二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

2007年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年04月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

旧秋田貯蓄銀行本店・昭和レトロ建築

大正九年に始まった金融恐慌の影響により、中小銀行の破綻が相次いだのを機に、大正十年四月、金融制度の改善を目的とした貯蓄銀行法が公布され(施行は翌十一年一月)、零細貯金を扱う貯蓄銀行は、資本金五十万円以上の株式会社に限り、さらには他の業務(普通銀行)との兼営は認められなくなったため、秋田銀行、第四十八銀行、船川銀行、仁賀保銀行、雄勝貯蓄銀行などは、営業を継続することができなくなってしまう。

そこで、県の指導により、県内の十五の銀行の代表者が発起人となり、資本金百万円の貯蓄銀行を設立することとなり、大正十年十一月、「秋田貯蓄銀行」を秋田市本町五丁目に開業する。当初は支店を置かず、既存の県内十五銀行の本支店を代理店とした。頭取に秋田銀行と同じく辻兵吉が就任し、取締役には本間金之助(本金)も加わっている。

昭和九年十二月、耐震耐火構造の新本店竣工。


秋田貯蓄銀行本店

所在地・秋田市本町五丁目(現・大町五丁目)
様式・近世復興式
施行・清水組
本館・鉄筋コンクリート造、二階建、一部中二階、塔屋、地下室付
出入口及び腰廻・花崗石貼付
壁面・タイル張り、一部にテラコッタ装飾
窓・スチールサッシにシャッター
正面出入口・防火鉄扉

20070331201313.jpg
営業室

20070331201328.jpg

昭和十八年、普通銀行での貯蓄業務の兼営が認められたため、設立当初の意義を失い、同年九月三十日「秋田貯蓄銀行」解散、二十余年の歴史に幕を下ろし、資本と役員の系統を同じくする秋田銀行に合併することになった。

その後は秋田銀行本町支店として営業を続けた建物は、現在「秋田銀行秋田支店」の看板を掲げているが、昭和十六年十月、第四十八銀行、秋田銀行、湯沢銀行の三行が合併し、新たに株式会社秋田銀行が設立された時、発足にあたり旧秋田銀行本店(赤れんが郷土館)に誕生したのが「秋田銀行秋田支店」であった。

終戦後、旧秋田銀行本店が進駐軍により接収されたため、やむなく旧本町支店の建物に秋田支店を移して現在に至っている。

20070331201347.jpg
秋田銀行秋田支店

タイル張りにテラコッタ装飾があった壁面は、近年コンクリートでのっぺらぼうに塗装され、かつての重厚感と風合いを失ってしまった。建物右手には竣工当時からの小さな日本庭園が残されている。

20070331201212.jpg
塔屋


-----------

関連記事

戦争に行ったモノたち・旧秋田銀行本店

| 秋田市今昔 | 21:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

鳥居に猫が登る春

20070324180845.jpg

秋田市千秋公園本丸、与次郎稲荷神社にて

猫は高いところが好きだ。
しかし、鳥居に登るとは、さすがは稲荷の守り猫である。
新しい鳥居は朱色の塗装がツルツルすべって、登りにくいのだそうだ。

20070324180820.jpg

しばらく見ないうちに、すっかり大人になってしまった。

-----------

関連記事

枯葉の蒲団にくるまって

| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

友川カズキ Live@渋谷APIA

2月20日、渋谷アピアにおける、友川カズキライブを、インターネットラジオで公開中。(現在、無料公開は終了)

20070323213520.gif

JJazz.Net-Japan Jazz Network-ジェイ ジャズ ネット

セットリスト
1.この世を踊れ
2.海みたいな空だ
3.青い水、赤い水
4.あやかしの月
5.夜の教室
6.ぜい肉な朝
7.サーカス
8.乱れドンパン節
9.赤いポリアン
10.月夜の浜辺
11.夢のラップもういっちょ
12.ピストル
13.井戸の中で神様が泣いていた
14.頑是ない歌
15.花月園
16.湖上
17.訳のわからん気持
18.メダカ三昧
19.ワルツ
20.エリセの目
21.女人菩薩

