烏瓜の灯火とカボチャランタン
ハロウィンのカボチャのランタンは、子供のころの「烏瓜の提灯」の想い出につながる。
夏休みの終わる頃、隣家の生け垣に黄烏瓜が青い実を付ける。この実を使い提灯を造って遊ぶのが楽しい恒例行事となっていた。

烏瓜の実が適度に育った時期、近所の子供たちが集まり、青くて固い烏瓜をもぎとり、父親たちの指導のもと、ナイフで穴を開けて種をほじくり出し、目鼻を開ける。尻から釘を刺してロウソク立てとし、頭のツルに針金をからませて持ち手となる木の枝を結び完成する。当時は目と口だけで鼻は開けなかったような気もする。
小さなロウソクに火と灯すと、チラチラとゆらめくあかりで烏瓜は緑色に透き通り、ロウソクの熱で皮が焼ける特有の香りがあたりに漂う。このあと、子供たちは手に手に烏瓜の提灯を提げ、暑さも和らいだ夜の街を徘徊するのだった。
宮沢賢治の小説には「烏瓜のあかり」が何度か登場する。賢治も幼少のころ烏瓜で提灯を造って遊んだのだろう。
星祭の夜、子供たちが手に手に烏瓜の灯火をもって、送り火の灯籠流しのように川へ流しに行くのだが、カンパネルラは烏瓜の灯火を流そうとして、過って川に落ちた級友・ザネリを水に飛び込み助けるものの、自身は帰らぬ人となってしまう。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
『銀河鉄道の夜』より
徳冨健次郎(徳冨蘆花の本名)の随筆には、「烏瓜の燈籠」のことが記録されている。
母親が娘のために造った烏瓜の燈籠には、風流な帆掛け船の透し彫りがほどこされ、初夏の縁側をゆらめきながらほのかに照らしている。そんな情景が眼に浮かぶような、さすがの名文である。今日誤ってもいだ烏瓜を刳(く)って細君が鶴子の為に瓜燈籠をつくり、帆かけ舟を彫って縁につり下げ、しばしば風に吹き消されながら、小さな蝋燭をともした。緑色に透き徹った小天地、白い帆かけ舟が一つ中にともした生命の火のつゞく限りいつまでもと其表(おもて)を駛(はし)って居る。
(明治四十五年 七月十八日)
徳冨健次郎『みみずのたはこと』より

黄烏瓜の花
夕刻に開き朝には花を閉じる白き花は妖艶で幻想的。
烏瓜は東北地方南部以南にみられ、青い果実には縞があり、秋には赤く熟すが、東北以北にもみられる黄烏瓜は縞が無く、秋には黄色く熟す。秋田で烏瓜といえば黄烏瓜のことをさし、賢治の「烏瓜のあかり」も黄烏瓜と思われる。
黄烏瓜の根から採取される澱粉は、解熱、催乳剤や、あせもの治療薬である天瓜粉(てんかふん・天花粉とも)の原料となった。今でも年寄りはベビーパウダーのことをテンカフと呼ぶ。
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