二〇世紀ひみつ基地

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2006年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年08月

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超神ネイガー&水木一郎ショー・アゴラ広場

七月三十日午後三時三十分より
秋田駅前アゴラ広場
主催・秋田西武



開演四十分前ですでにこの人だかり、アゴラ広場にこんなに人が集まっているのは今だかって見たことがない。あらためてネイガー人気の広がりと集客力を認識する。

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ネイガーがデビューした時点で、誰がこれほどの人気者になることを想像しただろうか。秋田を活性化させようとする試みはいくつかあるが、ネイガープロジェクトがその最たるもといっても過言ではない。やっている本人たちは自分たちがやりたいことをやって楽しんでいるだけなのだが。

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観客に大人が多いのもネイガーショーの特徴。子どもを連れてきた親のほうが夢中になっていたりするのがほほえましい。

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秋田弁のカタリ(語り+騙り)で大人に圧倒的人気の、ダジャグ組合「ハン・カクサイ」と、右にいる不気味なのが新怪人「タグランケ」。漁師の敵・エチゼンクラゲの本体に、背中に大きなフナムシを背負い、片手の触手でシビレさせる。

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左から「荒海丸(アラゲマル)」、ダジャグ組合の新怪人「ホイドタガレ」、「ハン・カクサイ」と捕まった司会の「トレビお姉さん」。

肩にテトラポッドをつけた「アラゲマル」は演歌が似合う海の男。新キャラ「ホイドタガレ」は鉄のアリクイのようなボディ。

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ネイガーの弟分「超神ネイガー・ジオン」、ジオンは林業青年という設定。

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地産地消ヒーロー「超神ネイガー」は、米を作る農業青年。

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ネイガーと水木一郎とトレビお姉さん。

水木一郎はネイガーの主題歌とカップリングのバラード(この歌詞には泣かされる)のほかに、アニメソングの名曲「マジンガーZ」も聞かせてくれた。

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超神ネイガー オフィシャルサイト

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土崎湊祭り・見返しを楽しむ

世相時局を諷刺した「見返し」を楽しむのも、土崎の祭りのかかせない楽しみである。

今年の見返しは、金メダルの荒川静香と、大鳥居の曳山くぐり抜けを題材にしたものが多かった。


新町
「急」発進 株売買で 虎ファン怒!
見返しコンクール最優秀賞

タイガースファンの怒り「ファン怒」と「村上ファンド」をかけた名コピー。

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愛宕町
今年だば 輪っぱの軽油(あぶら)も もったいね

軽油は曳山のワッパ(車輪)の潤滑油。原油の暴騰に対する皮肉。

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新城町
金を獲るには金芽米 金無くすには真珠(パール)米!

金メダルを獲った荒川静香のCMで売れた「金芽米」に対して、赤字補填のために米の横流をした「パールライス秋田(全農あきた)」。

山の上に乗るのは電線や障害物をさばく「警護」。

そのほか荒川静香関連では、
穀保町「イナバウアー かあちゃんまねして 整骨院」優秀賞
若松町「俺家(おらえ)の静香 金歯でゴロ寝の 居間ババアー」など傑作があった。

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南幕洗川
曳山も 駐禁とられて 運行停止
改正道交法による駐車禁止取り締まりを皮肉る。

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壹騎町一区
テポドンで将軍様はカマドけし

これは見返しではなく、珍しく角燈籠に書かれた諷刺文。

見返しの締切りが過ぎてから、北の馬鹿殿のミサイル発射があり、どうしてもこれを使いたかったので角燈籠に書いたのではないかと想像する。

秋田以外の方も見ておられるので解説すると、「カマドけし」とは、「カマド(竃)=家計」を二度と使えないように「ひっくり返す」または「覆(くつがえ)す」ことで、「破産・破産者」を意味する方言。正確な発音は「カマドきゃし」。反対語が「カマドを上げる」=「財をなす」。

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祭りの神髄・土崎湊祭り
土崎湊祭り・曳山奉納と宵宮祭
土崎湊祭り・御幸曳山
土崎湊祭り・戻り曳山
土崎湊祭り・曳山の風流

