二〇世紀ひみつ基地

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2008年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年06月

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広小路ホコ天時代・70年代初頭


72.05 秋田市広小路・ホコテンにて

昭和47年(1972)5月の休日、秋田市広小路・歩行者天国でのスナップ。背景の「秋田セントラルデパート」前に「天津甘栗」の売店がみえる。この売店の左にスタンド形式の小さなラーメン店が隣接していたと思う。

東京(銀座・新宿・池袋・浅草)で初めて歩行者天国が実施されたのは昭和45年(1970)年8月。同年の11月3日(文化の日)には、秋田市広小路において第1回歩行者天国が実施され、延べ5万人の人出が記録された。



広小路を買い物道路に
◇三日から毎週日曜・祝日

県内初のお買い物道路が秋田市に誕生することになりました。お買い物道路に指定されるのは、広小路木内駐車場前から三伝ガソリンスタンド前まで、今月3日の"文化の日"から毎日曜と祝祭日に車の通行が止められ、広々とした道路を歩けるようになります。

お買い物道路や歩行者天国の指定は、最近における自動車の増加に伴ない、人間軽視の傾向がみられることから各都市で実施、効果をあげているもの。秋田市の場合も日曜、祝祭日は、広小路両側歩道が歩行者でひしめき合い、混乱を招いていることから、秋田警察署、市、その他関係団体が協議して、広小路から車を追放、市民が安心して散策、買い物ができるようにするものです。このほど指定されるお買い物道路は、広小路木内駐車場前から三伝ガソリンスタンド前までの延長四百五十メートルで、今月三日の"文化の日"から十二月末日までの毎週日曜日と祝祭日午前十一時から午後四時までです。みなさんも県内初のお買物い道路を散策、お楽しみください 。なお、初日は雨天の場合中止されます。
「広報あきた」No.468 より

「三伝ガソリンスタンド」が営業していたのは、電巧堂の斜め向かい、「大手門の堀」の東端、今はポケットパークになっている場所。「秋田市の場合も日曜、祝祭日は、広小路両側歩道が歩行者でひしめき合い・・・」との記述に当時の広小路のにぎわいぶりをうかがい知ることができる。


フォークダンスの集い(サンキスト協賛)

当初は日曜、祭日ごとに広小路を開放して実施する計画であったが、歩行者天国のあおりを受けた周辺地区の交通渋滞が深刻となり、隔週の実施を経て、わずか数年で廃止されることになる。高度経済成長の波に乗り、乗用車の普及率が右肩上がりに急速に増加していった時代だった。

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広小路が中心商店街だった時代・1973

広小路(ひみつ基地内検索)

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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廃墟ビル「和食会館」解体

秋田市中央通りで、ずいぶん前から廃墟と化していた、旧「和食会館」のことを以前書いたが、最近になって周囲に足場が組まれ、ようやく解体が始まったようだ。おおかた駐車場にでもなるんだろう。



70年代初頭から、食堂・レジャー関連事業を幅広く展開した、「和食会館」を経営する「東洋グループ」について、昭和49年5月18日付の秋田魁新報に「東洋グループ、行き詰まる 負債額、四億円にも 過剰投資 相次ぎ不渡り手形」の見出しで記事が載っている。

記事によれば、昭和48年に2億円を投資して建設した、コンピューターゴルフ「東洋ゴルフガーデン」の経営不振が不渡りの原因という。


1974 書籍広告

「東洋グループ」の倒産後も一階の喫茶店「茶居珈」は営業をつづけ、二階には一時期「鳳龍飯店」が入居していた。

この区画で思い出深い店をあげると、始めての一眼レフカメラを買った「アキタカメラ」、その隣の SONY 専門店「シンソニック秋田」、向かいに移って「三光堂書店」「カメラのサトウ」、「とれびあん」と「ルフラン」はビルの二階にあった喫茶店。このなかで「アキタカメラ」だけが今もかろうじて営業を続けている。


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「和食会館」跡

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二〇世紀ひみつ基地 街中の廃墟ビル・和食会館

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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広小路が中心商店街だった時代・1973


