二〇世紀ひみつ基地

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2009年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年10月

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秋田地裁前から西を望む・百年前の広小路



明治四十年代の秋田市広小路の光景。

写真師は現在の「キャッスル」前に三脚をすえ、西を向いて撮影している。過去エントリー「疋田家の三本松・広小路名物」に掲載した画像「広小路西端から東を望む・明治末期」の反対側(東側)からの同時代の眺めである。



左手に「秋田地方裁判所」の板塀、その前を通りすぎる人物の姿が半透明になっているのは、当時の乾板(ガラス・フィルム)が低感度で、日中でもシャッターを長く開けていたため。その向こうの白壁塗りの店舗は「木内雑貨店」。


秋田地方裁判所・明治四十年頃

「キャッスル」(旧・秋田プラザ)の場所にあった赤レンガ庁舎の前身にあたる、明治十七年(1884)竣工の純日本建築庁舎。武家屋敷風の黒板塀に冠木門(かぶきもん)、その両脇にガス灯が配備されている。



左手に目をうつすと、木内の向かい角、のちに佐々木靴店が建つ掘端の空き地に、大型の集合看板が建っているが、残念ながら内容を確認できない。

その向こう、古川掘端通りをはさんだ角地(現・秋田カトリック教会附属書店)に、バルコニーのある「風間洋服部」の洋風店舗。そして道路をさえぎるように立つ、疋田家の三本松と樅(もみ)の老木。土手を崩して整地した広小路の突き当たりにも建物が確認できる。




約百年の歳月が流れて 07.08

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百七年目の「自転車百哩大競走」復刻版


新聞広告 明治三十五年

明治35年9月21日、秋田市下肴町のハイカラ商店・大島商会の主催により開催された、県内初の本格的ロードレースと思われる「自転車百哩(マイル)大競走」から100余年の歳月が流れた、平成21年9月21日の早朝、今も同地に残る旧大島商会の前に一台の自転車の姿があった。

車上の人は当ブログの「自転車百哩大競走・大島商会主催」を読んで感銘をうけ、数ヶ月前にそのレースの再現を決意し、この日のために準備を進めてきたチャリンジャーさん。

平成21年9月21日「自転車百哩大競走」

100余年前は舗装も整備もされていない悪路がつづくコースにくわえ、あいにくの雨天、自転車の性能も今とは格段に違う。好天に恵まれたコースを完走したチャリンジャーさんは、過酷なレースにチャレンジした当時の参加者の“凄さ”を常に感じながらの走行だったとブログで語っている。

明治の世に百哩大競走を企画した大島商会店主・大嶋勘六氏をはじめ、9人のレース参加者たちも彼の世から、秋風をうけて往時と同じコースを颯爽と走るその姿を、目を細めて見守っていたのではなかろうか。



この(2009)6月6日にはおなじく大島商会主催の「自転車遠乗会」、そして今回の「百哩大競走」と、今年は当ブログのエントリーに誘発された、21世紀版復刻企画がつづいた。

それらのエントリーが心を動かし、復刻企画を実行するきっかけになったのであれば、こんなブログでも存在する価値が幾分はあったということで、書き手としては正直うれしい。

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露草のうつろい易き青空よ



朝露の降りる早朝に咲き始め、午後にはしぼんで命を終えてしまう、露のごとくはかなきツユクサ(露草)の、鮮やかな青色と、見れば見るほど不思議なそのカタチ。

ツユクサの和名は“露をおびた草”という意だが、古くは「つきくさ・付草」とよばれていた。その意は花びらの青色が“付きやすい”(衣に摺るとよく染み着く)ため。

万葉集の読みでは「月草」の字が当てられ、その花のはかなさ、その花で染めた着物の色の褪せやすさなどから、「月草」を“うつろいやすさ”にたとえる。



水に溶けやすいツユクサの色素の特性を利用して、染物の下絵を描くために用いられたが、小さい花では効率が悪く、のちにツユクサの栽培変種で大型のオオボウシバナ(大帽子花)で和紙を染めた「青花紙」を絵の具として使うようになる。詳細は下記関連リンク参照のこと。



ツユクサには別名も多い。そのカタチから「帽子花」「蛍草」「蜻蛉(とんぼ)草」、その色から「青花」「縹(はなだ)草」「藍(あい)花」「インキ(インク)花」・・・、なかには「紺屋のお方」という風流な方言も。※「紺屋・こんや」=「藍染めを職業とする家・職人」


かへる日もなき 三好達治

かへる日もなきいにしへを
こはつゆ艸の花のいろ
はるかなるものみな青し
海の青はた空の青
 三好達治詩集『花筐』より
‥‥前略‥‥
草姿(そうし)は見るに足らず、唯二弁より成る花は、全き花と云うよりも、いたずら子にむしられたあまりの花の断片か、小さな小さな碧色の蝶の唯(ただ)かりそめに草にとまったかとも思われる。寿命も短くて、本当に露の間である。然も金粉を浮べた花蕊(かずい)の黄に映発(えいはつ)して惜気もなく咲き出でた花の透き徹る様な鮮やかな純碧色は、何ものも比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。つゆ草を花と思うは誤りである。花では無い、あれは色に出た露の精である。‥‥後略‥‥
徳富蘆花『みみずのたはこと』「碧色の花」より
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青花紙/色の万華鏡
青花(ツユクサの栽培変種オオボウシバナ)で染める青花紙。今でも京友禅などの下絵に使われている
色の万華鏡 TOP
「日本の色」に関する充実したサイト

青花紙は今/滋賀県草津市

季楽vol.18/花を食べる風流・露草を食す。

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与次郎の猫まどろみて秋日和

千秋公園本丸・与次郎稲荷神社にて





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二〇世紀ひみつ基地 鳥居に猫が登る春

(ひみつ基地内検索)

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秋祭りの支度



この土日(19・20日)は外町の総鎮守・山王さんの秋祭り(日吉(ひえ)八幡神社秋季大祭)、今年の統前町にあたる大町一丁目の一角に標(しめ)縄が張りめぐらされ、お旅所となる川反一丁目の星辻神社入口には竹矢来(たけやらい)が設けられた。



一方、日赤跡地では、この場所では今年が最後の開催になるであろう「第3回仲小路 JAZZ フェスティバル」の準備が進む。今年は小沼ようすけが2日間とも出演、椎名純平とのデュオもあるスペシャルなライブがくりひろげられる。

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仲小路JAZZフェスティバル・オフィシャルページ

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バニーヒップスとアイドル歌謡の宵 ’09

トワイライトリレーコンサート最終日
サンパティオ大町・中庭
2009.09.12

サンパティオ大町の中庭を会場に、6月から9月の土曜の夕方に開催されるトワイライトリレーコンサートも今宵が最終日。

長袖を着ていても肌寒さを感じる雨模様の天候が影響し、テントが張られた中庭に集まった観客は例年よりもだいぶ少ないが、コンサート中は雨も落ちることもなく、いよいよ終盤にさしかかり、この数年トリをつとめる「バニーヒップス with ワンダーランド」の登場。



通常は R&B、ディスコ・クラシックをレパートリーとするユニットだが、年に一度のリレーコンサートだけは客層にあわせて“昭和アイドル歌謡”を特別編成で歌うのが最近の恒例となっている。

「紅白歌合戦」がテーマというスパンコールがまぶしいコスチュームで、ハーモニーが冴える楽曲を聞かせ、軽妙なMCが笑いを誘う、充実のエンターテイナーぶりが観客を魅了する。








♪あなた~を待つの~ テニスコ~ト~

天地真理の「恋する夏の日」を楽しそうに歌うバニーさん。






バニーヒップス with ワンダーランド/センチメンタル・ジャーニー
2007.09 トワイライトリレーコンサートより



ディスコ・クラシックの名曲を歌う COOL! なバニーさん

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Groovin' Bunny Hips!

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秋田東映劇場から伝説のディスコへ、そして・・・

●秋田東映会館の誕生


新聞広告(部分)1968

昭和30年代初頭から東映直営の映画館があった秋田市大町五丁目に、昭和43年(1968)東映が経営する「秋田東映会館」竣工。鉄筋コンクリート 3階建て、1階に駐車場と喫茶店、2階がボウリング場、そして3階が収容人員450人の東映直営館「秋田東映劇場」。



当時は東映ヤクザ映画の全盛時代、こけら落としには梅宮辰夫ら東映スターが来場、『任侠列伝』と『盛り場ブルース』が上映される。



昭和52年(1977)、東映系では「秋田東映」および「東映パラス」が入居するシネコン「有楽町プレイタウンビル」のオープンにともない「秋田東映劇場」閉館。


●伝説の大箱ディスコ時代

昭和53年(1978)8月、「秋田東映会館」を改装した飲食店ビル「大町 NK ビル」開業。映画館のあった3階部分に、「ディスコはうす・プレイボーイ」が入居、前身が映画館だけあって天井が高く、300人を超えるキャパがある広いフロアを誇る、秋田初の大箱ディスコの誕生であった。

世界的なディスコ・ブームを巻き起こした、ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開されたばかりとあって、ディスコ「プレイボーイ」は若い世代を中心に人気を呼び、附属のロッカールームで派手なファッションに着替えた会社帰りのOL・サラリーマン・学生らが連日のフィーバー、一日5~600人が入場する盛況がつづく。

数年後、「プレイボーイ」から「エアーライン」と店名変更。左隣に「第2NKビル」オープン、初代のNKビルは「第1NKビル」となり、後に右隣に「第3NKビル」もオーブン。


第1NKビル(旧秋田東映会館)2009.07

90年代は「スタディオン」の名で営業をつづけるが、長いあいだ若者の社交場としてあったディスコ(クラブ)もやがて閉店、その跡に数年前からキャバクラ「ニュークラブ・カプリコーン」が入居していた。


2008.09

第1NKビル入口の上に設置されていたディスプレイ、上の画像に撤去した跡が黒ずんで残る。カプリコーンは川反四丁目に移転。


●伝説のディスコ・一夜限りの復活そして・・・

今年(2009)の2月、第1NKビルのカプリコーン跡を会場に"伝説の夜が1日復活"と銘打ったディスコ復活イベント「the DISCO」が開催された。発起人はローカル・タレントのシャバ駄馬男。アラフォー世代となったかつてのオーディエンスも集合し、一夜限りの復活にフロアが埋めつくされた。




この復活イベントの流れをうけて、8月末「ニュークラブ・カプリコーン」跡に、イベントスペース「@CLUB AK」がオープン。



そしてこの(2009年)11月1日「@CLUB AK」にて、前回好評だった"伝説のディスコ復活"の第二弾「the DISCO Part2」が開催される。

ヤクザ映画や東映アニメが上映された映画館から、伝説の大箱ディスコ(クラブ)へ、そしてキャバクラからクラブへと、それぞれの時代のモードとサウンドとともに多くの若者が交差し、それぞれの想いが刻まれたホールの歴史はまだ終わらない、築40年を超えたこのビルが解体されるまで。



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the Disco トップページ
「the DISCO」の画像・動画

hair make ragg 200902
数日にわたって「the DISCO」の画像大量

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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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1977 大町にロッキンハウス誕生・旧夜光虫

昭和47年(1972)協働社大町ビル(現・協働大町ビル)一階に誕生したディスコ「夜光虫」は、昭和52年(1977)5月「ロッキンハウス」と名を変えて、リニューアル・オープン。


新聞広告 昭和47年(1972)

オープニングの8日間は内田裕也、次いで、ギタリスト竹田和夫率いるクリエーション(クリエイション)、 安岡力也など、日本のロック黎明期に活躍したミュージシャンが出演。

クリエイションの名は知らなくとも、この曲は聴いたことがあると思う。


クリエイション「スピニング・トゥ・ホールド」

プロレスラーのザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)の得意技、スピニング・トゥ・ホールドをイメージしてつくられた、ザ・ファンクスの入場テーマ曲にしてクリエイションの代表曲。

70年代後半から80年代にかけて、日テレのプロレス中継に釘付けになっていた世代には、なつかしき名曲である。

ディスコ夜光虫の時代

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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仮想都市で「ひみつ基地」を探す

はてな系のビジュアルブログ検索エンジン「Blogopolis」が面白い。

ビジュアルブログ検索エンジン [Blogopolis]

ブログランキングサービス『TopHatenar』に登録された20万件超のブログを3Dの仮想都市景観に凝縮したサイト、『Blogopolis』を公開しました。
Blogopolisは20万人超のユーザと30万件近くのエントリーを収容する「メガロポリス」です。
開発者ブログより



サイトにアクセスすると海に浮かんだ孤島のような図形が現れ、上のボックスにブログタイトルなどを入力して検索すると、目的のビル(ブログ・記事)へと一気に下降。



これは数日前の当ブログのビル。区画や広さ、高さは条件によって変化する。
ブックマークエントリー
1つのブックマークエントリーが1つの建物(オフィスビル風)になります(ただし3users以上のエントリーに限定)。

ブックマーク数
土地の面積は、ブックマーク数に比例します。

購読者数
購読者数の多いブログほど、ビルが高くなります(高層ビルに近くなります)。
開発者ブログより
ここでいわれているブックマークとは、「はてなブックマーク」に限ったことで、購読者数のほうは livedoor Reader と Fastladder における RSS フィード購読者数の合計数ということらしい。

拡大画面でビルの屋上をクリックすると、下記のようなブログパーツを取得することもでき、これをクリックすると「Blogopolis」の「二〇世紀ひみつ基地」ビル周辺に飛ぶ。


ブログパーツ

仮想都市というよりも、ブログという個々の脳細胞が集合した「脳の地図」を見ているような感じもする。

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フェアリーのベルを鳴らせよ釣鐘草


09.08

盛夏から晩夏にかけて、釣鐘形で薄青紫の可憐な花をつける、キキョウ科の多年草・ツリガネニンジン(釣鐘人参)、別名・ツリガネソウ(釣鐘草)。

春先の若葉は山菜として、ゴマ和えや天ぷらで食され、細いニンジン状の根も食用にするほか、漢方では咳止め・去痰薬として使われる。

ツリガネニンジンをトトキともいい、長野県の俗謡に「山でうまいはオケラにトトキ 里でうまいはウリナスビ 嫁に食わすも惜しゅうござる」とうたわれるほど珍重された山菜だった。オケラはキク科の多年草でこれも若葉を食べる。

秋田県内での呼び名(方言)は、トドキ、トットキ、ヤマダイコン、ヌノバなど。

画像の上の方に赤いものがみえるが、これは茎に群がって汁液を吸うタイワンヒゲナガアブラムシ。虫にとっても美味しい植物なのか、ツリガネソウは害虫による食害が多いという。

妖精が宿るかのような愛らしいその花は詩人たちに愛され、宮沢賢治は「ブリューベル」青いベルと呼んだ。
あやしい鉄の隈取りや
数の苔から彩られ
また捕虜岩(ゼノリス)の浮彫と
石絨の神経を懸ける
この山巓の岩組を
雲がきれぎれ叫んで飛べば
露はひかってこぼれ
釣鐘人参(ブリューベル)のいちいちの鐘もふるえる
‥‥後略‥‥
           宮沢賢治『早池峰山嶺』より

風が吹いて草の露がバラバラとこぼれます。つりがねそうが朝の鐘を、
「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と鳴らしています。
                    宮沢賢治『貝の火』より
釣鐘草 野口雨情

小さい蜂が 来てたたく
釣鐘草の 釣鐘よ
子供が見てても 来てたたく
大人が見てても 来てたたく
釣鐘草の 釣鐘よ
静かに咲いてる 釣鐘よ

   『青い眼の人形』より
風の子供 竹久夢二

風の子供が 山へ出て
釣鐘草をふきました
釣鐘草は目をさまし
ちんから ころりと 鳴きだすと
薄(すすき)も桔梗も刈萱(かるかや)も
みんな夢からさめました
‥‥後略‥‥
      『日本童謡集』より


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桐と桐・偶然のコラボ



秋田市内某所に新設された駐車場と、となりの駐車場の堺に最近打ち込まれた「日本土地家屋調査士会連合会」のマーク「桐の紋」が刻まれたアルミ製境界表示板。

その矢印が示す延長線上の目と鼻の先、隣地との境界線にあたる排水溝とアスファルトの隙間に、種子を落として成長した生命力旺盛な桐の若木が庇護されて立っている。


なんという偶然のコラボレーション、桐のマークの境界表示板はまるで、目の前でたくましく育つ桐の木の存在を、道行く人に示すために設置されたかのようだ。

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秋田市に妖しき火球出現す

今を去ること九十五年前、大正三年(1914)九月の初旬、秋田市中心部に於いて人魂(火球)が飛ぶ騒ぎあり。一時間弱にわたり多くの市民が目撃した。


人魂しきりに飛ぶ
一昨夜九時過ぎより十時間際に至り長町寺町田中町川端(現・川反)間に於ゐて彗星大の光芒燦々たる妖しき火魂が東西に飛び出でしより近隣の者は人魂々々と絶叫して一時は中々の騷ぎなりしが飛び去りしあとは出火(かじ)の雲燒けの如く薄明かりを空にたゞよわせしありしが戰爭があるからだ否青島がもう陷落した驗(しるし)だなどゝ川端の納涼臺(すずみだい)にて噂高いまゝ
大正三年九月六日『秋田魁新報』より

◎火玉に就ゐて
古老の談を聞くに火玉の話しをすれば幻覺か錯覺ならんと云わるゝやうになりしも前夜の火玉を見て何人(なんびと)も事實の存在を確かめたるなるべし之れに對し科學上の説明は出來ぬも我等幼時は酷暑の年に屡々(しばしば)之れを見たるものなり而して火玉の飛ぶ年は必ず豐年なりし云々(うんぬん)
大正三年九月七日『秋田魁新報』より
ちなみにこの年の作柄は並作であった。

記事の内容からしてこの現象、大槻義彦教授の提唱した「大気プラズマ説」で説明できそうだが、それにしても約一時間にわたる目撃は珍しい。もしかしたら宇宙人が遠隔操縦する人類調査用小型 UFO だったのかもしれない。なんてね(^_^)

宇宙人といえば、次期首相のニックネームだが、そのファーストレディーである鳩山幸さんの発言が世界で失笑をかっているようで、なんともはや。

精神世界かぶれでカルト教団・サイエントロジー協会の信者との噂があるこの人、その著書で「UFOに乗って金星に行った」ことを記し、テレビのインタビューで「トム・クルーズ(サイエントロジスト)と前世で知り合いだった」とか、とにかくぶっとんだ発言が多い。

妻の方が「宇宙人」? 各国メディア、鳩山夫人を紹介 - 47NEWS
「私は宇宙人に拉致された」鳩山夫人 - 愉快痛快(^_^)奇奇怪怪(*_*;)

そんな与太話はとにかくとして、戦前の物理学者にして随筆家で俳人の寺田寅彦は、人魂現象を物理学的に分析したうえで、文末を次のように結んでいるのは、さすがエスプリが効いている。
‥‥前略‥‥
それはとにかく、われわれの子供の時分には、火の玉、人魂(ひとだま)などをひどく尊敬したものであるが、今の子供らはいっこうに見くびってしまってこわがらない。そういうものをこわがらない子供らを少しかわいそうなような気もするのである。こわいものをたくさんにもつ人は幸福だと思うからである。こわいもののない世の中をさびしく思うからである。
寺田寅彦『人魂の一つの場合』(昭和八年十一月、帝国大学新聞)


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顔ふたつならべて眠る神社猫


千秋公園本丸にて



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小坊主が歓楽街で木魚打つ


大町五丁目

秋田市の歓楽街・川反に近く、飲食ビルの多い大町五丁目の、喧噪が途絶えた夜の街並に、一定のリズムで何かを叩くような音がどこからか響く。

ふと、明かりのついた齋藤佛師店のウインドウに目をやると、座布団に鎮座したカラクリ人形の小僧さんが、ひたすら木魚を叩いていた。



夜も更けた歓楽街の一角で、オートマチックに動きつづける、無表情なその姿と機械的な木魚の音が妙にシュールである。

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水玉模様のファッションビル・仲小路







モリタ仲小路店が秋田駅前公営駐車場一階にスケールダウンして移転。その跡を改装して最近オープンした、ショーウインドウにちりばめられた白い水玉模様が目を惹くファッションビル。

一方その近くの仲小路ビルはシャッターを下ろし全館閉鎖状態。途中で経営者が代わったものの、ビル落成時から約40年のあいだ営業しつづけた「弥助そば」もとうとう閉店した。



かつての仲小路ビルのことは下記関連記事に。

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