二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

2006年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年05月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

時代を記憶するホーロー看板


秋田市内某所

昭和四十年代まで、電柱といえば杉丸太に防腐剤のクレオソートを塗った黒いもので、それの低い位置には「登るな」と注意するホーロー看板が打ちつけられていた。

今どきの子どもは電柱になんか昇って遊ばないが、当時は路上にあるものはなんでも遊び道具にした。

木材の高騰で電柱がコンクリートポールへと変わった時点で、電柱と一緒に処分される運命だったため、こうして残っている物件はきわめて稀であり、時代を記憶する貴重な戦後資料である。

おそらくは、電柱の撤去を見ていた町内の人が、この看板をもらい受け、新たに建てられた電柱に取り付けたのではないだろうか。

ホーロー看板は錆びにくいのが特徴。しかし、五十年近くの歳月を経て痛みが激しく、さらには針金を通す穴を新たに開けた際にホーロー質が破壊されたため、錆が目だつのが惜しまれる。


| 散歩写真・路上観察 | 23:06 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

準グランプリを頂きました

この度、秋田ネタウェブサイト・アキタフェさんが開催する「第1回 秋田ゴールドサイト・グランプリ」に於て、当ブログが準グランプリに選定されておりました。

20060428211854.gif

20060428211843.gif

グランプリは、秋田の人気者、地産ヒーロー「超神ネイガー」の公式サイトでありまして、それに次ぐ準グランプリは身に余る光栄でございます。

関連リンク
第1回 秋田ゴールドサイト・グランプリ
秋田くちこみ情報 アキタフェ
超神ネイガー公式ウェブサイト

| 未分類 | 21:30 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

花見には空から酒が舞い降りた

空を舞う軽飛行機から降ってきたのは宣伝ビラだけではない。
菓子メーカーが宣伝の一環として、キャラメルや、お菓子の詰め合わせなどをパラシュートにつけて落とすこともあった。この場合はあらかじめ新聞に予告広告が掲載されたようだが、ビラと違って数が限られているため、それをゲットするのは至難であった。

昭和三十二年(1957)、秋田市のお花見期間中に、黄金井酒造が空から酒を撒いている。


新聞広告 昭和三十二年(1957)

ご愛飲家の皆様に感謝し本社特別機・黄金井号より一斗瓶・一升瓶に小瓶をパラシュートより降下いたします

◎日  時
五月三日
午後一時 千秋公園 上空
午後一時十五分 高清水公園上空
但し雨天の場合は五月五日延期

酒瓶は割れないように厳重に梱包したのだろうか。小瓶に一升瓶と一斗瓶が空から舞い降りる光景は、さぞかし壮観だったろう。一緒に宣伝ビラも撒かれたようだ。

地上では、大の大人たちが落ちてくる酒瓶を追いかけ、群がり奪い合う修羅場をくり広げたのかもしれない。

ビラ撒け!軽飛行機



| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ビラ撒け!軽飛行機



晴れ渡った大空のもと、低空を飛ぶ軽飛行機から放たれた無数のビラは、太陽の光を受けてキラキラと輝き、地上めがけてヒラヒラと舞い降りる。

軽飛行機の拡声器から降り注ぐアナウンスは、風にながされて、とぎれとぎれ。
風が強い日は、ビラは思わぬ方へ散り々々と、遠くまで飛んでいく。

僕らはそのビラを手にするために、かけがえのない宝物を求めるように、路地を抜け、原っぱを越え、我を忘れて走り、自転車のペダルを踏みつづけ、誰よりも多くのビラを拾い集めることに熱中し、その枚数を競った。

ビラの内容はよく覚えていないが、企業の商品広告、催し物や映画の広告などで、その中に割引券や招待券、お菓子の無料引換券のような「当たり」も、まざっていたように記憶している。

空からビラを撒くことは、非常に有効な広告手段であったが、空を見上げて夢中でビラを追いかける子どもが、交通事故にあうケースが多発し、ビラの撒布範囲が制限されたことが、『運輸白書』に記されている。

 広告宣伝飛行は,ビラ散布,ネット曳行,空中放送などの方法による商品,催物,観光地などの宣伝等に利用されているが,ビラ散布についてはしばしば交通事故を誘発することとなるので最近においては,その散布範囲の制限を強化する措置が採られ,広告宣伝の分野からビラ散布は徐々に姿は消して行く傾向にある。