73.06 県民会館の土手から

昭和48年(1973)6月、日曜日の昼下がり、県民会館の土手から買い物客でにぎわう広小路を望む。

貸ボートを浮かべる穴門の堀の向こう、左から「日本生命ビル(カワイ楽器)」「秋田セントラルデパート」「古沢ビルディング(長崎屋)」「盛田かばん」「イワマ靴店」。



人通りの絶えることのなかった広小路。今と比べると隔世の感がある。


セントラルデパート

「セントラルデパート」については前回書いたので、今回は「長崎屋」の入る「古沢ビルディング」について。

鮮やかなレインボーカラーに彩られた五階までが「長崎屋」。地下から三階までが衣料品、四階は呉服、インテリア、寝具、そして五階が家電、陶器などの売場。

そのほか、地下に元祖あんパンで有名な「東京銀座キムラヤのパン」、最上階の八階が銀座に本店があった「レストランすずや」(後に長崎屋グループのファミリーレストランおあしす)。

当時の広小路で、見晴らしの良い上階の千秋公園側に窓を配したレストランがあったショッピングビルは、「セントラル」と「古沢ビルディング」。後に、増改築したショッピングセンター「丸三」の最上階にも、千秋公園を展望する「森永レストラン」が入居する。


1970 雑誌広告より(右上「ファミリーレストランすずや」)

AKT 秋田テレビが開局し、臨海地区で「秋田博覧会」が開催された昭和44年(1969)、「古沢ビルディング」が竣工し、秋田初の中央資本によるデパート「長崎屋秋田店」が開業する。

100発の花火が秋田の空にこだましたら、さあ!開店です

秋田一のおしゃれデパートを目指す長崎屋。広小路をすてきなおしゃれアベニューにぬり変えてしまいます。地階から五階まで300の広い売り場には“アッ”と目を奪うおしゃれとくらしの一級品で埋めつくします。

奥さまにはシックなツーピース、お嬢さまはこの秋の主流〈華麗なる野生〉(インディアン・ルック)、それにおしゃれヤングの君にはロングトルソーもあります。とにかく、あれもこれもすべて東京からの“特急便”。超スケールの品揃えです。
新聞広告より
〈華麗なる野生〉と書いて「インディアン・ルック」と読ませているヒッピー風ファッションは、時代を巡って今またブームになっている。

オープン当日、店頭に真っ赤な衣装のバニーガールが数百個の風船を空に放ち、入口ではブラスバンドが行進曲を演奏して客を迎え、「木内」「協働社」「本金」「セントラル」など地元商店は、セールを仕掛けて「長崎屋」を迎え撃った。

昭和56年(1981)売り上げの低迷により「長崎屋秋田店」撤退。その跡に、昭和58年(1983)若者向け専門店「スタジオパレット」オープン。


08.05

看板が外されて無人ビルとなった、旧「日本生命ビル」、「セントラルデパート」跡の駐車場、一階に「ICI石井スポーツ秋田広小路店」が入る「スタジオパレットビル」。

ツツジの成長が歳月の経過をものがたり、休日でも人通りの少ない広小路が時代の変化をものがたる。

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広小路空中散歩

県民会館の土手から広小路を望む・1971

植木市とセントラルデパート・1972

広小路 - ひみつ基地内検索

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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植木市とセントラルデパート・1972


八橋運動公園

恒例の植木まつり(植木市)の季節である。

植木まつりが始まった昭和30年代からずっと、千秋公園入り口の中土橋が会場だったが、秋田中央道路(地下道)の工事で八橋に移転、工事完了後も中土橋に帰ることはなかった。

中土橋に所狭しと展示して開かれる植木市は、新緑まぶしき千秋公園の歴史的風景と相まって、おもむきのある五月の風物詩であった。八橋公園内の会場は広く駐車の便も良いが、中土橋のような情緒がない。


72.05

昭和47年(1972)の植木まつりの一コマ。休日の昼下がり、大勢の見物客でにぎわう中土橋の正面に、派手な看板をみせているのが、広小路の「秋田セントラルデパート」。



