照閣」全景 昭和33年頃


「金照閣」庭園 昭和33年頃

中央に池を配した回遊式日本庭園は、東由利の旧家の庭園を移設したもの。九州産の景石は海路はるばる酒田港に陸揚げし、港から陸路を東由利まで運んだという。


「金照閣」浴場・ホール 昭和33年頃


「金照閣」会議室・広間 昭和33年頃

泉質・含硼酸重曹弱食塩泉、効能・リウマチ、皮膚病、胃カタルなど。
入湯料・大人50円 小人30円
宿泊料・素泊 800円 二食付 1.000円より
(創業当時の料金)


金照寺山より温泉坂と「金照閣」 昭和33年頃

昭和32年(1957)旅館名を一般公募し、圧倒的多数を占めた「金照閣」を採用。

昭和35年(1960)裏庭に約200坪の有料ゴルフ練習場をオープン。


金照閣 撮影・昭和50年(1975)国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省(C)


書籍広告 昭和55年


書籍広告 平成2年

1980年代、ラドン温泉・うたせ湯・サウナなどを新設した多目的温泉「クワハウス金照閣」としてリニューアルオープン。

1990年代初頭「金照閣」廃業。現在その跡地に、真言宗系の新宗教教団「 真如苑秋田支部」が建ち、名園と謳われた日本庭園はもう見ることができない。


金照寺山より金照閣跡「真如苑秋田支部」を望む 10.06

当初は入湯料が安く、近隣住民の銭湯代わりに利用された「金照閣」。夜のゴルフ練習場に忍び込み、散乱するゴルフボールを失敬するのが低学年の頃ブームになった。裏のあぜ道から入って遊んだ、手入れが行き届いた緑濃き日本庭園の眼を見張る景観。その後方に残っていた、春はドジョウを捕り、夏には蛍狩に興じた田園地帯は住宅地へと変貌をとげ、往時を顧みるよすがもない。


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十字路の石敢當・眠りから覚めたら・・・

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その六



所在地・南通亀の町(旧中亀ノ丁上丁)
表記・石敢當  高さ・約61cm
撮影・2005.04

南通りの十字路、立派な土蔵が目を惹く佐竹藩士・仁平家の一角、「平田篤胤大人終焉之地」碑の後方に遠慮気味に建つ石敢當(いしがんとう)。


2005.04


2005.04

石敢當はそもそも、丁字路や曲り角など、突き当たりに建てられるものだが、この物件はその原則を無視した十字路の一角に位置している。あるはずのない十字路に存在するわけは、明田地下道から五丁目橋に通じる南通りが開通する以前、この地が下図のように丁字路の突き当たりであったため。当物件は仁平家の北隣に接していた家(下図マーキング地点)が建てた石敢當と想像される。


明治後期

やや縮尺の不正確な地図だが、石敢當を示すマーキングの下(南)の道が、レストラン「道化の館」がある小路。右上の「大林区」が現在の「東北森林管理局」(営林局)。今は道路となった、五丁目橋の突き当たりに「病院」とあるのは「公立秋田病院」を引き継ぎ、穂積氏が経営した「秋田病院」。その上の「倶楽部」が「あきたくらぶ」、現在の「ホテルグランティア秋田」。

その後、五丁目橋に貫通する新道路(昭和12年完工)を造成する際、もしくは土地買収で屋敷を取り壊したとき、その延長線上に存在した石敢當は地中に埋められてしまうが、昭和53年に着工した南通りの拡幅工事中に土中から発掘され、現在地に再建。道路拡張後、南通りの愛称は南大通りに。

地中での永い眠りから叩き起こされ、変貌した街角に再建された石敢當であったが、もはやそこは記憶にある往時の丁字路ではなく、魔除けとしての存在理由を失ってしまった。


石敢當のある十字路から五丁目橋を望む 2005.04


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幻想楽団サンホラに Joelle 参加



バイリンガル+秋田弁ネイティブ歌手 Joelle がサポートメンバーとして参加した、幻想楽団 Sound Horizon(サウンドホライズン)の最新マキシシングル 『イドへ至る森へ至るイド』より「この狭い鳥籠の中で」。

Joelle の圧倒的な歌唱力とクリスタルヴォイスが、一種独特で耽美な世界観にマッチして、サンホラ・ファンのあいだでも好評を得ている。

2006年の映画『TRICK劇場版2』主題歌「ラッキー・マリア」、同年、俵万智の原作を阿木燿子が監督した映画『TANNKA 短歌』の主題歌「裸身」をリリース以来、久々の日本語曲。ネイティブな英語も良いが、この人が歌う日本語は美しく、心に深く染みる。

アニメやゲームヲタクを中心に熱狂的なファンを持つ、耽美でゴスロリチックでもあるサンホラの世界と、ジャズシンガーの印象が強い Joelle とは結びつきがたいが、メジャーデビュー前、ヤマハ音楽院在学中の2000年、男女二人組のユニット Lovable(ラバブル) 名義で、ガンダムシリーズ『G-SAVIOUR』ゲーム版のエンディングテーマ「Dear Mother」、2001年にはテレビ東京のアニメ『ガイスターズ』のエンディングテーマを歌っているのだ。