昭和三十九年度『運輸白書』より

四十年代に入るとビラ撒布は姿を消し、音声のみの空中放送が残された。

 広告宣伝は,ビラ撒き,ネット曳行,空中放送等により始められたが,ビラ撒き,ネット曳行は事故誘発の原因ともなるところから強い制限が加えられたため,現在ではこの分野からほとんど姿を消し,最近では,これに代わつて空中放送がその大部分を占めるようになつた。

昭和四十三年度『運輸白書』より

航空機によるビラの撒布が自由に行われたのは昭和三十年代までのことだった。

空から降る無数のビラを、ひたすら追いかけたあの日。
たかが宣伝ビラにあんなにも夢中になれた時代。
少年たちは空に軽飛行機やヘリコプターをみつけると、大声で「ビラ撒けーー!」と叫んだ。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

参詣の小道・蓮住寺小路

秋田市・歴史の小路(二)

旧羽州街道沿いの鉄砲町通りの旧町名は表鉄砲町、その南の南鉄砲町は、明治十九年の俵屋火事以降、下米町から遊廓が移ってきた町で、常盤町とも呼ばれた。北は寺町の続きで、三つの寺院が並ぶ北鉄砲町。


秋田市保戸野鉄砲町付近

元禄十四年(1701)ころ、鉄砲町通りの中ほどに、表鉄砲町から北鉄砲町の蓮住寺門前に抜ける蓮住寺小路がつくられ、多くの参詣者で賑わったという。

20060421224009.jpg
蓮住寺小路

20060421223954.jpg
蓮住寺

文禄四年(1595)の開山という古い歴史を持つ蓮住寺(法華宗)は、元和六年(1620)、二世日持が藩主佐竹義宣侯の腫物を祈祷によりを全快させた功により、寺領五十石を拝領、山号も神力山から薬王山に改め、義宣侯自作の鬼子母神(きしもじん)像を頂戴したと伝えられる。

蓮住寺の境内にある油掛大黒天は、昭和四十五年ころに設置した歴史の浅いものだが、全国に九ヶ所、東北では随一という珍しいもの。

20060421223939.jpg
大黒堂

20060421223926.jpg
油掛大黒天

願を掛けるときは胡麻油を持参し、それが叶ったらお礼の油を供える。周囲の入れ物には油が貯められ、これを小さな柄杓ですくって大黒様の頭にに掛けて参拝する。

境内には、安産・子育ての神である鬼子母神のお堂があるのだが、今から七年ほど前、ここで不可思議な体験をした。

20060421223903.jpg
鬼子母神堂

まだ明るさの残る夕刻、誰もいない静かな境内の一角で、お堂の引戸に対面し中をながめていたら、ガラス戸に写る自分の影の横を、ネンネコを羽織り、赤ん坊をおんぶしたお婆さんが、子どもをあやすように体をゆらしながらゆっくりと通りすぎる姿が映った。すぐにに後ろをふり返ってあたりを見渡したが、どこにも誰もいなかった。

あれは何だったのだろうか。子どもを守る鬼子母神が姿を変えて表れたのか。
あとで思い返せば、ガラスに鮮明に反射したお婆さんは少し前の時代の姿をしていた。

あの瞬間、なにかのはずみで別次元への扉が開き、鏡(ガラス)を媒体として、今ではない、遠い何時かの光景をかいま見たのかもしれない。

去る三月十九日、蓮住寺の本堂と事務所が全焼し、前住職が亡くなられた。明治十九年(1886)の俵屋火事で類焼し、寺宝や古記録を失って以来、二度目の災難ということになる。

20060421223846.jpg


| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

見上げた空に本金の残像

この三月をもって「ほんきん西武」が閉店し、「秋田西武」として新装オープンしたことで、嘉永三年(1626)創業の老舗・本金の名も完全に消えてしまったが、ふと見上げた空に「○に本」の本金のロゴマーク(本間金之助商店の家印)が取り外された跡が、往年の繁栄の残像でもあるかのように残っていた。



ここはワシントンホテル(旧本金デパート)の裏にある立体駐車場。かつては本金の駐車場で、今は辻兵が管理する、秋田ニューシティ第二駐車場。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:30 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

