二〇世紀ひみつ基地

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2008年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年01月

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ご当地ヒーロー「大町マン」の看板に偽りあり


 秋田市大町地区の活性化が使命のご当地ヒーロー「大町マン」が来年1月4日、同地区の活性化を目的とするイベント「大町未来計画 Oh!大町」でデビューする。

 「秋田市の中心部・大町地区を盛り上げることで、周辺地域を含めた活性化につなげたい」(担当の茂木さん)と、仙台市を拠点に活動するプロレス団体「みちのくプロレス」と提携して発案した。

 地名の「大」の字をモチーフにデザインしたマスク額部分には、カタカナで「オオマチ」も文字。「大町マン」が試合中にピンチになると、同地区のシンボル「鷹匠町の一本松」をイメージした松の木を頭に装着して戦意が復活するという設定。‥‥後略‥‥
さきがけonTheWeb より
大町商店街振興組合が企画した、どちらかというと「ゆるキャラ」に分類される、ゆるい(間が抜けた)ご当地ヒーローの誕生である。

大町三丁目の明治建築「赤れんが郷土館」の煉瓦をトランクスのモチーフにしたまでは良いが、頭に乗っけた「鷹の松」が問題だ。

「鷹の松」は鷹匠町のシンボルであり、大町に属するものではない。大きな違いは、大町が外町(とまち)=商人町なのに対して、藩政期に佐竹氏の御鷹師が住んだ鷹匠町は内町(うちまち)=武家町であること。


鷹の松・鷹匠町

今ではマンション街と変容し、町内意識の希薄となった旧鷹匠町(現・千秋矢留町)だが、この町をルーツとする自分としては黙ってはいられない。

場所が近いということだけで「鷹の松」を大町のシンボルとしてしまう「大町マン」には、大町商人としてのプライドが感じられず、看板に偽りのあるそのコンセプトは“戦う以前にすでに破綻している”といわざるをえない。



当日は大町vs.通町の綱引き対戦も開催される。

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覆面レスラー「大町マン」4日デビュー みちのくプロレスに所属|さきがけonTheWeb

地域活性化が使命「大町マン」デビューへ-みちのくプロレスと提携 - 秋田経済新聞

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餅つきの杵の音響く彌高に

平成二十年度・餅つき大会
十二月二十八日
千秋公園二の丸鎮座・彌高神社

神社で供える鏡餅を搗き、家に飾る正月用の供え餅を子どもたちにつくらせる、恒例の餅つき大会。













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関連リンク

彌高神社=公式ホームページ=

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暖かくゆらぐあかりの寒い夜

メッセージキャンドル・NHK 秋田放送局主催
秋田拠点センター・アルヴェ






08.12.22


第2回 秋田ほっとHOTクリスマスフェスタ
秋田駅前大屋根下・仲小路






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秋田ほっとHOTクリスマス

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日本赤十字社秋田支部・西根小屋町


日本赤十字社秋田支部庁舎(大正初期)

秋田市西根小屋町上丁、現在の中通一丁目に存在した「日本赤十字社秋田支部」。

博愛的人道主義を旗印に救護・医療活動を展開する社会事業団体・日本赤十字社の秋田県支部庁舎として、明治四十四年に竣工した、木造二階建、左右対称のルネッサンス式建築。総面積四二二平方メートル、庭園は如斯亭とならぶ県内三大名園といわれた。

大正十一年、県教育会に譲渡され、戦後は秋教組が引き継ぎ「秋田県教育会館」となる。

広小路の赤レンガ建築・秋田地方裁判所(現・キャッスルホテル)裏に存在した、初代「秋田県教育会館」は、老朽化と都市計画により昭和四十四年に解体され、山王の現在地に移転。

跡地の一部に、秋田駅前から土手長町通りに通じる、のちに「仲小路」と呼ばれることとなる八メートル道路が貫通、昭和四十五年には、大町四丁目から移転した老舗呉服店「加賀正」の新店舗などがオープンする。


08.06


大きな地図で見る
「日本赤十字社秋田支部」跡

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ネオン塔の下で・木内デパート



昭和30年代から、木内デパート屋上遊園地の展望塔の上にそびえ、夜ともなれば広小路に美しき輝きを放っていた、なつかしのロケット形ネオン塔のことが、ネオン設置間もない頃に発行された『秋田百点』という商店PR誌に載っている。

ねおんの話 --木内デパート提供--

‥‥前略‥‥

 現在の日本のネオンは街の美観を高めるべきものが、反対に美観を損なうようなものが多く掲げられております。広告ネオンは民衆の目を楽しませる街の芸術でなくてはなりません。広告塔をあり合わせの建築物の上に勝手に作ってもよいわけではなく建築物の美とネオンの美が調和してこそ真の美しさが表現されるのです。



