二〇世紀ひみつ基地

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2006年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年09月

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もうすぐPMA・大町に音楽があふれる


The Power of Music from AKITA 2nd
9月2日 前夜祭(サンパティオ大町)
9月3日

「音楽の力で秋田の街から、ドキドキ、感動を」というコンセプトのもと、秋田で活動するアマチュアミュージシャンが一同に集結する「ザ・パワーオブミュージックフロムアキタ」、略して「PMA」が、さらにパワーアップして今年も開催される。

邦楽、民族音楽、ゴスペル、ジャズ、ポップス、ロック‥‥‥など幅広いジャンルから選出された76グループに加え、プロミュージシャンもゲストとして参加。

今年もサンパティオの会場で、大好きな「あがた森魚」を聞けることだけで、もうおなかが一杯なのだが、近現代大衆音楽の集大成「ダースコちんどん隊」と、チャーミングなポップスを聴かせる「チアーズ」も聞き逃せない。

「あがた森魚」と「ダースコちんどん隊」は相通ずる世界観があり、共通のレパートリーもあるので、是非いちど共演を実現してほしい。

あとは、なにせこれだけのグループが、各会場で同時にパフォーマンスをくり広げるのだから、どれを選ぶか嬉しくも悩ましい選択に迫られる、とても贅沢な一日なのだ。

「あがた森魚」は4日は某蕎麦屋にてライブ、そして5日の17:00から、大町ニューシティー地下で無料ライブを開催。

出演者、会場などの詳細はPMAオフィシャルサイトへ。

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関連リンク

The Power of Musicfrom AKITA

あがた森魚公式インターナショナル・ホームページ

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PMA・大町で音楽に浸る (第一回)

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郷愁のかき氷屋・牛島商店街


太平川橋より牛島商店街を望む

●牛島の商店街

秋田市の牛島商店街は江戸初期、参勤交代の街道(羽州街道)として開かれ、それ以来商業の栄えた通りであり、仁井田、雄和の人々は、全ての用をここでまかなったという。

牛島の商店街は、生家からいちばん近い町、さまざまな想い出がつまった自分の原風景のひとつ。

今は消えてしまったなつかしい店をあげると、貸本屋「牛島文庫」、「鳩文堂書店」、銭湯「三皇の湯」、パン屋「三皇堂」、お菓子「甘泉堂」、文具「飛田商店」、「石川馬具店」等々。三皇神社の近くには、三皇さんにあやかってその名を冠したパン屋と風呂屋があった。

なかでも印象深いのは「石川馬具店」。革製の鞍や手綱、大きな馬鈴など、珍しいものがあふれかえり、馬具職人が働く店頭に立ちつくし、しばらくのあいだそれらを眺めるのが常であった。まだ農耕馬や馬車が現役で活躍していた時代だったから、店も継続できていたのだろう。

そして忘れてはならないのが、今も奇跡的に残っている、夏はかき氷、冬は大判焼きの店「佐々木」。看板がないので「牛島のかき氷・大判焼き」とか「牛島のババの店」と呼ばれ、大概はそれで通用する。

●夏祭りの夜はノスタルジックワールド

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04.07.11 牛島のお祭りの日

昭和の遺産のような年季の入った建物は往時のまま、 ガタピシの引戸を開けて中に入れば店内も昔と変わらず、あの夏の日、兄弟と一緒に、かき氷をあわてて食べて、頭がツーンと痛くなった記憶が、蝉時雨の音とともに脳裏によみがえってくる。

あのころは、おばさんと、おばあさんの二人が働いていたが、おばあさんは亡くなり、 今はおばあさんになったおばさんが、ひとりで切り盛りしている。ちょっと頑固なおばあさんである。

普段この通りは交通量が多く、歩くのもままならないほどだが、一年に一度、牛島のお祭りの日だけは歩行者天国となる。車の通らない通りは、夏祭りという装置がタイムマシンとなって、子どものころに遊んだ、あのなつかしい、風情ある静かな街並みが現代に再現されるのだ。

陽も落ちて、かき氷屋の店頭に明かりが灯るころ、そのムードはますます高まる。約四十年ぶりにお祭りに出かけた夜、この光景を眼にして鳥肌が立った。あたかも昭和三十年代の夏の夜にタイムスリップしたかのような光景は、再現されたジオラマのような仮想現実感をともなってはいるが、夢ではなく、確かに今ここに存在しているのだ。

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04.07.11 牛島のお祭りの日

●かき氷屋におつかいに

まだ冷蔵庫が高嶺の花だったころ、夏の暑い盛りの夜、この店に氷のかたまりを買うおつかいに行かされた。持参したアルマイトのボールに入れてもらった氷が溶けないように、子どもの足で十分ほどの帰り道を急ぐあまり、すっころんで氷が土まみれになったこともある。

氷はキリで砕いてタイガー魔法瓶に入れて保冷するのだが、そのころの魔法瓶の内部は今のようなステンレス製ではなく、ガラスに銀メッキを施したものだっため、乱暴に氷を入れたりすると、すぐに壊れてしまうので気をつけねばならなかった。

「渡辺のジュースの素」(粉末ジュース)を水に溶かし、氷を浮かべて飲むのが当時の楽しみであった。

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魔法のランプのような当時の魔法瓶

●残したい昭和のたたずまい

今年の夏祭りの日、かき氷屋は書き入れ時だというのに、残念ながら店を閉じていた。その後すぐにはじめたようだが、なにせお年寄りが一人、マイペースで営業しているため、休みがちだったり、涼しくなって大判焼きの季節が到来しても、なかなか開店しないことも最近は多い。

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こんな昭和のたたずまいを残した雰囲気のある店は、今や秋田市内では珍しく、できるだけ永く続けてほしいものだが‥‥‥。

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04.01 冬の大判焼き

一昨年、久々に入ったら、小豆あんの大判焼きだけだったのが、クリーム大判と鯛焼きがメニューに加わっていた。どれも一個70円というのは秋田では最安値ではないだろうか。ちなみに、かき氷は100円からだったはず。


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楢山表町・かき氷ストリート

牛島の祭り・三皇熊野神社例大祭

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 15:30 | comments:7 | trackbacks:3 | TOP↑

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愛おしき白玉の君に

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●白玉のおもいで

子どものころの夏のおやつで、いちばんの楽しみであり、忘れがたいのものは「白玉」である。

白玉粉に水を少しずつ加え、耳たぶほどの固さにこね、手のひらで丸めて、火が通りやすいように親指でエクボをつけ、まるで赤血球のような形にして茹であげる。その丸めて親指で押して扁平にするまでの仕事を、子どもたちも手伝った。だからでき上がった白玉は不揃いで、「これはオラがつくった」などとわいわいと言い合いながら口にしたものだ。

白玉は砂糖水で食べる。水に浮かべた白玉に砂糖をぶっかけて、かきまぜて食べるのである。まだ一般家庭には冷蔵庫が普及していない時代、生ぬるい砂糖水につかった白玉ではあったが、それはモチモチと柔らかく、ツルンとした舌触りと喉ごしが、たまらない涼味をもたらしてくれた。

白玉のもつ自然な風味を味わう最良な食べ方はこれに尽きる。シンプル・イズ・ベスト。

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白玉にとけのこりたる砂糖かな 高浜虚子

ツルンとした白玉に、溶け残る砂糖のザラリとした食感が野趣を添える。

●江戸の冷水売りと白玉

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冷水売り

江戸の風物を記録した『守貞漫稿』に掲載された「冷水(ひやみず)売り」の図である。

添えられた説明には「冷水売 夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉の団とを加へ、一椀四文に売る。求めに応じて八文・十二文にも売るは、糖を多く加ふなり。売り詞、“ひやつこい ひやつこい”と云ふ。」とある。

「寒晒粉(かんざらしこ)」とは、白玉粉の別名、「団」は団子のこと、つまりこれは冷水に白玉団子を浮かべ砂糖を加えた白玉売りのことである。砂糖の量で料金が変わり、白糖のみを加えた「砂糖水売り」もあり、容れ物には錫や真鍮など金属製のものが多く用いられたという。

子どものころに口にしたあの、おふくろの味「白玉」は、江戸の風情を今に伝えた、粋なおやつだったのだ。

桶に天秤棒で冷たい井戸水を売り歩く商売は秋田にも存在したことを、明治生まれの鷲尾よし子が記録に残しているが、その売り声は「ハッコイ冷水。ハッコイ!」と江戸と似て、一杯が一文か二文だったという。白玉砂糖入りの冷水もあったのではなかろうか。

明治の人、柴田流星は『残されたる江戸』のなかで「白玉入りかき氷」の魅力を著している。

心太と白玉

‥‥前略‥‥氷屋が店なる「白玉」のビラを横目に見て通りあえぬ。紅白の美しい寒晒粉を茹上げた玉幾つ、これに氷を交えて三盆白をふりかけた奴を匙で口にした気持ち、それが食道を通って胃腑におちいた時には骨の髄までも冷さが沁入るようで、夏の暑さもサラリと忘れたよう、何が旨い彼が好いと言ってからが、この味いはまた格別。それにこうして胆ッ玉まで冷やすところなざァ江戸ッ児に持ってこいの代物(しろもの)、これでなくちゃァすべてがお話にならねえのだと誰やらに言わしたら拳固で鼻ッ面を横撫でするところだろう。‥‥後略‥‥

柴田流星『残されたる江戸』明治四十四年 より

江戸っ子・流星のべらんめえ調の文章が可笑しい。

紅白の白玉にかき氷と、さらには白砂糖をぶっかけて食べる「白玉入りかき氷」もなかなかシンプルで美味しそう。

ちなみに、秋田市内で「白玉入りかき氷」といえば、楢山の斎藤もちやが有名。自家製の白玉は、さすがに餅は餅屋といえる一品である。

●新屋の白玉屋

白玉粉の別名「寒晒粉」は、精白したもち米を厳冬期に冷たい流水に十日間ほどさらし、乾燥製粉したことからの命名であるが、良質な米と水、そして寒冷な気候にはぐくまれて精製された秋田の白玉粉はとくに品質に優れていた。

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白玉粉・寒晒粉

かつて秋田市新屋地区には白玉粉を製造販売する米屋が二軒あり、県内はいうに及ばず、県外までも広く販路を持ち、夏の需要期には製造が追いつかないほどの忙しさだったという。

新屋はご存知の通り、良質な地下水に恵まれ、酒造業の盛んなところで、海が近く冬は寒風にさらされ、白玉粉の製造には最適の地であったのだ。

白玉粉が身近な存在であった新屋では、端午の節句には白玉粉と団子粉でつくるチマキをつくり、御盆には白玉を精霊に供え家族も食べた。夏の暑い盛りには、白玉に冷水を注ぎ、その上に砂糖と、みじんにした梅漬の紫蘇の葉を少しのせて食べるのだという。

●白玉はお月さま

子どものころ家で使っていた白玉粉の紙袋には、赤丸に白抜きされた兎のマークが印刷されていた。ソフトクリームでも有名な、昭和町の淡路製粉の白兎印である。

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淡路製粉・白兎印

月で兎が餅を搗く話があるように、「兎」は「月」を象徴しているのは言うまでもない。「月」は「搗き」であり、「望月(もちづき)」は「餅搗き」である。

古代「白玉」とは海の「真珠」を意味する言葉であったが、「真珠」は、月のしずく、月の化身、などと表現されてきたように、夜の天体の代表である「月」を象徴し、古来霊力を持つとされる「タマ(玉・球・珠)」=「タマ(霊・魂)」として尊ばれた。

だから陰暦八月十五日の望月=満月、中秋の名月の「お月見」には、月のように真珠のように丸く透明に輝く白玉団子を、お月さまにお供えするのだ。

月見団子の形は、関東では円球が主流だが、関西ではサトイモ型を用い、静岡県中部地方では、扁平で真ん中にエクボがある「へそもち」という団子をお供えする。その形状は、お馴染の白玉のようで面白い。

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関連リンク

淡路製粉オンライン

十五夜のへそもち(静岡第一テレビ情報サイト)

| 食材・食文化 | 22:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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AKITAカジュアルアーツフェスタ2006

2006 06.08.14-16
於・秋田市仲小路通り
主催・県、仲小路振興会

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| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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INSPiストリートライブin大町

06.08.19
大町サン・パティオ(秋田市)
トワイライトリレーコンサート
特別出演・INSPi(インスピ)

まだ日の落ちない暑さの去らぬ会場には、事前の告知がほとんどなかったにしては大勢の観客が集まり、なかには「追っかけ」とおぼしき女性たちも。

この中庭はまるで音楽を聴かせるために設計されたかのようなクリアな音を響かせ、広くも狭くもない空間は、演者と観衆とのあいだに濃密なコンタクトを演出する。

やがて六人の声が中庭に響きはじめ、その美しいハーモニーに魅了され、日が落ちるころには会場は大盛りあがり。最後の曲のあとも拍手はなり止まず、アンコールを一曲。

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いゃー、いいものを観させてもらった。夏バテ気味の体に元気を貰ったよ。無料では申しわけなく、投げ銭でもしたい気分。

