二〇世紀ひみつ基地

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2010年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年06月

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浄願寺の赤門・一丁目小路の煉瓦塀

●受刑者の汗が染みこんだ煉瓦塀

土手長町通りから一丁目橋を渡り、ニューシティービルの脇を直進、寺町を抜け新国道に至る一丁目小路はもともと寺町で行き止まりであったが、交通量の緩和を目的に、昭和36年、秋田国体を前にして浄願寺境内を貫通する延長工事を実施。浄願寺本堂は新道路の北側に鉄筋コンクリート造りに一新して移転、掘りおこされた墓は南隣の西善寺の土地に移された。

この拡張工事で一丁目小路の突き当たりに存在した赤煉瓦の山門が失われた。市民に「刑務所、裁判所、浄願寺の赤門」と並び称された、全国的にも珍しい煉瓦造りの山門から、南北に連なっていた煉瓦塀が、道路の左右に分断されて残り、往時の面影を今に伝えている。


「浄願寺」煉瓦塀・南側部分 2008.05

浄願寺の山門と塀に使用した煉瓦は、南秋田郡川尻村の秋田監獄(明治45年竣工・のちの秋田刑務所)建設の際に余ったものを檀家が貰ったか、もしくは安く譲り受けたものと伝えられている。


落成間もない秋田監獄(秋田刑務所)


秋田刑務所(旧秋田監獄)事務所

監獄を取り巻く内外の煉瓦塀だけで総延長 1.200 m。その他の建築に要した総数130余万個の煉瓦は、監獄向いの田んぼに設けた直営工場で受刑者に造らせた「囚人煉瓦」。山王沼田町から採取した粘土に、赤色を出すために砂鉄が含まれた雄物川の砂礫を加え、成型・乾燥を経て焼き上げたという。製造された数量は363万個弱。

平成元年、秋田刑務所(旧秋田監獄)の改築工事による煉瓦建築の解体がはじまる。市民から保存運動の声があがり、移築保存も検討されたことから最後まで残っていた重厚な赤煉瓦の正門も平成16年に解体。


解体を待つ秋田刑務所(旧秋田監獄)正門 2004.10


秋田刑務所(旧秋田監獄)正門頭頂部 2004.10

秋田監獄の設計者は公式記録には残っていないが、当時の司法省営繕課長で監獄の改良を目的に欧米諸国を視察後、日本各地に歴史に残る監獄を設計した山下啓次郎(1868~ 1931)とされ、正門の意匠も山下の影響が見て取れるものだった。


左・旧奈良監獄正門・頭頂部 右・旧千葉監獄正門・頭頂部(二件とも、設計・山下啓次郎)
山下啓次郎 - Wikipediaより

山下啓次郎の孫でジャズビアニスとの山下洋輔は、祖父・啓次郎の事跡をもとに、史実と妄想が織りなす小説『ドバラダ門』を書く。祖父が設計した鹿児島監獄の保存運動に賛同し、監獄正門前でライブを挙行。しかし保存運動は実らず、監獄は取り壊さたが、その石造りの正門だけは国の登録文化財として今も残っている。秋田でも山下を呼んで刑務所正門前で、ゲリラライブをやる計画があったと聞く。


「浄願寺」煉瓦塀 2008.05


「浄願寺」煉瓦塀 鋸状装飾 2008.05

浄願寺に残された煉瓦塀を観察すると、柱、天端、その下の鋸状装飾部分など、枠組み部分に褐色の煉瓦を用いているのに対し、その他の壁面に比較的に色の淡い煉瓦が積まれている。

その色の濃淡は主に焼成温度の違い。焼成温度が低いと色が淡く硬度も低く、高温であれば色が濃く硬度の高い煉瓦が焼き上がるため、褐色煉瓦の柱部分は比較的に保存状態が良いが、その他は劣化が激しい。


