二〇世紀ひみつ基地

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2008年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年03月

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広小路堀端・定点観察


07.12 広小路

ここ数年のあいだに、広小路「木内」向かい、堀端の店舗が次々に解体・整地されて売りだされている。


04.04 旧瀧不動産・旧マルキン本店(消失物件)


04.04 旧マルキン本店(消失物件)


新聞広告 昭和39年
金座街にも店があった、カバンの「マルキン」

西角地の建物に初期入居していたのは、昨年倒産した「瀧不動産」、「竹半スポーツ」「小泉薬局」。「マルキン」二階には喫茶「バニラ」が入っていた。

古川堀反通りのカトリック教会の向かい、以前「宮崎写真館」が営業していた古い建物が、平成18年(2006)1月に解体されたのを手始めに、平成19年(2007)には角地の旧「瀧不動産」、次に旧「マルキン本店」が解体され、年末に護岸補強工事も終わり整地が完了した。


06.11 古川堀反通り


07.12 古川堀反通り


06.04 堀越に広小路を望む


07.12 堀越に広小路を望む


03.05 中土橋より古川堀反通りを望む

昭和40年前後の住宅地図によれば、中央の建物は旅館「寿月荘別館」と「宮崎写真館」。「寿月荘」の本館は中通にあった。


08.03 中土橋より古川堀反通りを望む

建物に隠れていたカトリック教会が丸見えになっている。

この周辺の堀端の土地は、お堀を埋め立てて造成されたため、今でも旧城主佐竹家の所有地が多い。

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春を待つ雪国の飴・雪たん飴



練餡を飴で包み、伸ばして木型で押し切る。大館のアメッコ市でも定番の、手作りの素朴な切り飴。

小正月の「まゆだま」を連想させる紅白のやさしい色のとりあわせ、ひとつひとつ表情の違うカタチの面白さ。

大きめの飴をほおばると、最期にあんこが口の中でとけて広がる。

子どもの頃は「あんこ飴」と呼んでいたこの飴の正式名称は「雪たん飴」。

江戸時代に富山で創業し、明治期に小樽に渡った「飴屋六兵衛本舗」が、昭和三十年頃売り出した、「雪たん飴」。そのネーミングは、山積みされた石炭に白い雪が降り積もる様子をイメージして命名された。商品名の候補に「石炭あめ」もあったという。

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有楽町「若鶏」昭和レトロ建築


03.07

往年の映画館街・有楽町に昭和二十五年に創業した焼鳥屋「名代 若鶏」の、個性的で存在感のある昭和レトロ建築。旧店名「寿」の看板を取り外した跡がファサード上部に認められる。


04.03

創業時の店名は「寿酒舗」、のちに開店以来の人気メニュー「若鶏」が店名として使われるようになったが、今でも正式店名は「寿酒舗」。


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昭和風情の居酒屋「江戸中」


2004.03

川反四丁目から五丁目に向かう突当りに建つ、木造二階建ての「江戸中」(えどちゅう)は、昭和六年創業という老舗居酒屋。初代から約八十年の間、継ぎ足され受け継がれた、焼鳥とおでんのタレの奥深さ。特におでんの味には定評がありファンが多い。


2004.03

かつては「江戸中」の左隣に「森の茶屋」、右隣に「竹寿し」があった。

料亭「濱乃家」は別格として、川反の居酒屋では最古の建築物。酒樽のリサイクル椅子、年季の入った赤い漆塗りのカウンター、内装も外装も昔のままに、戦後の新しい建物に囲まれて、そこだけが時間が止まったかのように、昭和初期のたたずまいをみせている。


2007.08 お祭りの夜

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関連リンク

古今東西おでん物語 名店探訪/秋田・江戸中(全2ページ)

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ツンデレな焼菓子・栗煎餅



一般の煎餅よりも、ちょっと高級で、めったに買ってもらえなかった栗煎餅。

昭和二年に栗煎餅を売り出した、山梨県の松月堂が意匠登録権をもっていたが、権利が更新されないまま、戦後になって各地に類似品が出回ったものという。真似られて全国で販売されるほど、魅力のあるお菓子だったわけだ。

写真のものは通町「せきや」にて購入した山口製菓(岐阜県)の製品。牛島駅前にあった嘉藤商店が始めた、お菓子専門チェーン店「この店かしや」でも見かけたが、惜しくも昨年末に倒産してしまった。駄菓子をはじめとする、なつかし系のお菓子が豊富に並び、しかも安く買える店だったのに残念。

原材料に「生あん・砂糖、鶏卵、みじん粉、栗ペースト」とあり、湿気ないようセロファンに二枚ずつ包まれたのが袋にパッケージされている。

生あん(白餡)の原料は「大手亡」(おおてぼ)という名の「白いんげん豆」。糯米(もちごめ)を蒸してから干した「道明寺粉」を、さらに砕いたものが「みじん粉」。煎餅なのに小麦粉を使わないのが特徴である。

パッケージの「おいしい召し上がり方」に、「お召し上がりになる前に、ちょっとお煎茶、牛乳、コーヒー等にひたしていただきますと、一段と栗せんべいのまろやかさがお口いっぱいに広がり、又格別のおいしさを味わっていただけます。」とある。

堅い煎餅のため歯の弱いお年寄りなどは、上記のようにお茶にひたして湿らせて柔らかくなってから食べたりする。しかし、コーヒーなどの香りの強いものにひたすと、せっかくの煎餅の風味が失われてしまう。セロファンをはがしてしばらく放置し、湿気させてから食べるのも良い。

堅さのあるままかじりつき、口に含み唾液で湿らすと、おそらくは「みじん粉」が効いているのだろう、それまでの堅さが嘘のようにサラサラと上品に解けてゆく。小麦粉を使った煎餅ではこうはいかない。

頑固で気が強いが、口に含むとやがて柔和に崩れ落ちてゆき、ほどよい甘さと香りが広がる、そんなツンデレ性格の栗煎餅、やみつきになる、なつかしき焼菓子である。

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関連リンク

栗煎餅・山家焼の製造販売:::松月堂:::

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「すずらん通り」にともる灯は



●すずらん灯の時代

土手長町通りから、旭川に架かる三丁目橋を渡った、通称「すずらん通り」、かつては「三丁目小路」、もしくは「三丁目橋通り」と呼ばれた商店街である。

「すずらん通り」の北に位置する通称「山王大通り」が、旧「二丁目小路」であり、現在の大通りも戦前は「すずらん通り」と同じ道幅の小路であった。

昭和初期、すずらんをイメージした街路灯「すずらん灯」が設置されたことから、三丁目小路が「すずらん通り」と呼ばれるようになったのは戦後のことと思う。


初期「すずらん灯」の一例(京都)

大正末期、京都の商店街に設置された「すずらん灯」をデザインしたのが、関西を中心に活躍した建築家であり、アール・ヌーヴォーを日本に紹介したことでも知られる武田五一(1872-1938)。

武田は祇園祭の山鉾の邪魔にならないように、祭りのときには首を振って折りたたむことがてきる、機能的かつ優美なヌーヴォー調の「すずらん灯」を考案。設置された街灯は好評を博し、その意匠はまたたく間に全国の商店街に波及していく。


静岡市 昭和初期


神戸元町商店街 昭和初期

昭和五年に封切られた映画「神戸行進曲」の主題歌に「雨の元町すずらん燈 ぬれて光ったアスファルト・・・」と歌われた、螺旋模様が眼を惹く元町の街路灯。

●秋田市一の盛り場・すずらん通り


『春宵・スズラン燈の市内三丁目橋通り』昭和十年「秋田魁新報」より
多重露光で街頭の数を増やした芸術写真

飲食店の他に、菓子店、酒屋、洋服店、電気店、レコード店、銭湯などが軒を連ね、戦前には夏になると夜店が並び、直進した突き当たりに、明治期から昭和四十年代末まで、劇場(凱旋座で始まりピカデリー劇場で終わる)があったことも手伝い、人通りの絶えない活気にあふれる商店街であった「すずらん通り」。

「すずらん灯」が設置されて間もない頃の、三丁目小路のにぎわいを文学的に活写した、昭和四年の新聞記事をご覧頂きたい。

一町一景(六)鈴蘭街燈の三丁目橋通り
 秋田市にも盛り場があるかと聞かれたら先づ三丁目橋通りを擧げるに躊躇しない。物産館から秋田劇場前へ通ふあの細い小路を足どり輕く行き交ふ夜の享樂者逹には唯(ただ)わけもなく明るく息づまるばかり雑沓する一種の集團意識がどんなに懷しく思はれることであらう。カフ井ー(カフェー)、蕎麥屋、菓子屋、エハガキ屋、化粧品屋、果物屋等々々に根をおろして生活するものゝ、すべては通りがゝりの銀ブラ連相手のしやうばい(商売)のみである。
 つぶらなスズラン街燈ににポツカリあかりがつく頃にはめまぐるしいテムポをもつてラッシュアワーが訪れる。褄(*つま)をとつて忙しげにお座敷通ひする川端の姐さん、バイブルを手に教會へゆくクリスチャン、もみあげ長きモダンボーイ、スカートをまくしあげて闊歩するフラッパー(*)等々々げにこの街こそは秋田市一の盛り場だ。(後略)
昭和四年「秋田魁新報」

   *褄(つま)をとる=着物の裾の端(褄)を持上げて歩くこと
   *フラッパー(flapper)はすっぱな娘。はねっかえり。おてんば。昭和初期の流行語。

戦時中の鉄鋼不足に影響され、各地の商店街に可憐な明かり灯していた「すずらん灯」のほとんどが、大戦末期までに金属回収のために撤去され街から消えてしまう。


すずらん通り 昭和三十年頃

昭和二十九年に復興完成した「すずらん灯」。



劇場は消え、商店も人通りも少なくなった今もまだ、「すずらん通り」には往年のにぎわいの残り香のような、特有の雰囲気が残っている。


三丁目橋にともる「すずらん灯」

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神戸元町商店街のすずらん灯



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