二〇世紀ひみつ基地

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2008年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年11月

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二の丸運動場・千秋公園


千秋公園二の丸運動場・大正期

千秋公園入口から坂を上った場所に広がる二の丸は、遊具、鉄棒などが置かれた、明治の末ごろからの運動場であった。



鉄棒の向こうに木馬と流動木、突き当たりに茶店らしき小屋。鉄棒の高さは一定だが、足場となる横木に高低をつけることで、二段階に調節している。



明治三十三年六月、二の丸において野球大会開催、これが秋田における野球リーグ戦の嚆矢とされている。出場チームは秋田師範学校、秋田第一中学校(秋田中学校)、南楢岡倶楽部。

スポーツの権威で「駅伝」の名付け親でもある武田千代三郎知事(福岡生まれ・当時三十二歳)と県会議員が来賓席に座り、数百人の観衆が詰めかけるなか行われた、南楢岡倶楽部と秋田師範の決勝は接戦となり、21-20の僅差で南楢岡倶楽部に軍配が上がる。

この試合中に武田知事が、県教育会(知事が会長兼務)としてリーグ戦に「挑戦杯」(チャレンジカップ)を寄贈することを県会議員たちに提案、その場で満場一致で可決され、以降の大会名となる。

チャレンジカップは、野球嫌いの森正隆知事が着任する明治四十一年まで続けられたが、千秋公園二の丸で開催されたのは一回目だけで、二回目以降は、より広い楢山グラウンドで行われるようになった。


二の丸(初夏)

| 秋田市今昔 | 23:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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居酒屋建築を鑑賞する・山王散歩


鉄板焼居酒屋「ほら穴」・山王一丁目

予約しなければ入ることのできない場合も多い鉄板焼きの人気店。

傾斜のあるコンクリートの壁面に植物を植えた建物に看板があるのだが、そこにはイラストが描かれているだけで店名はない。これも一種の「看板のない店」。



ほのかなあかりのエントランスに入ると、正面にチョークで書いたイタズラ書きのような店名と矢印。その方向にコンクリート外壁の内側にあたる通路を進むと店内への階段に至る。

隠れ家のようなムードと遊び心が感じられる居酒屋建築。







駄菓子屋BAR トイスカフェ・山王二丁目

「ほら穴」にほど近い、駄菓子となつかしの学校給食などを出す、同じ山王にあった「大衆駄菓子酒場ままごと屋」に近いコンセプトの店。



店頭で客を迎える鉄のネズミ。

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関連リンク

鉄板焼居酒屋ほら穴

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二〇世紀ひみつ基地 大衆駄菓子酒場「ままごと屋」

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街角の実りの秋を喰らいし日


クロウメモドキ科ナツメ属・ナツメ(棗)
かの岡に稚き時の棗かな 松瀬青々
とびついてとるあをぞらの熟れ棗 飴山實
下校時などの道すがら、艶やかに色づき、たわわに実ったナツメをもぎ取り口に入れる。おやつは街角にありて実るものであった。

他人の家の庭に生えたナツメを無断で失敬するのだから、見つかったらこっぴどく叱られることもある。逃げても追いかけてくるオヤジに捕らえられ、げんこつを頂戴したあげく、 名前を聞かれて学校に通告されたやつもいたが、そんなスリルもふくめて「ナツメをめぐる遊び」であった。

近くの駄菓子屋ではナツメを湯飲み茶碗で量り売りしていた。そのリンゴにも似た少し甘い特有の味が忘れがたい。
棗の実食めばしんしん日のひかり 斎藤英石
秋の街角のおやつといえば、オンコ(イチイ)の小さな赤い実もよく食べた。これも庭木として多くみられるもので、粘り気のある実はさっぱりとして甘いが、種は有毒なので注意しなければならない。人工飼育の熊でさえ、それを知っていて必ず種を吐き出すのだという。


イチイ科イチイ属・イチイ(一位)
別名・オンコ、アララギ
一位の実含みて吐きて旅遠し 富安風生
日暮れまでままごと遊びおんこの実 工藤眞智子


| 散歩写真・路上観察 | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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エスカレータガールの復活・小田急百貨店

当ブログのアクセス数は一日500前後に過ぎないが、昨22日の昼過ぎから急激に上昇、最終的には合計4904という、今までの記録をはるかに超える、異常なほどの数字をはじき出した。サーチワードでは「エスカレーターガール」が断然のトップ。



リンク元をたどると、Yahoo!ニュースの「写真ピックアップ」のページに。該当の写真は「小田急エスカレータガール復活(産経新聞)」の記事のもので、そこから「エスカレーターガールの時代・木内デパート」にリンクが貼られていたというわけ。

記事の内容は、リニューアルした小田急百貨店新宿店に新設するエスカレーターの稼働記念として、かつては百貨店の花形であったエスカレーターガールを、10月22日~26日までの期間限定で、約40年ぶりに復活させるというもの。



デパートにエスカレーターガールの居た時代は、貧しくとも心のゆとりがあった時代だったと、今にして思う。エスカレーターガールという懐かしき死語は、それを知らない世代にとって、とても新鮮な言葉なのだろう。

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関連リンク

小田急エスカレータガール復活(産経新聞) - Yahoo!ニュース

小田急百貨店新宿店、26日まで エスカレーターガール復活(フジサンケイ ビジネスアイ) - Yahoo!ニュース

復活!エスカレーターガール、でも期間限定…小田急百貨店(読売新聞) - Yahoo!ニュース

小田急百貨店:エスカレーターガール、期間限定“復活” 懐かしく新しい - 毎日jp(毎日新聞)

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二〇世紀ひみつ基地 エスカレーターガールの時代・木内デパート

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ケンポナシの香りと共に帰る道

野山で熟した梨に似た微かな甘い香りに気づき、地面を目をこらして見ると、落ち葉に紛れてケンポナシの奇妙な果実が点々と。


ケンポナシ(玄圃梨)
暮るる日や落葉まじりの玄圃梨 吉田冬葉
黒く丸い部分がケンポナシの実。これを指でほぐすと、固くて艶のある種が三粒飛び出す。梨のように甘い香りがするのは、先端に丸い果実を付ける果柄部(枝の部分)。

秋になると果柄部が肥大、次第に熟して糖度を増し、晩秋から生で食べられるようになる。それは梨に似て甘く、昔は子ども等の格好のおやつになった。煎じて甘茶に、リカーに漬けて果実酒にもなる。

秋田の仙北地方では、ケンポナシをすりつぶしたものを漬物用麹の代用品として大根の生漬けにまぶし、甘みのあるケンポナシ漬けをつくったものだという。



ふくらんで奇妙に曲がったケンポナシを中国では俗に「癩漢指頭」(らいかんしとう)と呼ぶ。これは癩病(らいびょう・ハンセン病)を患い曲がった指という意味。日本においては、癩病のほかに火傷で変形した指、腕のない不具者などを指して「てんぼう」と呼んだ。

幼いときに囲炉裏で手に大火傷を負い、指が癒着してしまった野口英世が、友達から「てんぼう清作、てんぽう清作」(清作は英世の幼名)とからかわれたのは有名な話。「てんぼう」は「手棒」、手が棒のようになった状態。この「手棒梨」(テンボウナシ)が転訛して「ケンポナシ」になったとされる。

方言で、ケンポコナシ、ケンプナシ、ケンポロ、テンポコナシ、テンポナシ、ケンノミ、ケヨビン、アマチャ、アマカジョ、チョービナシなどさまざま。英名の Japanese raisin tree は、枝付きの干しブドウに似るため。


クロウメモドキ科・落葉高木・ケンポナシ(玄圃梨)

ケンポナシを煎じて服用すれば、「酒毒を解し、悪酔、二日酔いによく、嘔吐を抑える」と、古来から民間薬として使われ、果柄部のほかに茎や木の皮を噛んでも酒の酔いが冷め、ケンポナシの樹木でつくった杯が「酒に酔わない杯」として売られていたという。最近の研究でその抽出液に血中アルコール濃度を低下させ、悪酔いを防止させる効果があることが報告された。

果柄部の抽出液には、口臭・アルコール臭を除去する効果があり、市販チューインガムの添加物としても使われている。また、ケンポナシの葉には、ダイエット食品として有名なギムネマと同様に、甘みを感じなくさせる「味覚修飾物質」が含まれている。

かつて佐賀県の唐津神社の秋祭りでケンポナシが売られ、参拝者はお祭りのしるしとして必ず一束を買い求めたといい、島根県八束郡鹿島町、佐太神社の11月のお祭りには今も、「佐太名物てんぽ梨」として、屋台で枝付きの束が売られている。祭日に売られるケンポナシの意味するところは不明ではあるが興味深い。

父が子どもの頃、千秋公園でケンポナシを食べながら遊んだこと、その天然の甘味は当時、貴重なおやつであったことをよく語っていた。その千秋公園のケンポナシの木々は今も生き続け、秋には奇妙なカタチの実を付けている。


玄圃梨くれて山の子もうゐない 山田弘子
つるべ落としの秋の夕べ、拾ったケンポナシをポケットに、甘い秋の香りと一緒に家路をたどる。

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関連リンク

佐太名物てんぽ梨
しまね大根島だより: 佐太神社のお忌みさん
根島・佐太神社で売られるケンボナシ

| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

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高砂堂のリンゴ園と「りんごもち」のこと


明治三十年 新聞広告

秋田市通町の老舗菓子舗「高砂堂」の創業者・塚本平蔵が経営したリンゴ園の新聞広告。

藩政期は佐竹氏の家臣であった塚本家が経営した果樹園の場所は、旧城地にあたる手形上町(うわまち)。手形方面から明徳小学校へ向かう登り口、現在の知事公舎のあたり。

平蔵は商品にならないクズリンゴを活用し、リンゴ羹、リンゴ酒、リンゴジャムなどを商品化。その時代、菓子の製造を目的に砂糖を使うには国の許可が必要だったため、明治二十七年一月「菓子製造営業免許鑑札」(大日本帝国発行)を取得。「高砂堂」ではこの年をもって創業年としているが、広告をご覧の通り、明治三十年もまだ菓子商ではなくリンゴ園であった。

現在流通するリンゴは明治のはじめ、主に米国から導入された西洋リンゴを基に交配したもの。明治期の代表的品種をあげると、ロールスジャネット(国光)、ジョナサン(紅玉)、マッキントッシュ(旭)・・・。

秋田で「雪の下」と呼ばれた「国光」は、硬くて貯蔵性が高く酸味に特徴がある、子どもの頃によく食べたなじみ深いリンゴ。アップル社の Macintosh の語源は、カナダ原産のリンゴ・マッキントッシュ(旭)から。

「滋養品トシテ●胃病●肺病●病後ノ衰弱等ニ効能ノ著大ナル其ノ筋ノ分析証明アリ」と、その効能を謳う「りんご羹」という商品は、正月のおせち料理としてもつくられる、煮て裏ごししたリンゴに砂糖を加え、寒天で固めた羊羹状(ゼリー状)のお菓子だったと想像される。


看板商品「りんごもち」の看板(高砂堂店舗前)

「りんごもち」は昭和初期から製造販売をはじめた、もち米を使ったリンゴ風味の羽二重餅。

「高砂堂」が「りんごもち」を看板商品とし、「りんごもち本舗」を名乗るのも、「高砂堂」の原点であるリンゴ園から誕生した「りんご羹」にちなんだものなのだろう。



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高砂堂・大正ロマンの町家

関連リンク

秋田銘菓 高砂堂

あきた銘菓 さなづら | 菓子舗榮太楼
山葡萄エキスをゼリー状に固めた「さなづら」は「りんご羹」と同系統

みすゞ飴
長野県上田市・飯島商店の果物ゼリー菓子

ヴァーチャルリンゴ博物館/りんごレシピ
りんご料理100選に「りんご羹」
NHK 熊本放送局|料理レシピ|りんご羹
リンゴジュースでつくる「りんご羹」

りんご餅 レシピ
すり下ろしたリンゴともち米粉でつくる「りんご餅」
りんご餅のレシピ|カゴメ健康直送便
100%ストレートりんごジュースと白玉粉でつくる「りんご餅」

| 秋田市今昔 | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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28年ぶりに貸ボートが復活・千秋公園

千秋湖畔秋祭り
平成20年10月11日(土)~10月13日(祝・月) 
会場・千秋公園ポケットパーク
主催・ NPO法人ほっとアートあきた 共催・秋田市



それを言うなら「湖畔」ではなく「お堀端」だろう、というヘンテコなネーミングへのツッコミはさておき、中心街区ににぎわいを演出する「千秋湖畔秋祭り」の一環として復活した期間限定の貸しボート。



貸しボートといえば、かつては西側の穴門堀だったが、ポケットパークに乗り場を設けた関係で、今回は駅寄りの大手門堀での復活。



「秋田水族館」が水利権を返上し、貸ボートが廃止されたのが昭和55年(1980)だから、28年ぶりの復活ということになる。詳しくは下記関連記事リンクに。



風が強く陽がかげると少し肌寒いものの、好天に恵まれた日曜日、お堀にボートを浮かべて遊ぶ光景に、中心街区として機能していた、かつての広小路のにぎわいが、つかの間、心の中によみがえった。

35年前の日曜日にタイムスリップ・・・・・・・・・・・・


1973.06

県民会館の土手から、お堀越に、大判焼きの「加賀屋商店」と「木内デパート」屋上遊園地を望む。



1973.06

人通りの絶えることのなかった日曜日の広小路。長崎屋前あたり。

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関連記事

1973 県民会館の土手から
お堀から消えた貸ボート

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

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本丸にカヤの実落ちて陽が落ちて

この時期、千秋公園本丸の佐竹義尭(よしたか)公銅像の裏、池と築山(つきやま)のある藩政時代の御庭に立つと、あたりが柑橘類に似て特有な、森の香りに包まれていることに気づく。足下に目をやると、落ちて間もない緑色や、熟してて褐色のカヤ(榧)の実が無数に。


榧の実のそれと知らるる曲ある香 高澤良一
てのひらは野にあり榧の実匂う鬼や 金子皆子

榧の樹

イチイ科の常緑針葉高木「カヤ」の名は、その枝葉をいぶして、蚊を追い払う「蚊遣(かや)り」として使ったことにちなむという。緻密で美しい木目をもつ木材は、そろばん玉、数珠、彫刻材、高級碁盤・将棋盤などの材料として珍重される。節分にその枝を「魔除け」として戸口に立てる地方もあるのは、葉の先がとがって触ると痛いことからか。
榧の木は榧の実降らす雨降らす 中村明子
ほたほたと落つ榧の実も夢のもの 石塚友二
種から絞り出した香りの良い油は、頭髪油、食用油、灯火油などに活用された。カヤ油とゴマ油、または菜種油を混ぜたものは、上級の天ぷら油として高級料亭などで今も使われる。『日本山林副産物製造編』(明治19年刊)に「此油は厳寒に至るも凝結する事無く燈火用に供すれば火光他油に優り又殊に食用に供し其味美なり」とあるように、寒くても固まることがなく(凝点は零下20度)、寒冷地の灯火油として最適だった。

アク抜きしたアーモンド状の種を炒ったものは香ばしく、これを正月の縁起物としておせちに添える地方もあり、今もカヤの実を混ぜた煎餅やクッキーが市販されている。薬効は腸内寄生虫駆除、頻尿、夜尿症、小児癇癪、食欲不振など。


かやの木山の

作詞 北原白秋
作曲 山田耕筰

かやの木山の かやの実は
いつかこぼれて ひろわれて
 
山家(やまが)のお婆(ば)さは いろり端
粗朶(そだ)たき 柴たき 燈(あかり)つけ
 
かやの実 かやの実 それ 爆(は)ぜた
今夜も雨だろ もう寝よよ
 
お猿が啼くだで 早よお眠(ね)よ

榧の実の匂ひ掌にある楽しさよ 浜田佐佗子
栗鼠馴れて榧の実かくす寺の畑 黒木野雨
カヤの実はリスの大好物、千秋公園に野生リスがいた頃は、カヤの実やドングリを抱えた可愛らしい姿がみられたものだ。

今はその実を拾う者も居らないであろうカヤの木の下にしばし佇み、すがすがしき森の香りを胸一杯に吸い込む。

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第一回「川反秋の夜祭り」点描

第一回「川反秋の夜祭り」
2008年10月3日・4日
於・川反三丁目、四丁目、旭川
主催・秋田川反げんき合同会社、川反外町振興会
イベント・竿燈、土崎湊ばやし、西馬音内盆踊り、旭川カヌー体験、ヤートセ秋田まつり、ファイヤーダンスなど

川反通りを夕方から歩行者天国にして先週の金曜と土曜に開催された「川反秋の夜祭り」の断片。


那波家の水汲み場

那波家の水汲み場から川反のネオンが映える旭川を下る夜のカヌークルージング。


三丁目橋


三丁目橋





竿燈は地元町内の川反五丁目から二本、21フロンティア秋田が一本の出竿。川五(川反五丁目)には下米町一丁目の差し手も参加していた。安定した川五に比べ、新興団体である21フロンティア秋田は竿を倒しロウソクを消す場面が多く技量の差が歴然。


土崎湊ばやし








川反に響く湊ばやしが胸に染みる。湊おなご衆の秋田音頭などの他に、湊ばやしとファイヤーダンスのコラボレーションも。




最近あちこちのイベントに出没している、ポリネシア系のファイヤー・スティックの他に、ニュージーランドのマオリ族が起源のファイアー・ポイ(鎖の先に火玉を付ける)などを操るファイヤーダンスチーム。秋田工業高校前「あきこうまえ茶屋」を引き継いだバックパッカー青年もメンバーに加わっている。

日本で最近人気に火がつき始めたファイヤーパフォーマンスは、レイブ( RAVE・野外音楽パーティー)カルチャーとともに流入したもの。サイケデリック・トランス系のレイブ・パーティで演じられることが多く、ネオ・ヒッピー的というか、一種独特なムードのパフォーマンスは好き嫌いが分かれるところだが、アフリカの打楽器・ジャンベなどのプリミティブなリズムに乗せて炎と一体になって舞う姿は、人間の根源の部分に響き、魂を熱く振るわせる。

以下3枚は9月に大町で開催された「第1回ダンスミュージックリミックス」より。クライマックスのファイヤーダンスの時間になると、会場は妖しげなムード漂う小規模レイブ・パーティの様相を呈した。




第1回ダンスミュージックリミックス
2008年09月14日
サンパティオ大町にて

海外でのレイブ・パーティーはドラッグの蔓延場所。日本においても、今年の8月に群馬県みなかみ町で開かれた400人規模のレイブ・パーティーで、参加した女性が薬物中毒により死亡、大麻・MDMA の所持・服用の現行犯などで8人が逮捕。10月に入って岐阜県のキャンプ場でのレイブでも、同様に3人が逮捕されている。

このような例は稀なことで、ほとんどが「葉っぱ」に頼らないナチュラル・ハイを目指していると信じたいが、トランス(恍惚)を求めるレイブ・パーティーにはこんな危うさもつきまとう。そんな雰囲気もまたレイブ好きにとっては魅力なのだろうが。


閑話休題

警察がうるさいため以前のようにしつこくはないが、黒服の客引きがまたぞろ目立ち、少ない客をめぐる静かな争奪戦を繰り広げている、人通りの減った最近の川反通り。

毎日がお祭りのようなにぎやかさであった、かつての川反を知るものにとっては、不況の濃い闇に明かりを灯そうとする、ときならぬ夜祭りのひとときは、嬉しくも哀しい。



| 祭り・民俗・歳時記 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

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ドングリを拾いて帰る夕煙


どんぐりの拾へとばかり輝けり 藤野智寿子
ポツリ、ポツリと木の葉にぶつかる音とともに降り落ち、落ち葉にまぎれて艶やかに光るドングリを見つけると、ついつい拾い集めてしまうのは、 DNA に深く刻まれた、ドングリが大切な主食であった縄文時代の遙かなる記憶が意識下から蘇るためかもしれない。


ミズナラのドングリ

子どもの頃、金照寺山でよくドングリを拾った。金照寺山のある「楢山」という地名は「楢の木の山」なのだから、楢の実のドングリがあの山には豊富だったわけだ。

秋分の日の少し前、千秋公園のミズナラの木の下で、チラシの裏に幼い字で「どんぐりもちたべますか」と書かれた紙が木の枝に挿してあるのを見た。



ドングリ餅とは、つぶしたドングリを水に何度もさらし、アクを抜いて精製したデンプンからつくる餅。そんな手間のかかる餅をつくるなんて、いまどき感心なことと思い、近くでドングリの薄皮をむいていた低学年の子どもらに聞くと、そのドングリ餅ではなく、皮をむいてお湯で煮ただけのドングリを、休みの日に一個100円で売る計画というから唖然としてしまった。そんなに世の中甘くないよ。

暖かい地方に多いスダジイやマテバシイのドングリはアク(タンニン)が少なく、そのままでも食べられるが、この付近に多いナラのドングリはアクが強くて、水を何度も取り替えて、くりかえし煮なければ渋くて食べられたものではない。


ミズナラ

ドングリのアク抜きはうまくできたのだろうか、あの場所で彼らの姿を見たのはそれが最初で最後。その「ドングリ計画」がどんな結末を迎えたとしても、それはそれで良い体験になったのではないだろうか。


どんぐりの単純すこしづつちがふ 沼等外


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高松木材ビル解体・手形堀反町



旧手形堀反町(千秋久保田町)の区画整理(秋田駅西北地区土地区画整理事業)が進み、取り残されていた昭和レトロ物件「高松木材ビル」の解体がようやく始まった。

1980年代のテナントは、不動産屋、スポーツショップ、針灸院、美容院、編物教室、レンタルレコード店、喫茶店、書店など。

一階に入っていた「あぶみ書房」は、週に一度は通って書棚を眺めるのが楽しみだった書店。ニューエイジ&ニューサイエンス系、アート系、ナチュラリスト系の書籍が多く、秋田では珍しいマニアックなサブカル系雑誌も並ぶ、当時としてはユニークな書店であった。一時は無農薬野菜の販売も。



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消える街並・手形堀反町
手形堀反町の堀を偲ぶ

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秋田駅西北地区土地区画整理事業

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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アポロ11号は月に行ったっていうのに

アポロ11号が月面に着陸し、アームストロング船長の左足が記念すべき第一歩を月面に印した、あの夏の日のことを覚えているだろうか。

昭和44年(1969)7月21日(月)、日本時間の午前5時17分40秒、アポロ11号は月面の静かな海に到達、午前11時56分20秒、アームストロング船長、次いでオルドリン飛行士が月面に降り立つ。アームストロングは「これは一人の人間にとっては非常に小さな一歩だが、人類にとっては巨大な飛躍だ」と語った。



月面の活動とらえた映像は NASA を経由して世界中にテレビ中継された。日本において衛星中継の実況を担当したアナウンサーは NHK の石田武(タレント・石田純一の父親)。月と宇宙ステーションのあいだで交わされた「こちらヒューストン、こちらヒューストン」の同時通訳は流行語に。月面への第一歩を前にした午前11時に NHK と民放をあわせた視聴率が90パーセントを超え、街から車と人通りが途絶えた。

東北電力秋田支店は視聴率の上昇による電圧低下を懸念、あらかじめ大口需要工場などに節電の協力を要請して迎えた当日、県内の小中学校は授業を返上、朝からテレビの前に釘付けで世紀のイベントを見守った。ちょうど湊祭りと重なった土崎地区の小中学校は休校、家で月面への第一歩を見てから祭りに繰り出す者が多い「アポロと祭りの休日」に。

NHK はもとより、唯一の民放局 ABS 秋田放送(日テレ系)も異例の特別編成で、通常は停波となる21日未明から、夜を徹して関連番組を放送しつづけた。ちなみに AKT 秋田テレビの開局はこの年末。


新聞広告

月旅行など宇宙スケールからすればノミのジャンプにも満たない些細な出来事なのに「大宇宙への挑戦状」とか「月征服者帰る」という大げさなタイトルに人類の思い上がりを感じてしまう。

日テレ特番の司会者は藤本義一、青島幸男、坂本九、中山千夏、ゲストに吉永小百合、ペギー葉山など。ローカルラジオの方には男鹿生まれの詩人・沢木隆子、秋大教授・奥山藤志美が出演。


「週刊少年サンデー」広告

模型飛行機の老舗・青島文化教材社によるプラモデルラインナップ。国産プラモデル50周年を記念して、当時の金型を使ったアポロシリーズの復刻版が現在発売されている。

あの日から数えて来年で40年。ということは AKT も来年が開局40年。その間にアポロ11号は月に行っていないとの「アポロ計画陰謀説」が持ちあがったり。それは物語としては結構面白いのだが、陰謀説の最大の根拠となったテレビ番組が、本物の政府高官のインタビューと、偽のインタビューや映像をコラージュし、エイプリルフールに放送された、フランスのジョーク番組というのだから苦笑してしまう。

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関連リンク

Apollo Lunar Surface Journal

YouTube - First Moon Landing 1969

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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