二〇世紀ひみつ基地

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2007年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2008年02月

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「中将湯」という銭湯と「バスクリン」

「ツムラ」といえばまず「バスクリン」を連想するが、明治二十六年創業の老舗・津村順天堂(現・ツムラ)の礎をつくったのが、奈良時代の悲劇の皇女「中将姫」が考案し、創業者の母の家に伝えられていた家伝薬を改良したという婦人薬「中将湯」(ちゅうじょうとう)である。この和漢薬からのちに「バスクリン」が誕生することになる。


明治三十一年 雑誌広告

広告にはまだ津村のシンボルマーク「中将姫」が使われていない。

ある日、社員の一人が「中将湯」の原料である生薬を刻んで余った、普段は捨てられる残滓を持ち帰り、自宅の風呂に入れてみたところ、温泉のように体が温まり、子どものあせもが消えるという思わぬ効果があった。

その噂はやがて世間に広がり、「分けてほしい」と銭湯の経営者が押しよせるようになったため、津村では商品化を決め、「浴剤中将湯」の名でを発売をはじめる。

「浴剤中将湯」を購入し特約浴場となった銭湯には、「中将湯温泉」と書かれた看板やのれんが配布された。




「浴剤中将湯」を導入した銭湯のなかには、従来の名を捨て「中将湯」と改名する湯も現れるほどの人気で、新規開業する際に「中将湯」と命名する銭湯も少なくはなかった。こうして「浴剤中将湯」の人気は全国に広がっていく。

秋田でもつい最近まで、楢山南中町に「楢山中将湯」、菊谷小路に「中将湯」が存在したが、どちらも廃業して今はない。


大正十三年 新聞広告





秋田県における「中将湯温浴特約浴場」はこの時点で、秋田市「中将湯」、平鹿「松の湯」、横手「鶴の湯」の三軒。秋田市長野下新町(南通の明田地下道寄り、マンション・アークシティのあたり)にあったこの「中将湯」が、秋田で初めて「中将湯」を名乗った銭湯であろう。


昭和二年 新聞広告
通町の佐野薬舗(現・佐野薬局)で販売した家庭用中将湯

浴剤としての「中将湯」の温浴効果は抜群であったが、夏場には温まりすぎるという欠点があった。そのため津村は年間を通して使えるように、生薬から温泉由来成分への転換を図った、日本初の粉末状の芳香浴剤「バスクリン」を昭和五年発売、内風呂のある家庭が少なかったため、これも「中将湯」のように銭湯を中心に販売された。

平成十五年、ツムラの創業百十周年を記念して、「中将姫の湯」が限定販売された。処方は異なるものの、「浴剤中将湯」と同様に、刻んだ100%生薬を不織布に入れた製品で、パッケージには中将姫のマークが印刷された。

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関連リンク

自然と健康を科学する 株式会社ツムラ
ツムラ ライフサイエンス株式会社

中将姫伝説



| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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アゴラ広場に巨大かぼちゃ出現


08.01.23 アゴラ広場

数日前から秋田駅前アゴラ広場に、水玉模様の巨大かぼちゃのオブジェが出現し通行人の眼を惹いている。

「水玉のかぼちゃ」といえば、現代アートの重鎮、水玉の女王・草間彌生。彼女の夢のなかにあらわれた巨大かぼちゃをテーマに多くの作品が誕生した。

この巨大かぼちゃのインスタレーション、2007年10月、香港のハーバー・シティにおいて開催された個展のために制作され、会場前の広場に設置された新作で、大きさは、高さ 4.2メートル、幅5メートル、奥行き5メートルという。

草間弥生が香港に贈ったメッセージは以下の通り。
夢の中からあらわれてきた私の巨大カボチャ 大好き
さみしいときもうれいいときも いつもわたしをはげましてくれる
大きな大きな心をもって
無限に宇宙の果てまでも
「愛は常しえ」とカボチャは語りかけている。
ハーバーシティへこのカボチャを見に来てくださったみなさん
戦争や不幸やテロはやめて、みんな仲良く平和にくらしていきたい
カボチャはあなたにそうおしえている
みんなもこのカボチャにかたりかけて欲しい。
そしてたからかに人生を美しくうたいあげてね。
私もみなさんと一緒に幸い多い前途を祝福してゆこう
私の志しとあなたの志しと一緒になって
人生の歌を歌おう
そして毎日毎日をいきいきと芸術的に生き抜いていこうね
人生ばんさい            草間彌生 2007

