二〇世紀ひみつ基地

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2007年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年05月

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カフェー白百合・大正レトロ建築


2003.11

千秋公園入口から和洋女子高へ向かう小路にある「白百合食堂」(白い建物)。五年ほど前に看板を外し、その後も営業を続けていたが、最近はノレンが出ているのを見たことがない。

その左にあるレトロ建築が初期の店舗。白百合食堂はもともとはカフェーで、広小路の十七連隊の連中に人気のたまり場であり、花見時には昼夜を問わずの盛況だったという。着物に白エプロンの女給さんがお給仕していたのだろうか。

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角地にL字型に造られた、珍しい形状の建物は、大正四年の建築という。車庫でふさがれて、一階部分が外から見えないのが残念だが、人造石塗の壁面の装飾などに、大正期のカフェーの面影を残している。窓の横、入口の上の壁面には看板を取り外した痕跡がある。

東京銀座日吉町に、日本初のカフェー「カフェ・プランタン」が誕生したのが明治四十四年。カフェー白百合が大正四年の開業だとすれば、秋田では最も早い時期のカフェーであり、ハイカラな建物とともに、好事家たちの注目を集めたものと思われる。

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大正時代のコスプレ観桜会


通町橋を渡る仮装行列

「川反連仮装行列」と題された、大正初期の絵葉書。

参加者は川反芸妓と料理屋の関係者と有志、おおよそ百五十名。川反四丁目の芸妓置屋に集合した参加者は、思い思いの扮装に着替え、午前十一時頃、楽隊を先頭に、後尾に馬鹿囃子を配して賑やかに町に繰出す。

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通町橋を渡る仮装行列

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羽根のあるフェアリーのような扮装も

一行は横町、豊島町、茶町、通町、土手長町などを練り歩き、広小路から中土橋を通って千秋公園に登り、本丸で観桜の酒宴を張るのだ。

行く先々は黒山の人だかり、多数の警官が取締るなか、恒例の行列を今や遅しと待ちうける。

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川反連のほかに各団体、組合等も仮装団を結成し市内を練り歩いたあと、千秋公園に観桜の宴を張ったが、その人数と華やかさで、川反連に優るものはなかった。

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旭川の土手にて

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千秋公園本丸にて

戦後になっても、昭和四十年代あたりまでは、盆踊大会、文化祭、地域のイベントなどで仮装行列は定番の行事だった。秋田市有楽町通りを車両通行止めにして開催された仮装盆踊りは、参加者も見物人も多く盛大なもので、奇抜な仮装を凝らして踊る人々の姿が、子供心には恐ろしさも伴って、えもいえぬ不思議な光景に映った。

西馬音内盆踊りの衣装と菅笠、顔を覆う黒覆面などは、生者が亡者に変身するための仮装であり、死者と生者のおたがいが踊り遊ぶ饗宴の場こそが盆踊りの本質だという。

江戸時代以来の伝統をもち脈々と受け継がれてきた仮装の文化。それは「自分ではない何者かに変身する」という、非日常のハレの日にだけ許される行為であった。

非日常と日常の境界があいまいになった現代では、仮装する意味が希薄になり、仮装文化は衰退してしまうのだが、日本人の仮装好きの血は、アニメキャラなどに扮装することを喜びとするコスプレーヤーたちに受け継がれ現代に蘇る。それは突然変異ではなく、人間の普遍的な変身願望の発露であるのだろう。

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川岸のポプラ並木に火の見の櫓


通町橋から上流を望む・昭和三十九年頃

通町橋から旭川上流を眺めると、右手川岸にはポプラ並木がつづき、その後方には、秋田市教育委員会、秋田市消防本部など市の関連施設が並んでいた。

ひときわ高く眺めの良い消防の望楼(火の見櫓)は、写真撮影の絶好のポイントで、ここから撮影した外町(とまち)界隈の写真をよく見かける。

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望楼から外町方面を望む

昭和三十年頃に出版された絵葉書から。例のように、この時代のカラー写真印刷は、白黒写真を製版段階で色分解(着色)したものなので色が不自然。

手前から通町橋、一丁目橋、二丁目橋。旭川東岸の土手はすでに消滅し、土手跡の一部に建物が建てられているのがみえる。

右手前に黄色い屋根の高砂堂。道路拡張により、店舗裏の工場の一部が削られ、店舗はセットバック保存された。

高砂堂の上方(南側)には、今も一部が残る旧野口酒造の蔵、さらにその南に、当時は高層ビルだった魁新報社がその威容を誇る。

かつては火事を発見する唯一の手段であった望楼も、電話の普及と高層ビルの増加による視界遮断により、秋田市では、昭和五十一年度を最後に望楼からの監視を廃止。

市役所とその関連施設が山王に移転したあと、消防本部跡地付近には「環境会館」「ホテルハワイ」がオープン。その頃はまだポプラ並木が残っていたが、護岸工事のときに消失した。

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旧「ホテルはくと」

「ホテルハワイ」は「協働社」の手に渡り「ホテルはくと」と名を変え、その後、ふたたびの経営者の入れ替えを経て、現在に至る。

今年七月オープンの「ホテルはくと」新店も、シートが外され、外観があらわになった。

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新「ホテルはくと」


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秋田消防署「望楼」跡


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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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カワイ楽器でギターを買った日・広小路



秋田市広小路で、約四十年のあいだ営業をつづけた「カワイ楽器」が、昨年十一月、中央通りに移転。

はじめてアコギを購入した、思い出深い楽器店である。

レコードは駅前の「全音」で購入することが多かったが、お目当てのものがないときは「カワイ楽器」に行く。今でこそ楽器・楽譜類が主体の店内も、当時は一階フロアの大部分がレコードボックスで占められ、その一角に備えられたレコードプレイヤーで試聴することもできた。手に入れたばかりのレコードに、はじめて針を下ろす瞬間のワクワク感は、CDでは味わうことのできない贅沢だった。

広小路の日本生命秋田ビルは、ずいぶん前に日本生命が移転し、最近は「カワイ楽器」だけになっていた。やがてこのビルも取り壊され、中央街区の再開発が始まるまでは、隣接した旧セントラルデパート跡地のように駐車場になるのだろうか。

「日本生命ビル」「セントラルデパート」「長崎屋」「モリタカバン店」「イワマ靴店」「モードササキ」「オノ時計店」「ヒラノビル」と建ち並んでいたこの区画も、現在は秋田中央道路(地下道)の出入口にあたるため、西側の五棟が撤去され、営業を続けているのは「スタジオパレットビル(旧・長崎屋)」のみになってしまった。

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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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春の風物詩「だるま祭り」平成十九年度

福一満星辻神社 だるま祭り
秋田市川反一丁目
四月十二日・宵宮 十三日・本宮
両日とも朝七時から夜九時まで
車両通行止めおよび露店は宵宮のみ

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今日の宵宮は穏やかな天候に恵まれて人出も多く、午後七時過ぎ、参拝の行列は高堂酒店のあたりまで達していた。ここ数年通っているが、こんなに長い行列は見たことがない。


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消える昭和・木内デパートの生ジュース


03.09 木内・仲小路側入口

木内デパートの一階奥(仲小路側)は食品売場で、テナントとして地元の有力店のほかに、新宿中村屋、クッキーで有名な泉屋東京、カステラの文明堂、東京榮太楼総本舗などの有名菓子店や、福神漬の酒悦、海苔の山本山などの老舗も入っていて、贈答品を買い求める客などで、いつもにぎわっていた。

その一角にあって、フレッシュな生ジュースを提供する、ジューススタンドのことを覚えている方も多いと思う。

それまで木内で果物をあつかっていた瀬田川果物店が、昭和四十年(1965)に始めた生ジュースは、当時東京で人気だった生ジュース店を視察し、試行錯誤をかさねたうえでの誕生だったという。当初はパイン、イチゴ、メロンの三種類で、一杯五十円。

ラーメン一杯が五十円ほどの時代だから、そんなに気軽に飲める値段ではないが、人工着色料に人工甘味料と香料でできた粉末ジュースや、それと大差ない自販機のジュースなどが主流だった時代、完熟の果物をジューサーでしぼり出した、本物の生ジュースの美味しさは格別のもので、おそらくは秋田初の本格的生ジューススタンドだったと思われる店頭には行列ができ、終日客足の絶えることがなかった。

最盛期には一日に五千杯も作ったというが、「木内デパートで飲む生ジュース」というブランドイメージもまた、人気の一端を担っていたに違いない。

秋田を代表するデパートとして活気に満ちていた木内も、中心街区商店街の衰退により、売り場面積の縮小を余儀なくされ、平成四年(1992)には食料品売り場を廃止、ジューススタンドは市民市場の果物店のなかに移転することとなる。

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04.10 デザートショップせたがわ・秋田市民市場

市民市場のスタンドのジューサーは木内時代のもので、生ジュースのほかに、そば、うどん、コーヒーにソフトクリーム、夏はかき氷、寒冷期は大判焼きもメニューに加わり、木内時代をなつかしむ人たちも立ち寄る、なかなかの人気店だったが、先日、「3月31日をもって閉店いたしました」との張り紙をのこして、惜しくも店を閉じてしまった。

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| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:13 | trackbacks:0 | TOP↑

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