曲間のMCはほとんどカットされているが、少しだけ残されている。

来月はBS2の「フォークの達人」に出演。

NHK BS2「フォークの達人」

NHK BS2 4月7日(土)夜11:00~翌00:28
「フォークの達人」第十三回
出演・友川カズキ
演奏・石塚俊明、永畑雅人、松井亜由美、金井太郎
トークゲスト・なぎら健壱、篠原勝之

-----------

関連記事

産館ホールへ行こう
どこにもない絵・友川カズキ
友川カズキはコトバを越える
秋田の犬、EUで吠える


| 読む・観る・聴く | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

明治四十五年のミステリートレイン

●秋田発・行き先不明の珍旅行

明治の御代も、もうすぐ幕を下ろさんとする四十五年春、『秋田魁新報』誌上に「日曜遊覧団募集」なる不可解な広告が掲載された。

20070319195705.gif

列車を使った日帰りの団体旅行らしいのだが、目的地の記述が無い。場所の項目には「主催者側に於て趣向あり當日まて内密なりとす」の一文。

これは行き先秘密の臨時列車、あのミステリートレインのことではないか!。

当日の様子を『秋田魁新報』が「珍的団体(一昨日曜日の)」、『秋田時事新聞』は「呑楽(のんらく)団体」の見出しで記事にしている。茶目生の署名がある『秋田時事新聞』の冒頭はこうだ。

◎呑樂(のんらく)團體 茶目生
珍趣向、奇拔奇拔、行き先判明せぬ目隱し團體、遊べ春、梅の花毛の延び次第と云ふ珍無類の呑樂團體である

『秋田時事新聞』より

『魁新報』によれば、発起人は下肴町の大島商会を筆頭に、榮太楼、開運堂の二軒の菓子店、『秋田時事新聞』のほうは、商業会議所(商工会議所の前身)が統括する、と記している。

大島商会店主、大嶋勘六は当時、商業会議所の議員であり、自らが主催した「自転車遠乗会」で列車を利用し、秋田駅長とも強いコネがあった関係から、このイベントの企画を担当したのだろう。

目的地の選定などすべて秋田駅長に一任し、その内容は発起人にさえも秘密であった。

四月十四日、日曜日の朝、秋田駅に集会したのは、商業会議所のイベントだけに、旅館・料理屋の主人たちや、商店の旦那衆をはじめとして、川反芸妓、新聞広告を見て応募した人々、関係者、新聞記者を含めた男女七十余名。

20070319195646.jpg
参加した四人の川反芸妓のうち、ぽん子と花子

●愈々出発・列車は何処へ

ヘエー皆さん何處へ行くんでしようか、上りでしよう、下りでしよう、いづれも有耶無耶五里霧中の裡に午前八時半、三等別仕立の臨時列車は土崎方面に向かつて發車した

『秋田時事新聞』より

午前八時三十分、会員を乗せた三等臨時列車は、秋田駅から奥羽本線を土崎方面に向かい同駅に停車。

水越秋田駅長、廣瀬土崎駅長の先導で案内されたのは、明治四十一年に操業開始した土崎鉄工所(鉄道院土崎工場)。最新の設備と規模の大きさに会員たちは目を丸くしたという。

土崎鉄工所の見学を終えて土崎駅にもどり、午前十一時三十分発下り列車に乗ると酒宴が始まる。良い塩梅に酔いがまわったころ着いた駅は大久保駅であった。

八郎湖を眺めつつ1.5キロほど歩いた東伝寺の本堂で一休み。そこから更に細道を登り、ようやくたどり着いた場所は、飯田川公園の山頂であった。

現在は飯田川南公園の名で、山頂には八郎潟ハイツが建っている。明治三十八年の明治天皇御巡幸を記念して、二荒山を中心に整備されたという公園は、当時はまだ知名度の低い公園であったらしく、始めて見る光景を記者は次のように称賛している。

其風景の絶雅なること遙に男鹿の嶋山、寒風山に眞山、本山の袴腰の一角は靄々(あひあひ)の裡に包まれ、手前は八郎湖の銀波は波も靜かに鏡の如く右に森山孤立として聳えたる其風光の明媚なることは未だ世に知らざる公園として吹聽する價値は充分である

『秋田時事新聞』より

山頂から眺める、まだ干拓されていない八郎湖は、さぞかし雄大かつ秀麗であったことだろう。

飯田川村長、助役を始め、小玉合名の主人らが会員を迎え、幔幕を張りめぐらした会場で、蓄音機から流れる音曲を聞きながら、飲めや歌えの大宴会。宴もたけなわに達したころ、隠し芸、福引き大会などもあり、帰りには鰡(ぼら)と鮠(はや)の鮮魚を入れた籠をお土産に、名残惜しくも午後四時の上り列車で大久保駅から帰路に着いた。

●世界初のミステリー列車?

