●要害としての「鷹の松」土手長町通りを千秋トンネル方向に北進し、通町橋前を過ぎて間もなく、高層集合住宅の建ち並ぶ旧鷹匠町(現・秋田市千秋矢留町)のマンション街を背景に、行く手をさえぎるかのように「鷹の松」がその姿を現す。

鷹の松 08.11
水戸から国替された佐竹義宣公が、久保田の神明山、今の千秋公園に築城、町割りの一環として旭川を大改修し、掘替えの際に出た土で旭川の東岸に土手を築いた際に植えられた、樹齢三百八十年ほどの黒松で、木の根元には第六代秋田市長・井上廣居が私費で建立した石碑が建てられている。
この地が藩の御鷹師衆、いわゆる鷹匠たちが住む鷹匠町であったことにちなんで、今は「鷹の松」と命名されているが、もともとこの黒松に固有の名はなく、近くに市役所が建った明治末期から「市役所の松」などと呼ばれていた。
「鷹の松」の周辺が藩政期にどのような風景だったのか、明治元年の「秋田城郭市内全図」で見てみよう。この図は明治三十一年に出版された『秋田沿革史大成・下巻』の付録で、明治元年の地図を基に、それ以降にできた公共機関を点線で囲んで加筆している。

秋田城郭市内全図より
左手に掘替え工事で造成した人工の運河・旭川。右手に古い旭川の流れ(仁別川)を利用して造成したという外堀が、藩の兵具蔵(武器庫)を囲む。太い黒線が土手。
現在道路となっている部分(ピンクライン)まで外堀が迫り、その水面に接して赤丸で示した「鷹の松」の土塁が西に張り出し、その手前、旭川の土手から東に突き出した土塁(青丸)とセットで、「食い違い虎口(こぐち)」を形成している。「食い違い虎口」とは、曲がって出入りするように造成することで、敵の視界をさえぎり直進を防ぐ要害のこと。

出羽国秋田郡久保田城画図・正保元年(1644)
「鷹の松」の西、旭川に架かる保戸野川反橋は幕末以降の架橋。藩政期にこんな所に橋があったら防衛上の弱点となり、「食い違い虎口」が意味を成さない。「鷹の松」の南、土手長町上丁に藩政期、今の総合庁舎にあたる御会処が存在し、明治に入って監獄(刑務所)となり、監獄が川尻に移った跡に秋田市役所が落成する。

現代の風景に藩政期のお堀の水を注いでみた。左手前に「鷹の松」と同じ高さの土塁が存在し、通行人はその土塁と「鷹の松」にはさまれた狭い道をぐるりと曲がって鷹匠町方向に進んだ。
●街並は変われども明治三十七年一月発行の「秋田市全図」では、青丸で示した土塁は交通の障害になったとみえて消滅しているが、まだ「鷹の松」は外堀に接したまま。それ以降に「鷹の松」東側の外堀の一部を埋め立てて道路が完成、しかし現在よりは道幅が狭い。

明治末頃

「鷹の松」を支える土盛りの周囲に、写真に写る石垣が築かれたのは、手前に市役所庁舎が落成した明治四十二年。右手に古い旭川の流れ(仁別川)を利用して造成したという外堀。その外堀の曲線に沿った堀端に鷹匠町の家並みが続く。

大正三年以降

大正三年七月、藩政時代は兵具蔵があった外堀で囲まれた場所に、大日本赤十字社秋田支部病院(初代の秋田赤十字病院)オープン。建設の際に外堀の一部が埋め立てられた。
拡大してみると外堀に新たに掛けられた病院へと続く土橋と石門が見える。手前には秋田高等女学校(現・北高)の生徒と思われる、風呂敷包みを抱え日傘をさした袴姿の女性二人。
この周辺の外堀が埋め立てられ宅地と変容したのは昭和初期、かつての外堀の堀端に連なる鷹匠町はそのころから、素封家の別邸や旅館が連なる一等地となる。
●伐採の危機を乗り越えて戦後になると、土塁を囲む石垣は崩れ、よじ登って遊ぶ子どもも多く、次第に荒れ放題になっていた「鷹の松」を、市では昭和四十六年の春、根回りを固め石垣を積み直す保護工事を行う。60センチほどであった石垣を約1メートルに積み上げ、根本には芝生を植え、周囲に垣根をめぐらして現在の姿に。
「鷹の松」はもともと敵の侵入に備えた要害の一部だったのだから当然のことだが、交通量が急増した昭和四十年代には、見通しが悪く通行の障害との理由から、撤去の声が度々上がるようになる。しかし、昭和四十九年、市の保存樹に指定され伐採の危機をまぬがれた。
平成十七年七月、枝の付け根部分から大きく折れ曲がり、枝先が地面にまで垂れ下がり、保戸野川反橋に抜ける市道の片側が通行止めに。

応急処置後 05.07

大きく湾曲し応急処置を施した枝の付け根 05.07
湾曲の原因は古木に特有の内部の空洞化。空洞化により付け根部分に大きな亀裂が入り、枝の重量を支えきれずで垂れ下がってしまったわけ。空洞部分に活力剤を注入し、曲がった枝をクレーンで吊り上げ、支柱で支える修復作業の後、重くなった枝の剪定も行われ現在の姿に。

06.10
数カ所に立てられた支柱で支えられたうえ、ワイヤーで吊られた枝、コモの包帯でぐるぐる巻きにされた太い幹。負担を軽減するために全体的に剪定され、鷹が舞い降りたようにしな垂れていた、かつての枝振りの見事さと重厚感に比べれば若干見劣りする。
どの建物よりも高く、遠くからもよく見えて、ランドマーク的存在であっただろう「鷹の松」の周辺は近年、高層集合住宅の建ち並ぶマンション街に変容、仰ぎ見る対象としてあった「鷹の松」も、住民の多くにとって、高層から見下ろす存在となった。
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