二〇世紀ひみつ基地

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2009年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年05月

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イベント広場としての二の丸・千秋公園

●観桜会名物・川反芸者の手踊り



昭和初期の撮影とおぼしき、花見時期の千秋公園二の丸のにぎわい。舞台では恒例の川反芸者の手踊り、左手の移動屋台に「アイスクリーム」の文字がみえる。

なにしろ、大正の全盛期には約三百人の川反芸者がいたのだから、観桜会期間中は連日、それぞれの家(置屋)から選ばれた芸者たちが舞台にあがり、揃いの着物で妍(けん)を競ったものだろう。

観桜会での川反および土崎芸者の手踊りは、戦中から戦後にかけて中断され、昭和三十年代に復活するが、戦後は芸者の数が激減、やがて人数が揃わなくなり消滅する。


千秋公園二の丸 09.04


●二の丸を再びイベント広場に

秋田初の野球リーグ戦が開催された二の丸広場は明治からの運動場であり、各種イベントが開催された場所。いくつか例を挙げれば、昭和初期の「大音量レコードコンサート」、春の夜の「さばぐち」(綱引き)、真夏の夜の「納涼映画会」。戦後も「納涼映画」が上映され、サーカスのテントが張られたこともあった。


二の丸運動場・大正期

さらにさかのぼる藩政期には、能舞台の仮設や、ささら踊り、外町や湊町の町踊りを催し、桟敷席を設け、一般町民にも見物させることもあったという。

乾燥した日が続くと、土ぼこりの舞った二の丸に、芝生と樹木が植えられて整備されたのは、昭和28年頃のこと。しばらくの間、その芝生には“立入禁止”の立て札が打たれ、のちに池のあるモニュメントなどが置かれて今の姿に。

二の丸の整備にともない観桜会の特設舞台は本丸へ移動。その場所は御隅櫓の下、戦前は招魂社(現・護国神社)があった人工滝のあたりと思われる。昭和45年頃から観桜会の特設舞台は廃止され、昭和61年の春、二の丸に戻って復活。

周囲に住居もなく、騒音公害を心配する必要もない二の丸は、野外音楽イベント会場として最適な環境なのだが、現在、市ではそのような目的での使用を許可しないようだ。

例えば、中央の樹木を撤去しモニュメントを移転、北側もしくは西側に屋根付きの野外音楽堂を設置し、フリーマーケットなどにも使える、市民のイベント広場として二の丸を開放してはどうだろうか。

中央の芝生が踏み荒らされることを心配するのなら、いっそのこと芝生の代わりに、柔らかく水はけの良い「コルク入り弾性舗装」にでもすれば良い。



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桜花の百石橋・太平川定点観察


太平川岸から百石橋を望む 1972.04

まだ舗装されずガードレールもない土手から、百石橋とはるか東方に太平山を望んだ空が広い。

昭和35年(1960)10月、秋田市楢山から牛島にかけての太平川岸に、浩宮(現皇太子)の誕生を記念して、築山(小学校)学区明朗会(市政協力員)が中心となり、学区内から一戸あたり10円の寄付に加え、森林整備活動を支援する“緑の羽根共同募金”の還元金をもとに染井吉野の苗木が植樹された。


2004.04

植樹から約50年の歳月を経て、川に向かって垂れ下がる見事な桜並木に成長し、秋田市の新たな桜の名所となった。木々の生長により、この位置からはもう太平山は見えない。

一説に、真言宗の寺院・金照寺(現在の金照寺とは別物)の住職が、寺の扶持米百石を使って架設したことが百石橋の由来で、はじめは豪華な太鼓橋だったともいう。

一本橋脚の現在の百石橋は昭和58年(1983)の架橋。上記画像にみえる橋脚三本の橋は、交通量の増加にともない、昭和45年(1970)に橋脚の上部だけを掛け替えたもので、それ以前はコンクリートの橋脚に木製の橋を乗っけた粗末なものだった。

歩道もなく、木橋の両端が川に向かって傾斜し、雪が積もってツルツルのアイスバーンになると、川に落っこちそうで怖い思いをしながら通学した冬の日や、生家の居間から、まだ若い桜並木を眺めていた、うららかな春の日のことを思い出す。はじめての“ひみつ基地”をつくったのも、この河原の藪の中だった。


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百石橋界隈


花曇る太平川の桜並木 2013



川のない橋「牛島橋」界隈を歩く



満開の色香に酔う・太平川桜並木



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満開の色香に酔う・太平川桜並木

太平川岸の桜並木にて、満開の色香に酔う、つかの間の桜日和。
09.04.24











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明治時代の観桜会・千秋公園


千秋公園本丸・明治四十年代

花見客で賑わう、本丸の“桜のトンネル”。まだ桜も若く、幹が細い。


現在の同地点 09,04

今年の千秋公園のソメイヨシノは、百年を超える老木となり樹勢が衰えたのに加えて、野鳥の食害のせいか、花がまばらでさみしい。

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夜桜に夜店の明かり赤々と

09.04 千秋公園 観桜会にて















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缶詰の蓋に二つの顔がある




缶詰のプルトップ蓋。

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期間限定ふきのとうコラボ


09.04

フキノトウとハンドホールの春先限定コラボレーション。

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沈丁花の香りはダルマ祭りの記憶とともに


沈丁花(ジンチョウゲ)09.04
沈丁に寄れば離れてゆく香かな 下田美花
薄桃色の妖艶な花の姿よりも、どこからか漂ってくる、甘美な香りの印象のほうが強烈な沈丁花だが、そばに近寄っても、それほどの強い香りは感じられない。まさに「寄れば離れてゆく香り」である。

離れれば寄り添い、寄り添えば離れる、沈丁花の濃厚な芳香が春風にのって街角を舞う頃、秋田市の春一番の祭り、川反一丁目・星辻神社の「だるま祭り」が行われる。




夜となるだるま祭りの重い雲 乾一
ふり仰ぐだるま祭りの闇の色 岡本つねを
べたべたとだるま祭りの黒い雲 斉藤諒一
だるま祭雨呼ぶ風になぶらるる 下田康子朗
      『季語鑑賞あきた歳時記』より
雨がつきものの祭りだけに、「だるま祭り」を詠んだ句には、どんよりとした天候に関したものが多い。しかし、今年(平成二十一年度)の両日は、雨の降る気配もないままに祭りの幕を下ろした。

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掲示板のある風景・土手長町県庁前通り


土手長町県庁前通り 大正期

着物姿の子どもが立つ土手長町通りの右手に県庁の入口、左手の掲示板の向こうに、松と桜が植えられた土手が連なる。子どものいる位置から左(西)に目を向けると二丁目橋と二丁目小路(現・山王大通り)。


現在の同地点 08.09

昭和二十年頃までに旭川沿いの土手はすべて取り払われ、昭和三十年代、県庁舎の焼失後、土手長町通りのうち、旧県庁前の区画が拡幅されたため、大正期の風景と比較すると今の道幅はかなり広い。

右手にみえる高層マンションの場所にかつて存在した「協働社」の二階部分と歩道橋が連結していて、下に降りることなく直接店内に入ることができて便利だった。


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