二〇世紀ひみつ基地

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2007年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年08月

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愛宕町の汗かき地蔵・新屋

旧北国街道沿いの新屋表町、浜田浜に向かう坂の下に愛宕町地蔵堂がある。


愛宕町地蔵堂(鹿島祭の日)07.06

お堂に安置された鎌倉時代の作と言われる、黒石で造られた地蔵さんは、火難・疫病除けの地蔵尊として地域の信仰が厚く、かつては、旧暦七月の祭日となれば、県内各地からも多くの参詣者が訪れて賑わったものらしい。


汗かき地蔵 04.06

昭和五十八年五月二十六日、日本海中部地震発生。地蔵さんの霊験か、愛宕町地域の家には何の被害もなかったが、地蔵講の世話人がお堂に入ると、重さ2トンはあるという地蔵さんは祭壇の前に倒れ、床板が壊れていた。

前方に置かれた祭壇や、小さな仏像を入れた厨子は無傷で、まるでそれらを避けるように倒れていた地藏さんの顔は、涙を流したかのように濡れていたという。

地震からしばらくして、お堂が改築され現在の姿になった。


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愛宕町地蔵堂

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関連リンク

汗かき地蔵まつり/志摩市観光協会

流汗地蔵/和歌山県高野山

汗かき地蔵/福井県坂井市

汗かき地蔵/福島県中島村

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モリアオガエルの卵塊・千秋公園


07.07

七月初旬、千秋公園の内堀の、水辺の草に産みつけられていた、モリアオガエルの卵隗。

産卵直後は白い泡状だが、日にちが経つと表面が乾燥して、画像のようなクリーム色に変わり、産卵から約一週間で孵化する。

孵化には卵隗を溶かす雨の助けが必要だが、雨の降らない日が続くと、卵隗の乾燥が進行して、中のオタマジャクシは死んでしまう。木の枝や草についた白い卵隗は、目立つためカラスに食べられることも多い。

乾燥してクリーム色になった卵隗を、福島県の一部では「金襴の袋」と呼ぶのだという。

卵隗はオタマジャクシの孵化と共に水中に落下し、その最初の餌になる。

梅雨時、金照寺山の底無し沼の周辺の木々に、モリアオガエルの卵隗が、たくさんの白い花が咲いたかのように、産みつけられていた、子どもの頃の光景を思い出す。

昔はどこにでもみられたモリアオガエルも、生息地周辺の樹木など植物の伐採、水質汚染などの自然環境の変化により個体数が減少し、一部の生息地では天然記念物に指定されている。

モリアオガエルの生息は、千秋公園内堀の自然環境が保たれていることの証左といえようが、今回確認できた卵隗は、外周から目視できる範囲では、たった一個だけであった。

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千秋公園内堀 07.07

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関連記事

内堀のカルガモ親子・千秋公園

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郷愁の駄菓子屋・牛島商店街

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07.7.8

梅雨時とは思えぬ、例年になく雲ひとつない晴天に恵まれた、今年の牛島の祭り。歩行者天国となる牛島商店街に存在する、昭和レトロ遺産「牛島のババの店」は、かき氷機もいまだ出されておらず、昨年と同様に閉店状態であった。

一方、「ババの店」に近い、商店街のもうひとつの名物店である駄菓子屋は、この日だけは盛況で客足の絶えることがなく、おばあちゃんも大忙し。

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07.7.8

牛島小学校が近くにあった時代は、下校時の子どもたちでにぎわった駄菓子屋も、小学校の移転、住民の高齢化で子どもの数は少なくなり、最近では昔を懐かしむ大人の客が多いという。

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店内 03.11

その昔、町内に一軒はあって、小銭を握りしめて「ごめんくださ~い」と入っていけば、店番のおばあちゃんが障子をあけて出てくる。そんな駄菓子屋も、秋田市内では、かろうじて数軒残るのみとなり、いずれは街から消えてゆく運命にある。

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牛島の祭り・三皇熊野神社例大祭

郷愁のかき氷屋・牛島商店街

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かぶく者たち・YOSAKOIソーラン系の不良性

高知のよさこい祭り手本にして生まれた、YOSAKOIソーラン系(以後「YOSAKOI系」と記述)の祭りの衣装や化粧には、「歌舞伎の隈取り」を手本にしたデザインが使われることが多い。

ヤートセ秋田祭実行委員会のメンバーで構成される、「酔楽天」のシンボルと、衣装にもそれが使われている。


06.6.25 ヤートセ秋田祭

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06.6.25 ヤートセ秋田祭

このようなデザインが好んで使われる理由は、「かぶき」という言葉の語源にあり、それがこの祭りの傾向を端的に表している。

「かぶき」は、動詞の「傾く(かぶく)」が語源の「異様かつ華美な格好で常軌を逸した行動をする」というニュアンスの言葉で、そのような人々は「かぶき者」と呼ばれた。「傾奇者・かぶきもの」とも表記される、安土桃山から江戸時代初期にかけて流行したライフスタイルであり、これが日本の侠客、不良のルーツともいう。

「かぶき者」とは、「婆娑羅・ばさら」、「伊達・だて」などと同義で、さらには「風流・ふりゅう」にも通じるもの。

既成概念に囚われず反骨精神旺盛、自由奔放にふるまう、武将を始めとする「かぶき者」たちは、アバンギャルドで高度な美意識をそなえた粋人・文化人でもあった。

慶長八年、京都四条河原において、歌舞伎の祖・出雲の阿国(おくに)が、男装の「かぶき者」の姿で舞台に立ち見物人を魅了。「いざやかぶかん、いざやかぶかん」の歌声で始まるその踊りは「かぶき踊り」と呼ばれ、阿国は「かぶき者」としての名を不動のもとする。これが歌舞伎のはじまりであった。

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出雲の阿国

長く続いた戦乱の世が終わり、太平の世の解放感が漂う時代、若い武士のなかには「かぶき者」を真似て、派手な衣装で身を包み、徒党を組んで大道を闊歩、喧嘩を生き甲斐とする「かぶき者集団」もあらわれる。

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KOEIのオンラインゲーム「信長の野望 Online ~破天の章~」に登場する職業「傾奇者」

それが意識的な選択だったか、もしくはインスピレーションであったかは知るよしもないが、YOSAKOI系にみられる歌舞伎のデザイン、それは中世から近世にかけて流行した「かぶき者」の象徴なのだ。

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04.6.27 ヤートセ秋田祭

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04.6.27 ヤートセ秋田祭

ハレの日のつかの間、派手なコスプレで、往年の「かぶき者」の、男伊達(おとこだて)女伊達(おんなだて)を気取って路上に踊るその祭りは、いにしえの「かぶき」の延長線上にある、民衆芸能の伝統にのっとった、風流(ふりゅう)祭りの新形態といえなくはない。

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06.6.25 ヤートセ秋田祭

北海道新聞が今年、「YOSAKOIソーラン祭り」が好きか嫌いかのアンケートを実施、この六月に発表したが、「嫌い」が53.6%と、「好き」を上回る結果となり、地元住民の過半数に煙たがられているイベントであることが実証された。

嫌いな理由は「規模が大きくなりお金が絡みすぎる」「プロの踊り子によるショーのようになっている」などの運営上の問題のほかに、「暴走族のようでどうも好きになれない」というような意見が多かった。

暴走族やヤンキーなどという人種も「かぶき者集団」の流れをくむものではあるのだが、現代の不良には往年の「かぶき者」や侠客がそなえていた侠気(おとこぎ)や、粋でイナセな美意識などみるべくもない。むしろ「パンク野郎」とか「ロックンローラー」のほうが「かぶき者」に近い存在といえよう。

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07.6.24 ヤートセ秋田祭

この祭りには、かつてこの国に存在し、庶民にとってある種の共感と憧れの対象であった「かぶき者」たちへのオマージュという一面があるに違いない。

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関連記事

狂い咲くあだ花の如く・ヤートセ秋田祭
路上に躍る・ヤートセ秋田祭07前夜祭
路上に跳ねる・ヤートセ秋田祭07

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関連リンク

ヤートセ秋田祭公式サイト

まるがめ婆娑羅まつり公式サイト
かぶき者・婆娑羅大名「佐々木道誉」の里、香川県丸亀のYOSAKOI系祭り

「かぶき」と「伊達」(戦国博・染色と衣)
歌舞伎図巻(戦国博・染色と衣)

「YOSAKOIソーラン祭り」腐敗の源泉シリーズ
商業化されたイベントの実態

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哀れ屈辱のブロンズ像・千秋公園

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07.06

千秋公園二の丸に建つこの銅像、どうやら公園内に住むカラスどもにとって、公衆便所と認識されているようで、白い糞の集中砲火を浴びて、ご覧のようなありさま。定期的に清掃作業をしているが、それも焼け石に水の状態である。

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05.06

公園内および周辺の銅像に、このような糞害はみられない。なぜにこの物件だけがこれほどの仕打ちを受けなければならないのか不可解、その理由をカラスに聞いてみたいものだ。

秋田ライオンズクラブが結成十周年を記念して建立した銅像の作者は、北村治禧。長崎市の「平和祈念像」で有名な北村西望の長男で日本芸術院会員、日展理事長も務めた彫刻家である。

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