「浄願寺」煉瓦塀 2009.09

塀の裏側に回ると、破損品、表面が高温で変質したもの、膨張変形したものなど、規格外の不良品が多く、状態の良い部分を人目に触れる表側にして積んだことがわかる。市販されるはずのない規格外煉瓦の混在こそ、これらが秋田監獄から払い下げられた「囚人煉瓦」に他ならぬことを物語っているのだ。


「浄願寺」煉瓦塀・裏側 2010.05


「浄願寺」煉瓦塀・裏側 2010.05

かつて一丁目小路の突き当たりに存在した、東西文化が融合した「浄願寺の赤門」、建設当時の市民の眼にそれは、ハイカラかつ珍奇なものに映ったのではないだろうか。その山門をくぐり、境内を通り、寺の裏へ抜ける細道は、秋田市の遊郭街・常盤(ときわ)町への近道であったというが、その話はいずれまた。


一丁目小路「浄願寺の赤門」跡 2008.05


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「浄願寺」の南隣「鱗勝院」の山門について


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千秋公園の大衆食堂・消える昭和


「ゑびや」跡 2010.05

久しぶりに千秋公園を散歩していたら、二の丸の「ゑびや」(えびや)食堂が消えて更地になっていた。

この地に食堂・貸席そして売店を兼ねた「ゑびや」が開業したのは、隣りに児童動物園が開園した昭和25年ごろのことだと思う。

家族連れで汽車に乗って動物園に来て、この店で昼ご飯を食べたり、夏の日にはアイスクリームやかき氷で涼んだ思い出をもつ方も多いことだろう。

動物園が大森山に移転してからはにぎわいも消え、最近は予約が入ったときや、お花見と、つつじ祭の期間中だけ店を開けていた。


2003.09


2003.07


2003.07


2003.12


2004.04


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天地を結ぶアンテナ・和洋女子高モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その7

 
2010.05

広小路のキャッスルホテル周辺からお堀の向こうを眺めると、緑濃き旧城地に建つ秋田和洋女子高校の屋上に、リングが連なる金属製の物体が光り輝いているのが目にとまる。

避雷針の役割も果たしているのかもしれない、アンテナのようなその謎の物体は、鉄筋コンクリート四階建て新校舎の落成に際して設置された阿部米蔵氏の手になるモニュメント。


阿部米蔵「三愛のモニュマン」昭和41年(1966)

それまでに阿部氏が制作した、人物を配した野外モニュメントとは一線を画し、屋上という特殊な環境のため、遠方から見上げても明瞭なフォルムを特徴とする、モダンな作品となっているが、デザイン・コンセプトは資料がないため不明。

リングと直線で構成されたそのモニュメントを眺めていたら、ふと「相輪」のことが頭をよぎった。

「相輪」とは、五重塔に代表される「塔」の上に設置された、天に向かって延びる金属製の装飾。建築工学的には建物を安定させる「重し」の役割を持つ「相輪」の、「塔」をつらぬく心柱(しんばしら)に連なる九つの輪を「九輪」もしくは「宝輪」と称し、それぞれが五大如来と四大菩薩を表すという。



「三愛のモニュマン」の最も大きなリングの中央にスリットが開けられ、そこから三本の棒が放射状に延びているが、これを一つのリングとみなした場合、リングの総数は「相輪」と同じく九つ。モニュメントの下にわずかに顔をのぞかせている、曲線を描く台座は五重塔の屋根のようにもみえる。

秋田駅前広場のモニュメント「団欒の群像」を阿部氏自らが解説した随筆のなかに、「原初的家族の団らんは、奈良薬師寺東塔相輪の構成に教えられた」と、「相輪」の名を挙げていることからも、九つの輪が連なる塔上の「相輪」と、同じく九つのリングで構成された屋上のモニュメントの相似と呼応は偶然の一致ではなく、「相輪」の思想と形体をモデルとした新たなる「相輪」の創造を通して、阿部氏は日本の伝統美とモダンデザインの融合を試みたのではないだろうか。

天と地を結ぶ塔上の「相隣」をモデルとしたモニュメントを構成する三本の支柱と九つの輪。三と九という陽数(天数)。「三愛」の三は、和洋高校校訓「敬・愛・信」を表すのか、はたまた「天・地・人」か・・・・・・。旧城地の風景に溶け込み、和洋女子高のシンボルとして耀きつづけるモニュメントへの妄想は尽きない。


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話は変わって、東京の下町に現在建築中の超高層タワー「東京スカイツリー」。電波塔でありランドマーク、そして巨大なパブリックアートでもあるそのタワーのデザイン・コンセプトは「時空を超えた都市景観の創造:日本の伝統美と近未来的デザインの融合」。



最小単位で安定が得られる三角形の立ち上がりから、頭頂部に向かって徐々に円形へと変化するゆるやかなラインは、日本刀や伝統日本建築にみられる曲線「そり」と「むくり」を意識し、耐震性を考慮した構造システムは五重塔の構造原理に倣ったという。完成予想図で見るその姿は天と地を結ぶ塔上の「相輪」にも似て、はるかなる天空を指向している。

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栗山のナマハゲが居るたけやのパン

●ヤマキウとたけや製パンのコラボレーション


「たけや製パン」と、明治12年からのロングセラー商品「ヤマキウ秋田味噌」が、地産地消をテーマにコラボレーションした「みそっこシリーズ」が、この5月(2010年)初旬から発売されている。

種類はデニッシュ生地の「みそスティック」、「がんづき」、「味噌まんじゅう」の三種。

最も味噌風味が味わえそうな「がんづき」を食べてみたが、しっとりした蒸しパンのほどよい甘さと、秋田味噌のほのかな風味と塩味がバランス良くマッチし、食べ応えも充分に小腹を満たす。



味噌色をした表面に白ゴマが点在する。



その内容はともかく、県人に永く親しまれた馴染み深い「ヤマキウ秋田味噌」そのままの懐かしいパッケージが、他のパンの中にあってひときわ眼を惹く。昔は市販の味噌といえばヤマキウが寡占状態であったから、秋田を離れて暮らすものにとっても郷愁をおぼえるパッケージであろう。



「ヤマキウ秋田味噌」にナマハゲのイラストを提供したのは、五城目町生まれの日本画家・館岡栗山(りつざん・明治30年~昭和53年)。

素朴で土着的エネルギーに満ちた、踊るような軽妙な筆致で、秋田の祭・郷土芸能をテーマとした作品を好んで描いた、栗山の筆による味わい深きナマハゲの画と、これも栗山の書と思われる「秋田味噌」の文字が配置された意匠は、数ある秋田ローカル食品のなかでも、秀逸で息の永い定番パッケージデザインといえる。


●「がんづき」という郷土菓子

「がんづき」という名の蒸しパンが秋田で見られるようになったのは比較的最近のこと。もともとは岩手方面の家庭で古くから、農繁期のおやつとして作られていた、小麦粉に重曹と黒砂糖を加え、クルミやゴマをトッピングして丸く蒸し上げた郷土菓子である。

その名の由来は「雁月」で、丸い蒸し菓子の上にトッピングした黒ゴマを、月と雁(かり)の姿に見立てたもの。また、もともとは神前にお供えするために作った「神搗」という名の菓子が、やがて「がんづき」と転訛したものともいう。

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成長の群像・明徳小学校モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その6


阿部米蔵「成長の群像」昭和28年(1953)明徳小学校校庭

千秋公園入口の旧明徳小学校校庭(現・市立中央図書館明徳館)に、創立70周年を記念して設置された白セメント彫刻。校舎の移転にともない北の丸の現在地に移設。

立像の男児と背中合わせに座像の女児を配し、相対する二つのものの調和を表現。水平と垂直が交差する台座、それを取り巻く円形の池もまた、作品を構成する重要な要素である。





野外モニュメントとしては最初の作品である当彫刻を手始めに、30年代から40年代まで、阿部氏が学校の校庭や校舎壁面などに制作した校内モニュメントは約25作品。


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旧明徳小学校(現・市立中央図書館明徳館)


阿部米蔵「不染汚(2)」昭和38年(1963)第27回新制作展

明徳小学校跡地に建つ、市立中央図書館明徳館二階に展示されている木彫作品。野外のパブリックアートと一線を画し、展覧会用に創作した彫刻は抽象的なものが多い。

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横町道産子ラーメン・50年目の閉店


04.02

秋田市大町六丁目「横町ビル」の、かつては深夜まで酔客でにぎわっていた「道産子ラーメン」が閉店し、店頭に「テナント募集」の看板が掲示されていた。

土崎の有名ラーメン店「白樺」と同じく、札幌西山製麺の麺を使う店で、今年で創業50周年というから、昭和35年(1960)の開業。その頃はまだ「横町ビル」はなく、札幌ラーメンブームの前なので、最初は店名も異なっていた可能性もあるが、いずれにしろ秋田市内における札幌ラーメン店の元祖だったのではないだろうか。


04.02

西山ラーメンの黄色いミニのれんの前に「目標 平成22年 横町道産子ラーメン 50周年記念達成」のプレート。50年という目標を達成し、区切りを付けての廃業だったのか。


08.10


10.05

同地で営業していた呉服店「金忠」が、昭和44年(1969)鉄筋コンクリート三階建ての飲食ビル「横町ビル」を建設。当時の秋田市内はビル建築ラッシュで、飲食ビルに限って例をあげれば、先頃リニューアルオープンした「仲小路ビル」、大町二丁目の今は無き「竹谷ビル」(秋田新名店街)がこの年に竣工している。

「横町ビル」の薄暗き異界への通路を奥へと歩を進めると、川反六丁目のソープランド街へ“通り抜けれ升”。


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秋田駅前に金座街復活?・旧ニューたけやビル


2009.11

昨年(2009)のクリスマスに44年の歴史に幕を下ろしたレストラン「ニューたけや」が入っていた、旧ニューたけやビルの改築工事が、7月のオープンをめどに進められている。

三階建を四階建に増築することで床面積を増やし、複数のテナントが入居するビルとし、その名称を「ニュー金座街ビル」とする予定とのこと。
加藤建設で旧ニューたけやを改築
株式会社中央不動産事務所は、 秋田市中通二丁目地内にある旧ニューたけやのビルを改築し、 「ニュー金座街ビル」 としてオープンするため、 加藤建設の施工でこのほど着工した。
日刊 秋田建設工業新聞: 5月11日
駅前再開発で誕生した「イトーヨーカドー秋田店」の年内撤退で沈む駅前に、戦後まもない秋田駅前に産声を上げ、飲食店・衣料品・雑貨店・電気店など個人商店が軒を連ねてにぎわい、やがて再開発で消えた「金座街」の名にあやかったビルが誕生するというのも、なんとも皮肉なお話しである。

「昔は良かった」なんて年寄りじみたことはなるべく言いたくはないが、「金座街」の名を冠するならば、薄汚れたバラック建築が並び、雑然としていながらも人情と活気に満ちていた、あの時代の雰囲気を少しでも感じさせるスペースになってほしいと思う。

しかし、「ニューグランドホテル」の倒産に始まり、「ニューたけや」の廃業、そして「ニューシティ」の廃業と、「ニュー」を付けた市内の企業の衰退がつづく近年の傾向をかんがみると、「ニュー」の代わりにギリシア語の「ネオス」もしくは「ネオ」を冠するほうが今は縁起が良いのかも。

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蔦のからまる医院・消えたレトロ建築


旧安田医院


2010.05

土手長町通りのレトロ建築・旧安田医院、ついに解体される。

緑濃き名園に包まれた老舗料亭「あきたくらぶ」も消え、往時の面影が残っていたこのあたりの景観も、ここ数年の間に大きく変わった。


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平成二十二年度「弥高神社例祭」宵宮祭

平成二十二年五月一日
千秋公園二の丸

今年は低温の影響で開花が遅れたため、満開の桜の下での宵宮。
桜色の“花あかり”が宵闇の境内に花を添える。







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