「ミステリー列車」の歴史について、『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように解説されている。

イギリスの鉄道において1932年(昭和7年)3月25日に1500人の乗客を集めて実施された「ハイカース・ミステリー・エクスプレス」が最初とされ、日本ではその列車を見た新聞記者が興味を持ち、当時の国有鉄道を運営していた鉄道省へこの企画を打診したのがきっかけとなり、それからわずか2ヶ月後の6月12日に「行先秘密?列車」の名で毎日新聞社との共同企画として運行されたのが創始である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鉄道の歴史に関する書籍を何冊か読んでみたが、大体同じような内容であった。これが本当ならば、明治四十五年の四月、秋田において催された「日曜遊覧」の集いが、規模こそ小さいものの、世界初のミステリー列車で、秋田駅が発祥の地ということになってしまう。

もしかして、これは鉄道史を塗り替える発見なのか?!。

もしも、この「日曜遊覧」が完全なオリジナルだとしたら、英国の「ハイカース・ミステリー・エクスプレス」を遡ること二十年前、それを企画したと思われる大島氏らの奇抜な発想力と、大いなる遊び心には脱帽するほかはない。

しかし、海外または日本国内において、明治期に行き先を秘密した臨時列車が運行された可能性もあり、その記事を見聞きした大嶋氏らが、秋田駅長に企画を持ち込んだとも考えられるので、今のところは「ミステリー列車秋田発祥説」の可能性を提起するにとどめ、今後の調査課題としたい。

明治四十五年四月の「日曜遊覧」以前に実現した、行き先秘密列車について、なにか御存知の方がおられたら御教示を賜わりたい。

-----------

関連リンク

ミステリー列車(Wikipedia)

八郎潟ハイツ

関連記事

自転車遠乗会・大島商会主催

大島商会(ひみつ基地内検索)

| 秋田市今昔 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

消える昭和・新国道沿いレトロ商店

20070317144707.jpg

新国道沿い山王十字路近く。昭和十八年建築という雑貨食品類を扱う木造レトロ店舗「小野商店」。

今は実質、自販機のみの開店休業状態で、経営する老夫婦はボケ防止のため、体の動くうちは店を開けるとのことだったが、とうとう解体工事が始まった。

開店当時、道をはさんだ西側は見渡すかぎりの田圃が広がり、隣の社会福祉会館のあたりも、寺の裏側に沿って田圃が、戦後しばらくのあいだ残っていた。「小野商店」の脇から東に延びる道路は、寺院を取り壊して昭和三十年代末に開通している。

間近にあった、通称「常盤町」と呼ばれた遊廓街(戦後は赤線)で働く姐さんたちも、この店の常連だったに違いない。

20070317144742.jpg

店内にあった「スゞヤのパン」とペイントされた陳列ケース。「スゞヤ」は、かつて秋田を代表するパン屋だった。


大きな地図で見る
旧・小野商店

| 散歩写真・路上観察 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

歓喜寺の地蔵さん・寺町にお別れ

20070310171420.jpg
07.01

百四十余年のあいだ秋田市寺町に立ち、人々の祈りと思いを一身に受け、外町のほとんどを類焼した明治十九年の大火をくぐり抜け、移ろいゆく街並みと人の世の流れを眺めつづけてきた、背中に元治元年(1864)と刻まれた歓喜寺門前の地藏さん。

20070310171403.jpg
07.01

数年前に目の前の小路が拡げられ、そうこうするうちに墓石がトラックで運ばれていき、お寺が取り壊されて、夏の日差しを優しくさえぎってくれたケヤキの大木も切り倒されてしまい、そして最後に残された地藏さんも、永年住み慣れた寺町から下北手の新しいお寺に運ばれていった。移転先の門前は人通りもなく淋しい。

20070310171351.jpg
05.02

20070328213720.jpg
03.09

20070310171341.jpg

20070310171329.jpg

-----------

関連記事

殺された保存樹たち・寺町定点観察

| 散歩写真・路上観察 | 17:30 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

帰ってくる「電波ダジャック」



ABSラジオ、3月18日(日)午後1時から、超神ネイガーラジオ「ハン・カクサイの電波ダジャック!」生放送2時間スペシャル放送!