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土崎湊祭り・曳山の風流

本年度の十九台の曳山(やま)で、撮影できたものから厳選して掲載。


南幕洗川
外題「智将義家 危難免る立馬郊」

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将軍野二区
外題「無頼弁慶 空切る大太刀」

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相染町
外題「二天一流 天下に轟く戦慄の刃」

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小鴨町
外題「新皇屈する 不確の一矢」

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新町
外題「天地鳴動 豪弓破邪の一矢」

今年の曳山でもっとも眼を惹いた大百足のつくりもの。

「俵藤太の百足退治」あらすじ
龍神に百足退治を懇願された俵藤太は、先祖より受け継いだ名剣と大弓に三本の大矢を携えて三上山に臨む。藤太は大百足に対し二本の矢を射るが全く通じない。百足が人間の唾に弱いことを思いだした藤太は、最後の三の矢に唾を吐きかけ、南無八幡大菩薩と祈念して射ると、矢は大百足の眉間を貫き退治することができた。

宵宮での大百足は、まだ退治されずに生きているのだが、次の日の御幸曳山も終盤にさしかかったころ、大百足の頭に矢を差して、物語を完結させるという、なかなか手の込んだ、こだわりのつくりものであったが、はたしてこれに気がついた人は何人いたのだろうか。

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まだ生きている大百足・二十日

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矢を射られた大百足・二十一日

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旭町二区・置き曳山
外題「捲土重来 若武者の智略」

今年は曳山を奉納しない旭町二区が作った高さ約12メートルの置き曳山。

土崎の町に電線が張りめぐらされる、明治三十四年以前の曳山は高さを競いあった。もっとも盛んだった時代には、四十台ほど、最長約26メートルもある曳山に、砂俵百俵を載せてバランスをとったうえ、二百人で曳き、それに子どもの「担ぎ山」も従い盛大豪華を極めたという。曳き子には北前船の船乗り、土崎の豪商と取引のあった船員なども加勢した。さすがに北前船で栄えた湊町ならではの、現在とは比べ物にならないほどの盛大な祭りであったようだ。

AKT秋田放送
7月29日(土)14:30より
ヒューマンドキュメント「土崎港曳山まつり」放映


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土崎湊祭り・戻り曳山

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土崎湊祭り・戻り曳山

七月二十一日 例祭
戻り曳山

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下酒田町
外題「出羽の擾乱 後三年の役」

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南幕洗川
外題「智将義家 危難免る立馬郊」
飛ぶ鳥は雁

人形を照らす提灯が提げられた曳山は、昼とはまた違った表情をみせて、夜の八時、のろしを合図に祭りのクライマックスである戻り曳山(もどりやま)が始まる。

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南幕洗川

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各町内へ帰るための戻り曳山は、御幸曳山(みゆきやま)とは逆の順番で、見返しを前にして相染町を出発し、御囃子は、祭りもこれで終わり「あいや悲しや」という哀調あふるる「あいや節」。

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穀保町

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穀保町

御幸曳山と同じく、運行の合間には演芸が披露されるが、戻り曳山ではこれに「ドンドコドッケ」と呼ばれる盆踊りが加わる。これは土崎の祭りの名物であり、ひとつの見どころ聞きどころだ。

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将軍野二区

「ドンドコドッケ」というのは太鼓のリズムを言葉で表した擬音語で、竿燈が練り歩くときの「流し太鼓」と全く同じものの、「ドンドコドッケ」のほうは、かなりテンポが早い。この野趣あふるる泥臭いリズムは、秋田市周辺に古くから伝わる盆踊りの御囃子なのだという。

戻り曳山で「ドンドコドッケ」を耳にするたびに、切ないほどの郷愁の如き心の震えをおぼえ、胸が熱くなってしまうのは、遺伝子に刻まれた先祖からの記憶が呼び覚まされてのことなのだろうか。

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委員長クラスのお年寄りの踊る、年季が入った「ドンドコドッケ」は、さすがに老練。

拍子木の音が響き、音頭上げの声、ジョヤサの掛け声で動き出す曳山。曳き子たちは、寄せては返す波のように荒々しくうねり、軽油の香りを漂わせてギーギーとワッパ(車輪)は軋む。もの悲しい「あいや節」にのせて、神と人との饗宴は深夜までつづく。

AKT秋田放送
7月29日(土)14:30より
ヒューマンドキュメント「土崎港曳山まつり」放映


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土崎湊祭り・御幸曳山

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土崎湊祭り・御幸曳山

七月二十一日 例祭
御幸曳山運行

昨日とはうって変わって小雨がぱらつく梅雨らしい空模様。

朝、各町内を出発した曳山(やま)は、 穀保町(こくぼちょう)へ向かい、正午までには集結。 穀保町の御旅所に向かう神明社の御神輿を、曳山が一斉に「寄せ太鼓」を演奏して御迎えする。

御旅所に御神輿が奉納され、前日の宵宮祭と同様な神事を行う。
午後一時、相染町の御旅所へと渡る御神輿を御見送りした後、御神輿を追うように一号車の曳山から順次相染町に向けて出発。

このときの曳山運行を「御幸曳山(みゆきやま)」と称し、「送り曳山」「下り曳山」などとも呼ばれ、御囃子はゆったりとして波の満ち引きのようで、かつ豪快な「湊囃子」が演奏される。


新町

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新町

曳山は本町通りを休憩をとりながら運行し、合間には民謡から、大の大人が子どもに帰って踊る「アンパンマンのうた」まで、各町内さまざまな演芸(踊り)を披露。

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壹騎町一区

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壹騎町一区

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小鴨町

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本山町

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清水町一区

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清水町二区

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将軍野二区

雨に濡れた道路には、ワッパ(木製車輪)と心棒の潤滑のために使う軽油が虹色に浮かび、とても滑りやすい。曳き子は地下足袋や草履を履いているからいいが、見物人は馬鹿面をして歩いていると痛い目に合う。

日が落ちるころに、全ての曳山が愛染町に到着、夜八時からのクライマックス、戻り曳山までしばしの休息となる。

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土用の丑の日・「せきや」の鰻



今年の「夏の土用の丑の日」は七月二十三日。通町「せきや」でも、二十二日から恒例の鰻の蒲焼きの販売が行われ、あたりには香ばしい煙が漂い、焼きたてを買い求める客の行列ができていた。この二日間のために用意した鰻は3トンという。

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同じ通町に最近、鰻屋がオープンしたが、「せきや」相手ではとても勝負にならない。

鰻がスタミナ補給に有効なことは、古くから知られていたらしく、万葉集には大伴家持が夏痩せの友人に鰻をすすめる歌が収められている。

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訳・石麻呂さん、あなたに一つご忠告進ぜよう。夏痩せに効くというものだ、鰻を取ってお食べなさい。

土用の丑の日に鰻をたべる習慣は、かの「エレキテル」の実験でおなじみの、江戸中期の学者、平賀源内が知り合いの鰻屋に、夏は鰻が売れないと泣きつかれ、「丑の日に「う」の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と紙に書いて店先に貼ることを勧めたところ大繁盛、他の店でも真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣が定着したというが、諸説があり定かではない。

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せきや・秋田市通町
せきやの「たこあげくん」

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土崎湊祭り・曳山奉納と宵宮祭

空に入道雲の浮かぶ好天に恵まれた七月二十日の宵宮祭。

聞いているだけでワクワクする「寄せ太鼓」の躍動的なお囃子にのせて、各町内を出発した曳山(やま)が、奉納参拝のため土崎神明社界隈に集結する。今年は十九台の参加。



道路拡幅にともなう神明社の鳥居と参道の移設にあわせて鳥居もかさ上げされ、今年から曳山が境内に入れるようになった。これは約二百二十年の曳山行事の歴史上初の記念すべき出来事であり、この祭りに新たな見どころがふえたことになる。

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鳥居をくぐる曳山・本山町

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拝殿に対面して秋田音頭奉納・本山町

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宵宮の主役は子どもたち・下酒田町

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子どもと大人の輪踊り・旭町一区

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縄の上は子どもたちの指定席

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浴衣にカンカン帽の委員長たち

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秋田音頭・小鴨町

午後六時から、神明社にて神霊を迎える宵宮祭。献饌、祝詞奏上、榊舞、剣舞、浦安の舞、獅子舞など。

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献饌(けんせん)・神前に、山・野・川・海の食物をお供えする

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浦安の舞

舞手は統前町の十二歳の女の子(年女)から選ばれるのが原則だが、昨今の少子化により十二歳前後になる場合がほとんどのようだ。

昭和八年の昭和天皇御製「朝海(あしたのうみ)」をもとに、昭和十五年、皇紀二千六百年を奉祝して作曲振り付けされたのが、世の中と心の平安を祈願する「浦安の舞」で、今では代表的な神前神楽になっている。

天地(あめつち)の 神にぞ祈る朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を

昭和八年・天皇御製

宵宮の神事の、その場にいるだけで、はらい清められたような清々しい気に満たされ心地がよい。なかでも土崎神明社のパワーは格別なものがある。

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祭りの神髄・土崎湊祭り

| 祭り・民俗・歳時記 | 11:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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祭りの神髄・土崎湊祭り


曳山 2004

土崎神明社の例祭は、秋田市を代表する祭りであり、これを見ずして秋田の祭りを語ることはできない。

秋田市を代表する祭りといえば、まず竿燈を連想するかも知れないが、竿燈は祭りというよりも、七夕の伝統行事から発展した民俗芸能的色彩が濃い。

「祭り」の語源は、神に「まつらふ(服ふ)(順ふ)」=「服従・付き従う」ということであり、それを主宰する神霊、または神社が存在しなければ本当の「祭り」とはいえない。

竿燈の当日の朝、八幡秋田神社でお祓いを受け、霊符の付いた御幣を授かり竿のてっぺんに飾るが、これは昭和六年に竿燈会が結成されてからのことで、それ以前の御幣は各町内の氏神様から頂いたり、それぞれの町内で自作したものであった。

それでも竿燈も広義の「祭り」に分類される。しかし、外町で一夜だけ行われていた竿燈が、二日、三日と延長され、今では四日間の「観光のためのイベント」と成り下がり、演技する人たちが疲労困ぱいしている様は、地域住民の楽しみである、本来の「祭り」の姿からは遠くかけはなれている。

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振り棒 2005
重要なコントロール係

躍動感あふれる「寄せ太鼓」のリズムではじまり、ゆったりと流れる「湊囃子」、そして哀調をおびた「あいや節」で締めくくられる、お囃子の演奏にのせて、神の依り代である華やかな曳山(やま)が、車輪をギシギシと軋ませて運行され、その合間には各町内それぞれの特徴ある「演芸=踊り」が、揃いの浴衣で披露される。

演芸は「秋田音頭」「みなと小唄」などの伝統的な民謡から演歌調のもの、戻り曳山で披露される野趣あふるる「ドンドゴドッケ(盆踊り)」と多彩で、一日中見ていてもあきることがない。

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演芸 2004

土崎の祭りは、「喧嘩祭り」といわれるほど荒っぽく、それだけで敬遠する向きもあるが、それは一面であり、優美と過激、静と動の両面がちりばめられ、「これぞ祭りの神髄」といっても過言ではないほどの充実ぶりをみせてくれる。

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戻り曳山 2005

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関連リンク

土崎神明社公式サイト

土崎港曳山まつり実行委員会

港ばやし旭鳳会
高音質のお囃子が聞ける

土崎港曳山まつり 旭町二区ホームページ
画像、動画とも豊富
今年、旭町二区は曳山を奉納しないため、高さ約12メートルの置き曳山を飾っている

平成17年奉納曳山(北都銀行)

| 祭り・民俗・歳時記 | 21:30 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドラマ『東京タワー』の主題歌『東京』

リリー・フランキーのベストセラー小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がドラマ化され、フジテレビ系で放映されるが、その主題歌は、秋田出身のフォークトリオ「マイペース」が、70年代にヒットさせた「東京」。

地方在住者の「東京」への強い憧れを唄った、ノスタルジックかつセンチメンタルな原曲を、今回は沖縄出身のBEGINがカバーする。



昭和町の羽城中学校同期生で「ザ・リップス」を結成した三人は、やがて、60年代末から70年代、秋田フォーク界の中心人物であった山平和彦とめぐりあい、山平のバックバンド「ザ・ラブ」として活躍。1974年、山平プロデュースによる「東京」でデビューするや、オリコンシングルトップ100に45週連続登場というロングセラー、フォークソングでは異例の100万枚を越えるミリオンヒットを記録。

その後は目だったヒットのない、いわゆる「一発屋」に分類されるアーチストであるが、今も現役の森田貢を中心とするメンバーが紡ぎだす、繊細な詩世界と、ストレートな歌声による楽曲には、かくれた名曲も多い。

作詞者である森田の恋人は、秋田を離れ東京で仕事をしていてる。休日になれば電車に乗って、その人のいる東京へ会いに行くという、実話にもとづいた歌である。



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しかしそれは、歌詞を読めばわかるように、秋田からの視点で描かれたわけではない。名古屋で東海ラジオの深夜番組のDJなどで人気を得ていた山平和彦をたよって、「マイペース」の三人が岐阜に移住した、1973年以降に生まれた曲であることが、森田のサイト(後述)でも明かされている。

「マイペース」も、そのヒット曲「東京」も、山平の存在が無ければ、世に出ることもなかったけれど、自らはヒットとは無縁であった彼にとって、その大ヒットは複雑な心境だったのではないだろうか。

その全盛期、「神様」とだけ印刷された名刺を持ち歩き、それが似合うほどのカリスマぶりを発揮していた山平和彦は、2004年10月、都内の自宅付近で轢き逃げ事故にあい、五十二年の生涯に幕を下ろし、ほんとうの神様になってしまった。

検索してみたら、2001年の竿燈期間中、森田貢以外はオリジナルメンバーではないが、「マイペース」名義で、サンパティオ大町の中庭にてミニコンサートを開いている事がわかった。これは知らなかったなぁ。

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ドラマ「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」

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招き猫・大町神明社祭典

大町神明社祭典
七月十五日・宵宮
  十六日・本祭



秋田市大町二丁目、日銀秋田支店の向い、ビルの谷間に鎮座する「大町神明社」。
「神明社」とは伊勢神宮の分社であり、天照大御神を祀る。

祭典といっても、とくに派手な行事はないが、縁日に販売される「招き猫」は、猫グッズマニアにも人気の縁起物。手を振るしぐさが可愛らしい。

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この招き猫は、星辻神社のダルマのような、歴史のあるものではなく、商店街の組合がごく最近始めたものだ。

猫が右手を挙げて、お金を招いている(左手は人を招く)のが、いかにも商業地域のど真ん中にある神社の縁起物らしい。

| 祭り・民俗・歳時記 | 23:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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牛島の祭り・三皇熊野神社例大祭

三皇熊野神社例大祭・本祭 七月九日


三皇神社里宮

本来は七月十一日が本祭なのだが、参加者の利便性を考慮して、最近は七月の第二日曜日に執り行われている。この日は牛島本町通り(商店街)から牛島五丁目間を通行止めにして、御神輿渡御、曳山奉納など。

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戦前は八台ほどが出て賑わったという曳山も、戦中戦後の中断期間を経て現在は二台。

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猿田川近くに移転した牛島小学校が、三皇神社里宮のある本町通りにあった昭和三十年代、宵祭りの夜は、その体育館で開催される映画上映会に連れだって出かけ、行き帰りには夜店をひやかすのが毎年の楽しみだった。

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秋田市近郊の祭りで使われるお囃子の原型といわれる「秋田囃子」は、市の南部方面(仁井田、四ツ小屋、河辺町など)の農家の人たちが、地元の祭りのときに演奏していたもので、かつては竿燈祭りや土崎湊祭りにも囃子方として参加したものだという。秋田市に編入される以前、河辺郡に属していた牛島は「秋田囃子」発祥の地といえる。

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牛島東五丁目で開催されたイベントには、アマチュアバンドのライブもあり、夜は「チアーズ」も出演。

薔薇がデザインされた浴衣は、松田聖子プロデュースだそうで、最後の曲は聖子の名曲「瑠璃色の地球」。松本隆の作詞、作曲は井上陽水の「少年時代」を作った平井夏美(川原伸司のペンネーム)。

松本隆と組んだ80年代の聖子の楽曲は、しょこたん流に言えば「まさにネ申!」の領域に達している。

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関連リンク
三皇熊野神社オフィシャルサイト

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里程元標のある風景・大町三丁目通り


秋田市大町三丁目・大正初期の絵葉書より

「赤れんが郷土館」(旧秋田銀行本店)が建つ、大町三丁目通りの大正始期の街並である。

旧町名での「大町」というのは、大町一丁目から大町三丁目までの、この通り沿いに付けられた地名で、三丁目以南は本町四・五・六丁目となる。

右手に鐘楼(火の見櫓)がある。高層建築物のない時代、これほどの高さがあれば、外町のほとんどが見渡せたことだろう。この鐘楼からは多くの写真が撮影され絵葉書としても出版されている。

子どもが遊ぶ道路の突当(通町)に、平成十年(1998)の道路拡幅工事により消えてしまった、「糸屋商店」の特徴的なファサードを、かすかに確認できる。

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秋田銀行本店前の電柱が際立って大きいのは、銀行周辺の電力消費量の多さを物語っているのだろうか。

その電柱の手前、道端にあるオベリスクの如き白い標柱は「秋田県里程元標」というもの。近くに人物が立っているため、その高さが推定できるが、優に3メートルはある。

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左・拡大図 右・別の絵葉書から拡大

明治六年(1873)、江戸時代の街道を元に、東京・日本橋と京都・三条大橋に「里程元標」を設置し、日本の道路の基点とし、さらに各県庁所在地に、管内諸道の起点として「県里程元標」を設置。その地点から各市町村に置かれた「里程標」までの距離を計測し記載した。

藩政期から商業の中心地であり、羽州街道沿いのメインストリートだった大町に、秋田の道路の起点が定められたのだ。

「太政官第四百十三号」の「元標及び里程標柱書式」によれば、標柱の材質は、檜(ひのき)か椴松(とどまつ)を用い、各県本庁所在地および管轄境界には、一尺(約30cm)角、高さ一丈二尺(約363cm)、各村には八寸(約24cm)角、高さ一丈(約303cm)の寸法の角材を用いる、とある。

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明治八年「太政官第百九十九号」布告による書式

書式によれば、表面には「○○県里程元標 ○○県」、裏には年月、両側には次の里程標までの距離を記すように指定されているが、写真ではその文字の確認はできない。

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仙台・芭蕉の辻 大正初期の絵葉書から

仙台空襲によって消滅した蔵造りの建物(横浜生命保険株式会社)の前に、「宮城県里程元標」が建っている。

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側面には距離が記されているのが確認できる。
左手に秋田と同じような鎖付きのブロックがあるのが面白い。

芭蕉の辻は、奥州街道沿いに発展した、江戸時代からの仙台の中心商業地であり、明治以降は金融機関が集中する町となったのは、秋田市大町と同様。

大正八年(1919)、道路法が公布されたことにより、主要道路の距離計算の標として利用された「県里程元標」「里程標」は廃止となり、それに代わって石柱の「道路元標」が各市町村に設置された。

かつての県里程元標の間近、「赤れんが郷土館」の前には、「秋田県里程元標跡」の碑が建っている。

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現在の大町三丁目通り

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関連リンク

道路元標写真館
道路元標が行く。

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大町二丁目通り変遷

| 秋田市今昔 | 15:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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橋のたもとの小便小僧・平和記念像

通町橋の東たもとに、裸の子どもが円球に腰掛けているモニュメントがある。



通称「小便小僧」、正式名称は「平和記念像」。

昭和二十七年(1952)建てられ、その年の十一月三日、文化の日に除幕式を執り行っている。

その前年に調印され、この年に発効された「サンフランシスコ講和条約」を永遠に記念して、篤志家の寄附金により建設された。総工費五十万円。作者は秋田彫刻界の草分けの人、佐々木素雲。

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昭和二十八年 水遊びする子どもたち

御影石の四つの球の上に、1メートルの地球を表す大円球、その上に等身大のブロンズ製少年像が置かれ、地球をとりまく帯の部分に水がたまり、凹みから流れ落ちる仕掛があり、周囲には樹木やベンチを配し、小公園となっていた。

小便小僧の愛称は、水が流れる仕掛があったことからついたもので、正確には小便小僧ではない。

この像が御影石の上にすえつけられた当日の夜、何物かのイタズラで逆向きにされるという事件があった。東向きに置かれた像のコンクリートがまだ固まらないうちに、西向き(旭川の方)に向けられていたという。

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平成十年(1998)、通町の道路が拡幅され、現在の通町橋が完成。それにともなって小公園には機械室が建ち、平和記念像は子どもには手の届かない高さにかさ上げされて、向きは北向きになり、水の流れは止まってしまった。

今でも像の下には無用となった水を導くパイプがあり、御影石にはかつて水が滴り落ちた凹みが、そのまま残されている。

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関連リンク

彫刻家 佐々木素雲(齋藤佛師ホームページ)
詳細なプロフィルから作品写真まで充実したサイト

素雲は十七歳の時、秋田市本町五丁目(現・大町五丁目)の佛師、斎藤永太郎の弟子となり、二十一歳でその娘と結婚している。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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