G-Saviour PS2 - "Dear Mother"
歌・作詞  Joelle Youko Checketts

2006 Honda Civic Hybrid CM

こちらはメジャーデビュー直前、Leah(レーア)名義で歌ったCMソング。エルビス・プレスリーの「Can't help falling in love」邦題「好きにならずにいられない」のカバー。


ラッキー・マリア / Joelle

Amazing Grace / Joelle 仲小路 JAZZ フェスティバル 2009

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ジョエル/オフィシャルサイト

Sound Horizon - Wikipedia

Sound Horizon、オリコンデイリーシングルーチャート2日間連続の第1位! - CDJournal.com ニュース

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イドへ至る森へ至るイドイドへ至る森へ至るイド
(2010/06/16)
Sound Horizon

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洋食屋「千秋軒」仲小路ビルに復活・川反かめ清


仲小路ビル 10.07

この春(2010)にリニューアル・オープンした仲小路ビルの一階、以前は「弥助そば」が入っていたスペースに7月中旬、川反の老舗割烹「かめ清」が経営する洋食屋「千秋軒」がオープンする。


10.07

店頭の貼り紙によれば・・・
創業明治十九年、今年で一二四年の歴史を数える割烹かめ清。
そんな割烹かめ清が明治三四年にオープンしたのが「西洋料理 千秋軒」。
そして今年、平成二十二年七月十六日。一〇九年の時を経て「千秋軒」がここに復活。
明治34年、川反四丁目の料理屋「亀清」(現・かめ清)が、西根小屋町(現・中通)に洋食屋「千秋軒」を開店、一階に撞球場(ビリヤード場)のあるハイカラな店だったという。

「千秋軒」は川反四丁目に明治11年創業の「与階軒」(明治19年、俵屋火事で焼失)に次ぐ、市内二番目の洋食屋だったが、明治40年代初頭に経営不振により廃業。間もなく開店当初からコックを務めていた綾部八十八が看板を引き継ぎ、川反五丁目の西側に「千秋軒」を再開する。


「千秋軒」川反五丁目時代


書籍広告 大正14年


繁栄・秋田県秋田市「いろはかるた」より


一階・和風ダイニング「さい賀」二階・割烹料理「かめ清」05.10

「かめ清」は市内に現存する料理屋のなかでは、曼荼羅小路(現・山王大通りの一部)の「志田屋」(明治初年創業)に次ぐ、古い歴史を有する老舗料理屋で、戦前は「亀吉屋」という芸妓置屋も兼業。その前身は染物屋であったが、料理屋へと転業したいきさつについて、かつて川反で活躍した元芸妓が、昭和30年代初頭の聞き書きで次のように語っている。
亀清(現・かめ清)の初代は、東京で栄楽という落語家だった。田中町の劇場小屋に五六人で営業に来て染物屋のオテツさんという娘さんが踊りの名手で、芸がとりもつ縁というか、恋仲になり一緒になって今の亀清を開業した。栄楽は芸人だったので、新橋や柳橋の芸妓街を見ているだけあって、川反を東京に負けないようにと努力した開拓者であった。
当初は染物屋だった「亀清」(雑賀(さいが)家)に婿養子に入った、東京の栄楽という落語家が料理屋を始め、のちに「千秋軒」を開業したことは、他の資料にもあるので間違いないだろう。このようなえにしもあってか、「かめ清」では、着物姿で落語や舞踊などの伝統文化と日本料理を楽しむ「川反夜会」という粋なイベントを定期的に開催している。


繁栄・秋田県秋田市「いろはかるた」より


亀清(現・かめ清)明治末頃

板と丸太の杭で土留めされた川岸には、川反のシンボル・柳が枝を垂らし川面に影を落とす。


川反四丁目「かめ清」 09.05

川岸の風情はすっかり消えてしまったが、旭川をのぞむ「かめ清」の裏には往時の川反を偲んで柳が植えられている。


四丁目橋から三丁目橋を望む 大正後期


四丁目橋から三丁目橋を望む  左手に「かめ清」05.11

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異色の石敢當・塗り込まれてもなお

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その五



所在地・旭南二丁目(旧四十軒堀町)
表記・敢●●  高さ・約10cm(埋没)
撮影・2005.02

今回は内町(うちまち)を一旦離れて、外町(とまち)は四十軒堀町に建つ石敢當(いしがんとう)。

丁字路の突き当たりに店を構えるタバコ屋の店先、自販機前の少し傾斜したコンクリート面から頭部だけを露出、加えてペンキで緑色に塗られてしまった異色物件。表記は「敢當石」と思われるが、今となっては確認するすべもない。

石柱の位置および高さは建てられた当時と変わらないと思われ、以前はコンクリートではなく、敷かれた鉄板の裁断された穴から頭をのぞかせていた。その後、塗り固めたコンクリートと同色の石敢當に、再三つまずくことがあったため、目立つように彩色を施したものだろう。


2005.02


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2013.12.07 追記

建物および石敢當の消失を確認。跡地に「売り地」の看板。

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