本来ならばゲストのINSPiが最後のトリをつとめるのが常道だが、急遽の出演決定と時間の関係でトップを飾ったため、その盛り上がりのあとに出演したフォークデュオが、とてもやりにくそうだった。

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正三&タケロー

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ニュースピリッツジャズオーケストラ

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関連リンク

INSPiオフィシャル・トップページ
INSPiオフィシャル・スケジュール・旅ブログなど

サン・パティオホームページ
トワイライトリレーコンサート
日程と出演予定ミュージシャン

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この木なんの木・INSPiストリートライブ
土曜日のたそがれ時に


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この木なんの木・INSPiストリートライブ

日曜日の夜は、秋田県随一の民放局であった、ABS秋田放送(日テレ系)の紀行番組「すばらしい世界旅行」を見るのが恒例だった。

「すばらしい世界旅行」は、昭和41年(1966)10月に放送を開始し、平成2年(1990)9月の放送終了まで、長期にわたって放映され、その放送回数は1000回を数える。

いまだかつて見たことのない驚異の映像が、久米明の渋いナレーションとともに映しだされ、エンディングには単独提供していた日立グループのCMソング「この木なんの木」が流れていた。


モンキーポッド(ハワイ・オアフ島)

「この木なんの木」の正式タイトルは「日立の樹」、今でもTBSの「日立 世界・ふしぎ発見!」のエンディングで見ることができる。

平成14年(2005)2月から放映されている現在の「この木なんの木」は九代目で、歌はアカペラグループ・INSPiが担当している。

INSPi(インスピ)は、RAGFAIR(ラグフェアー)とともに、フジテレビ系「力の限りゴーゴゴー」のアカペラコンテスト「ハモネプ」にも出演し注目を集めていたグループだ。

11月の渋谷公会堂単独ライブに向けて、全国ストリートライブの旅を決行中のINSPi。8月19日(土)には秋田に入り、イオン秋田ショッピングセンターにて、FM秋田「au うたcafeSP」の公開放送、アゴラ広場でのストリートライブを行う予定。詳細は下記関連サイトで。

そのほか、夕方には、大町の「サン・パティオ大町」にて、恒例のトワイライトリレーコンサートの前、午後6時30分から特別出演するという。

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関連リンク

INSPiオフィシャル・トップページ
INSPiオフィシャル・スケジュール・旅ブログなど

サン・パティオホームページ
トワイライトリレーコンサート
日程と出演予定ミュージシャン

日立の樹オンライン
歴代CMが見られる

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 10:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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サーチワード公開・06.07月分と08月中間

以下は 訪問者がどのようなキーワードで検索して「二〇世紀ひみつ基地」にアクセスしてきたかを解析したグラフである。


06.07月分

「††††††」は不明。
上位の「ジョニー君」「エイトマン」「ダッコちゃん」「マジソンバック」は全国区であるため、毎月高いアクセスを記録している。

秋田関係では「金萬」「たいあん弁当」そして、生グソの「広栄堂」が健闘。

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06.08.17まで

8月に入って気温が上昇すると「広栄堂」「秋田 かき氷」や、秋田のお祭り、行事に関するキーワードが増える。

特に「広栄堂」の健闘は、そのままこの店の人気のほどを表している。

秋田 広栄堂【21】
秋田 広栄堂(半角スペース)【07】
秋田市 広栄堂【07】
広栄堂【07】
合計41件

「広栄堂」のアクセス件数は一位の「††††††」にも含まれているので、実際はこれよりもはるかに多い。

「広栄堂」が情報番組(テレ朝が東北六県で放映したラーメンランキング番組のなかでも紹介された)で取りあげられた後のアクセス数が多い。

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関連リンク

楢山表町・かき氷ストリート

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赤ずし・夏の郷土料理



「赤ずし」、別名「盆ずし」「けいとまま」「赤まんま」「赤もの」など。「けいと」は、この時期に咲く「鶏頭」の紅い花からのネーミングか?

県北から横手地方の山間部に伝承されている郷土料理で、自分が子どものころは食べたことがなかった。

炊いたもち米を桶に薄く敷き、その上に胡瓜または白瓜の古漬、塩もみした赤紫蘇を加え、笹の葉をかぶせて漬け込む。数日から一週間ほどで、ほどよく発酵し食べごろになる。

梅酢に漬けた赤紫蘇を混ぜる場合もあり、この方法ならば、漬けてすぐに食べることができる。

精霊棚や墓に蓮の葉にのせて供え、客にもふるまう。ときに砂糖や醤油をかけて食べ、酒の肴にもなり、味の濃いものは御飯の上にのせて茶漬けにする場合もあるという。

さっぱりとした味わいは、食欲の落ちる真夏にはかかせないものだった。

写真の「赤ずし」は、馬口労町の草市に出店している家から購入したもの。定番の赤紫蘇、胡瓜の古漬のほかに、ミョウガ、菊花、粒のままのブドウ(これが以外にマッチしている)が入り、ほんのりとした酸味と苦味が上品で、口当たりのさっぱりとした珍味である。

ブドウといえば、秋田には山ブドウともち米で漬ける「ブドウずし」がある。山ブドウの代わりにコハゼ(ナツハゼ)を用いる「コハゼずし」も同様なもので、「赤ずし」とともに植物だけでつくる珍しい発酵食品である。

秋田に近い津軽の西北部には、「赤ずし」に似た「すしこ」という料理があるが、こちらは秋の稲刈り時に体力をつけるための料理という。

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草市・馬口労町(2005)

関連リンク

赤もの漬けレシピ(あきたファン・ドッと・コム)
まま(赤)漬けレシピ(秋田地域振興局農林部)
コハゼが加えられている
まま(赤)漬けレシピ(JAあきた湖東)
ミョウガにブドウと菊が入っており、今回の写真のものとほぼ同じ

すしこ 01(あおもり食の文化伝承財レシピ)
すしこ 02(あおもり食の文化伝承財レシピ)



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盂蘭盆会の色彩


精霊の供物

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蓮花

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施餓鬼棚(セガキダナ)

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大反魂草(オオハンゴンソウ)

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草市・馬口労町(2005)
七夕と御盆


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竿燈妙技会2006・会場風景


馬口労町・囃子方

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登町

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秋田県立大学・演技を見守る

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南通・風に立ち向かう

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馬口労町・小若団体規定

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本町五丁目

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合同演技

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竿燈妙技会2006・大若団体自由

竿燈妙技会2006・大若団体規定

竿燈妙技会2005・昼竿燈

竿燈(ひみつ基地内検索)

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竿燈妙技会2006・大若団体自由

第六十回竿燈妙技会
八月四・五・六日
於・秋田市保戸野通町


向馬口労町

大若団体自由は大会の花。継ぎ竹と花笠、マトイなどで竿は高さを増し、「腰」の演技では余裕があれば、手には番傘、扇などを持ち、見た目も派手な演技がくりひろげられる。

花笠ひとつで約6キロの重さが加わる。ふたつになると竿燈の重さは優に60キロを越えるため、竿は折れやすくなり、差し手の力と高度な技術が要求される。

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本町五丁目

継ぎ竹の数、より高さのある竿が評価され点数になっていたが、高さを求めて継ぎ竹を六・七本と伸ばした竿燈が、途中で折れるなどのトラブルで、最後までまともな演技ができないケースが続出した結果、見た目の派手さよりも技、安定姓を重視するようになり、継ぎ竹五本以上足しても採点には反映されないようになった。そのため、ほとんどのチームが継ぎ竹五本以内で無難な演技をしているのが淋しい気もする。

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秋田県立大学

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秋田県立大学

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秋田県立大学

まだ新参者である秋田県立大学竿燈会が、歴史ある強豪を相手に、大若団体規定で四位、大若団体自由でも五位 という大健闘。彼らの竿燈に対する情熱にはなみなみならぬものを感じ、若さあふれる演技、お囃子と応援は見ていて気持ちが良い。

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寺町二区

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四十間堀町

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四十間堀町

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四十間堀町・大若団体自由優勝

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竿燈妙技会2006・大若団体規定

竿燈妙技会2005・昼竿燈

竿燈(ひみつ基地内検索)

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竿燈妙技会2006・大若団体規定

第六十回竿燈妙技会
八月四・五・六日
於・秋田市保戸野通町

妙技会最終日、前日までの予選を勝ち残ったチームがトーナメント方式により、二チーム同時に、隣りあわせた紅白の丸いリングで勝負を決する、大若団体規定の決勝ラウンドは、大会最大の見せ場。


下米町一丁目VS川尻本町

他の競技は点数制で、最後まで順位がわからないが、大若団体規定だけは、審査員の旗の数で、その場で勝負が決まる。それが特有の緊張感を生み、観客を巻き込んだ異常なほどの盛り上がりをみせる要因なのだ。

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川口町・判定に歓喜する

継ぎ竹は二本使用、チーム五人が「流し」「平手」「額」「肩」「腰」の演技を各々三十秒ずつ行い、型の美しさ、地面に根が生えたような安定した姿勢が審査のポイントとなり、地面にテーピングした円いリングから出たら減点される。

取り巻きと観客による応援の手拍子と「ドッコイショ ドッコイショ」の掛け声も、相手に負けぬようにと力を増し熱をおびる。

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新川向南町

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新川向南町

メーンイベントの優勝決定戦では、声援もさらにヒートアップ。この一年、この日のために練習を積み重ねてきた努力が実を結ぶか否か、審査員の判定に委ねられる。審査員の旗が上がり、戦いが決したあとの明暗、嬉し涙と悔し涙の対比‥‥‥、その姿に感動しもらい泣きする観客も。

今年の大若団体規定の優勝は、新川向南町Aチームが昨年に続き連覇した。

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新川向南町・優勝決定の瞬間

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竿燈妙技会2005・昼竿燈

竿燈(ひみつ基地内検索)

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亜麻色の提灯の香り・竿燈


2006竿燈妙技会・昼竿燈 於・秋田市通町

竿燈の提灯からただよう、亜麻仁油(あまにゆ)の香りは、秋田の夏の風物詩。

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八日町・町紋「揚げ幕」

真夏の強い日差しにさらされ、夜の本番には約一万個の提灯に灯されたロウソクの炎で温められて、亜麻仁油のなんともいえない良い香りが街に広がる。この香りを聞かなければ夏が来た感じがしない。

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柳町・町紋「柳に蹴鞠」

古代、チグリス・ユーフラテス川流域で栽培されたという亜麻の種子からは亜麻仁油、茎からはリンネル(亜麻糸)が産出された。古代エジプトのミイラは神聖なるリンネルにくるまれて永い眠りについた。リノレン酸を多く含むことから健康食品としても注目される亜麻仁油は、元禄時代、薬用油として中国から日本へ伝わる。

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下米町一丁目・町紋「日の丸に右三階の松」

黄金色の亜麻仁油は、空気中にさらされると半透明な被膜に変化するため、提灯や番傘の防水剤として利用されるようになる。

亜麻仁油を塗った和紙はツヤが出て、時間の経過とともに薄黄色に色づき、丈夫さとともに枯れた味わいを増してゆく。

亜麻色とは亜麻の繊維の生成りの色であるが、その種から精製された亜麻仁油を塗られた和紙もまた亜麻色に輝く。

亜麻色は、亜麻鷺(アマサギ)の夏毛の色、ヴィレッジシンガーズのヒット曲で、島谷ひとみがカバーした「亜麻色の髪の乙女」で歌われた、淡い金髪の色。

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鉄砲町・町紋「与次郎稲荷」
デザインは鉄砲町に住んでいた版画家・勝平得之

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寝る子猫・飼い主募集中

秋田駅前 アゴラ広場
通称「猫の花屋」
2006.8.5



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明治時代のねぶり流し・竿燈


大正期と思われる竿燈風景
場所は不明だが、提灯には保戸野鉄砲町の「お多福」の町紋がみえる

ようやく長い梅雨も明けて、今年も「竿燈」の季節になったが、その「竿燈」の現流である「ねぶり流し」の姿はどのようなものであったか。

秋田市上肴町の米屋に明治二十八年に生まれ、幼少期を過ごした文化人・鷲尾よし子は、自身が主催する月刊誌「秋田」に、特有の情感あふるる文体で、明治期の「ねぶり流し」の情景を綴っている。

夢のねぶり流し 鷲尾よし子

 そろそろお盆が近づくと七夕が待ち遠しかった。今は、あまり流行って見せもの的になってしまい、何かあると、ソレ竿燈だと持ち出されるが、昔はねぶり流しと云って七夕のその夜、たった一ト夜の織姫と牽牛のたまゆらの「逢ひ」に灯を奉り、はかない逢瀬の哀れさを悲しんで二つの魂よ、燃えて輝け、空にも届け、とばかりの人情の炎であった。
 電燈もまだなく電信柱のなかった、上肴町から茶町三丁(菊之丁、梅之丁、扇之丁)から馬喰労町まで続き、一せいに火が入って、思う存分妙技を振るった。あのねぶり流しの華麗さを、昭和の竿灯に比べていう事はムリとも思うが‥‥。
 その夜大若は、街々の定紋付の提灯と同じ定紋付の紺の法被に紺の股引、白足袋惜しげなく、一呼吸、妙技が始まった。
 この一人の大若を真中に取り巻いて、薄化粧の中若、コッテリとお白粉をぬりたくった小若が一団となって、佐竹定紋五本骨の月印を大きく振って、あおぎ乍らの声援である。
 オイタサッサ オイタサ
 ネコツイタ オイタサ
笛太鼓がリズムをととのえて鳴り響くと、小若達は水色の手甲に鈴をつけた可憐な手に、小扇をふって
 ドコシヤァ ドコシャ
 ドウドウ ドコシャ
と相和す。鉦太鼓はリズムを高調、演者は継ぎ竹三本も継ぎ足して空にも届けとばかり、太竹の芯が身体と共にのけぞる程の弓なりに、声を呑んだ瞬間こそ、彦星織姫の二つの魂が燃えて消えゆく狂乱の最高潮であろう。
 ねぶり流し百本の一本が、響きをあげて倒れると、将棋倒しに皆燃え上って空も火の海となる。
 そして昔のねぶり流しは、又、来年ということにして終了したものだった。

月刊「秋田」昭和四十二年七・八月号より

この当時、夜竿燈が演じられた「上肴町から馬喰労町」の距離は、現在の会場である竿燈大通り(山王大通り)でいえば、二丁目橋から秋田市役所を通り越した十字路のあたりまでに相当し、道幅が狭いとはいえ、かなりの長さである。

今は提灯の下には空気孔があって、竿燈が倒れるとロウソクが消え、提灯に火が移らないような工夫がされているが、当時は空気孔はなく、転倒することで簡単に燃えたのかもしれない。

自動車も走らないから交通規制の心配はなく、観客と演者との境界線もなく、竿燈が将棋倒しで燃えあがるまで続けられた一夜限りの「ねぶり流し」の風情ある光景。街灯もビルの明かりもない真暗闇に浮かぶ竿燈は、どれほどの美しさであったことか‥‥‥。

それは、たった一晩の行事だから、身も心も燃え(萌え)狂い、竿燈さえも燃えあがるのだが、時代を下るにしたがい、二日、三日と期間が延長され、今では四日間の「観光イベント」と化してしまった。

一体誰のための行事なのか。二日までは良いとして、四日もダラダラとやる必要などどこにもない。あるとすればそれは大人のいやらしい事情があるだけである。

などという理屈をこねてみても、祭りキチガイである自分は、竿燈の「流し」のお囃子が聞こえてくると、じっとしてはいられなくなるんだ。

ついでに、夜竿燈の鑑賞ポイントについて。竿燈大通りの両端は極端に混みあうので、中ほどに行ったほうがゆったりと見られる。寺町界隈はビルもないので、夜空に提灯の明かりが映えて見た目もいい。移動するときは混雑した竿燈大通りではなく、大町二丁目寄りの裏道を通ると楽。

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戦前の竿燈風景

竿燈妙技会2005・昼竿燈

竿燈(ひみつ基地内検索)

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共用栓のある風景・大町三丁目通り


秋田市大町三丁目通り・大正初期の絵葉書より

「里程元標のある風景・大町三丁目通り」で紹介したこの写真には、里程元標のほかに、近代庶民史を語るうえできわめて重要な物件が写し込まれている。

それは右手の商店(履物商・河村商店と思われる)前にある消火栓のような物体。

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部分拡大

これは共用栓と呼ばれる共同水道の施設で、その吐水口は商店の方に向けられ、水を受ける流しは、配水が側溝に流れ落ちるように、少し傾斜がつけられている。その形状からして、どうやら英国製の獅子頭共用栓のようだ。

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獅子頭共用栓

設置された時期は、秋田市の上水道が給水を開始した明治四十年前後で、市の中心部であるだけに最も早く設置されたと思われる。

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明治四十五年「秋田市水道市街配水管線路之図」より

○(白丸)が共用栓、写真の共用栓を赤でマーキングした。
各丁の角地にほぼ一つの共用栓があり、大町三丁目通りでは両端に設置されている。

近代水道の技術は、明治期にお雇い外国人によって持ち込まれ、初期の水道管、バルブ、共用栓などの多くは英国製品が使われていた。

共用栓のデザインがライオン(獅子)なのは、それがヨーロッパでの「水の守護神」であるため。徐々に共用栓の国産化が進む過程で、ヨーロッパのライオンに代わって、アジアの水神であるところの「竜」のデザインが取り入れられた「竜口」も多くなり、家庭の小さな専用栓の方は、いつしか「蛇口」と呼ばれるようになったというのが、「蛇口」語源説のひとつ。

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「ライオン歯磨」広告 明治四十三年(1910)
バケツからこぼれた水で「ライオンはみがき」の文字を描く

今ではどこの家にも水道が引かれ、蛇口をひねれば自由に水が使えるのがあたりまえだが、水道が敷設された当初の水道料金は高く、工事費用もかさんだため、一般家庭では各町内に設置された共用栓(共用水道)を使っていた。

バケツで共同水道から水を汲み、運んで家の甕にためておく。水場から家までの往復は難儀な仕事だったろうが、それまでこの付近の生活用水は井戸の水質が悪く、旭川の流水に頼っていたことを考えると楽な作業であり、ハンドルを回せば水が無尽蔵にあふれ出る共用栓は、当時の人々には「水がわき出る魔法の筒」であった。

水道以前、旭川から水を汲んでいた時代、外町(とまち)の商家・商店では「水汲みオド」と呼ばれる水汲みのプロを雇い、男手のない家庭でもオドたちに依頼していた。しかし、水道の普及によって彼らは失業の憂き目にあう。水汲みを生業にしていたオドのなかには、「水道憎し」の思いを共用栓にぶつける者もいたようで、明治四十年の魁新聞には次のような記事がみえる。

共同栓破壊
一昨日午後市内馬口労町理髪業者○○忠吉(二一)九郎兵衛殿町指物師○○某安田銀行水汲業○○亀吉の三名は不心得にも八日町に設置ある水道用共同栓を破壊せるを発見され其筋に召喚されたるよし(筆者注・姓は伏字とした)

安田銀行に「水汲みオド」として雇われていた亀吉さんは、水道の完成により解雇され、友人らと計らって、憎らしい共用栓を壊すという暴挙にでたようだ。やけ酒をあおったあげくの行為かも知れないが、亀吉さんのその心境はわからないでもない。

「オド」=「父さん・親父」

時代は下り、ほとんどの家庭に水道が引かれた戦後も共用栓は残った。自分が物心ついた昭和三十年代、明治からの獅子頭共用栓も少しは残っていたが、その形状は、味も素っ気もない鉄製円筒柱型が主流になっていた。

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木製の鑑札が付けられた共用栓の鍵は、ラチェットレンチのような形状で、これで共用栓の出っ張ったコックを回して水を出す。あふれ出す水は、バケツを破らんばかりの勢いだった。共同水道料金は町内会費に含まれていたように思う。

昭和三十四年の秋田市における共用栓の数は、約三百五十カ所、利用戸数は二千五百戸に及んでいるが、市ではそれを減らし、消火栓を増設する方針で、年間十五~二十カ所平均を廃止する計画を発表。昭和五十五年四月時点での市内の共用栓数は八カ所を残すのみとなる。

共用栓の周りにはおのずから人が集まり、井戸端会議の場、コミュニケーションスペースとなり、夏には西瓜を冷やし、子どもたちはタライで行水したり水鉄砲で遊び、にぎやかな歓声が響いていた。そんな共同水道という時代の証言者も、やがて無用の長物と化し、昭和の路地から消えてしまうのであった。

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獅子頭共用栓(ヨコハマはじめてStory)

英国グレンフィールド社製・獅子頭共用栓(横浜市)

和田式耐寒共用栓(室蘭市)

竜頭共用柱(前橋市水道局)

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