コーヒーガムはオトナの香り

ロッテから「コーヒーガム」の復刻版が発売され、コンビニやスーパーに並んでいる。


“お口の恋人”ロッテ「コーヒーガム」

オリジナルは昭和三十七年(1962)十一月に発売され、平成二年(1990)の販売終了までの、長きにわたって愛されたロングセラー商品。当初は六枚入り十円だったと思う。そのころのパッケージはコーヒー豆の数が多いなど若干の違いがあるが、イメージは復刻版とたいして変わらない。

平成十一年(1999)には、再発売を望む声にこたえて、三ヶ月限定で復刻版を全国発売している。今回は同時にスペアミントガムも復刻されているが、こちらのほうはインパクトが薄く、子供のころの想い出につながらない。

遠足のリュックにも入れていった、すこし苦味のあるコーヒーガムは、子どもにとってはオトナの味だったが、今あらためて味わうそれは、砂糖たっぷりな缶コーヒーのように甘く、そしてなつかしき昭和の香りがした。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ウエハースパンと菱餅



カステラとクリームをウエハースでサンドした菓子パンは今でも売っている。しかし、初期のウエハースパンは、カステラなどという高級なものではなく、少し甘味のある、パンに限りなく近いものだった。それでも、その美味しさとカラフルな見た目で、子供たちには人気の製品であった。緑色と桃色のウエハースを使い、形は正方形や三角形のものもあったはず。

20060416225602.gif
新聞広告 昭和三十五年(1960)

駅前の久保田町に工場があった時代の、たけや製パンの広告。食パンが四十円。
一個十円のウエハースパンは「味覚の王様」だったのだ。

毎年、ひな祭りが近づくと、ウエハースパンのことを思いだす。
ひな祭りにお供えする菱餅の配色が、ウエハースパンとそっくりなためだ。

20060416225527.jpg

菱餅の配色については諸説があるが代表的なものは以下の説。
「緑」=草萌える母なる大地「陰」
「白」=穢れを知らぬ雪のような乙女の処女性
「桃色」=桃の花であり、大地を照らす父なる太陽「陽」

だから、菱餅をお供えするときは、緑色(陰・地)を下に、桃色(陽・天)を上にしなければならない。緑色(陰・地)を上にしたら本末転倒になる。

ウエハースパンの配色は菱餅を参考にしたのではないだろうか。だとしたらそれは、東西文化が融合した縁起の良い菓子パンということになる。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

だるま祭りの宵



秋田の町に春を告げる、川反一丁目、福一満星辻神社のだるま祭り。
宵祭りの十二日は、六月中旬の気温という暖気に、昨日までの肌寒さが嘘のよう。
恒例の雨もぱらつき、宵宮の夜は更けてゆく。

20060413202942.jpg

20060413202930.jpg

20060413202916.jpg

闇のなか、白熱灯のあかり輝く夜店は、二〇世紀的郷愁装置。

-----------

関連記事
春を告げる「だるまさん祭り」
続・春を告げる「だるまさん祭り」

| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

猫の目草の春明かり


「ネコノメソウ」ユキノシタ科・ネコノメソウ属

春先の野山を歩くと、黄緑色に萌えるネコノメソウの鮮やかさが眼を惹き、つい足を止めて見入ってししまう。

春に咲く花は直径2mmほどの小さなものだが、それを囲むように配置された緑色の葉が、中心に向かうほどに黄色を帯びて美しいグラデーションを描き、中心の花と同化して花の小ささを感じさせない。

20060411001126.jpg
日向とは別の明るさ猫の目草 高木珱子

雪解けの薄暗い湿地で、わずかな木漏れ日のもと、そこだけが淡い黄緑色の絨毯のように光り輝くネコノメソウの群生。その花のひとつひとつが空に向かって光の粒子を放出し、小さな声で春の喜びを斉唱しているかのようだ。

花のあとには実がつき、これが熟して開くと、その割れ目が、昼間の猫の細い瞳孔に似ることから、猫の目草と名付けられた。


| 散歩写真・路上観察 | 00:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

スケートリンクでゴーカート

山王大通りにあった「秋田スケートリンク」では、スケートシーズンが終わればゴーカートコースがオープンした。


新聞広告 昭和四十六年(1971)