このときの大看板には、60年代末から70年代にかけて流行したヒッピー文化から発生したフラワームーブメント調の「ナウい」イラストがペイントされている。


雑誌広告より 1970

初期は三階に、千秋公園を借景にした展望の良い大食堂の他、イベントスペース、スロットレーシング場、ゲームコーナー、森永ミルクスタンドなどがあった。

昭和40年(1965)、市内の小売業者が協同組合を結成して立ちあげた「秋田セントラルデパート」がオープン。開業当初から経営不振が続き、70年代に全面改装、ターゲットを若い女性に合わせて一時は成果をあげている。

平成3年(1991)、株式の九割を売却し不動産会社が経営権を取得、翌平成4年、新菱グループの手に渡り、平成6年(1994)「セントラルビル」解体、跡地は駐車場となった。

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川反にサーキット場があった時代

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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勝平神社例大祭・地口絵灯籠祭り



平成二十年度・勝平神社例大祭(地口絵灯籠祭)
五月十二日(宵宮)十三日(例大祭)

秋田市保戸野鉄砲町(旧北鉄砲町)に鎮座する毘沙門さんのお祭り(勝平神社例大祭)には、雨が降ることが多いが、今年は風が強めで少し肌寒かったものの、両日ともさわやかな晴天に恵まれた。

勝平山から川尻毘沙門町、八橋を経て俵屋火事の翌年明治二十年に、北鉄砲町の秋葉神社と合祀して社殿が再建されたこの地は、「山新もめん」で有名な山中新十郎(大町三丁目)の機織工場用地の一角であったが、養子の駒蔵が再建に際して八十八坪を寄進している。神社総代を務めた山中駒蔵は、「地口(じぐち)絵灯籠」の創作者としても有名であったという。

神社境内と参道、および町内の家々の門口に、ユーモラスな駄洒落や世相時局を風刺した文句に戯画が添えられた「地口灯籠」が飾られて参拝者の目を楽しませ、灯籠に火が灯される夜ともなれば幻想的な光景が出現する


ギョーザとけても謎解けぬ
右は高校生による「子ども地口」





●「地口」とはなんぞや?

「地口絵灯籠」の「地口」(じぐち)とは、ことわざや成句をもじった言葉遊び、駄洒落、語呂合わせのこと。その「地口」に大津絵風の戯画を配した「地口行灯」(じぐちあんどん)が江戸で流行したのは江戸時代の中期。江戸の流行は間もなく秋田にも伝わり、社寺の祭礼に際して飾られるようになる。

戦前の秋田市内で「地口灯籠」が行われていたのは、愛宕神社(楢山)、当福寺(寺町)、明覚寺地蔵堂(寺町)、恵比須堂(亀ノ丁)など。現在では勝平神社例大祭が県内で唯一の「地口灯籠」を飾る祭りとされている。湯沢の「七夕絵灯籠祭り」も「地口灯籠」から発生して、派手に大型化されたものという。


東京都あきる野市 二宮神社所蔵

古典的な「地口」が描かれた「地口行灯」である。左が元句の「うしろの正面だあれ」をもじった「うしろの帳めんたあれ」、右が「犬も歩けば棒にあたる」をもじった「いもも歩けば棒にあたる」。

現代でいえば、「花より団子」をもじった、神尾葉子のコミック『花より男子』のタイトルも古典的な「地口」。

「地口」の一例

●もじりの「地口」

ほうづきさまいくつ(元句・お月様いくつ)
ひょうたんにもそこがある(元句・冗談にも程がある)
道具屋お月様みてほめる(元句・十五夜お月様見て跳ねる)
えびす大根喰う(元句・恵比須大黒)

●韻を踏むラップ的リズムの「地口」

美味かった(馬勝った)、牛負けた
驚き桃の木山椒(さんしょ)の木
何か用か(七日八日)九日十日

●掛詞(同音異義のことば)をつなげた「地口」

その手は桑名の焼き蛤(その手は喰わない+桑名の焼き蛤)
 恐れ入谷の鬼子母神(恐れ入りやした+入谷の鬼子母神)
あたり前田のクラッカー(当たり前だ+前田のクラッカー)



●勝平神社の創作地口絵灯籠

勝平神社境内と参道、および家々の門口に飾られる三百を越える灯籠のほとんどを、約四十年の永きにわたり奉納し続けているのが、町内の神尾忠雄氏。常日頃から時流に目を配りながら、案出した「地口」を描く作業は年間を通して行われる。

「川柳」に近いその作風は、土崎湊祭りにおいて曳山の背後に置かれる「見返し」からの影響もうかがわせるものだ。この「見返し人形」に添えられる文句や、滑稽な韻を踏む歌詞でジャパニーズラップとも称される「秋田音頭」もまた「地口」の一種である。

20060728175006.jpg
南幕洗川「曳山も 駐禁とられて 運行停止」
改正道交法による駐車禁止取り締まりを皮肉る、平成十八年度・土崎湊祭り「見返し」

神尾氏による講習会が町内の子どもたちを対象に開かれ、祭礼の日に「子ども地口」が飾られるが、その数はわずか。


子ども地口

かつては町内の氏子の誰もが「地口」を描いて奉納したというから、たった一人の手に依存し、その作品が「個展」のように展示される現状は不自然にも思える。しかし神尾氏を越える軽妙な描き手はそうは現れない。いずれは描き手が居なくなり、地口灯籠の伝統も消えてしまうのだろうか。

ちなみに関東地方の社寺の祭典に現在も見られる「地口行灯」は、江戸からの流れをくむ古典的な内容がほとんど。それらと比較すれば、風刺的川柳風地口が大半を占める勝平神社の灯籠は「創作地口絵灯籠」と呼ぶべきものであり、祭礼に付随する行事としてはユニークかつ異端な存在といえよう。


タバコ嫌煙 ギョーザ警戒(頭を抱える男の顔に「JT」のロゴ)


低意識 汚染五輪に 泣くマラソン


男湯に 浸るお宝 金ばかり


女湯に 堪(こた)えきれずに 鬼乱入(ナマハゲ騒動)
認定書 好結構(コゥケッコウ)と 鶏の声(偽装比内鶏騒動)


入道を いつも見ている みさきなり(入道崎)




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地口絵(所沢市)

地口行灯・歌舞伎座写真ギャラリー

二宮考古館特別展「地口行灯 これはおもしろい!」

千住の地口行灯

初午・地口行灯の楽しみ(浦和)

山祇神社春の例大祭「地口行燈」(埼玉県飯能市)

三島宿「地口行灯」 現代創作地口イベント

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友川カズキと能代バスケット

5月9日発売の『Number』703号に、友川カズキ(本名・及位典司)とバスケットボールに関する記事が、6ページにわたって掲載されている。

◆ナンバー・ノンフィクション◆
文◎藤島 大
友川カズキと能代バスケット「無償の放熱」



能代工業高校バスケ部元監督・加藤廣志の自伝『高さへの挑戦』(秋田魁新報社刊)に、新入生の友川が、先輩で能代工業伝説のガード・山本富美夫と一対一の攻防の練習をしているとき、やられっぱなしが悔しくて相手の額にかみつき流血させたという、友川ファンのみならず、能代高校バスケファンにはよく知られたエビソートが語られているが、これは当事者たちの記憶とは違っているのだという。
「私にも意地はあった。でも、かじったわけじゃない。たまたま歯がぶつかったんです。加藤廣志は表現者ですから。記憶なんて簡単に屈折するの、だから強いのよ」
 事件の当事者、山本富美夫も言った。
「近づいた時、歯がポンと当たっただけだと思うよ」
‥‥中略‥‥
「噛みついたりできないよ。抑え切れないから抱きついて歯がぶつかった。でも、その必死さはすごいよね」
 そして大和証券の女子チーム監督も務めた元突貫ガードは、キで始まる言葉を使った。
「やっぱり、あいつ、バスケットキ×××だったんじゃないか」
1971年、加藤監督の紹介で、魚屋でアルバイトをしながら、能代第一中学校バスケットボール部の外部コーチに就任。このときの教え子の一人が、能代工高三年時に三冠を達成し、住友金属工業に入社したあとは、オールジャパンの主力選手として活躍、現在はJBL日立サンロッカーズのヘッド・コーチである小野秀二である。

小野の同期生、永井正幸によると、日頃は穏やかな友川も、ことバスケに関しては常軌を逸した厳しさであったという。
「鬼、非情、非道。中学生で、胃潰瘍1名、胃炎1名、鼓膜破れたのも1名。小野秀二なんて体育館と校舎のあいだの通路でぶっ倒れちゃいましたよ。偶然、私が見つけましたけどね。だいたい及位さんも入院しているんですよ。胃潰瘍で。‥‥後略‥‥」
この時期、友川は中学生のコーチをしながらも、創作活動を続けていて、秋田市内のライブに呼ばれたり、広小路「秋田プラザ」でも叫ぶように唄っていた。バスケットに賭けるのと同様の情熱と狂気を言霊(コトタマ)にこめて。
「いまでも僕が教えているのは及位典司の受け売りです。シュートの時に爪が額に当たるのはダメだよ、とか、同じことを言ってますもん。‥‥中略‥‥まあ、あれだけの情熱で朝早くから自分のために付き合ってくれる人はいなかった。いまの私があるのはあのキ×××歌手のおかげです。死ぬまでつきあいはやめることにはならないだろうな」小玉一人(能代工→明大→新日鐵)

「僕が、バスケットにこれだけ入り込んだのは、やはり、あの人の影響がいちばんですね。命をかけて、それこそ、生きているって言ってみろ、というくらいの熱で指導してくれた」小野秀二
友川がコーチとして育てた二人の言葉である。「キ×××歌手」、および前述の「バスケットキ×××」という表現は、愛を込めた最大の賛辞だと思う。常軌を逸して「気が違う」ほどの情熱がなければ成しとげられないこともある。特に表現者にとってそれは大切なこと。そういう意味では友川の恩師である加藤元監督も、友川に負けず劣らずの「キ×××監督」であったからこそ、両者の間には通じ合うものがあったのだろう。
 友川カズキは、あのころ、無償の愛を生きた。金銭も名誉も地位も求めない。だから、そこにいた人間は引き寄せられた。自身の指導者への夢は半ばでついえたかもしれない。だが、その魂は教え子たちに引き継がれた。

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小野秀二オフィシャル・ウェブサイト

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 5/22号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 5/22号 [雑誌]
(2008/05/09)
不明

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秋田銀行発祥の地・茶町菊ノ丁



二丁目小路(現・山王大通り)方向から北に位置する、茶町菊ノ丁・上肴町・通町を望んでいる、大正期の撮影と思われる写真。

菊ノ丁は現在の大町二丁目、ニューシティビル裏通りの、かつては名だたる豪商が建ち並んだ通り。明治十九年の俵屋火事、明治三十八年の大火で被災しているため、それ以降に建てられた店が大半を占める。

西側(左手)の洋風建築が「第四十八銀行」。明治十二年に本県初の銀行「第四十八国立銀行」として、旧士族が株主となり資本金六万円で設立された。発起人は土崎の豪商・菅礼治、初代頭取に士族の代表として横手城代・戸村義得が就任。

明治五年、明治政府はアメリカの銀行制度を手本に『国立銀行条例』を制定。この条例に基づき各地に国立銀行が設立されたが、実際は民間人が経営する私立銀行であった。「第四十八」の番号は、四十八番目に設立された国立銀行を意味する。


第四十八国立銀行五円券

国立銀行紙幣は日本ではじめて造られた洋式銅凸版印刷紙幣、一円紙幣が水兵、五円紙幣が鍛冶屋の図柄で、明治政府のお雇い外国人エドアルド・キヨソネ(イタリア・銅版画家)がデザインを担当。

各国立銀行で同じ図案だが、中央下部に「第四十八国立銀行」、その両サイドに頭取・菅礼治と支配人・山中新十郎の名が配されている。


第四十八銀行(明治三十九年竣工)

明治二十二年、「第四十八国立銀行」は、株式会社「第四十八銀行」に改組。昭和十六年、第四十八銀行、秋田銀行、湯沢銀行が合併して現在の株式会社「秋田銀行」設立。

画像の洋風建築は昭和十一年解体、新築された「第四十八銀行」が、昭和十六年から「秋田銀行」本店(現在の「赤れんが館」は大町支店)、昭和四十六年、山王に新本店が落成、本店が移転した跡をうけて「秋田銀行」大町支店となる。


昭和十二年落成、第四十八銀行(合併後に秋田銀行本店、のちに秋田銀行大町支店)

昭和五十四年、現在の大町支店(秋田第一ビルディング)落成。


秋田銀行大町支店前

その昔「第四十八銀行」の場所に住んでいたのが、荒物茶紙商「吉川惣右衛門」家。吉川家には那波三郎右衛門の五男・祐之が養子に入り繁栄を極め、隠居後は「五明」の俳号で奥羽四天王と称されるほどの俳人となる。

「第四十八銀行」北隣の町家は昭和初期頃の地図によれば「那波喜助商店」。もともとは宝暦七年の銀札事件(秋田騒動)のとき札元になった豪商「見上新右衛門」家のあった所という。安永二年にエレキテルでお馴染みの平賀源内が来藩したときには見上家が宿舎に選ばれている。

「第四十八銀行」南隣に、冠木門を構える「鈴木喜右衛門」家は、久保田藩の御用商人として質屋を営んでおり、その宅地は戦後、山王大通りの拡張で道路となった。

東側(右側)に目を移すと「中村志ちや(質屋)」と判読できる町家。手前の堰には石橋が渡されている。


中村質屋

中村三右衛門・善兵衛を代々名乗った中村家は、水戸時代の佐竹氏に出入りし、秋田に移って藩の御用商人として、土崎港、能代港の開発にあたった。見上家と同じく銀札の札元。経済学博士で東大の教授も務めた中村常次郎(M40-S55)の生家でもある。

中村質屋の数軒向こうの、ひときわ軒の深い天水甕の上がっている町家が前に書いた「三浦傳六商店」。その手前に「岡田時計店」の看板が確認できる。


右に三浦傳六商店


茶町三丁(縦文字が旧町名)


現在の旧茶町菊ノ丁 07.08

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山王ドリームリンクストリート

山王大通り旧NHK秋田放送局の脇通りには、ドリームリンクス経営の飲食店が並び、さながらドリームリンクストリートの様相を呈している。


08.03

手前から「弥助蕎麦」、月島直伝もんじゃ焼「ひょうたん」山王店、「末廣ラーメン本舗」山王店、「半兵ヱ」山王店。

さらに直進した右手の、ドリームリンクス本社の入るビル一階に、大衆駄菓子酒場「ままごと屋」があったが、通常営業が週末のみの営業になり、いつのまにか閉店していた。業績の悪い店に関しては見切りも早い。

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豆腐屋に卯の花貰う春の宵

牛島商店街で藩政期から豆腐の製造を生業とし、明治三十一年からは歩兵十七連隊の陸軍御用達商として商品を納めた、永い歴史を持つ老舗豆腐店が、この三月末日に店を閉じた。


08.05 吉川豆腐店

時間と手間がかかる「本にがり」を使った豆腐製造にこだわり、平成十九年には秋田県優良技能者として表彰されている。早くから「にがり寄せ豆腐」を商品化し、お品書きに「吉川豆腐店の寄せ豆腐」と表記する居酒屋もあった。

昔は個人経営の小さな豆腐屋があちこちにあって、自転車で行商もしていたが、徐々に姿を消して、本物の豆腐の味を継承する店も少なくなってしまった。

「本にがり」を使う製法は長年の経験に裏付けされた職人技を必要とし、大量生産もできず、労力の割に儲けは少ない。それに加えて昨今の大豆相場の高騰が経営を圧迫し、採算がとれずに致し方なく廃業に追い込まれるケースが相次いでいるのだ。



永い歴史に幕を下ろすに至るまでの千万の思いが数文字に込められた惜別の辞に諸行の無常を思う。

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低学年のとき、学校で飼っていたウサギの飼育当番になったことがある。当番は餌の調達をしなければならないため、生家に近い吉川豆腐店に「おから」(豆腐の絞りかす。別名・卯の花)を貰いに行った。

当時、豆腐の製造過程で出る「おから」を一般に販売する慣習はなく、お願いすればタダで貰えるものだった。学校のウサギの餌にすることを話すと、店の母さんは、袋いっぱいの「おから」を「いつでも来なさい」と手渡してくれたを思い出す。

貰った「おから」を手に、豆腐屋を出て右に歩くと、太平川橋のたもとに貸本屋「牛島文庫」。その角を曲がり桜散る土手沿いに、せせらぎの音を聴きながら家路をたどる。

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消える豆腐屋 高齢化と原料高騰が直撃 MSN産経ニュース

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そこに黒猫館があった・大町五丁目



大町五丁目から川反に向かう祇園小路への曲がり角に、先月「火乃座」という、ちょいと風流な外装の居酒屋がオープンした。

店名の「火乃座」とは、「火の神の坐(ましま)す」所」という意味で、家の「囲炉裏」「かまど」などを表す。

あまりの変わり様にすぐには気がつかなかったが、ここは最近までアダルトショップ「黒猫館」があった場所。


07.03

70年代に「黒猫館」が オープンした当初は、どうせ長くは続かないとたかをくくっていたら、歓楽街という地の利に恵まれて、もう30年以上営業を続け、いつの間にか町の古株になっていたのである。人間の本能に基づく商売はあなどれない。


07.03

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博多ラーメン新店舗・川反散歩



川反四丁目に連休明けの5月9日オープンする「博多長浜屋台ラーメン・あぁ博多人情」。外装に「汚し」風のペイントを施した、トタン張り昭和バラック風店舗はまだ未完成。

「博多長浜屋台ラーメン」とはいえ、本場からの進出ではなく、経営は郡山に本社を置き、飲食事業の他に脱毛サロンを全国展開する異色の会社である。「あぁ博多人情」は盛岡、仙台に次ぐ三店目。

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ラーメン好きの集るサイト くさび・一心亭・あぁ博多人情 オフィシャル

あぁ博多人情 [食べログ.com] 口コミグルメサイト

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旭川に舞う鯉のぼり



風強く夏のような暑さに、旭川に風をはらんで舞う鯉のぼりが涼を誘う。

川反五丁目の「第一会館」店頭に「鯉のぼりがたくさん必要です。お貸し下さい。秋田の子供達の健やかな成長を祈り、旭川にロープを張って、沢山の鯉のぼりを飾りたいと思います。・・・」とのポスターがしばらく前から貼られていて、これがその結果。

川反一丁目、秋田署向かいのあたりの旭川にも、数年前から鯉のぼりが渡されている。


さいわい橋下

五月とは思えないあまりの暑さに参ったのか、ロープのしがらみから逃れて、本物の鯉と泳ぐ鯉のぼりがいた。


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観よ!映像の驚異「飛び出す映画」

●立体映像とアブドーラ・ザ・ブッチャー

先日、秋田駅東口のアルヴェ隣に移転した、NHK秋田放送局の新会館で立体ハイビジョンの公開があった。

人間の左右の眼にあたる二台のカメラで撮影した映像を、二台のプロジェクターで暗室に設置されたスクリーンに投影し、観客は偏光眼鏡をかけてスクリーンを観る。

自然な奥行きをみせるリアルな映像は、今まで体験した立体映像を遙かにしのぐもので、とくに実際にダイビングしているように眼前に広がる海中の映像が美しかった。

記憶をたぐり寄せると、秋田市有楽町のプレイタウンビルで観たカンフー映画、それがはじめての立体映像体験であった。映画のタイトルが思い出せないので検索すると、台湾香港合作「超立体映画・空飛ぶ十字剣」が、昭和五十二年(1977)に公開されている。

偏光眼鏡をかけてスクリーンを観ると、剣や槍、ブーメランのような十字型の武器が眼前に飛び出してくる迫力満点の映画だったが、リアルにはほど遠い不自然な映像にめまいを覚え、見終わった後、眼だけではなく全身が疲れてしまった。

この映画が強く記憶に残っているのは映画自体ではなく、前方の席を全日本プロレスの興行で来秋していた、アブドーラ・ザ・ブッチャーの一行が陣取っていたこと。いわずと知れたヒールプロレスラーであるブッチャーは、武器がスクリーンから飛び出すたびに、あの甲高い奇声を発して場内は笑いに包まれていた。

●飛び出す映画、秋田に出現


新聞広告 昭和十一年

昭和十一年十月、秋田市十人衆町(現・大町六丁目)の映画館「旭館」で、「飛び出す映画」が公開される。原題「Audioscopiks」(米国) 。上映時間八分。1935年アカデミー賞(ショートフイルム部門)受賞。

今年問題の映画!
遂にカメラが征服した立體性! 画面から凡てのものが飛び出して來て、皆樣をアツと驚かせます。
危ないツ! ブランコが皆樣の頭の上を飛び越へ、もの凄い熱球が飛び出して來ます!!




活動と演劇
▲旭舘 十五日より「飛び出す活動(立體映画)」を上映されるが色彩と立體と音響を總合した最初の映画としてアカデミイ賞を授與され画面の人物、物體が眼前に踊り出してくる鐵砲、ねずみ、女の足、ボール、ブランコ、犬、火、梯子、時計の振子、自動車等々が飛び出して來る不思議な面白い映画でメトロ映画社が制作したもの一度は見るべき映画だといふ
昭和十一年十月『秋田魁新報』より
この「飛び出す映画」は、二つのレンズが眼の間隔で並んだカメラで撮影した、赤・青二色のフイルムをスクリーンに投影し、同じく二色の立体眼鏡で鑑賞するアナグリフ方式といわれるもの。ちなみに米国におけるアナグリフ立体映画の商業的初公開は1915年(大正四年)。



映画の冒頭でアナグリフの原理と鑑賞方法の説明があり、そのあと皆様お待ちかねの立体映像がつづく。



観客は紙とセロファンでできた立体眼鏡を眼の前にかざして、スクリーンに投影される映像を見つめた。それは現代の3D映像と比べればチープな見世物にすぎないが、当時としては画期的な体験だったのである。


とびだす立体大画報 戦う艦船
月刊『少年』昭和三十六年十一月号付録

アナグリフ式の立体眼鏡は、かつて子ども向け雑誌に定番の付録であった。その付録には、赤青二色刷の漫画や図鑑がセットになっており、「来月号の付録は、飛び出すメガネと立体恐竜図鑑」などという予告に胸を躍らせた体験がある方も多いことだろう。



昭和二十八年、「Audioscopiks」と、その続編である「New Audioscopiks」を編集した立体映画が「メトロスコピックス」(邦題)のタイトルで公開されているが、眼鏡を持つ手が疲れるなど、評判は良くなかったようだ。

「Audioscopiks」シリーズの映像が YouTube にあったのでリンクを貼っておいた。映画館の大スクリーンで観るような顕著な立体効果は得られないが、セロファン紙と厚紙で立体眼鏡を工作して、昭和の初期に旭館で上映された「飛び出す映画」を、部屋を暗くして鑑賞するのも一興と思う。

十人衆町の旭館は戦後、「銀映座」「第二東映」「銀映劇場」と名を改め、昭和四十年頃に閉館。旭館で「飛び出す映画」が上映された頃、支配人を務めていたのが、戦後は市内に映画館数館を経営し、秋田初のシネコン・プレイタウンビルをオープンさせた秋田の映画王・村山多七郎である。

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関連リンク

3D Anaglyph Audioscopix (Part 1) - YouTube(YouTube)

3D Anaglyph Audioscopix (Part 2) - YouTube
「Audioscopiks」の続編

Third Dimension Murder(YouTube)
「Audioscopiks」シリーズのホラーコメディ

映画『超立体映画 ゾンビ3D』公式サイト
アナグリフ方式B級ホラー映画

立体写真館 Kawagoe

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