二〇世紀ひみつ基地

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さようなら「赤バス」

三月三十一日、秋田市交通局が六十五年の歴史に幕を下ろした。

市交通局は、栗原源蔵(栗原組)の「秋田電車株式会社」を買収、電車七両、バス十六台を譲り受け、昭和十六年(1941)四月一日、秋田市交通課として誕生。市電は昭和四十年十二月三十一日の運行を最後に廃止。

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北高校前停留所 昭和三十年ころ

市内大廻線・手形廻りのボンネットバスと、スラックスに長いコート姿の北高生。

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昭和二十六年・市内停留所

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秋田大橋を走る市営バス 昭和三十年ころの絵葉書から

モノクロ写真を製版段階で職人が着色したもの。
モンペに頬被り姿の三人は新屋のカアサンたちだろうか、自転車、徒歩で渡る人も多い、時代を感じさせるのどかな風景である。橋の向こう側には国立農業倉庫(現・アトリエももさだ)と東北パルプ。

『広報あきた』から市営バス関連記事をふたつ。

楽しい旅に市営バスで!

風かおる旅の季節。ことしの観光旅行も快適な市営のロマンスカーをご利用ください。ことしは海を渡り北海道遊覧も受付中です。

▽日帰りコース
十和田湖 千円(昼食、船賃とも)
きみまち坂 五百円
男鹿めぐり 七百円(船賃とも)
乳頭−田沢 六百円(休料共)
象潟−白滝 五百円
小安峡 六百円
▽一泊二日コース
十和田(千七百円)羽黒山(千八百円)山寺(二千円)昼食、宿泊料とも
▽二泊三日コース
仙台、松島(三千五百円)昼食、宿泊料とも
▽七泊八日コース
北海道(一万六千五百円)船二等一切をふくむ。

『広報あきた』昭和三十三年五月一日号より

市営バスで楽しい海水浴

◇「かっぱ号」を特発
期間7月17日〜8月21日まで

浜田・下浜行
秋田駅前発−午前9.30・10.00・10.30
浜田・下浜発−午後3.00・4.00・5.00
新屋浜行(川尻線)
秋田駅前発−午前8.55〜午後5.35まで40ごと
新屋浜発−午後7.00・8.00
このほか当日の状況で、どしどし特発もしますのでご利用ください。

『広報あきた』昭和三十五年七月十五日号より

「ロマンスカー」は学校の遠足にも活躍した市営の観光貸切バス。昭和三十三年といえば公務員の初任給が一万円弱の時代。

海水浴シーズンは国鉄でも臨時列車を組み市民を運んだ。当時はまだ冷房装置はなく、定員オーバーで炎天下を走る車両は窓を全開にして海へと向かった。

昭和三十九年(1964)、ワンマンバスが導入され、黒いバックを提げて同乗していた車掌さんは姿を消していく。

昭和四十五年(1970)には、二百七台のバスを保有し、一日平均約八万人の乗客を運んでいるが、この時点ですでに約三億円もの累積赤字をかかえている。公共サービスであるために、運輸省が運賃を低くおさえていたことが赤字のおもな原因だが、その後はモータリゼーションの進展による利用者の激減が加速し、累積赤字はさらにふくれ上がるばかり。

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木内デパート・切符販売所の跡

かつて電車の停留所があった木内デパート入口のボックスでは、バスの定期と回数券が売られていた。

赤字経営が続いていた路線バスは、平成十二年(2000)から順次、中央交通(青バス)への移管がおこなわれ、最終的には「交通局線」「県立プール線」「泉秋操線」の三路線に、バス十一台をのこすのみであった。

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長いあいだ市民の足として親しまれた「赤バス」のすがたは、もう目にすることはできない。

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