 このような点に細心の気を配った木内デパートのネオンは五階建ての白色美と良く調和して設計、デザインされています。このネオン塔は総工費一千万円で地上五十五メートルの高空に立てられているため、デザイナーは美観と堅牢さをかねた足場という点を考慮して風速七十メートルの強風にも耐えうる塔の上に、“ロケット型”のものを上げております。そのネオンは赤と白のネオン管二千本を使い二色の光線が互いにミックスして四色の効果を出したもので、総体を柔らかな水色で、“光りのパレット”を描きだしウエットな色彩と豪華さで秋田市民の目を楽しませてくれています。
『秋田百点』より
昭和30年代中頃、教員の初任給が一万円に満たない時代に、総工費一千万円という金額が、当時の木内の繁栄ぶりをうかがわせる。



たかだか五階建相当の展望塔とはいえ、周囲に高層ビルのなかった時代は見晴らしが良く、ガラス張りの最上階にはコイン式の望遠鏡も置かれ、その上にそびえるネオン塔の瞬きは、はるか遠くからも確認できた。

市街のランドマークとして、高度経済成長期のシンボルのよう光り輝いていた、あのネオン塔が消えたのはいつのことだったか・・・。


08.12 二階以上が封鎖されて久しい木内


08.12

※サーバーのレンタル期間が終了して消滅した画像掲示板「二〇世紀的画像板」から、2004年10月の投稿を書き直してして再掲。

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秋田市広小路・歳末夜景2008



08.12 中土橋より東を望む

アトリオンの後ろに見える鉄骨は、電巧堂(のちのデンコードー)ビルがあった角地で建築中のマンション。



08.12 中土橋より西を望む

秋田キャッスルホテル前を、別の日に撮った二枚の写真だが、風力および風向によって、お堀の水面に映る“光のゆらぎ”が変化するのが面白い。無風では味気ないが風が強すぎても絵にならない。


08.12 中土橋より西を望む

木内デパートの向かい、かつては大判焼きの「加賀屋商店」があった堀端で、水に浮かぶように建つ美容室「モードスタジオQ」。

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秋田駅前・歳末暮色2008


08.12 なかよしビル(フォーラス)から南を望む


08.12 なかよしビル(フォーラス)から緑屋およびヨーカドー


08.12 秋田駅から広小路方面


08.12 秋田駅から広小路方面


08.12 緑屋(旧・やまじんビル)前




08.12 ヨーカドー前


08.12 秋田駅・ぽぽろーど


08.12 駅東口より北を望む 旧貯木場付近にツインタワー・マンション


08.12 駅東口より東を望む


08.12 駅東口・NHK 秋田放送局新社屋

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はんこ屋の古看板・上肴町で幾星霜



旧上肴町(現・秋田市大町一丁目)にあって、今では町内で最も永い歴史を有する店舗となった「近江印店」。明治中期の創業で、その初期は近江廣明堂という版木屋だったという。版木屋とは和本を印刷するための木版を彫る職人のこと。



明治の始めにベストセラーとなった世界地誌書『輿地誌略』の版木と印刷物



大正から昭和にかけての建築と思われる店舗に掲げられた、時代を経て風格のある自家製“掛け看板”の片面は、浮彫りで「彫刻所」、裏が蒲鉾彫りで「近江印舖」。

“蒲鉾彫り”とは文字の輪郭をV字形に彫り下げ、文字部分をカマボコのように、ゆるやかな山なりにすることで立体的感を出し、文字に塗装を施して仕上げる木製看板の古典的技法。文字のふくらみを七福神の布袋(ほてい)のふくよかな腹にたとえて“布袋彫り”ともいう。

看板を作ったのは、明治末期から跡を継いだ二代目の金治さん。小さいはんこを作るよりも、看板に字を書いたり彫ったりするのが好きな人で、昭和のはじめ頃から連続五期二十年間、市会議員を務めた。


大正二年 書籍広告

コンクリートの腰壁、突き出したショーウインドウなど、洋風を加味して改築される以前の店舗の写真に、今と同じ形態の看板。



不鮮明な凸版印刷の写真を拡大してみると白文字で「近江印舖」とある。文字の向きは現在と逆の北向き。そのほかに今はない“屋根看板”も上げられているが文字は読み取れない。

永年の風雪にさらされて、わずかに残る白色の塗料と字体、風化の度合いなどから、現役の看板は大正二年の写真に写ったものと同一と推測する。それが正しいとすれば、おおよそ百年もの永い歴史を刻んだ物件ということになるのだが、野外に現役で設置されているもので、これだけ時代物の木製看板も近頃では珍しい。


大正三年元旦 新聞広告

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