二〇世紀ひみつ基地

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2006年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年12月

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県立秋田図書館・広小路


昭和初め頃の絵葉書より

秋田市広小路に面した東根小屋町に昭和三十六年まであった県立図書館、正式名称「大正天皇御即位記念図書館」。平野美術館前の土手から堀越しに撮影している。

大正四年十月着工、同七年十月落成。総建坪三百五坪、中央にマンサード屋根を載せたルネッサンス式の本館は木造二階建、腰回りに仁別産花崗岩、外壁は人造石塗。耐火性を重視した書庫は、鉄筋入煉瓦造三階建、モルタル塗の外壁。

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大正期の絵葉書より

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図書館前の道端に明治期に設置された水道の共用栓がある

特色は普通閲覧室のほかに児童閲覧室と婦人閲覧室を別個に設けたことで、講堂は公演会や講習会に利用され、陳列室では各種展覧会が開催された。

昭和三十四年、皇太子御成婚の当日、NHKが図書館前に街頭テレビを設置している。

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現在の同地点

図書館の敷地は、日本生命秋田ビルおよび、旧セントラルデパート(現・駐車場)のあたり。

図書館が建てられる前、ここには弥高神社があった。


弥高神社 右手に広小路

この社殿は、明治四十年、八幡神社が千秋公園本丸の秋田神社に合併されたあと、建物だけが残っていたもの。

平田篤胤を祀る弥高神社の歴史は、明治十四年、八橋の日吉八幡神社境内に小社・平田神社が創建されたことに始まる。明治四十二年、秋田県教育会が主催となり、広小路にあった八幡神社の旧社殿(上の写真)に遷し、佐藤信淵を合祀して弥高神社を創設。大正五年、千秋公園二の丸の現在地に再び遷され今に至る。

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県立図書館の変遷

明治十二年、西根小屋町に秋田公立書籍館が創立される、これが県立図書館の前身。
明治三十二年、千秋公園の現・佐竹資料館(旧市立美術館)の場所に県立秋田図書館設置。
大正七年、東根小屋町に新館落成。
昭和三十六年、千秋明徳町に新館落成(県民会館に併設、現在は生涯学習センター)。
平成五年、山王に新館落成。名称を「秋田県立図書館」に改める。


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秋田駅前・1970年代初頭




現在ヨーカドーが建つ地域。

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角地の信太商店、信濃屋旅館、川上カバン店、天龍ビル、銀座街、平和通り。
この時代、信太商店の裏、中央通り側には「カレーショップかまくら」があった。

清酒と電機メーカーのネオンが輝いていた駅前も、今では消費者金融の看板ばかりだ。

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末広町・消えた駅前小路


昭和五十年代

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末広町・昭和四十一年頃

末広町でまず思い浮かぶのが、銀座街との角地にあった、駅前食堂「まんぷく」の、薄汚れたバラック風のたたずまい。

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新聞広告・昭和五十二年

朝から酒が飲める安くてうまい「食堂まんぷく」(通称・まんぷく食堂)の名物で、いちばんの人気メニューだったのは、年季の入った一人用アルミ鍋で食べる「肉鍋」。

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豚肉、豆腐、野菜などの他に、汁のしみ込んだ焼麩が入っているのが特徴。県内の食堂では今もこの形式の肉鍋を提供する店があるが、この秋田流肉鍋は「まんぷく」が元祖なのだろう。

昭和五十三年、駅前再開発で取り壊されたあと、中央通りを隔てた南側に移転して営業を続けたが、平成十二年、惜しまれつつ店を閉じてしまう。戦後の食料難の時代から、約五十年のあいだ県民に親しまれつづけた、秋田を代表する駅前食堂の終焉であった。

「まんぷく」の筋向かいにあった「春駒食堂」は、イヤタカ会館近くに移転して、現在も営業中。メニューには「肉鍋」もある。

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11月前半サーチワード・「東京タワー」急上昇


06.11.01-14 トップ10

11月1日から14日まで、閲覧者がどのようなサーチワードで、このブログにアクセスしたかを解析したグラフである。

「††††††」は解析不能。

11月に入ってから、延期になっていたフジテレビ系ドラマ『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』の放送が11月18日に迫り、番宣スポットが流されるようになったため、「東京タワー 主題歌」「マイペース 東京 森田貢」など、それに関するキーワードが急上昇中。

大半が番宣で流れる「東京へはもう何度も‥‥」という主題歌のフレーズを、はじめて耳にして検索しているようだが、BEGINがカバーする『東京』は、リリー・フランキーの原作冒頭のイメージにもぴったりな永遠の名曲だと思う。できればマイペースによるオリジナルを使ってほしかったが‥‥。

クランクイン直前の名プロデューサー・久世光彦の急逝から始まり、極楽・山本の不祥事による延期、一時はお蔵入りかと噂されるなか、難産の末ようやく日の目を見ることになる『東京タワー』は、フジにとっては因縁めいたドラマとなった。

秋田関係のキーワードでは、季節物のキリタンポの「鈴和商店」、トップ10には入っていないが「鈴為のミルク焼」などが伸びている。

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きりたんぽ・鈴和商店

「ミルク焼」は郷愁の風味

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クサレタマグラ・秋田方言

クサレタマグラなんさでもハマル

「タマクラ」とは、鎌や鉈などの、刃物と柄の間をつなぎ止める金属製の輪っかのこと。肝心かなめな部品であり、これが壊れたり腐ったりすると使い物にならない。



「タマクラ」が腐食して締まりが悪くなり、なんにでもハマル状態を、役に立たないくせに、何にでも口出ししてお節介を焼く者にたとえて「クサレタマグラ」と呼ぶ。それを肯定的にとらえれば、好奇心・弥次馬根性旺盛な者と拡大解釈することもできる。

別名「ボッコレ(壊れ)タマグラ」「メクサレ(目腐れ)タマグラ」。

しかし、一般的にいわれているこの説には不自然なところもある。「タマクラ」が腐れたり、壊れたりすることは、「なんにでもハマル」というよりは、「グラグラして使い物にならない」状態になることだ。だから、「クサレタマグラ」「ボッコレタマグラ」とはもともと、単に「使えない・役に立たない者」をさす言葉で、それが時代とともに変化したのではないだろうか。

「クサレ」は「腐れ」という意味のほかに、「クサレ○○○」などと使われる、罵倒語の接頭語にもなる。「クサレタマグラ」もその類の言葉といえるだろう。

その語源

「タマクラ」の語源は、万葉集の枕詞にも用いられる「玉釧・タマクシロ」=「上代の装飾品、玉で飾った腕輪」との説があり、また、「環・タマキ」=「手に巻く装身具」と「輪・ワ」が重なった「タマキワ」の転訛したものともいわれている。

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発掘された銅製の「環・タマキ」

腕に着けたまま葬られたため、その骨が残っている。

もうひとつのタマクラ

頚に白っぽい環状模様がある太いミミズを、「タマグラ」「タマグラミミズ」と呼ぶが、宮城県では「タマグラ」は「カタツムリ」をさす方言なのだという。

また、木の枝を二つ割りにして、魚を焼くときの焼き串としたものを、ばらけないように留める、木製もしくは土製(素焼)の輪っかのことを「タマグラ」と呼んだ。この焼き串は「挟み串」といい、魚の形をこわさずに焼くときに使われる。

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木製タマグラ

縄に通されて連なる形が、古代の「玉釧・タマクシロ」のようだ。

民族学者・柳田国男によれば、「タマクラ」はタマキ(環)のことで、魚を焼く木の枝や割竹の類、または藁苞(わらづと)を一つに束ねるための道具としているが、「タマクラ」という言語の分布については記していない。広い地域で輪っかのような環状の道具をすべて「タマクラ」と呼んだ時代があったのではないだろうか。

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秋田の犬、EUで吠える



友川カズキは、三上寛、恩田晃らとともに、十月二十八日から十一月九日まで、ベルギー、スイス、フランス演奏旅行中。

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ベルギーでのフェスティバルから始まり、ブルゴーニュ、マルセイユ、リヨン、ジュネーブ、メッツ、ストラスブール、パリ、ナント。

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最近は日本でもこんなに連続してライブをすることはない。かなりきついスケジュールのなか、友川は連日ワインの海にたゆたうていることだろう。

12月には秋田で久々(三年ぶりか)のライブが開催される。

友川カズキ ライブ
12月15日(金)
秋田市文化会館小ホール
18:30~20:30

前売・3,500円
当日・4,000円

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平和通り・消えた駅前小路


平和通り入り口・昭和五十年代

左手に菓子の「田村屋」、右手は玩具と書籍の「ヤマサストア」。

平和通りの完成は、隣接した銀座街と同じ昭和二十三年。一コマが間口二間、奥行一間半と銀座街より狭く、トイレは共同。二階を住まいにする店が多かったが、階段にすると場所をとるのでハシゴ段が設けられ、子供のいる家庭ではハシゴに蓋をして落ちるのを防いだという。

昭和三十三年、アーケード完成。これが秋田市初のアーケード街。

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平和通り店舗・昭和四十一年頃

「小林菓子」と「大柳洋品」の間には、銀座街の「幸楽」の裏口があった。

洋品の「かめや」は、のちに同経営の「ジーンズショップ・アベニュー」、「平和食堂」は「平和寿し」となる。

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昭和二十九年(1954)新聞広告

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昭和四十三年(1968)こどもの日 新聞広告

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「ポパイ」前より駅方面を望む

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