● 東北ではまれに見る交通安全の一助にもと考え、近代的なゴーカートを開設いたましてから三周年、ご承知の通りゴーカートは老若男女を問わず楽しみと親しみを与えコースを存分に運転し、更には交通ルールを身につけることができると、大変好評を得ております。ぜひ一度おためしいただきますようにお待ち申しあげます。

20060114140309.gif

スケートリンクの周囲の点線部分がゴーカートコース。

-----------

関連記事
山王に屋内スケートリンクがあった


| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 12:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

友川カズキはコトバを越える

ちまたでうわさの米国の動画共有サイト YouTube にて、いろいろと検索して遊んでいたら、八竜町(三種町)が生んだ鬼才、日本のオリジナル・パンカーとも称される、友川カズキ(旧かずき)の動画11本(06.11.01現在)を発見。



[YouTube]search=Kazuki Tomokawa

映画「IZO」の動画の一部に残酷シーンあり要注意。

「ワルツ」は2003年の渋谷アピアでのライブから。「生きているって言ってみろ」「一切合切世も末だ」「私の花」は、1993年、某民放局の生深夜番組で放送されたもの。

「一切合切世も末だ」には、元頭脳警察の石塚俊明、永畑雅人(ロケット・マツ)らのお馴染のメンバーのほかに、バイオリンの松井亜由美の姿も見える。

「from TV drama '71.」というタイトルの動画は、1971年、NHKで放映されたTVドラマ『さすらい』( 演出・佐々木昭一郎)に出演したときのもの。

「私の花」で使われているのは、数々のステージで、ときに打楽器のように酷使されてきたボロボロのギター。若いときのステージでは、唄うごとにギターの弦がちぎれて、その指先には血がにじんでいた。

一転して、曲の合間にくり広げられる秋田なまりのMCで、場内は大きな笑いにつつまれ、緊張と緩和、動と静、涙と笑いが交差するステージがくりひろげられるのだ。

20060406144605.jpg

Beta-lactam Ring Records: Satoru

米 Tiliqua Records から限定発売されたLPレコード「Satoru 」(サトル)が試聴できる米国サイト。解説もあり。

2003年にリリースされた、デビュー30周年企画盤CD13枚組「友川かずきBOX」から新録音の「サトル」を米国でアナログ化したもので、Tiliqua Records というレーベルを主宰するベルギー人は、友川の熱狂的なファンらしく、ライナー・ノーツも、ロンドン在住の音楽評論家・アラン・カミングスとともに担当している。

20060406144549.jpg

damonandnaomi.com mp3s

米マサチューセッツ州ボストンを拠点に活動するデュオ・ユニット・デーモン&ナオミのオフィシャルサイトで聞ける「My Flower」(フルサイズ)は、友川の「私の花」の英訳カバー曲で、2004年、吉祥寺Manda-la 2でのライブ音源。二人と親交が深い、ゴーストという日本人バンドが共演している。

このサイトでは「Watashi no hana」のビデオクリップも見られる。デーモンのギターの弾き方が、まるで友川のそれのようだ。

連続射殺魔・永山則夫の獄中ノートに書かれていた、「私の花はなんの花」のフレーズで始まり「黒い造花の花でした」で終わる詩に、友川が曲をつけた「私の花」は、93年に、約7年ぶりにリリースされた『花々の過失』に収録されているリリカルな曲。

2002年にツアーで来日したデーモンは、念願であった渋谷アピアでの友川ライブに来場し、友川のリクエストでこの曲を歌ったという。

友川の歌が日本語を解せぬ人々にいかにして受容されるのか。友川の吐き紡ぐ言の葉は、言語の障壁を越え、言霊(ことたま)となり、音霊(おとたま)となって、人の心にストレートに共鳴するのだろう。そこに理屈などいらない。

-----------

関連リンク

DAMON & NAOMI 日本語オフィシャルサイト

DAMON & NAOMI「Ueno Station」試聴
透明で浮遊感のあるサウンドを紡ぐ DAMON & NAOMIによる、アルバム「Earth Is Blue」には、友川と青森出身の三上寛に捧げられた「ueno station」という歌が収録されている。北の故郷と東京をつなぐ上野駅。郷愁漂うその歌は現代版「ああ上野駅」か。