ABSのホジナシ電波が届がねぇ地方に住む秋田出身の田舎者がださも、放送終わってがらネットで聞がへでけるんだど。「予定」ってなが、なんだが怪しいどもな。しかし、真っ昼間からこんたら電波流してもいんだがABS。

-----------

関連リンク

ABS超神ネイガーラジオ「電波ダジャック」
超神ネイガー公式ウェブサイト
超神ネイガー・Wikipedia

関連記事

チアーズとネイガーの日曜日
超神ネイガー&水木一郎ショー・アゴラ広場
ハン・カクサイの電波ダジャック!
竿燈マン現る・超神ネイガーショー
お色気大作戦・超神ネイガーショー

| 未分類 | 21:00 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

自転車遠乗会・大島商会主催

20070303143043.gif
明治四十二年・書籍広告より

日章旗が掲げられた秋田市下肴町の煉瓦造商店・大島商会前にずらりと並んだ自転車に、「秋田輪界の一大偉観」のコピー。右端にはカメラのレンズに好奇の眼を向ける子どもたち。

時は明治四十二年六月六日(日曜日)午前六時ごろ、彼ら五十余名はこれから能代までの自転車遠乗り、今で言うところのサイクリングに、いざ出発せんとするところである。

自転車が高価な贅沢品だった時代、まだ若い自転車遠乗会員たちは、医者や役人、商店の若旦那など、新し物好きな人たちであったと想像される。

20070303143026.gif
明治四十二年・書籍広告より

これが広告の下の部分。「自轉車は文明の利器なり 大島商会は文明の大自轉車商也」。

界に空前の偉觀を極はめしは大島商會の主催に成れる自轉車遠乘會にして一隊五十七名の會員は悉く秋田市内外に於ける愛輪家の粹を集め曾て秋田地方裁判所長として嘖々の令名あり今や民間に於ける有力の辯護士にして秋田市會前議長たる長谷川勝太郎閣下之に隊長たり一同車輪を列ね「大島商會主催自轉車遠乘會」と白地に赤く染め拔きたる小旗を飜し東洋第一の製材所たる秋田挽材株式會社を有する能代町に入るや郡町長閣下及三浦縣會議員殿其他同町の有志は叮重なる歡迎を與えられ井坂挽材會社長は特に一行の爲に茶菓酒肴を饗する等盛大を極めたり

20070303143012.gif
魁新報広告

別の日の広告には「途中故障生ずるとも多数の職工を同伴させ手当てするから心配なく」と万全を期して迎えた当日、能代までの行程は、秋田駅八時十四分発の貸切二等車に自転車とともに乗車、五城目駅(現・八郎潟駅)に向かい、五城目駅から自転車で能代を目指す。協賛会員は往復とも汽車を使い、能代町で自転車隊と合流、山本倶楽部にて宴会。午後七時五十六分の最終列車で帰途につき、大島商会に帰り着いたのは午後十時頃であった。

遠乗会の参加申込所は、大島商会のほかに秋田三新聞社とある。当時の秋田市の主要新聞社といえば「秋田魁新報」「秋田時事新聞」「秋田公論」の三社。これらの新聞社も協賛していたようで、遠乗会の当日は記者が汽車で同行し記事を書いている。

翌明治四十三年五月、大島商会主催、第二回自転車遠乗大会開催。目的地は「日本一の小坂鉱山」。十四日の朝出発、十五日夜帰着の二日間、一行百五十余名、自転車隊は七十名の参加と記録されている。

大島商会が自転車の宣伝普及のために開催した遠乗大会は、秋田における本格的サイクリング大会の嚆矢ではないだろうか。

-----------

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 百年目の自転車遠乗会そして百哩大競走

二〇世紀ひみつ基地 百七年目の「自転車百哩大競走」復刻版

二〇世紀ひみつ基地 明治の煉瓦商店・旧大島商会

二〇世紀ひみつ基地 大島商会開業・明治三十五年

大島商会(ひみつ基地内検索)

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |