タダでも見たくない「相田みつを」の書
アルヴェでやっている「相田みつを展」の観覧者が一万人を超えたらしいが、自分はこの人の「書」に強い拒否反応を覚える。
相田みつをの画くコトバ自体は間違いではないだろう、しかし「人間だもの」という諦め(明らかに見る=諦観)または全肯定は、否定の連続という苦悩のプロセスの末に得られるもので、その結論よりも、そこに至る道、行程こそが貴いのだ。
プロセスを抜きにした「人間だもの」という安直で安悟りな結論は、インスタントな癒しを求める現代人にこそふさわしい、軽薄でその場限りの「気づき」でしかない。
そんな理屈を抜きにしても、その作品にただよう「あざとさ」、または「嘘臭さ」といってもいいが、言葉では表現できないイヤラシサには吐き気をもよおす。そんな自分はひねくれ者だろうか。
それを商売にしている者たち、そして、みつを風の書を画く二番せんじの、みつをモドキたちもまた同様である。
相田みつをの画くコトバ自体は間違いではないだろう、しかし「人間だもの」という諦め(明らかに見る=諦観)または全肯定は、否定の連続という苦悩のプロセスの末に得られるもので、その結論よりも、そこに至る道、行程こそが貴いのだ。
プロセスを抜きにした「人間だもの」という安直で安悟りな結論は、インスタントな癒しを求める現代人にこそふさわしい、軽薄でその場限りの「気づき」でしかない。
そんな理屈を抜きにしても、その作品にただよう「あざとさ」、または「嘘臭さ」といってもいいが、言葉では表現できないイヤラシサには吐き気をもよおす。そんな自分はひねくれ者だろうか。
それを商売にしている者たち、そして、みつを風の書を画く二番せんじの、みつをモドキたちもまた同様である。
| 未分類 | 23:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑
⇒ blog-entry-1032掲載の崎衆 (12/11)
⇒ around40 (12/09)
⇒ FMEN (11/16)
⇒ 梅 (11/16)
⇒ (10/21)
⇒ 川端たぬき (10/15)
⇒ taic02 (10/15)
⇒ 梅 (10/07)
⇒ 川端たぬき (10/05)
⇒ 洋 (10/05)