美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川かずき
ファンによるビジュアル豊富なプロフィル。

天才表現者ちあきなおみは今も尚我々の前に屹立する
友川とちあきなおみの関わりなど
先日NHK総合で、BSで放送された「特集歌伝説 ちあきなおみの世界」の再放送があり、77年の紅白歌合戦で、髪を振り乱し取り憑かれたかのように、友川が贈った「夜に走る人」を唄う姿も映されていた。そのあまりにも衝撃的なパフォーマンスに白組司会者は「なんとも気持ちの悪い歌ですね・・・」と、つい本音をポロリ。

-----------

関連記事
どこにもない絵・友川カズキ
産館ホールへ行こう

| 読む・観る・聴く | 21:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

さようなら「赤バス」

三月三十一日、秋田市交通局が六十五年の歴史に幕を下ろした。

市交通局は、栗原源蔵(栗原組)の「秋田電車株式会社」を買収、電車七両、バス十六台を譲り受け、昭和十六年(1941)四月一日、秋田市交通課として誕生。市電は昭和四十年十二月三十一日の運行を最後に廃止。

20060401151857.jpg
北高校前停留所 昭和三十年ころ

市内大廻線・手形廻りのボンネットバスと、スラックスに長いコート姿の北高生。

20060401221332.gif
昭和二十六年・市内停留所

20060401151840.jpg
秋田大橋を走る市営バス 昭和三十年ころの絵葉書から

モノクロ写真を製版段階で職人が着色したもの。
モンペに頬被り姿の三人は新屋のカアサンたちだろうか、自転車、徒歩で渡る人も多い、時代を感じさせるのどかな風景である。橋の向こう側には国立農業倉庫(現・アトリエももさだ)と東北パルプ。

『広報あきた』から市営バス関連記事をふたつ。

楽しい旅に市営バスで!

風かおる旅の季節。ことしの観光旅行も快適な市営のロマンスカーをご利用ください。ことしは海を渡り北海道遊覧も受付中です。

▽日帰りコース
十和田湖 千円(昼食、船賃とも)
きみまち坂 五百円
男鹿めぐり 七百円(船賃とも)
乳頭-田沢 六百円(休料共)
象潟-白滝 五百円
小安峡 六百円
▽一泊二日コース
十和田(千七百円)羽黒山(千八百円)山寺(二千円)昼食、宿泊料とも
▽二泊三日コース
仙台、松島(三千五百円)昼食、宿泊料とも
▽七泊八日コース
北海道(一万六千五百円)船二等一切をふくむ。

『広報あきた』昭和三十三年五月一日号より

市営バスで楽しい海水浴

◇「かっぱ号」を特発
期間7月17日~8月21日まで

浜田・下浜行
秋田駅前発-午前9.30・10.00・10.30
浜田・下浜発-午後3.00・4.00・5.00
新屋浜行(川尻線)
秋田駅前発-午前8.55~午後5.35まで40ごと
新屋浜発-午後7.00・8.00
このほか当日の状況で、どしどし特発もしますのでご利用ください。

『広報あきた』昭和三十五年七月十五日号より

「ロマンスカー」は学校の遠足にも活躍した市営の観光貸切バス。昭和三十三年といえば公務員の初任給が一万円弱の時代。

海水浴シーズンは国鉄でも臨時列車を組み市民を運んだ。当時はまだ冷房装置はなく、定員オーバーで炎天下を走る車両は窓を全開にして海へと向かった。

昭和三十九年(1964)、ワンマンバスが導入され、黒いバックを提げて同乗していた車掌さんは姿を消していく。

昭和四十五年(1970)には、二百七台のバスを保有し、一日平均約八万人の乗客を運んでいるが、この時点ですでに約三億円もの累積赤字をかかえている。公共サービスであるために、運輸省が運賃を低くおさえていたことが赤字のおもな原因だが、その後はモータリゼーションの進展による利用者の激減が加速し、累積赤字はさらにふくれ上がるばかり。

20060401151823.jpg
木内デパート・切符販売所の跡

かつて電車の停留所があった木内デパート入口のボックスでは、バスの定期と回数券が売られていた。

赤字経営が続いていた路線バスは、平成十二年(2000)から順次、中央交通(青バス)への移管がおこなわれ、最終的には「交通局線」「県立プール線」「泉秋操線」の三路線に、バス十一台をのこすのみであった。

20060401151808.jpg

長いあいだ市民の足として親しまれた「赤バス」のすがたは、もう目にすることはできない。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:30 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |