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2008年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年09月

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夢幻(ゆめまぼろし)の「ミステリーUFO」

6月の「東京おもちゃショー2008」で注目を集め、この29日に発売された「ミステリーUFO」というおもちゃが、今ちょっとした話題になっている。

百聞は一見にしかず、これがそのテレビCM。


例の「踊る紙人形・ジョニー君」にも似たインチキ臭さもただよわす、「ミステリーUFO」の開発者は、ハイテク遊具「Xジャイロ」を売り出した人物というが、これもまたジャイロの原理を利用したおもちゃなのか?。

「Xジャイロ」は野球のジャイロボールの練習用具としても利用され、スナップを利かせて投げれば、180メートルほど飛行する遊具。わざわざお金を出して購入するまでもなく、ペットボトルを加工すれば簡単に作れるが、うまく投げられるようになるまでには、それなりの訓練を要する。

紙製のフライングディスク「ミステリーUFO」にはたして、2000円弱の価値があるのか、「ジョニー君」のようにがっかりさせられるのか、それは買った人にしかわからない。なかなか巧妙な商売である。

買った人にしかわからないといったが、発売から一日を経過して、そろそろ被害者、じゃなくて購入者のレポートがブログで発信されはじめた。内容は推して知るべし。

日本の代理店であるラングスジャパンの社長は、「ミステリーUFOはお客様の知的やさしさを信じて世に出した商品。日本人がこの商品をどう受け入れてくれるのか?」と、曖昧な表現で自らのブログに書いているが、「知的やさしさ」というのは「ジョークをジョークとして笑ってくれるエスプリ」のことなんでしょうね、きっと。

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ミステリーUFO ラングスジャパン代表小林美紀ブログ

ペットボトルを使って(その3)
Xジャイロのつくりかた

Xジャイロで完璧な投げ方を身に付ける方法

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テレビCM 第1号・精工舎の時報

今日、8月28日は民放テレビ(日本テレビ)がスタートした日。

昭和28年8月28日、11:20 「開局記念式典」の実況中継で放送開始、 11:50、祝賀舞踊「寿式三番叟」とプログラムが進み、 正午には記念すべきテレビコマーシャル第1号である「精工舎の時報」が放送されたが、ここでトラブルが発生する。

まだ機材に不慣れなスタッフがフイルムを裏返しにかけてしまい、左右反転で無音の CM が30秒間お茶の間に流れてしまった。当時はフイルムの横にサウンドトラックが記録されており、裏にすると音は再生されなかったのである。

当日19:00の分は無事に放映され、それがフイルムが現存する最古のテレビ CM とされている。提供は精工舎(現・セイコーホールディングス)。



ニワトリが時計に歩み寄り、後ろに回ってゼンマイを巻き、時計とニワトリが笑顔を交わすアニメーションの後、7時を指す置き時計のカット、ついで夜の銀座にそびえる旧服部時計店の時計台のカットで終わる。

バックに流れる音声は「こちらは日本テレビでございます。時計のゼンマイは、一定の時刻に、静かにいっぱいお回しください。精工舎の時計が7時をお知らせいたします。」



ちなみに、これが開局当日の19:00に放映された映像と全く同じものという確たる証拠はないのだという。

登場する「コメットフラワー」という名のプラスチック製目覚時計は、コレクターの評判が高く、平成12年、復刻モデルが発売されるとすぐに売り切れてしまうほどの人気だった。

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関連リンク

日本初のCM - YouTube

コメットフラワー(目覚時計) 精工舎 TIMEKEEPER 古時計どっとコム

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「金萬」からアイスクリーム新発売!


昭和33年 新聞広告

秋田駅前・金座街名物、幸運をもたらす目出度い銘菓「金萬」から新発売された、キャラメル風味の冷菓「金萬キャラメット」を、タイムマシーンに乗って買いに行こう!

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懐かしき昭和のアイスクリームたち

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なつかしき昭和のアイスクリームたち


昭和30年代前半 新聞広告

酒まんじゅうが名物だった「○〆(マルシメ)鎌田」の広告をネタに、昭和30年代の氷菓たちに思いをめぐらしてみよう。


●パインアイス

「特許アイスクリーム」とあるのは「パインアイス」とか「パイナップルアイス」などと呼ばれた、パインを輪切りにした形状の氷菓。

シフォンケーキを作るものに似た、中央が突起した金型に原料を入れ、外側と内側から冷凍させることにより、氷の結晶が放射状に成長する、その製法が特許を取得していたため「特許アイスクリーム」としたのだろう。



まるで本物のパインを輪切りにしたような「パインアイス」を、本物の果物を凍らせたものと信じて疑わない子どもも少なくはなかった。

その頃は人工甘味料と着色料まみれの「パインアイス」だったが、井村屋製菓が昔と同じ製法で現在販売している「こだわりの輪切りパインアイス」は、完熟パイン果汁80%を使ったこだわりの商品とのこと。


●アベックアイス

「マルシメ鎌田」のキャラクター・天然パーマ坊やが手に持つのは、六角形のアイスが二つ連なり、真ん中からポッキリと折ることができる「アベックアイス」。

友達や兄弟で5円ずつ出しあい一本買って分けて食べられる、小遣いの少ない当時の子どもたちに人気のアイスだったが、真ん中から均等に割れない場合も多く、その場合どちらが大きい方を取るかをジャンケンで決めたりもした。



この形状のものは「ペアアイス」「ダブルアイス」とも呼ばれ、のちに青色でソーダ味のアイスキャンデーが出回り、青色または緑色のものが、「ダブルソーダ」の名で、今も各社から販売されている。




●モナカアイス

これも「アベックアイス」のように、二等分にできる「モナカアイス」。近所のお菓子屋に5円玉をにぎりしめて「モナカアイス」を買いに行くと、店のおばあちゃんは、これを半分に割って売ってくれた。




●おっぱいアイス

上記の広告には載っていないが、これも昭和のアイスクリームのなかでは忘れがたい、小さなゴム風船に原料を流し込み、輪ゴムでゆわえて冷凍した、ミルク風味の「おっぱいアイス」。

食べるときは乳首のような突起部分をハサミで少しだけ切り、そこに吸いつく。はじめは固いアイスは手のひらで温められ柔らかくなりはじめ、さらに両手で揉んでシャーベット状にしてチューチューと吸いだす。そのカタチも食べ方もまさに「おっぱいアイス」。



そのコンセプトは面白いのだが、当時のものはゴム臭がきつく、また、乳首に入れた切り込み部分から裂け目が広がり、買ったばかりのアイスがツルンと地面にすべり落ち、抜け殻となってまるでコンドームのようなゴム風船を片手に、泣きたい気持ちになったこともあった。

商品名は「おっぱいアイス」の他に、お祭りの露店で売られる水風船に似ていることから「ボンボンアイス」「ヨーヨーアイス」、または「風船アイス」など。

これもまだ現役で、「たまごアイス」(井村屋製菓)、「恐竜の玉子」(福岡・丸永製菓)、「おっぱいアイスミルク」(高知・久保田食品)などのネーミングで販売されている。

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秋田駅前「金座街」晩期

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居酒屋建築を鑑賞する・大町散歩



秋田市大町五丁目、第一会館本部の真向かいに最近オープンした、ドリームリンク直営の「男鹿漁港波止場食堂」。

黒壁の建物に大漁旗をモチーフにした派手な大看板、のぼり旗などのディスプレーが目を惹き、炭火焼きの鮮魚を店頭で販売したりと、漁港の雰囲気を演出している。




旧店舗

「男鹿漁港波止場食堂」の前は同社経営の「川反ホルモン」、その前は「牛角秋田大町店」がこの場所で営業していた。

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鳩小屋のある街角


1972 新聞広告

秋田中央道路(地下道)の出口を造るために解体された、秋田キャッスルホテル向かい角に建ち、店舗の他に飲食店も入っていた細長い「ヒラノビル」。1979年、このビルに「秋田三越エレガンス」がオープンする。

時計の時幸堂では「はと時計まつり」開催中。5000円以上の鳩時計を買うと、本物の鳩がオマケについてくるという、今となってはありがた迷惑なお話。

昭和30年代から40年代にかけて、屋根の上などに鳩小屋がある家があちこちに有り、学級に一人か二人は鳩を飼っている子どもがいる鳩ブームの時代だった。




1971 広小路


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昭和レトロ風ラーメン屋の夜も更けて・川反散歩





川反四丁目に、この5月オープンした「博多長浜屋台ラーメン・あぁ博多人情」。

昭和風情のトタン張りバラック風店舗にタングステン電球のあかりが灯り、どこか懐かしさを漂わす、お祭りの夜のひととき。

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博多ラーメン新店舗・川反散歩

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開封された日時計タイムカプセル


秋田市八橋運動公園・日時計タイムカプセル

除幕式から30年目にあたる、昨年の「時の記念日」 (6月10日)に、開封式を挙行する予定が、既報のように諸事情で延期になっていた、秋田市八橋運動公園の日時計モニュメントの台座部分に封印されていたタイムカプセルが、この8月15日、当時の八橋小学校生を集めて、ようやく開封された。


河北新報・朝日新聞 web 版より

31年前思い出鮮明 タイムカプセル開封 秋田

 秋田市八橋運動公園で15日、1977年に八橋小児童の作文などを入れて封印されたタイムカプセルの開封作業が行われ、卒業生らが31年前の思い出に浸った。

 秋田県時計宝飾眼鏡商業組合連合会が市に寄贈し、運動公園内に設置された日時計の内部に、当時1~6年生が書いた作文や絵の一部を収納した。満30年の昨年に開封する予定だったが、連絡が取れない卒業生が多く、延期されたという。

 卒業生とその子どもら約50人が見守る中、ガラス瓶に詰められた作文や絵が取り出された。作文は入り込んだ水で紙がふやけ、文字の判読が難しくなっていたが、聞き覚えのある名前が読み上げられる度に、歓声がわき起こった。当時の市長の名刺や写真、八橋小職員名簿なども出てきた。

‥‥中略‥‥

 カプセルの封印作業にも携わった連合会事務局長の岡部司さん(65)は「開ける瞬間に立ち会うとは思わなかった。集まった人たちの笑顔を見て、31年越しの宿題を終えたような気分だ」と話した。
2008年08月16日土曜日

河北新報 web 版より

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西暦2077年の日時計
三十年目の日時計タイムカプセル

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河北新報ニュース/31年前思い出鮮明 タイムカプセル開封 秋田
asahi.com:タイムカプセル、個人情報保護乗り越え開封式



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池永小路の闇にタヌキを見る

昨日の夜8時頃、池永小路(秋田市中通5丁目)を散歩していると、側溝のあたりをなにやら小動物がうごめいている。猫かと思って声をかけるが反応もなく、よく見ると子犬のようでもある。

逃げ込んだ駐車場の暗闇を凝視しつづけ目が慣れると、こんな街中にまさかとは思ったが、そいつは紛れもないタヌキの子どもであった。


08.08.17 07:53:43 PM

市の中心部でタヌキを見つけたのは、もう7年ほど前の夜中、寺町の寺の門前にちょこんとお座りしていた大きなタヌキに遭遇して以来のことだ。あのときはカメラを携帯しておらず、近所の人に聞いても、このあたりでタヌキなんて聞いたことも見たこともないとのことであったが、間違いなくあれはタヌキだった。

寺町ならば緑も比較的に豊富で、寺の縁の下などすみかとなる場所に事欠かないが、この辺ではどこをすみかとして、どんな生活をしているんだろう。飼いタヌキが野生化した可能性も捨てきれない。


●市内に現れたタヌキのこと

近年秋田市中心部に出現したタヌキについて、魁新報の見出しを検索すると、1984年11月1日 朝刊「野生タヌキ飲食街をかっ歩 大捕物の末に御用 早朝の川反で一騒動」。1993年10月3日 朝刊「“新天地”求めタヌキ広小路へ 千秋公園から子別れか フライドチキンがお気に入り」などが出てくる。

千秋公園には、はたして今も生息するのだろうか。その頃まで千秋公園本丸に生息していた野生リスを今は見ることができない。

昭和32年(1957)5月には、上肴町(現・大町一丁目)「県水産市場」にて、魚をしこたま食べて、まるまると太った大ダヌキが捕まった。夜な夜な現れて魚を食い荒らす、正体不明の動物がいたため、ワナを仕掛けて捕まえたこのタヌキはその後、千秋公園内の児童動物園に寄贈されている。

