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二〇世紀ひみつ基地

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2005年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年01月

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街に電燈が灯った日

秋田市に初めて電燈が灯ったのは、明治三十四年十一月、電線が引かれたのは当初、土崎湊新柳町(花柳界新地)、旧秋田市内の通町、茶町通り、大町通り、川反通りとその周辺で、点灯数はわずか七十灯であったという。

千秋公園には米国マンハッタン社製アークランプが三本設置された。アークランプは千二百燭光(約1200ワット)という高輝度で、それは、あたかも北斗七星が落ちてきたかのようだ、と当時の新聞は伝えている。

秋田の電燈で千秋園のは千二百燭光と聞いたから無論明るいが、秋田市全体より見え北斗の垂下した如き観がある。民間で大きいのは佐野薬種店の三十燭光と倶楽部本館の二十燭光である。佐野醤油店の飾り電燈は美観にて、ヤガテ田中醤油店や大島衛生堂にても之に似たものをしつらふべしとの事である。

明治三十四年十二月十八日 秋田魁新報「うめ草」より

佐野薬種店は、現在の佐野薬局。倶楽部本館は「あきたくらぶ」のこと。

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千秋公園に設置されたアークランプ

電燈が登場した当時の街の様子を、明治生まれの文化人・鷲尾よし子が書き残している。

「魔ものの電気」
……前略……
 まだ小学校前の数え年七ツ位であったと思う。通町の小松鳥屋に電気がついたというので、私は十代の叔母に連れられて見に行った。上肴町角の藤林の筋向い(現在金物屋)で、大きな鳥屋の店の雨戸が全部締まっていたが、小さい潜り戸が開いていて、戸口に人が沢山立ちはだかり、のぞいては、「まんつ、大変だもんだ」と驚嘆し乍ら帰って行く。店の中は昼のように明るく、天井に吊されている鶏が、生きて飛んで来るように私には感じられた。丸い笠の下に裸電球が大変美しく、光りがとても強くまぶしくて、とにかく大変だった。
「これだばいつまでも見ていると、まなぐ(眼)おかしくなるでば」
と、眼を押えて帰って行く女ご衆もいた。
「つけ木も早つけ木(マッチ)もいらねど。ねじコねじれば、ひとりでポッとつくなんだど」
と、その不思議さが何とも合点がゆかなかった。電気をつければ、ランプのほや磨きがなくなるという事が、大きな魅力であったらしいが、何やら魔ものめいて、うす気味悪いとて、すぐ電気に移る家はなかったらしい。…が、間もなく電気は嵐の如く普及して、四十年には電話も通じたし、市民の文化は電光石火、向上した。この電気導入は、時の代議士近江谷栄次氏の尽力というが、後に近江谷氏は政治に凝って身代をつぶし、自家の電燈代を払えなかったという、近江谷栄次一代記の特筆記事もある。

鷲尾よし子主筆・月刊『秋田』昭和四十二年五月号より

鳥類の肉と鶏卵を扱う「小松鳥屋」に引かれた電気に驚く町民の姿が、柔らかき秋田なまりの語りとともに、いきいきと再現され、当時の光景が眼に浮かぶようだ。

照明といえば、行燈やローソク、ランプしかない時代に、初めて眼の当たりにした電気=電燈への驚愕と戸惑い、それはあたかも摩訶不思議な魔法を見るが如き心持ちだったようだ。

秋田市に電気をもたらした土崎湊町の近江谷栄次は、明治三十年、弱冠二十三歳にして発電事業の認可を受け、土崎将軍野に60キロワットの汽力発電所を建設。明治三十四年四月、需要者の募集開始、十一月の試運転を経て、十二月一日に正式に点灯を開始している。

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明治三十四年四月「近江谷発電所」新聞広告

しかし市民の電気に対する理解不足もあって、その事業は順調にはいかず、資金離から近江谷は電力事業から手を引くことになる。その後、電力事業は四十八銀行の手に渡り、明治四十年六月、一般から株式を募集して秋田電気株式会社となった。

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