なぜ秋田駅前に草間彌生の巨大かぼちゃが現れたのか、調べてみたら、この1月26日からキャッスルホテル二階「フォーエバー現代美術館」にて、「草間彌生展 PUMPKIN FOREVER」が開催されるとのことで、これにあわせて設置されたインスタレーションに違いない。

本来ならば個展会場間近にあるべきものだが、キャッスル周辺にそれだけのスペースが無く、やむなくここに置かれたのだろう。人通りの多い秋田駅前にあることで話題性と宣伝効果も期待できる。



かぼちゃは空洞になっていて中に入ることができるが、今は立入り禁止とペンキ塗たての紙が掲示されていて入れない。実際は塗装済みの完成品を組み立てたもの、「ペンキ塗たて」はイタズラされないための用心である。

草間彌生に関連した YouTube 動画へのリンクをいくつか下記関連リンクにまとめたので、関心のある方はご覧頂きたい。

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関連リンク

草間彌生オフィシャル

フォーエバー現代美術館

大型かぼちゃインスタレーション
香港ハーバー・シティ

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関連 YouTube 動画

Yayoi Kusama

yayoi kusama slideshow

Yayoi Kusama - Kusama's Self Obliteration (1967) Part 1
Yayoi Kusama - Kusama's Self Obliteration (1967) Part 2
Yayoi Kusama - Kusama's Self Obliteration (1967) Part 3

| 散歩写真・路上観察 | 23:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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辻呉服店の昭和モダン広告


新聞広告 昭和10年

中央の図案家の手によるものか、モダンでセンスの良いデザインが、紙上でひときわ眼を惹く、辻呉服店(辻兵)の広告である。

効果的にちりばめられたカタカナの書体は、カタカナ文字だけで日本語を表記すべきであるとの主張を基に、カタカナを国字とする運動を展開した「カナモジカイ」が、大正十四年に賞金をかけて募集した活字字体を改良した「ホシ」とネーミングされたモダンかつ美しい書体。


「ホシ」活字見本

「ホシ」は文字の肩線(上の横線)をそろえた「カタセンガナ」(肩線ガナ)に分類される、分かち書きした横書きカタカナ文が、読みやすいように工夫された書体で、レミントン社から発売されたカナタイプ(タイプライター)にも採用されていた。

ちなみに、このカナタイプの文字配列である「カナモジカイ配列」から旧 JIS 配列が誕生し、のちに改良されて、現代の JIS キーボードにみられるカナ配列となった。

「株式会社モトヤ」から「カタセンガナ」のフォント「アラタ」が発売されているが、活字体の「ホシ」のほうが完成形といっても過言ではないほど、デザイン的には優れていると思う。

現在も活動している「カナモジカイ」については、下記関連リンクに詳しい。


新聞広告 昭和10年



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関連リンク

カナモジカイ・ウィキペディア(Wikipedia)

財団法人 カナモジカイ

関連記事

大町二丁目通り変遷
辻兵呉服店

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平成二十年度・梵天奉納祭&なまはげ太鼓奉納

一月一七日
秋田市赤沼・太平山三吉神社里宮



昨年は雪もなく春のような暖気のなかでの祭りだったが、今年は日中も氷点下の真冬日、梵天(ぼんでん)はこうでなくちゃ盛りあがらない。雪の白さにこそ梵天の極彩色が際だつ。

企業と団体の梵天が納まり、いよいよクラスマックスの村梵天。その前に、今年は「なまはげ太鼓」の奉納があった。



数ある「なまはげ太鼓」集団のなかでも、現在最も注目され評価が高い「なまはげ郷神楽(さとかぐら)」が登場すると、酔っぱらったオヤジから、「こごは女風呂でぇねぇど!!」(ここは女風呂でないよ)などと、昨今の「なまはげセクハラ騒動」をからかうヤジが飛ぶが、そんな声もやがて迫力のパフォーマンスに圧倒されて消え、最後は喝采が贈られる。

途中から、こちらも若手の注目株、田沢湖町の和楽器兄弟ユニット「安藤兄弟」の太鼓と笛が加わり、秋田民謡メドレーでしめくくるいつものプログラム。

「なまはげ郷神楽」と「安藤兄弟」によるコラボの動画が youtube にアップされている。

秋田まつり@麻布十番・なまはげ郷神楽&安藤兄弟 YouTube 動画

内容は昨年十二月中旬、麻布十番商店街で催された「秋田まつり」での路上ライブの模様。まず最初に荒々しい「なまはげ太鼓」。次が「安藤兄弟」の和太鼓と笛が加わりコラボレーション。最後が全員揃って秋田民謡メドレー。





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関連記事

ぼんでん(ひみつ基地内検索)

関連リンク

なまはげ郷神楽 YouTube 動画

なまはげ郷神楽

和楽器兄弟ユニット・安藤兄弟

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あやたんブログ「あやタメッ!」始動



1月15日から日テレ動画サイト、第2日テレ報道部内で、あやたんのブログ「あやタメッ!」始動。

伊藤綾子アナの「あやタメッ!」動画キャスターブログ リアルタイム【リアルエンタメ】

| 読む・観る・聴く | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ディスコ夜光虫の時代


新聞広告 昭和47年(1972)

昭和47年(1972)11月2日、協働社大町ビル一階にディスコ「夜光虫」オープン。これが秋田における本格的ディスコの誕生であった。ディスコではなくデスコとあるのが時代を感じさせる。



キャッチコピーが「夜の《六本木》をあなたに・・・」。「夜光虫」がオープンする前年、六本木に「メビウス」がオープン。生バンドとレコードの併用が普通だった従来のディスコに対して、「メビウス」は日本で初めてレコードとディスクジョッキーだけで営業。この六本木「メビウス」の成功を踏まえて同様な営業形態のディスコが次々に誕生していく。秋田の「夜光虫」もその影響のもとに誕生した。


新聞広告 昭和49年(1974)


新聞広告 昭和49年(1974)

秋田でのライブハウスの草分け的存在となる喫茶店兼酒類販売店「田中屋」。喫茶店チェーンを展開していたエルザの店舗は、秋田駅前店がコーヒーレストラン、仲小路店がコーヒーショップ、大町店がコーヒーレストラン、そして大曲店がコーヒースナックと記されているが、内容は全店変わらなかったと思う。「夜光虫」のコピーが「ROXY DISCO-INN」、まさにロキシー・ミュージック全盛の時代だった。



若者が集うプレイスポットだった当時の雰囲気が今も残る協働社大町ビル(現・協働大町ビル)。左手にエルザ、田中屋などが並び、突き当たりに「夜光虫」がスペースを占め、大町の夜に妖光を放っていた。

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関連リンク

六本木メビウス(MAHARAJA WEB SITE)

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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来客に「茶町遠くて」不調法

茶町の茶舗「繁田園」


秋田市茶町通り「繁田園」 04.07

武州狭山、現在の埼玉県に文化十二年(1815)創業の老舗・繁田製茶が、東北地区への狭山茶販路拡大の一環として大正五年、秋田市茶町扇ノ丁に支店を開設したのが今の繁田園。この秋田店からさらに、仙台繁田園、札幌繁田園、盛岡繁田園、東京繁田園がのれん分けされた。

繁田製茶が昭和初期にはじめた茶会から、のちに煎茶道流派「狭山流」(きょうざんりゅう)が誕生する。


新聞広告 大正十年

茶袋や店舗の看板にこの「丸に玉」の商標が使われていた記憶がある。商標が現在の「丸に州浜」に変わったのは、そんなに古いことではない。


繁田園側面 04.07

時代ごとに三層構造をみせる繁田園の建物はパッチワークのようで面白い。いちばん新しいタイル張りの店舗部分。焙煎機があるモルタル造りの後方(左)部分、その真ん中の二階部分だけが創業時のものと推定される三角屋根の木造建築。

はじめに初代木造店舗の後方をモルタルで改装、次に正面の木造店舗をコンクリート建築に新改築(昭和三十六年)、という順に改築を重ねた結果、現在のようなつぎはぎ建築物になったと想像される。できるならば、山形繁田園のように初代店舗を残してほしかったが・・・。

繁田園が進出地として選んだ茶町で、藩政期に独占販売を許された商品は、茶、紙、綿のほか、砂糖、畳表、傘、位牌、扇子などの雑貨品、これらは「茶町物」と呼ばれた。かつて茶も扱っていた梅ノ丁の那波伊四郎商店(現・那波紙店)は紙専門店となり、この町の歴史からすれば新参者にすぎない繁田園が唯一の茶舗として、ときおり漂う茶葉を炒る香ばしい香りとともに、今ではすっかり茶町のシンボル的存在となっている。

●「茶町遠くて」も今は遠くて

突然の来客に対して秋田市で使われてきた「茶町とぎくて」=「茶町遠くて」という、今では聞くこともなくなったことばがある。

茶町は砂糖の専売が許された唯一の町、つまり「茶町とぎくて・・・」とは、茶請けの菓子など「甘いものが用意できなくて不調法します」といったニュアンスの言い訳のあいさつで、物資不足で砂糖が貴重品となり、めったに手に入らなかった戦時中も、さかんに使われたという、なんとも奥ゆかしきことばである。

茶町三丁(縦文字が旧町名)

北から菊ノ丁(ニューシティービル裏、現・大町二丁目)、扇ノ丁(繁田園のある、現・大町三丁目)、梅ノ丁(那波紙店のある、現・大町四丁目)の茶町三丁は、旧町名のなかでも美しい町名。

昭和四十年代に茶町の町名は消えてしまったが、平成十六年、道路の愛称として「茶町通り」の名が復活している。


茶町通り 05.03

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関連リンク

茶の繁田・株式会社ハンダ

城下町やまがた探険地図: 繁田園茶舗
大正二年開設 山形繁田園

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那波紙店・町家
日米看板対決「ローソンvs繁田園」


| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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日米看板対決「ローソンvs繁田園」

サァーサァーお立会い、これより秋田は山王大通りに於きまして、史上まれにみる飲物容器看板対決、「ローソンのミルク缶」vs「繁田園の茶壺」の巻のはじまり、はじまり。御用とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで見ておいで。



まずはご覧あれ、手前に突き出す看板は、青地に白のミルク缶でおなじみの、もとをたどれば1939年、米国はオハイオ州のJ.J.ローソンさんが始めました、牛乳屋さんに端を発するローソンの商標。

おいしく新鮮なローソンさんの牛乳は、近在の家庭で評判を呼び大繁盛、やがてローソンミルク社という日用雑貨もあつかう会社に発展、さらには米国北部を中心にチェーン展開するまでに成長。これがコンビニエンスストア・ローソンの原点でございます。しかれども現在米国にローソンの名を冠するストアはございません。



サテその奥にひかえます、秋田市民にお馴染み、「丸に洲浜」の家印および店名を、茶壺がとり囲む繁田園の看板。武州のお茶どころ狭山、現在の埼玉県に文化十二年(1815)創業という歴史あるお茶の老舗でございます。

時空を超えた二十一世紀の秋田で相まみえました、米国代表「ミルク缶」と日本代表「茶壺」の対決、サテその対戦結果はいかがなりますことやら、それはまた次回のお楽しみということで、本日はこれにてお開きとさせていただきます。

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理髪館のあるY字路

デザイナーから画家に転身した横尾忠則による「暗夜光路」( 2000年発表)にはじまり、やがてライフワークとなる、Y字路をテーマにした絵画シリーズは不可思議で魅惑的な作品群である。(下記関連リンク参照のこと)

はじめてその絵画を眼にしてからというもの、Y字路を見つけては記録してきたが、心動かされる求心力がある魅力的なY字路にはなかなか出逢うことができない。横尾氏の描くY字路にしても、現実そのままの風景ではなく、撮影した素材を合成したものが多いという。

今までに記録した秋田市内のY字路のなかで、いちばんのお気に入りはコレ。



この道は中学校への通学路のひとつだった、なじみ深いY字路。場所は大堰端から太平川方面に抜ける旧楢山桝取町。藩政期は武士の給料であった扶持米を計る役職の「お桝取職」が住んだという町。

今は暗渠になっているが、Y字路の前を以前は堰が流れており、そこに小さな橋が架かっていて、左の小路を少し歩くと、うずまきかりんとうを造る家。右の道を進んでほどなくの桶屋では、職人が杉の木と格闘しながら大きな桶を造っていた姿を思いだす。さらに進んで右折すると、蛇行して太平川に注ぐ堰に架かる小橋、そして寺小路、百石橋、金照寺山登山口・・・。

まだ大堰端が暗渠となる前、このあたりは鬱蒼とした樹木も多く、夜ともなれば妖怪どもが徘徊していそうな、独特の雰囲気がただよう場所であった。

その分岐点にあって、このY字路を特別な存在にしているのが、戦前からの理髪店。薄くなった看板に右横書き表記で「館髪理木々佐」と記され、装飾のある人造石塗りのザラザラした壁面も印象的な、おもむきのあるレトロ建築となっている。

もうずいぶん前に廃業した理髪店前の、所有者のいない三角形の閑地に、電信柱と標識とゴミ置き場。





横尾忠則の描くY字路シリーズは夜景ではじまり、後には真昼のY字路も描かれて、それはそれで良いのだが、やはりY字路には夜景がよく似合う。

引き返すことのできない人生の岐路、または異界への分岐点のようにある、なにか言い様のない奇妙さをともなうY字路に立つときの感覚を、坂道研究家として著書もありY字路マニアでもあるタモリは、横尾忠則との対談のなかで、Y字路には「妙な居心地の悪い気持ちよさ」があると表現している。


理髪館のあるY字路 No.01/蒼月夜


大きな地図で見る

理髪館の消えたY字路・楢山桝取町
2014.12 理髪館解体


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関連リンク

「Y字路」横尾忠則
ほぼ日刊イトイ新聞 - Y字路談義。より、横尾忠則の描く「Y字路」画像

ほぼ日刊イトイ新聞 - Y字路談義。
横尾忠則・タモリ・糸井重里による対談、全18回

横尾忠則オフィシャルサイト


| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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産土参りと初詣



秋田市内で初詣の人出が多い神社といえば、赤沼の三吉神社、千秋公園の弥高神社など。それらの人気のある神社にお参りすることは結構なのだが、その前に各自の産土神社に詣でることを忘れてはならない。

産土(うぶすな)を簡潔にいえば、それぞれが生まれた土地の守り神。村の鎮守様のような身近な神社のこと。生まれた場所を離れて生活してる場合は、その最寄りの神社もまた産土となる。

ちなみに、藩政期における久保田町(まだ牛島、駅東地区、新屋、寺内などが含まれていない秋田市中心部)住民の産土神社区分けは次の通り。

「川尻・総社神社」佐竹氏入府前から久保田に住んでいた人々の産土社
「千秋公園・秋田八幡神社」内町(旭川以東)、武士町の産土社
「八橋・日吉(ひえ)八幡神社」外町(旭川以西)、町人町の産土社

| 祭り・民俗・歳時記 | 12:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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謹賀新年


二丁目橋を通過する市電 1960s


那波家防火並木、二丁目橋付近 07.12.31

昨年中は「二〇世紀ひみつ基地」を、ご閲覧ならびにコメントを頂きありがとうございました。
おかげさまでブログを開設して四回目の新年を迎えることができました。
本年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

平成二〇年 元旦

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