このタヌキ騒動について、上肴町生まれの明治女・鷲尾よし子女史が取材している。
‥‥前略‥‥
 私は昔の話も思い出して県水市場へ行きました。そこで、このタヌキは何ぼう位になるものか、いつどこから来たものか、一匹か、夫婦ものか、子があるかを聞いてみたけれど誰も知らないという。
 どこに住んでいるかしらと話してみたが、どうもわからないが、市場は、通町に面した方と肴町に面した両方に入口があり、電気冷蔵の土蔵が二つ奥ふかくにあり、水がいつも流れて、この水が土管に入って往来の地下のマンホールに流れてゆくらしく、もしかしたら、マンホールに住んでいて夜な夜なふんだんにある魚類を食べに来ていたのではないだろうか、とも思われる節もあった。
 聞きたいと思った事は何もたしかめる事が出来なかったし、狸と狢と違うだろうとか同じだろうとかで話に花を咲かしたが、たゞ狸というものは一種異様な匂いのするものであるという事を話していた。

 も一つ不思議な話を若い衆が教えてくれた。

 狸を生捕りにして、動物園に寄付した次の朝、いつもの通り、市場は三時頃表戸を開けて営業を開始したそうですが、多勢の男衆が電気冷蔵の土蔵から魚をせっせっと運び出している最中、見なれない若い男の人が、ウロウロと歩き廻っていたそうですが、みんなは多分魚を買いに来た新しいお客筋だろう位に思っていたが、夜が明けかかってお客が来る頃になったら、いつの間にか、その男は姿を消していたというのでした。
 勿論言葉を交した人も居らず、ただその男はニヤニヤし乍ら歩き廻っていただけで姿をかくしてしまったという話でした。

雑誌『秋田』(鷲尾よし子主筆) より
さてさて、その怪しげな男は、捕らわれた親を探しに来た、人間に化けたタヌキだったんでしょうかねぇ。

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鷲尾よし子(ひみつ基地内タグ検索)

上肴町・魚市場

川反にタヌキの慰霊碑

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昭和風味のロングセラー「アベックトースト」



マーガリンとジャムとを男女に見立て、すでに死語となった「アベック」という言葉を冠した、昭和の香りを漂わす「アベックトースト」は、「たけや製パン」オリジナルのロングセラー商品。

一組の食パンをめくると、イチゴジャムとマーガリンが仲良く並んで塗られている。これを一旦はがし、ジャムとマーガリンが重なるように向きを変え、まったりとしたマーガリンと甘酸っぱいジャムとの絶妙なコンビネーションを楽しむのが通の食べ方とされていた。


食パンをめくる

「アベックトースト」をググると、秋田出身の演歌歌手・岩本公水(いわもとくみ・1975年羽後町生まれ)のブログが現時点でトップに出る。(下記関連リンク参照のこと)

岩本がパーソナリティーをつとめる秋田放送のラジオ番組で「アベックトースト」の想い出と、東京では手に入らないことを語ると、それが「たけや製パン」社長の耳に届き、段ボール二箱分のパンが所属事務所に届けられたとのこと。彼女の食べ方もまた、マーガリンとジャムを重ね合わせるもので、これはどの世代でも同様のようだ。

「アベックトースト」の発売は昭和40年代はじめ頃ではないだろうか。その時代、学校の売店でもすぐに売り切れてしまうほどの人気で、四枚の食パンは適度なボリュームがあり値段も手頃だった。

その初期はマーガリンとジャムが一組の食パンに並んで塗られているのではなく、マーガリンサンドとジャムサンドが別々になっていて、それぞれを分離した後、アベックを合体!させてから食べていたと記憶しているが、覚えている方は居らないだろうか。小麦粉の高騰など諸事情もあるのだろうが、マーガリンとジャムの量も、今よりは多かったと思う。

昭和風味の「アベックトースト」は僕らの青春の味であった。

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たけや(ひみつ基地内記事タグ検索)

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岩本公水ブログ「公水日記」アベックトースト

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大町通りを俯瞰する(其二)・戦前風景


大町三丁目から南を望む

カメラは大町三丁目通りの中央・東側に存在した火の見櫓の上から、前回の記事「大町通りを俯瞰する(其一)」とは反対の南側に延びる大町・本町通りを俯瞰している。時代は大正後期。

右手に、明治四十五年竣工の「秋田銀行本店」(現・赤れんが郷土館)、煉瓦塀で仕切られた、現在は赤れんが郷土館の駐車場兼小公園になっている場所に、手前から「鈴木文具店」、三丁目小路(現・すずらん通り)角地に「平野商店」。

創業明治二十二年という「平野商店」は、洋品・雑貨・煙草などを扱う店で、後に向い側のすずらん通り角地に移転し「ヒラノヤ洋品店」。現在は飲食店の入る貸しビルになっているが、その一角で今も煙草を扱っている。

「平野商店」の奥、三丁目小路をはさんだ角地に建つ、藩政時代からの髪結い処「勇床」は、「松村理容店」として現在までつづく床屋さん。その一軒おいて隣に「国産金銀細工 竹谷・・・」の看板が掲げられた店は、大町二丁目「竹谷」の分店か。


手前から、秋田銀行本店煉瓦塀・鈴木文具店・平野商店・勇床

本町四丁目(現・大町四丁目)に目を移すと、左手に「秋田郵便局」、その向かいに旅館「沖ノ口屋」、その南隣が今も同じ場所で診療をする「中村歯科医院」、さらに奥の二階建て洋館が「安田銀行秋田支店」と思われる。


本町四丁目

大正十五年発行の案内図によれば、「安田銀行秋田支店」の南隣に「二星太物店」「加賀正呉服店」(現在は仲小路に移転)「佐藤太物呉服店」と並ぶ。もともとは大町と同様に本町四丁目も藩政期からの呉服店街であったが、大町三町よりランクが下がり、昔は「絹布・木綿切れ・古着」の三種に限って販売が許されていた。

「秋田銀行本店」のドーム上に取り付けられた避雷針の向こうに見える大きな木造建築は、その位置と特徴からして、豊島町(現・大町五丁目)のNTT秋田大町局の場所に昭和十二年まで存在した「旭北小学校」ではないだろうか。


秋田銀行本店の避雷針越しに


大正十一年・広告


中村歯科医院(明治四十年・広告)勇床(明治三十五年・広告)

米国はキヤリホルニヤの歯科大学で習得した欧米最新式治療を謳うドクター中村。
白髪染粉の取次所で、店でも髪を染めてあげる、衛生理髪大勉強の「勇床」。


大正二年・広告

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秋田郵便局変遷・大町四丁目

大町通りを俯瞰する(其一)・戦前風景

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大町通りを俯瞰する(其一)・戦前風景


大町三丁目から北を望む・絵葉書より

カメラは大町三丁目通りの中央・東側に存在した火の見櫓の上から、北側に延びる大町通りを俯瞰している。時代は昭和初期と推定。

右手前、屋根に看板を乗せた「ミノル洋服商会」は、寺町に近い山王大通りに移転して、今も服地を扱う店をつづけている。

その北隣に味噌醤油醸造元「田中屋」。今は県立博物館に収蔵されている「しょうゆ」の名物看板が見える。さらに、足場が組まれて新改築中の「三浦旅館」。その陰に「那波呉服店」。二丁目小路(現・山王大通り)交差点角に壁面のアーチ窓が連なる「勧業銀行秋田支店」。その先に三階建ての「本金」が小さく写っている。

左手前、蔵造り平入りの建物は、昭和初期の地図によれば、戦後もしばらく営業をつづけていた「山田旅館」らしく、さらに「三星電気商会」、金銀細工「佐福商店」、そして角地のひときわ大きな三角屋根が「山口銀行秋田支店」。

この建物は「山口銀行秋田支店」として建てられ、昭和八年の合併で「三和銀行秋田支店」、戦後の三和銀行撤退後は「秋田銀行本館別館」となり、解体後、大町二丁目「辻兵」南隣から、ニューシティービル建設にともない、「三田商店秋田支店」(旧・三田火薬銃砲店)が新築移転し現在に至る。

「三和銀行秋田支店」の奥、二丁目小路(現・山王大通り)交差点角に「三光堂書店」、その北側に「日本銀行秋田支店」。

昭和四十年代、二丁目小路の北側「勧業銀行秋田支店」「三光堂書店」の並びを取り壊し、道路を拡幅し山王大通りが完成する。


右手に「田中屋」の看板と乗合自動車


秋田市大町三丁目通り・火の見櫓・大正期


日本銀行秋田支店・大町二丁目


書籍広告・大正期

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大町三丁目「三浦旅館」付近・戦前風景

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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大町三丁目「三浦旅館」付近・戦前風景



昭和十年代と推定される、秋田市大町通りの写真。大町三丁目の味噌醤油醸造元「田中屋」(現・協働大町ビル)前から、大町二丁目方向を撮影している。道路中央だけが色濃く濡れているのは散水車が通ったあとか。未舗装の道路が大半だった時代、土埃を防ぐために散水車が活躍した。

右手に三階建ての「三浦旅館」。現在の「升屋駐車場」の場所にあった旅館で創業は明治三十年頃。


大正二年・書籍広告



よく見ると、玄関のわきに「三浦歯科」の看板が掲げられている。これは旅館を継いだ当主が歯科医を兼業し、館内で歯科医を兼業していたためで、在郷からの患者が旅館に泊まることもあり好評だったという。

秋田犬に引かれて散歩中の男性をはさんで、割烹着姿と、着物の婦人が二人がかりで、大切そうに乳母車を押している。乗っているのは近所の大店(おおだな)の坊ちゃんか嬢ちゃんで、割烹着姿で押している婦人は店の使用人かもしれない。

二丁目小路(現・山王大通り)に面する「三浦旅館」北側の長細い建物に、昭和九年、木内雑貨店大町支店がオープンしている。

旅館の向い側に看板をわずかにみせる店は、金銀細工「佐福商店」。


大町二丁目・勧銀・石川書店・本金

大町通りと二丁目小路の交差点に、アーチ状のエントランスをみせる「勧業銀行秋田支店」。その北隣の「石川書店」(現・スカイホテル)の店頭に「婦人倶楽部」「日の出」「富士」など、月刊雑誌の幟旗(のぼりばた)がひるがえる。さらに進んだ一丁目小路交差点角に、昭和三年に新店舗が落成した「本金」の鉄筋三階建店舗。

昭和三十年代に住所表示が変更されるまで、大町一丁目から三丁目までの、この通りだけが「大町」であった。


現在の同地点


大きな地図で見る
「三浦旅館」跡

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藍染めの奉納幕の美しさ・下米町一丁目


05.08.03

最近、「魁新報」や「広報あきた」に紹介されてすっかり有名になった、下米町一丁目(現・大町一丁目)の稲荷神社に百五十年以上前に奉納された神社幕。竿灯まつりが近づくと、神社は竿燈事務所となり、期間中その入口に張られるが、保存を考慮して社内にしまわれていることもある。

長さ約9メートル。木綿生地に藍染めで、下米町一丁目の町紋「日の丸に右三階の松」が染め抜かれた、風格を感じさせる粋な奉納幕である。


●藍のタマモノ

発酵させた蓼藍(たであい)の葉から染液をつくり染色する「本藍染め」には、虫除け・ヘビ除け・殺菌効果があるとされ、古くから野良着、甲冑の下着・火消し装束、浴衣、暖簾、風呂敷などに広く用いられてきた。

「藍染め」により繊維は丈夫に、使い込むほどに柔らかく、年月を経て、インディゴブルーで染色されたビンテージジーンズにも似て、色味は落ち着き、味わい深き風合いを増してゆく。百五十年以上の時を経ているにも関わらず、保存状態が比較的に良好なのは、藍の力の賜(タマモノ)か。

幕の右端に奉納された年月「嘉永七甲寅歳 卯月上旬」、左端には奉納した家の屋号(町内にあった米屋の屋号か)「大塚屋、宮越屋」が連名で、力ある達筆も見事に染め抜かれている。




●山王さんの春祭り

氏子が社寺に幟旗(のぼりばた)や幕を奉納するタイミングは、主に祭事の前。「卯月」は陰暦の四月であるから、この幕が陰暦七月七夕の行事である竿燈まつりのために奉納されたものとは考えにくい。

陰暦四月といえばかつて、外町(とまち)の鎮守・八橋の山王さん(日吉八幡神社)の春祭りが この月の「中の申の日」に行われていた。山王さんの春祭りと陰暦八月の秋祭りは、秋田市を代表する絢爛たる祭りであった。

春の本祭りの前日、宵祭りのにぎわいを『六郡祭事記』は、「この夜総氏子より出す所燈籠百千数、城下より矢橋の里に至る道路、社の境内まで昼の如し」とあり、『伊頭園茶話』は、「この夜は夜宮祭りとて殊に賑わしく、市中毎戸灯籠を点し、矢橋綴より本社まで数千の地口灯を建て連ねて、諸処には人形の飾物や押花等ありて参詣群衆す」、さらに本祭りの様子を「四月中ノ日の矢橋山王祭礼三市六街綺羅を飾る。見物の老若貴賤遠近より集まる。山棚屋車煉物(やま・やたい・ねりもの)の類人目を纈す。夜中翌日までくねる」と伝えている。

「山王さんの燈籠祭り」ともいわれた宵祭りの日 、外町の家々の門前の、約1メートルおきに、風鈴が下げられた丸燈籠が掛けられ、地口が描かれた角燈籠も花を添え、夜のとばりが落ちると山吹色のともしびが町々を明るく彩る。翌日の本祭りの日、町内からは曳山が出され、お囃子、手踊りも賑わしく、騎馬を従えた御輿が夜中まで市中をパレードしたという。この春祭りは昭和十年代まで続けられたが、戦争の影響で中止され、今は規模を縮小した秋祭りのみが行われている。

下米町一丁目の稲荷神社で、現在は竿灯まつりの時期に張られる藍染めの幕は、山王さんの春祭りを前にして奉納されたものと想像される。



●米穀と花街の米町

上米町一丁目・同二丁目、下米町一丁目・同二丁目の四町からなる米町四町は、慶長十八年(1613)、土崎湊穀丁から移され、米穀の専売を許された町。

久保田城(千秋公園)に近い東側が上米町、その西側が下米町。四町とも江戸中期から竿燈に出竿しており、その頃から下米町二丁目は料亭と遊郭が並ぶ花街となり、明治初めの度重なる大火で、料亭が川端(川反)四丁目へ、遊郭が南鉄砲町に移転するまでのあいだ繁盛を極めた。

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戻り竿燈 2008・本町五丁目・川反五丁目

竿燈大通りの夜本番から地元町内や会社に帰り、場所によっては電線の隙間ををかいくぐって披露される戻り竿燈。なかでも歓楽街の戻り竿燈は華やか。


本町五丁目(現・大町五丁目)


本町五丁目・屋台(シャボン玉発生機付き)


本町五丁目


川反五丁目


川反五丁目


川反五丁目・スポンサー垂幕


川反五丁目


川反五丁目


川反五丁目

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竿燈まつり 2008・夜本番

平成二十年度・竿燈まつり
八月三日~六日
於・竿燈大通り

風に乗って提灯の亜麻仁油の香りがかすかにただよう竿燈大通り。初日は断続的な雨、二日目から快晴、強めの涼しい風に竿燈も少し荒れ模様。


下肴町・屋台


柳町・屋台


川反五丁目


馬口労町・屋台




寺町四区・屋台




茨島・屋台


柳町


共和町・特大扇


川反五丁目


川反五丁目


川反五丁目




川反五丁目


川反五丁目・歓迎垂幕


川反五丁目


21フロンティア・屋台

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竿燈妙技会 2008・昼竿燈

平成二十年度・竿燈妙技会(昼竿燈)
八月四日~六日
於・千秋公園中土橋

三日間とも快晴、強めの風が舞う会場の、丸いリングに展開される、一年を通じて鍛錬した成果を問われる白熱の戦い。時間の経過で変わる風を制して竿をコントロールする技量と、運を味方につけたチーム・個人が勝利の美酒に酔う。

最終日の最後に行われる「大若団体規定」決勝ラウンドは、リングを二つ並べて同時に演技するトーナメント形式。審査員が持つ紅白の旗の数で、その場で勝敗が決まることもあって、両チームの掛け声と手拍子が重なり合い、会場は異様な熱気に包まれる。


寺町二区・規定


寺町二区・規定


下肴町・団体規定


下肴町・団体規定


団体規定決勝戦・下肴町・県立大学
優勝・下肴町(A)


室町


牛島


牛島


川口境・囃子方


あきぎん・囃子方


あきぎん・団体自由


川口境・団体自由


川尻本町・団体自由


川反五丁目・団体自由


登町・団体自由


登町・団体自由


秋田大学・団体自由


秋田大学・団体自由


秋田大学・団体自由(優勝チーム)



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広小路をレトロバスが走る

第2回「あきたオールドカーミーティング」イン仲小路
08.08.04
於・秋田市中通 日赤病院跡地


日赤跡地

当日の人気は懐かしのキャブオーバーバスを使った体験乗車。丸みを帯びた後ろ姿が郷愁を誘う。


中央通り

秋田市交通局の市営バスにも利用されていた、66年型いすゞキャブオーバーバスの廃車をレストアし、昭和20~30年代の市営バスのカラーリングを再現したもの。


広小路・木内デパート前



レストアの記録などキャブオーバーバスの詳細は「外旭川自動車商会」に。

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外旭川自動車商会

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竿燈御幣・八幡秋田神社


08.08.02

竿燈の初日にあたる、八月三日早朝の「御幣渡しの式」に使われる御幣が並ぶ、千秋公園本丸鎮座、八幡秋田神社拝殿。詳細は過去記事「御幣渡しの式・ねぶり流し」に。


05.08

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八幡秋田神社焼失す
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進む再建・秋田八幡神社

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露店にミドリガメがいた昭和40年代

祭りに花を添える露店も、最近は消えモノ(食べ物)が大半を占め面白味に欠けるが、県内有数の露店が並ぶ土崎の祭りとなれば、カブトムシやクワガタなど昆虫をあつかう露店や、「ミドリガメすくい」の露店など、珍しいネタに遭遇する確率も高い。



一回200円で「金魚すくい」と同様の針金付きモナカでミドリガメをすくう、非常に難易度の高いというか、まず取ることのできない、いかにもテキ屋的な遊びである。

それにも関わらず、小さなミドリガメの愛らしさに、挑戦する子どもがあとを絶たない盛況で、テキ屋の兄ちゃんはかなり稼いでいた。

昭和40年代初頭、ミドリガメがブームになり、祭りや花見の露店でも売られようになる。「ミドリガメすくい」より、こちらのほうが良心的ではある。

そのブームに火をつけたのは「森永製菓」。昭和41年(1966)、スキップチョコレートまたはチョコボールの空箱100円分を送ると抽選で「かわいいアマゾンの緑ガメが毎週3000名に当たる」キャンペーンを大々的に実施したところ、全国から応募が殺到、合計15,000匹におよぶミドリガメがプラスチック製の石鹸箱に入れられて全国に発送された。


1966 『週刊マーガレット』より

チョコボールに描かれたキャラクターは、森永が提供していたアニメ「宇宙少年ソラン」に登場する宇宙リス「チャッピー」。
★世界でも珍しい 愛玩用のカメさん。大きさは4センチから5センチ。 コウラは美しい緑色。アマゾンやミシシッピーから海を越えて…到着!
●当選した方にはカメさんを(株)東京水族館から責任を持ってお宅へ直送いたします。
実際にはアマゾンにミドリガメは生息せず、ミドリガメとして流通している幼体が緑色の甲羅を持つカメは、アカミミガメ属のアカミミガメ,クジャクガメなど複数。そのなかでも最も多く流通している、ミシシッピ・アカミミガメの幼体は、ルイジアナ州の大規模養殖場から、今でも年間約100万匹が輸入されているという。

ミドリガメの鮮やかな緑色の甲羅は成長するにつれ褐色に変化、5センチに満たない体長もやがて30センチほどに成長し、幼い頃の面影はなくなる。

小さな水槽に収まりきれないほどの大きさになり、もてあました飼い主が、池沼や川に放したもの、売れ残って業者が捨てたものが野生化して定着、アカミミガメと比べると繁殖力の劣る在来種にとって脅威となり、生態系を破壊しかねない厄介な存在になっているのである。

ミドリガメに罪はないが、「森永製菓」が火を付けたミドリガメブームは、図らずも生態系破壊への端緒となってしまった。

チョコレートのテレビCMに映る、愛らしい姿で子どもたちを魅了したミドリガメ。当時はそれが成長して色も変わり、あんなに大きくなるとは夢にも思わなかった。

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ミシシッピアカミミガメ - ウィキペディア(Wikipedia)



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