
シロバナムシヨケギク・秋田市添川にて
田植えが終わる頃、マーガレットに似て、白く可憐な花を咲かせる、ユーゴスラビア原産のキク科の多年草・シロバナムシヨケギク(白花虫除菊)、通称・除虫菊。
15世紀の頃、捨てられて枯れた花の周囲で、たくさんの昆虫が死んでいるのが発見されたことから、殺虫効果が認知され、主に蚤取粉の原料として使われはじめたという。生花には除虫効果はない。
除虫菊を日本に広め、除虫菊産業界の恩人と称されるのが、和歌山県有田の蜜柑農家に生まれ、紀州蜜柑を海外に輸出する貿易会社を設立し成功をおさめていた上山英一郎。
除虫菊に将来性を感じた上山は、瀬戸内地方をはじめ北海道、朝鮮までおもむき、栽培を奨励する講演会に明けくれ、やがて、その白く可憐な花は日本全国に広がってゆく。
上山は除虫菊の粉末を線香に練り込んだ棒状蚊取線香をはじめ、のちに主流となる渦巻蚊取り線香を開発した、大日本除虫菊(金鳥)の創業者。その詳細は以下関連リンクに。

明治38年に上山がアメリカに輸出したことを皮切りに、除虫菊(干花、粉末)および蚊取り線香など加工品の輸出量は年を追うごとに増加、やがて世界一の生産量を誇る、わが国の重要輸出品へと成長。

海外向けポスター
しかし、第二次世界大戦が進行するなか、その輸出量は徐々に減少、食糧難にともなう食用作物への転作の影響で大きく落ち込み、除虫菊産業は風前のともしび。
以降、除虫菊の主要生産地はケニア高地地方に移り、戦後の日本は除虫菊輸入国となる。
除虫菊の花に含まれる天然ピレトリンには、即効性のある殺虫効果があり、現在市販されている家庭用殺虫剤のほとんどが、天然ピレトリンを手本に科学的に合成した、合成ピレスロイドを使用。
蚊取り線香の成分も同様だが、除虫菊の絞り粕を原料にまぜて、あの特有の香りを維持しているという。また、大日本除虫菊の「天然除虫菊 金鳥の渦巻」をはじめ、100%植物成分を謳う製品が今もまだ健在。

ブタの容器に入れた蚊取線香を手にしてでかけた、近くの原っぱでの納涼映画会。蚊帳が吊された開け放たれた寝室で、その香りに包まれて眠った夜の情景・・・・・・。かつては夏の風物詩であった蚊取線香も、エアコンが効いた密封空間の家が多くなった今、もはや前世紀の遺物か。煙のでない電気式の蚊取器には情緒がない。
●広告で見る蚊取線香
「清水桂林堂」明治38年
線香と、いぶして使う袋入り粉末、陶器製「蚊燻器」の広告。

左・大正12年 金鳥印の「大日本除虫菊」
右・大正2年 金鳥印の「上村英 農園部」

猪印の「安住大薬房」大正8年
上山(金鳥)と同時期から蚊取線香ならびに蚤取粉を販売し、昭和に入って海外にも工場・出張所を置く。

月虎印の「内外除虫菊株式会社」大正10年
上山(金鳥)と同じ和歌山県有田市で創業、輸出用のマークは猿印。現在も有田に健在。

左・キング印の「帝国除虫菊株式会社」昭和10年
右・「安住大薬房」の紙巻蚊とりカトール 昭和17年
安住の「紙巻蚊とりカトール」は、粉末を紙でくるんだものか。
「帝国除虫菊」は上山(金鳥)と同じ和歌山県有田市に創業し、同時期から除虫菊加工品を製造。戦後「キング除虫菊工業株式会社」「キング化学株式会社」と名称を変え、平成21年、「白元」と合併。

キング除虫菊工業株式会社 ポスター(戦後)

獅子印の「大同除虫菊株式会社」昭和16年
上山(金鳥)と同じ和歌山県有田市に創業、戦後「ライオンかとり株式会社」と名を変え、その後「ライオン歯磨」の傘下に入り、「ジョンソン株式会社」の子会社を経て「ライオンケミカル」となる。有田市に本社を置き、現在も蚊取線香を製造。
_________
関連リンク
日本人のオリジナリティ探訪 世界初の渦巻蚊取線香の発明者 上山英一郎KINCHO大日本除虫菊株式会社 ホームページ除虫菊の線香:紀陽除虫菊株式会社蚊取り線香ができるまで
KINCHOの夏☆日本の夏 金鳥の渦巻きプチマスコット
⇒ blog-entry-1032掲載の崎衆 (12/11)
⇒ around40 (12/09)
⇒ FMEN (11/16)
⇒ 梅 (11/16)
⇒ (10/21)
⇒ 川端たぬき (10/15)
⇒ taic02 (10/15)
⇒ 梅 (10/07)
⇒ 川端たぬき (10/05)
⇒ 洋 (10/05)