二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

2006年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2007年01月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

街中の廃墟・和食会館



秋田市中央通りに長いあいだ放置され、廃墟と化した五階建ての飲食ビル。
小豆色の外装は所々はがれ落ち、窓ガラスも割れたまま。

1970年代初期に建てられたビルの名は「和食会館」。
一階・喫茶店、二階・おでん・焼鳥、三階・郷土食、四階・中小座敷、五階・大広間。

20061229212943.jpg
一階・茶居珈

丸窓が印象的な一階の喫茶店「サンドイッチハウス茶居珈」は、焼サンドイッチの美味しい人気店であった。

すでに破損消失した窓ガラスは、その上部に設置されている明かり取りのように、アクリル製でドーム状だったと記憶している。

20061229212934.jpg
在りし日の茶居珈

20061229212923.jpg

中を覗くと窓の向こうにタマゴ公園の緑がまぶしい。公園の正式名称は「中通三丁目公園」、タマゴ型のコンクリート製遊具があるため、タマゴ公園と呼ばれている。

20061229212912.jpg
タマゴ公園から

「和食会館」のオーナー「レストラン東洋グループ」は、このビルのほか市内に二棟のビルを経営していた。

千秋矢留町、ホテルはくと向いの東洋ビル。現在は「オリンピア千秋公園」と名を変え、一階にコンビニが入居。

山王の「東洋ゴルフガーデン」は、コンピューターゴルフ、サウナ、プロショップの他に、喫茶店とレストランを備える四階建てのビルだった。

レストラン部門では、「レストラン東洋」の名で、秋田店(東洋ビル内)、山王店(東北グランドボール内)、土崎店(ミナトボール内)、男鹿店(男鹿駅前)を展開。

レストランを主軸に、幅広く事業展開していた「レストラン東洋グループ」の名が秋田から消えたのは、1980年代前半と思われるが定かではない。

ちなみに、現在、和食会館の五階は、二〇世紀ひみつ基地・中通支部が占拠し、夜な夜な秘密会議を開いている‥‥‥との噂がある。


大きな地図で見る
「和食会館」跡・2008年解体

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 廃墟ビル「和食会館」解体

二〇世紀ひみつ基地 中通タマゴ公園のひみつ・遊びの彫刻



| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:6 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

明治期の大手門通り


「衛戍病院を望む」画・広瀬柴波(石版印刷)
『千秋園風景』(明治三十六年)より

上中城の高台に建つ、衛戍(えいじゅ)病院を左手に、大手門通りの上り坂を広小路方向に歩く人影。水を湛えた堀には鴨が遊び、はるかかなたに鳥海山が頭をのぞかせている。

千秋公園二の丸の弥高神社前から坂を下りたところ(下図、赤マーキング位置)から南方を望むと、このような風景が広がっていた。

20061227231225.gif
昭和初期

すでに手形堀反町の堀は消滅している。

戦後、手前の堀は埋立てられ、残った堀も道路の拡幅により縮小される。大手門通りの拡幅および手形陸橋の工事が完工したのは昭和四十一年。

20061227231237.jpg
衛戍病院全景・明治末期

道路が中央で不自然にカーブしているのは、二枚の写真を合成したためと思われる。

広小路の城の正門・大手門(追手門ともいう)をくぐり、脳研前の唐金橋(今は土橋)を渡って二の丸へ入る通路は、正式な登城コースであり、参勤交代の行列もここを通った。「大手門通り」という名は昭和五十九年に設定された愛称。

久保田城の中枢である本丸と二の丸をとりかこむ、三の丸に位置する上中城および、国学館高校の坂を下った下中城には重臣の屋敷が置かれた。この周辺はトップクラスの家臣が住む一等地。

明治三年、上中城の高台の一角に、藩主から藩知事となった佐竹義堯(よしたか)の私邸・中城御殿が新築されるが、明治四年の廃藩置県後、佐竹氏は東京へ移住。

明治末期、歩兵第十六旅団司令部、歩兵十七連隊の衛戍(えいじゅ)病院、連隊区司令部など軍の施設が置かれ、終戦後まで続いた。

20061227231211.jpg
現在の大手門通り

●衛戍病院の変遷
戦中は陸軍病院と改称
昭和二十年 国立病院となる
昭和二九年 秋田県立中央病院完工(県立病院と国立病院が合併)
昭和四十三年 秋田県立脳血管研究センターオープン
昭和四十六年 県立中央病院を国に移管、秋大医学部附属病院発足
昭和五十一年 医学部附属病院、新病院(現在地)へ移転

-----------

関連記事

堀端の町・手形堀反町


| 秋田市今昔 | 22:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

旧ブラザー秋田ビル・中央通り

中央通りでずいぶん長いあいだ空きビルになっていた旧ブラザー秋田ビルに、ようやく買い手がついて、ただ今リフォーム工事中。



かつてこのビルの二階には、ブラザー工業直営のフィットネス&ダンススクールがあって、レオタード姿でエアロビする女性の姿がガラス越しに見え、インストラクターの掛け声が漏れ聞こえてくる賑やかでオシャレなビルだった。オーブンしたのはバブル期のはじめの頃だったと思う。

今度の入居者は山形に本社があり、県内でもすでに岩盤浴エステなど三店舗を展開している、エステサロンFCチェーン天咲グループの新店舗「BEAUTY SQUARE」。

デトックス岩盤浴にアンチエイジングサロン、さらにはストーンヒーリングなど、今流行のなにやらあやしげな香りのする施設のほか、小粋な寿司コーナーもできるというが、男どもには縁のない場所である。

ようやく空きビルがひとつ埋まったと思ったら、今度は向いの「きもの有坂」(本店・大曲)が移転のため売りに出されていた。

20061226212837.jpg


| 散歩写真・路上観察 | 21:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

広小路に魔除けの結界?

ここ数日のあいだに、広小路のアーケードの柱が赤く塗り替えられた。
それはまるで稲荷神社の幾重にも連なる朱色の鳥居のよう。


キャッスル前

この景観を無視した違和感のある、センスのかけらもないペイントは一体何なんだ。

赤は生命力と活力の象徴であり、また災厄を防ぐ魔除けの色。おそらくは、さびれきった街に見た目だけでも活気を取戻そうとの振興組合の意図があったのだろうが、結果は街の景観を大きく壊すことになった。

全ての柱が塗り替えられてしまったと思ったら、「木内」前とその駐車場前だけは以前の濃緑色のままでホッとする。「木内」だけが塗り替えに反対したのだろう。歴史ある昭和レトロ建築には、派手で落着きのない赤い柱は似合わない。それが普通の感覚だと思うのだが。

20061222210802.jpg
木内前

20061224101644.jpg
2003.04

2003年4月時点の木内前のペインティングはオフホワイト、その他の柱にはパステルカラーのアクセントが入っている。その後すべてがダーククリーンに統一され、今回の塗り替えに至る。


| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:7 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

消える街並・手形堀反町

いにしえは堀端の町、手形堀反町通りの特徴は、古い地形を活かした旧藩時代の堀に沿ってゆるやかなカーブを描いていることであり、それが一種独特の雰囲気をかもしだしているのだが、この界隈も区画整理のため、その姿を大きく変えようとしている。


完成イメージ

20061219201553.gif

事業計画書によれば、通りの入口西側の建物はほぼそのまま残されるが、東側のパチンコ「リボン会館」と隣接したビルが取り壊される。まっすぐに拡幅された道路は、かつてはお堀が水を湛えていた部分を通り、突き当りの結婚式場「セントポール教会」を右折して直進すると、線路の下をくぐる地下道が駅裏につながる。

20061219201535.jpg
2005.09

「伯養軒」があったあたり。周辺は久保田城の一部だったため、今でも佐竹家の所有地が多い。

西側の国鉄倉庫など関連の建物は、JR清算事業団の空地となり、現在その一部には結婚式場やマンションが建つ。駅側は区画整理も進み新しい建物が増えたが、西側で移転済みの建物は六割ほどか。

20061219201522.jpg
2004.02

左手にあった「札幌ラーメン・熊さん」のオヤジがつくるラーメンとチャーハンは旨かった。

この町には黄昏時がよく似合う。

-----------

関連記事

堀端の町・手形堀反町

関連リンク

秋田市-秋田駅西北地区土地区画整理事業


| 散歩写真・路上観察 | 22:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

堀端の町・手形堀反町

消えた堀の記憶(三)



秋田駅西口から広小路に向い、パチンコ「リボン会館」を右折し、手形方面へ向かう通りの旧町名を手形堀反(ほりばた)町という。西側に堀があったがゆえに命名された町名のため、正確には通りの東側(秋田駅側)が手形堀反町ということになる。

秋田市内の堀端に由来する旧町名を挙げると、木内デパート向いの古川堀反町をはじめ、長野下堀反町、亀ノ丁堀反町、長野下堀反町、手形堀反町。堀端の町のためいずれもその昔は片側町であった。

秋田駅周辺の旧町名を長沼町と称したように、駅周辺から駅東の一帯は、長沼、手潟(手形)、赤沼などが断続する広大な沼地であったが、手形堀反町は佐竹氏の都市計画により、元和年間(1615-1624)、明田の富士山(ふじやま)の土を、長沼を大舟で運んで造成され、高禄の家臣が住む武家屋敷となる。

20061217173148.gif

手形堀反町の堀は明治から大正時代にかけて埋立てられたが、堀を縁どる土手の面影は今も随所に残されている。

20061217173057.jpg
旧堀より土手の名残(上中城)を望む

現在、脳研や衛研など医療関係の建物が多くを占める上中城の高台は、藩政期は佐竹氏の重臣たちの大きな屋敷が連なり、明治期には、第十六旅団司令部、歩兵十七連隊の衛戍(えいじゅ)病院などが置かれた。

20061217173046.jpg
手形堀反町・上中城周辺
撮影・昭和50年(1975)
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省(C)

堀跡には住宅が密集し、土手の名残である樹木が上中城の台地を取り囲むように残されている。大手門通りの西、右下の白い部分も埋立てられた堀の一部。

手前の建物は、秋田大学医学部附属病院(旧県立中央病院)。作家の南木佳士が医学生のころ、つらい臨床実習をくり返していた病院である。

-----------

関連記事

足下の江戸・古川堀反町遺跡
公園外濠ノ景・風景を読む
幻の仁別川の流れを辿る
広小路から消えた堀

南木佳士『医学生』・秋大医学部

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

広小路から消えたお堀とホテルハワイ

消えた堀の記憶(二)


千秋久保田町 1973

まだオープンして間もないホテルハワイ駅前店。この数年後、西側後方に増築、客室を増やしている。

かつて永森館という旅館があった場所に建つホテルは、入口までのアプローチの両側に商店がある変則的な配置で、この時代には、アプローチ右手に「文具のイトウ」、左に「金田商店」があった。「文具のイトウ」は廃業し現在は空地、「金田商店」の建物は一時期、旧協働社の社員たちで営む「協働社」が使っていたが、現在はコンビニと二階に居酒屋が入っている。

「文具のイトウ」の右隣にある長屋、その隣の「キタヤパン」が入っていた長屋は今も同じだが、入居商店はここ数年のあいだにすっかり変わってしまった。通りの両側にあったアーケードも今はない。右端には堀を埋立てて建てられたガソリンスタンドが見える。広小路はまだ一方通行になっていない。一方通行の実施は昭和四十九年(1974)年七月から。

時代をさかのぼると、この一帯は穴門の堀、大手門の掘と並ぶ堀の一部であった。

20061207202847.gif
明治初期

黄色のマーキングが、ホテルのおおよその地点。
広小路から手形方面へ向かう土橋を渡った通路は、防禦のために鍵型に曲り、大手門通りは小路のように狭い。

20061207202818.jpg
ホテル前から駅方面を望む 2006

パイプで囲まれた空地が「文具のイトウ」跡。建物が取り壊されたあと、ずっと空地のまま。その向こうの長屋が左手(北側)に向かって傾斜しているのは、明治から大正にかけて堀が埋立てられたとき、土盛りが不十分だったためで、今もそのまま凹んだ地形になっている。

奥の黒いビルは、ムラコシ時計店跡に先ごろオープンした「コンフォートホテル秋田」。

-----------

関連記事

公園外濠ノ景・風景を読む
幻の仁別川の流れを辿る

| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:6 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

友川カズキ 秋田ライブ2006



友川カズキ ライブ2006
2006年12月15日(金)
秋田市文化会館小ホール
開場 6:00 開演 7:00

前売・3,500円
当日・4,000円
チケット取扱い・市内有名プレイガイド

共演
ドラム・パーカッション 石塚俊明
ピアノ・アコーディオン 永畑雅人(ロケット・マツ)
バイオリン 松井亜由美

-----------

関連記事

どこにもない絵・友川カズキ
友川カズキはコトバを越える
秋田の犬、EUで吠える

-----------

関連リンク

石塚俊明 オフィシャル Web Site

PASCALS ファンクラブ
永畑雅人の率いるグループ、松井亜由美もメンバー

| 読む・観る・聴く | 21:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |