二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

2010年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年05月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

千秋公園の水鳥モニュメント二題

阿部米蔵によるパブリックアート・その5


阿部米蔵「少女と鳥」昭和36年(1961)

アヒルのくちばしから吐き出された水が池に注がれる噴水仕掛けのブロンズ像。千秋公園二の丸に設置されて間もなく、アヒルの首が切断される事件があり、それを継ぎ合わせた痕跡がある。




大きな地図で見る
モニュメント「少女と鳥」阿部米蔵作


阿部米蔵「渚の白鳥」昭和29年(1954)
右が原型、左が現状

新制作協会展に初入選した翌年に制作した初期の白セメント彫刻。千秋公園二の丸の、もともとは市立美術館(現・佐竹資料館)前の長方形の池のなかに、水と一体化した噴水仕掛けのモニュメントとして造られた作品だが、現在は佐竹資料館前の花壇の片隅に、その残骸が残る。


市立美術館(現・佐竹資料館)

秋田市立美術館は、八橋油田の開発で秋田と縁の深い帝国石油株式会社(現・国際石油開発帝石株式会社)から寄贈された500万円の建設資金をもとに、昭和33年(1958)6月開館。この彫刻はそれ以前から存在したことになる。

_________

関連記事

阿部米蔵によるパブリックアート・その1
二〇世紀ひみつ基地 中通タマゴ公園のひみつ・遊びの彫刻

阿部米蔵によるパブリックアート・その2
二〇世紀ひみつ基地 団欒の群像・秋田駅前モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その3
二〇世紀ひみつ基地 自由の群像・八橋陸上競技場前モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その4
二〇世紀ひみつ基地 交通安全のモニュマン・山王大通り

| 散歩写真・路上観察 | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

“五城目のトメさん”に逢えた「川反ビル」は今


川反四丁目「川反ビル」2004.03



この看板にある店のほんどがすでに廃業、今もこの場所で営業を続けているのは「やきとり安さん」「あきやま」「千田」だけか?。

「川反ビル」の有名店といえば、伝説の“五城目のトメさん”と逢えるスナック「モナリザ」。

トメという名の五城目のお婆さんの、とんちんかんでユーモラスなエピソードが、若い女性たちを中心に話題となったのが1980年代初頭のこと。

そのうわさを耳にした秋田市大町四丁目「川反ビル」で「モナリザ」を経営する小玉進氏(五城目出身)が、伝聞をもとにアレンジと、シモネタ系のエピソードも含めた創作を加えた“五城目のトメさん”ネタをギターで弾き語りはじめ、それを聴いた客たちが口コミでトメさん伝説を周囲に広げていった。

数あるエピソードから代表的なものをひとつ
秋田市に来たトメさん、駅前鎌田会館一階のミスタードーナツへ

今まで見たことのないドーナツに興奮したトメさん。ドーナツを指差し、
『これと、これと、それ。あれもだ!』
と注文すると、
『お客さん、あれこれじゃわかりませんから、名前を言ってください。あと、いくつか言ってくださいね』
そこでトメさん、
『オラ、五城目のトメだ!今年で六十七だ!』
ネットで五城目のトメさんを検索すると、その他のエピソードを見ることができる。

昭和59年1月、ABS ラジオの「どんぱんワイド80分」にて、秋田市から五城目まで、トメさんの歩いた軌跡をたどる、トメさん探しの行程を取材したテープとともに、小玉氏による“五城目のトメさん”が放送されるにいたり、トメさん人気は決定的なものとなった。

放送をダビングしたカセットテープが聴き回され、相次ぐリクエストの声に応えて番組は数回にわたって再放送、その後シングルレコード盤も制作された。トメさん以外のレパートリーを加えたミュージックテープ「五城目のトメさん」もクラウンから発売。シモネタが多いこのテープは土崎の細川レコード店に最近まで在庫があったが今は品切れ中。




2010.04

スナック「モナリザ」があった、築40年の「川反ビル」は、つい最近「フィッシュジャパンビル」と名を改めてリニューアルオープン、“五城目のトメさん”という幻の有名人が話題をあつめた昭和の一時代を語りつぐ、あの看板も姿を消した。

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 秋田初のミスドは鎌田会館一階に

関連リンク

秋田の飲食店ビル「川反ビル」、条件変更でテナント獲得-活性化狙う - 秋田経済新聞

五城目のトメさん/細川レコード店

五城目のトメさん - Google 検索

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

交通安全のモニュマン・山王大通り

阿部米蔵によるパブリックアート・その4


阿部米蔵「交通安全のモニュマン」昭和39年(1964)

交通事故による死者数が急増し「交通戦争」という新語が生まれた30年代末に、交通安全の願いを込め、秋田ライオンズクラブが建造した、「女子中学生が小学校の男児をいたわりながら道を渡る姿」を彫刻したブロンズモニュメント。



当所は二丁目橋の東側、土手長町通りの第一勧業銀行秋田支店(現・みずほ銀行秋田支店)前の中央分離帯緑地に設置されたが、その後の交通量の増加で分離帯が撤去されたため、二丁目橋の西側、拡幅工事が完工した山王大通り(通称・竿燈大通り)の現在地に移された。




大きな地図で見る

_________

関連記事

阿部米蔵によるパブリックアート・その1
二〇世紀ひみつ基地 中通タマゴ公園のひみつ・遊びの彫刻

阿部米蔵によるパブリックアート・その2
二〇世紀ひみつ基地 団欒の群像・秋田駅前モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その3
二〇世紀ひみつ基地 自由の群像・八橋陸上競技場前モニュメント

| 散歩写真・路上観察 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

消えた維新の名残・陸軍用地標石

●明治維新を語る道端の標石


2009.03

秋田市千秋久保田町の結婚式場「秋田セントポール教会」附属レストラン「フォンテーヌ」南隣の空き地に、つい最近まで「陸軍用地」の文字とその右上に「三一」と番号が刻まれた、高さ三十センチほどの石柱が道路のある西側を向いて設置されていた。

かつてこの石柱の道路をはさんだ西側に、久保田城の外堀が水をたたえていたことから、外堀の東側の旧町名を手形堀反(ほりばた)町という。詳細は下記関連記事に。




2006

手形堀反町の西側は久保田城郭であったが、明治四年の廃藩置県の後、明治政府は諸大名から土地を取り上げ、久保田城は兵部省所轄の軍用地となり、藩主は東京への転居を命じられる。

その石柱は国有の軍用地(久保田城址)と民有地との境界を示すために設置された、数十基の標石のうち、ただひとつだけ残されたと想像される歴史的遺産であり、廃藩置県までここから西側は佐竹氏の所有地であったわけだ。

軍用地時代の久保田城址は管理する者もなく荒れ果て、一時は県庁が置かれ、県庁移転後は住む者もなく廃墟と化していた本丸の久保田城も明治十三年七月に炎上、現存する御物頭御番所、城門などの一部を残して焼失する。

明治二十三年、陸軍は久保田城址と附属地を佐竹家に四千五百円(小学校教員の初任給五円ほどの時代)で縁故払い下げを決定。同年、秋田市が城址の一部を借り受け公園とする。

◆千秋公園(久保田城址)小史
明治二十五年、 羽生氏熟(後の秋田市長)をリーダーとする旧藩士によるグループ「有終会」が、桜の苗木千本余りを寄付植樹。
明治二十九年、秋田市から秋田県へ公園を移管、東京から著名な造園家・長岡安平を招き、県立公園として三年計画で造園を開始。
明治三十四年、大館出身の漢学者・狩野良知が、長久を祝する語「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)」から、秋田の永い繁栄を祈って「千秋園」と命名。
昭和二十八年、再び秋田市に移管。
昭和五十九年、旧久保田藩佐竹宗家十五代・故佐竹義榮(よしなが)氏の遺族が、公園用地として貸与していた約十五万平方メートル(県民会館・明徳館・国学館・和洋女子高などの敷地は除く)を市に寄贈。


●消えた道路と標石

区画整理事業の進展で旧堀反町通りは宅地となり、かつて外堀が存在し、最近まで住宅や商店が密集していた西側に新道路を造成中。


都市計画道路 千秋久保田町線(駅方向を望む)2010.03



約百四十年間、人知れずこの地にあって、変わりゆく風景を記憶してきた「陸軍用地」の標石が、ついこの間まで存在した空き地の周辺では、結婚式場「セントポール教会」の付属施設が、この九月のオープンをめどに工事中である。


「陸軍用地」標石跡(矢印)手前に新道路 2010.04


大きな地図で見る
「陸軍用地」標石跡

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 堀端の町・手形堀反町
二〇世紀ひみつ基地 消える街並・手形堀反町
二〇世紀ひみつ基地 手形堀反町の堀を偲ぶ
二〇世紀ひみつ基地 高松木材ビル解体・手形堀反町

関連リンク

秋田市-秋田駅西北地区土地区画整理事業

都心に残された旧陸軍標石

陸軍用地 石 - Google 検索

| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

自由の群像・八橋陸上競技場前モニュメント

阿部米蔵によるパブリックアート・その3


阿部米蔵「自由の群像」昭和36年(1961)八橋運動公園

昭和36年の秋田国体に合わせて整備された市営八橋陸上競技場の完工を記念して競技場正面に設置された、秋田県出身の遠藤幸雄・小野喬の両体操選手の内面的精神美をモデルにしたというブロンズ作品。
スポーツのトレーニングを通して「太平の峯を憧憬・・・港の水を誘う」と歌う人間のモニュマンを象徴するに、「眼横鼻直」の先哲のことばに導かれて、全体を水平感と垂直感の二つの要素で構成した。この二要素は造形の基本感覚である。群像のモデルは体操の世界的選手小野、遠藤両氏の外面的可視的姿態ではなく、その内面的精神美を彫刻化した。‥‥後略‥‥
『ふたつの群像』阿部米蔵 昭和36年「秋田魁新報」より





大きな地図で見る

_________

関連記事

阿部米蔵によるパブリックアート・その1
二〇世紀ひみつ基地 中通タマゴ公園のひみつ・遊びの彫刻

阿部米蔵によるパブリックアート・その2
二〇世紀ひみつ基地 団欒の群像・秋田駅前モニュメント

| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

小さな瞳 夢みるチョコレート・追悼しばたはつみ

先月の末(10.03.27)実力派歌手・しばたはつみ が57歳で急逝した。   昭和27年(1952)に生まれ、米軍キャンプの将校クラブで唄い始めたのが9歳、CMソング関しては15歳頃からだという。その後、昭和のテレビジョンで数多くのCMソングを唄った。

NHK紅白歌合戦(昭和52年)に出場を果たした代表作「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は東洋工業のロータリーエンジン搭載車・マツダコスモのCMソング。そのシングルレコードのジャケットにもコスモが写っている。


マイ・ラグジュアリー・ナイト/しばたはつみ

しばたはつみ が歌唱を担当したCMのなかで最もインパクトがあったのがこれ。


OH! モーレツ(1969 丸善石油)
出演・小川ローザ、歌・ はつみかんな&ハニー・ナイツ(しばたはつみ)

はつみかんな は しばたはつみ の初期の芸名。小川ローザのパンチラ姿が話題を呼んだ、お色気CMのさきがけとなった映像に、まだ17歳かそこらの少女とは思えぬ、しばたのパンチの効いた歌声がさらなるインパクトを添える、猛烈な右肩上がりの時代を象徴するCMだ。

ロッテチョコレートのCMソング「小さな瞳」は、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。


しばたはつみ 「小さな瞳」

1960年代を中心に歌謡界で活躍した浜口庫之助(ハマクラ)が作詞作曲した、胸キュンなCMソングの名曲。音源は非売品のプロモート盤シングルで、B面にはオリジナルとはおもむきを異にした、ファンキーな英語版も収録されている。


my sweet little eyes (「小さな瞳」英語版) しばたはつみ


ロッテガーナチョコレート 1970年 歌・相沢政子

こちらが相沢政子が歌う初期のCM、出演は九重祐三子と関口宏。この他にビリー・バンバン、最近では田島貴男(オリジナル・ラヴ)やキリンジがCMで同曲を唄っているが、なかでも しばたはつみ のセンチメンタルな歌唱がこの曲によくマッチしている。

メロディだけが流されることも多く、断続的ではあるが、これほど長いあいだ世代を超えて愛されたCMソングも珍しい。

時代を1960年代までさかのぼると、「小さな瞳」と同じメロディーの「瞳の世界」という曲がある。


パープル・シャドウズ 瞳の世界 1968

「小さなスナック」でデビューしたパープル・シャドウズのサードシングル「さみしがりや」のB面に収録された「小さな瞳」の元歌で、目薬のCMソングとして使われたという。

_________

関連リンク

歌手のしばたはつみさん死去 「OH!モーレツ」「レナウン娘」 - MSN産経ニュース

湯船で翌朝発見…しばたはつみさんが急死(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

■♪しばたはつみ♪■ オフィシャルページ

YouTube - しばたはつみ

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |