二〇世紀ひみつ基地

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2005年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年06月

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大の大人の「ウルトラQ」ごっこ

昭和四十一年(1966)一月九日から七月三日にかけて全二十八話が放映された「ウルトラQ」は、円谷プロダクションが製作したSF特撮テレビドラマの名作。日曜日夜七時から三十分、一話完結のモノクロ作品で、第一回目の放送が視聴率42.1%を記録している。このドラマの成功がなかったら「ウルトラマン」へと続くウルトラシリーズは実現されなかった。ウルトラシリーズのキー局はTBSだったので、当時秋田県では随一の民放局・ABS秋田放送(日テレ系)では平日の夕方に放送されていた。

「これから30分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入っていくのです」という石坂浩二によるナレーションと、水に墨を流したときにできるマーブル模様のようなものが動いて、次第に「ウルトラQ」の文字が浮かび上がるオープニングは、夢幻の国にでも誘われるような不気味な音楽とともに強烈に印象に残っている。それまでになかったシュールな展開と、「カネゴン」「ガラモン」などの個性的で悲哀に満ちた怪獣・珍獣達の姿は、子供ばかりか大人の視聴者の心をとらえていた。

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そんな「ウルトラQ」世代のオジサンたちが、「ウルトラQ」第二十九話「盗まれた時間」を自主制作、四月からネットで公開され一部で話題になっている。どんなものかと観てみたら、これが結構面白い。「ウルトラQ」への愛があふれたオマージュとなっている。細部の小道具など、当時の雰囲気を良くとらえており、さらに、提供会社であった武田製薬の「タケダ、タケダ、タケダー」のオープニング・キャッチと、中盤には武田ハイシーのコマーシャルが当時のまま使われているのも嬉しい。

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武田製薬コマーシャル
大阪工場の鳥瞰からロゴマークに迫るオープニングキャッチは涙モノ

 私の奥さんは「洒落になってないじゃない」と言う。なかなか痛いところを突く。確かにその通り。パロディというわけでもないし、何かとてつもない仕掛けやオチがあるわけでもない。40年近くも前のテレビ番組である「ウルトラQ」ごっこを、いい歳をした大人が半年もかけて大まじめにやったというだけだ。だが、そこが洒落だとは思っている。(製作日記より)

ウルトラQを作る
http://ogikubo-toho.com/ulqdiary.html
トップページの「荻窪東宝」もお見逃しなく

グリコ「ウルトラQスナック」おまけカード
http://www.ezaki-glico.net/chara/ultraq_snack/card2.html

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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男心と「透視メガネ」

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掲載年不明

昭和五十年代ころまでの雑誌にはよく見られたあやしげな通販広告。「週間実話」などのオトナの雑誌をはじめ、少年雑誌にも似たような広告が載っていた。これは価格から推測すると最後期のものか。

「透視する事が出来る」と断言せずに「透視する事が出来るようです」と逃げ道を作ってあるが、「見えたぞ!!  見えた!! 」と煽り、「類似粗悪品に注意」「日米英独特許申請画期的新発明」と「本物」であることをほのめかす手口は、テキヤの口上のごとく男のスケベ心を刺激して止まない。

透視メガネの原型は、「レントゲンガラス」「X線透視めがね」「X線透視鏡」などと様々に呼ばれ、かつては祭りの露店や、学校の校門近くにも現れたテキヤのネタ(商品)だった。「骨が透けて見えるよ」などと言われて、万華鏡のような筒箱の前後に曇りガラスが取り付けられたスコープで、手のひらを光りにかざして覗くと、指の骨がレントゲンフイルムのように黒くはっきり映る。

その仕掛けは、ガラス部分に羽毛が仕込まれていて、それを覗くと対象物の輪郭が薄くぼけて中心部だけが細く黒く見えるというもの。原料の鳥の羽は、どれでもよいわけではなく、キジの羽毛が最適で、当時のテキヤが扱っていたもののほとんどがこれを使っていたという。

昭和三十年ころ日本で始めてメガネ型の「エックス線メガネ」を開発し、通信販売を始めた人物のもとには、「ウチの親分のネタをパクリやがって、バラスぞ」「火を付けてやる」と、テキヤからの脅迫状が届いたというから恐ろしい。

覗けば透視できるという製品は、明治期の雑誌広告にすでに登場している。

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「エッキス(X)光線器」明治三十二年広告

文章、イラストともに基本は昭和の広告とあまり変わらず、種類も普及品と高級品がある。高級試験用甲が三円となっているが、米一俵(60kg)四円の時代としてはかなりの高価。鳥の羽を使ったと思われる、この「不思議の珍品」、学校、病院等多数の注文には特別割引とあるのだが、はたして購入した団体があったんだろうか。

通信販売の「透視メガネ」には、「透視効果が強力なため骨まで透けてしまいました」というような断り書きが添えられいたという。原価のわりには随分高価なジョークグッズだったわけだ。

骨透視鏡
http://www.urap.org/forum/ashi/science/xray/xray.htm
原理と作り方

米国製「透視メガネ」
http://www.olywa.net/blame/how/how4.htm
日本と同じく羽毛を使ったメガネ、その原型は1940年代のものという。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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大町二丁目通り変遷

大町二丁目通りとは、秋田ニューシティーから日銀の間を言う。
現在の大町地区はかなり広範囲だが、旧町名の時代は、旧魁新報社の大町一丁目から、赤れんが館の三丁目までの通りだけを指し、三丁目以南は本町四丁目、五丁目、六丁目と続いていた。それぞれの通りに特徴のある名称がつけられていた旧町名では、たとえば上肴町といえばあの通りだとすぐ解るが、新町名で大町○丁目○番○号などと言われてさっぱり解らない。

外町では最も早く町割された大町三町は、茶町と並ぶ久保田の商家町のメインストリート。土崎湊からの移住者で形成され、木綿、絹布、麻糸、古着、小間物などの専売を許され、これらを「大町物」と呼んだ。

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大町二丁目雪景・大正期

左手に本間商店(本金)、右手には辻兵呉服店という老舗が並ぶ大町二丁目通り。本間商店の店頭には「○に本」の家印が見える。昭和三年、この建物を取り壊し鉄筋三階建てのビルに改築している。

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手前の白い建物が魁新報社、その奥に鉄筋三階建ての本間商店
通町橋近くの火の見櫓から撮影 昭和初期

本間商店は嘉永三年(1626)上通町に本間屋の屋号で創業した小間物屋、のちに教科書の出版なども手がける。大町二丁目には、慶応二年(1866)に移転。当主は代々、本間金之助を襲名。明治二十八年、二代目金之助は福田学校という私設学校を創設、学校に行けない貧しい家庭の子どもたちに読み書きとソロバンを教えた。この学校は昭和二年まで続けられている。

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辻兵呉服店

土蔵造りの平入り店舗。入口には暖簾が風に揺れ、大八車のような配達車が止められている。
明治期、この建物の左(南)隣には風間呉服店があったが、 大正五年、その建物に三田火薬銃砲店(現・三田商店)が入居。

三田商店会社沿革
http://www.mita-gnet.co.jp/enkaku/enkaku_taisyo.html#taisyo_02
大正期「三田火薬銃砲店」の写真あり

初代の辻兵吉は嘉永(1848~)の始めころ加賀の国から久保田城下に入り土着。豪商・高堂屋の奉公人を務めた後、安政三年(1856)に独立し、呉服兼質屋を創業、明治三十八年の火災以後に呉服専門店になった。当主は代々、辻兵吉を襲名。

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大町二丁目・昭和三十年代

昭和三十四年(1959)、本間商店は本金デパートとして発足、辻兵も同じ年に、総合衣料店として三階建ての店舗になった。

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大町二丁目・現在

昭和五十六年(1981)、三田商店と辻兵が並んでいた場所には秋田ニューシティー(辻兵)がオープン。本金デパートと名店街も再開発のため取り壊され、昭和六十二年(1987)、跡地に秋田大町第一生命ビルディングが完成、ワシントンホテルとA・Dが入居。

本金デパートは西武百貨店グループと共同で本金西武を設立し駅前に新築移転したが、平成十六年四月、西武百貨店がすべての株式を取得、十七年三月一日付で吸収合併し直営店となるため、江戸期から続き県民に親しまれた老舗「本金」の名はもうすぐ消えてしまう。

| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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「のりたま」と「エイトマン」

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一袋・30円(発売当初価格)

昭和三十五年(1960)、丸美屋から発売された「のりたま」は、「ふりかけは魚が原材料」というそれまでの常識をくつがえし、当時はまだ贅沢品だった卵と海苔を主原料とした新時代のふりかけだった。

パッケージは、大阪万博の桜花をモチーフにした シンボルマーク、日清食品「カップヌードル」パッケージなどを手がけた大高猛(故人)のデザイン。緑色は食品にはなじまないとされた当時としては、かなり斬新なデザインだったという。

シンプルで親しみやすいネーミングと斬新なパケージデザイン、それまでのふりかけにはない、子どもにも喜ばれるソフトな甘味・・・。テレビコマーシャルには落語家の桂小金治を起用、NHKの人気番組「ポンポン大将」(隅田川で働くポンポン船の船長が主人公の人情物語)の船長の衣装で「面舵いっぱーい、のりたまで三杯」とキャッチフレーズを連呼し流行語となる。

昭和三八年(1963)、丸美屋はTBS系で始まったアニメ番組「エイトマン」のスポンサーとなり、翌三十九年には「エイトマンシール」を景品にしたところ大ブレーク。あまりの売り上げに生産が間に合わず、問屋の倉庫で「のりたま」盗難事件も発生するほど、売り上げはシールを入れる前の十四倍にもなった。シールは当初、パッケージの外側に付けられていたが、それだけを剥がして持っていかれる被害が多発、のちに中に封入されるようになった。

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右・初代シール 左・第二弾「東京オリンピック記念」

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少年マガジン・広告

牧場に牛が佇むパッケージは「牛肉すきやきふりかけ」。同時期に「チズハムふりかけ」というチーズ風味の洋風ふりかけもあった。これは結構おいしかったが、短期間で販売終了となってしまう。いずれにもシールが入っていて、早く新しいシールが欲しくて、ご飯にたくさんふりかけすぎて叱られたことなどを思いだす。

丸美屋ごはんくらぶ
http://www.marumiya.co.jp/files/index.html
パッケージの変遷、キャラクターの歴史など
丸美屋のキャラクターは「エイトマン」「スーパージェッター」「おそ松くん」と、スポンサーになったアニメの主人公が約一年ずつ担当している。

「エイトマン」は木曜午後6時からTBS系で放映されたが、キー局が日テレの秋田放送では、金曜日の6時台に放映されていた。

秋田放送

6:15 エイトマン

7:00 忍者部隊月光
7:30 私のクイズ
8:00 三菱ダイヤモンドアワー ディズニーランド(隔週・プロレス中継)

昭和三十九年七月二十四日(金)の番組表から



♪光る海 光る大空 光る大地・エイトマン
エイトマン主題歌



| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:30 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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♪光る海 光る大空 光る大地・エイトマン

最近、NTT「フレッツ光」のCMでSMAPが歌う
♪光る海 光る大空 光る大地 行こう無限の地平線……♪
というフレーズが流れると、ついつい画面に眼が行き耳を傾けてしまう。
この曲は、ぼくらのスーパーヒーローだった「エイトマン」のテーマソングの冒頭部分。
あのころ、この曲を口ずさむと血湧き肉躍り自分が強くなれたような気がした。
歌詞は
♪走れエイトマン 弾丸(たま)よりも早く 叫べ胸を張れ 鋼鉄の胸を♪
と続くのだが、この部分がカットされているため、CMが流れ始めたころは不覚にも「エイトマンのテーマ」とは気づかなかった。あんなに好きな曲だったのに。ただ、このメロディーが流れると、えもいわれぬなつかしさが意識の下層から浮上し、過剰なほどに反応する自分がいた。

「エイトマン」

前田武彦 作詞
萩原哲晶 作曲
克美しげる 唄

光る海 光る大空 光る大地
ゆこう 無限の地平線
走れエイトマン 弾丸よりも早く
叫べ胸を張れ 鋼鉄の胸を

呼んでいる 呼んでいる 呼んでいる
立とう 正義の旗のもと
誇れエイトマン 天より高く
ふるえその腕を 鋼鉄の腕を

燃ゆる空 燃ゆる風 燃ゆる心
進め 無敵の力もて
征けエイトマン 誰よりも強く
響け轟け 鋼鉄の男



作曲の萩原哲晶は青島幸男と組んで、「スーダラ節」「ハイそれまでヨ」「ホンダラ行進曲」など一連のクレージーキャッツのヒット曲を書いた人。前田武彦(マエタケ)はテレビ放送創成期からの脚本家でタレント。CMで使われている冒頭の部分は、高度経済成長期の「明るい明日への限りなき夢と希望」を感じさせる、時代を象徴する名曲だと思う。

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オープニングタイトルで新幹線を追い抜くエイトマン
10万キロワットの原子炉によって人間の千倍の速度で走る

カルトSF作家・平井和正と、天才漫画家・桑田次郎(のちに二郎と改名)のコンビで、「週刊少年マガジン」で連載されていた「8マン」が、ТBSでアニメ化されると、たちまちのうちに人気を集め、視聴率は「鉄腕アトム」の抜くほど、その脚本も、辻真先、半村良、豊田有恒など錚々たる面々が担当し、原作の奥深さと人間味溢れるキャラクター、すこしバタくさく洗練された描画は少年たちを虜にする。

ストーリーは・・・、
警視庁捜査一課の腕利き刑事・東八郎は、凶悪なギャングを捕らえようとして、ピストルで全身を撃たれて瀕死の重傷を負う。そのとき謎の天才科学者谷博士が現れ、スーパーロボットの電子頭脳に東の記憶の全てを移し替え、世の悪と戦う勇者として再び蘇った。警視庁のどの部署にも属さない8番目の刑事・エイトマンは、普段は私立探偵、ひとたび事件が起きると秘密捜査官エイトマンに変身、この世の犯罪を撲滅させるために大活躍する。

ところでこのストーリーどこかで見覚えがないだろうか?
そう、あの映画「ロボコップ」とそっくり。「エイトマン」は1966年に「8th Man」として全米で放映されているため、「ロボコップ」は「エイトマン」が元ネタとされ、そのデザインも東映の「宇宙刑事シリーズ」からのパクリといわれている。

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鋼鉄の身体を持ち超高速で走り、人間とロボットとの狭間で苦悩する「エイトマン」は、電子頭脳がオーバーヒートすると、ベルトのバックルに仕込まれたはタバコ型の「強化剤」に火を付けて吸い鎮静させるという、嫌煙思想が広がる現代ではありえないヒーローであり、その姿にあこがれて真似をする子どもたちのアイテムが駄菓子屋のロングセラー「ココアシガレット」であった。

約一年間続いたテレビ放映終了後もその人気は衰えず、「少年マガジン」の連載は順調に続いていたが、昭和四十年(1965)桑田次郎が拳銃不法所持で捕まり、新聞の見出しは「エイトマン逮捕さる!」と事件を報じた。まるで「エイトマン」が悪人になったようで本当にショックだったことをおぼえている。連載は急遽連載中止となり、逮捕の数週間後、アシスタントの代筆による最終回で幕を閉じる。

桑田は自伝の中で、不法所持していた拳銃は、あまりの忙しさにノイローゼ状態に陥り、自殺用に用意したものだったと語っている。昭和四十年は、芸能界・スポーツ界の大規模なピストル汚染がマスコミを賑わせた年で、平尾昌章がピストル横流しの疑いで逮捕、桑田のほかに石原裕次郎、大薮春彦、若羽黒、千代の山、大鵬、柏戸、北の富士らの不法所持が発覚した。

謹慎を終えた桑田は、同年「週刊少年キング」で平井和正とのコンビで「エリート」の連載開始。少年マガジンにも読み切りの「8マン」を不定期連載する。

ちなみに連載漫画のタイトル「8マン」が、アニメ版では「エイトマン」とタイトルが変わった理由は、「8」だとТBSのライバル会社「フジテレビ=8チャンネル」を連想させるため「エイト」に変更されたという。「8マン」は「8番めの刑事」であったが、もうひとつは「8マン=はちまん=八幡神」、つまり武神・八幡大菩薩という意味もこめて平井和正が命名した。

昭和五十一年(1976)、テーマソングを歌っていた克美しげるは、再起の邪魔になった愛人を殺し逮捕される。そのため「エイトマン」のオリジナルテーマもしばらくは封印され、その後発売されたサウンドトラックでは他の歌手のカバー版が収録されていたが、最近になってオリジナルを使った復刻版のCDやDVDが発売されている。

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「のりたま」と「エイトマン」



関連リンク

8マン作品リスト
http://www2.odn.ne.jp/~ccs89380/pzlist8/8mnlist.htm
まぼろしの最終回の画像あり(全ページ)
アシスタントによる執筆のため桑田のオリジナルと比べると物足りないが、物悲しいラストシーンは強く印象に残っている。

海外の「エイトマン」オタク
http://8thman.com/history.htm
http://www.geocities.com/betoeitoman/index.htm

米国版「エイトマン」テーマソング
http://www.tvtunesonline.com/freebies/8thman.asp
米国版「ウルトラマン」テーマソングなどもあり

60年代日本アニメのサイト
http://www.geocities.com/cjmariano/engl_8thman.htm
オリジナルテーマソングの一部が聞ける

エイトマンヘの鎮魂歌 平井和正
http://www.ebunko.ne.jp/eightmana.htm

桑田二郎official
http://www.kuwata-jiro.com/index.htm
拳銃不法所持事件以後の桑田は、精神世界へ傾倒し、仏教を題材にした漫画などをも描いている。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:08 | comments:4 | trackbacks:1 | TOP↑

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クルスは何を語るのか

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三枚の真鍮板を貼りあわせて造られた古色を帯びたクルス・・・、これは私の父が、昭和三十三年ころ、千秋公園西側の崖で拾ったもの。

藩士、重臣を含めて、久保田城内(千秋公園)には多数のキリシタンが居たことが記録されている。
一例をあげると……。
耶蘇会派の宣教師が東洋における布教の状況を本国に報告した『日本耶蘇会年報』によれば、佐竹義宣の第二婦人・西の丸殿は熱心なキリシタンであった。身分が身分であり洗礼を受けることができなかったが、マリアの御絵の前にひざまづいて熱心に祈り、日曜日や祝祭日には、キリシタンの女中を招いて祝宴を設け、異教徒には信仰をすすめ、仏僧から迷信的な箱(?)を贈られるとそれを火中に投ずるのであった。

ある日、義宣からお寺に参詣するように言われ、腰元のキリシタン女中を伴って行ったはよいが、「万物の長である人間が木石を拝む理がない」と、仏を拝むこともせずに義宣の怒りを買い城内から追い出されてしまうが、西の丸殿はこれで離婚ができ洗礼が受けられると喜んだというから、呆れてものが言えない。希望どうり離縁された西ノ丸殿は、念願の洗礼を受け、京都の信者と結婚したという。

かつて千秋公園から発見されて、記録に残っているキリシタン資料が二つある。明治二十四年頃、公園改修の際に、百軒長屋の南端から掘りだされた「マリヤの石膏像」と、明治三十一年に霊泉(茶室「宣庵」の池)付近のモミの木の空洞に隠されていた純金製「メダイユ(メダル)」。これらは城内にいた信者が、徳川幕府によるキリシタン禁制の詮議が厳しくなり、発覚を恐れて秘匿したものといわれるが、このクルスもひょっとして、そんな因縁をもつ時代をさかのぼるキリシタン資料なのかも知れない。

| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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消えた白亜の洋館

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千秋公園の東側、大手門通りの堀端に建つ瀟洒な洋風建築。物心付いたころから前を通るたびに、なんとハイカラな御屋敷だろう、と眺めていた建物が先ごろ惜しくも解体されてしまった。

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解体前。老朽化のためかなり補修されているが、以前は白壁の美しい洋館だった。

この建物、昭和三十九年の住宅地図には「颯々荘」という風流な名が載っている。かつては旅館だったというが詳細は不明。建築は大正から昭和初期だろうか。ガラス窓の面積が大きく開放的な二階は、通りに面してテラス風に張りだし、壁から廂へと立ち上がる漆喰による優美な曲線が印象的だった。

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解体前。美しい曲線を見せていた軒下部分は、剥落のためかトタンで被われていた。

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解体前。お堀側から。

周辺地図

建物とお堀の間の小道を千秋公園へ登ると、左手に松風亭(旅館)、その向こうには市立美術館(現・佐竹資料館)があった。松風亭のお爺さんは合気道の師範で、ここで道場も開いていたが、廃業し今は更地になっている。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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噴水ジュースがあった時代

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噴水型ジュース自販機「オアシス」

ボトルの中で噴き上がるおいしそうなオレンジジュースに購買欲をそそられ、左のコップホルダーから紙コップを引きだし、右の受け皿に載せ十円玉を入れると冷たいジュースが注がれる。

昭和三十二年(1957)に、日本初のジュース自販機を世に出した星崎電機(現ホシザキ電機)が、昭和三十七年(1962)「街のオアシス」というネーミングで、噴水型のジュース自販機を発売し大反響を呼ぶ。ガラスボトルの内部で冷たいジュースが吹き上げる仕掛けは、ディスプレー効果絶大。日本中のデパートや街角に設置され、十円紙コップジュースとして親しまれた。

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ジュースの添加物調査 昭和三十九年(1964)

秋田県広報誌のグラビアから、食品監視員による添加物調査の様子。場所は木内デパート屋上と思われる。夏場はあまりの売れ行きの良さに、補充したばかりの生ぬるいジュースに当る確率も高かった。

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秋田ステーションデパート内「○〆(まるしめ)鎌田」昭和四十六年ころ

星崎電機の「オアシス」に似ているが、ボトルの部分が角形で全体的にコンパクトにまとめられている。

一世を風靡した噴水型ジュース自販機だったが、機器の中をジュースが直接循環する極めて不衛生な方式が問題となり、衛生面での規制が敷かれ、その後は瓶・缶入りの自販機へと役目を譲り、噴水型自販機はこの世から消えてしまう。

星崎電機(現ホシザキ電機)ではその後、アイスクリーム、コーヒー、ハンバーグ、ストッキング、全自動製氷機等のユニークな自販機も開発し、現在は業務用厨房機器全般を扱うメーカーとなった。

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関連記事

二〇世紀ひみつ基地 現役の噴水ジュース・毎日新聞


| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 10:00 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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遅咲き桜二題

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カスミザクラ・霞桜

久保田城の正門であった黒門の近く、脳研側のお堀の土手に、千秋公園内では一本だけ残るカスミザクラ。樹高高く、白っぽい花の密生は遠目に霞がかかったかのように見えるためカスミザクラという。田植え時期に咲くので「田植えザクラ」の名も。角館の桜皮細工はヤマザクラ及びカスミザクラの樹皮が使われている。

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ウコン・鬱金

千秋公園本丸、百軒長屋跡から、あやめ茶屋へ降りる途中、これも公園内に一本しか無いと思われる。

淡い黄緑色が目を惹く八重桜の一種、江戸時代からの栽培種。花の色が鬱金の根(ターメリック)を使って染めた鮮やかな黄色に似ているためウコンと名付けられた。散り際には花の中心が紅色に染まる。

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鬱金・落花

| 散歩写真・路上観察 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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歯車ぐるぐる幾何学模様

昭和四十年代、祭りの露店には、色とりどりのカラフルなプラスチック製の定規が並べられ、その前には人だかりができ、テキヤのおじさんが手際よく描く花模様に見とれていた。それは、歯車の穴にペンを指してぐるぐる回すと、奇麗な幾何学模様が描けるオモチャ。

正式名称は「スピログラフ」といい、考案者はイギリスのエンジニア、フイッシャー氏。1965年ころ商品化し店頭に並ぶと、ろくに宣伝もしていないのに口コミで爆発的ブームとなる。

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米国KENNER'S社 1967
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豪華セット!!

日本で「スピログラフ」を売りだしたのは、釣具メーカーのダイワ精工。海外戦略のために飛び回っていた当時の副社長がブームに目をつけ、考案者と会い輸入販売の契約をまとめる。最初は輸入品を売っていたが、国産化し販売するために「株式会社セイコウ」を創設、西山清章商店が販売窓口となりデパートや玩具店へ流通させたが、ブームの終焉とともに「株式会社セイコウ」も解散している。

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昭和四十二年当時の価格は1.750円、公務員の初任給が25.200円の時代だからかなりの高級玩具であった。しかし、都内百貨店での実演販売は好評で、予想以上の売り上げだったという。

祭りの露店に出ていたバチモン(まがい物)の小型定規は50円くらいだったと思うが、ボールペンを差し込む穴が貫通していない不良品も多かった。

商品名は「スピロデザイン」(株式会社タカラ)、「デザインスケール」など。

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実演販売中のインドの露天商

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 18:30 | comments:4 | trackbacks:2 | TOP↑

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露店にはカラーヒヨコがいた

昭和三十年代の木内の新聞広告にこんな文章がある。

こどもの日、木内デパートではお子様に金魚を差し上げます
なお、入れ物は各自ご持参下さい

たかが金魚と思われるかも知れないが、たかが金魚目当てに開店前から容器を持った子供たちが行列をつくる時代だった。同じころ、金座街にあった金鳥園ではヒヨコのプレゼントがあったと記憶している。

かつては祭りの露店にも、ヒヨコやミドリガメなどの生き物が売られていた。中にはスプレーでカラフルに着色された「カラーヒヨコ」もいて、そのほとんどは、買って間もなく死んでしまうのが常で、まれに生き残って成鳥となったニワトリは、子供が知らないうちに絞められて食卓に上がることもあった。可愛がっていたピヨちゃんがいないことに気づき、事の次第を知り泣きわめいてもあとの祭り、すでにピヨちゃんは己が胃の中にあり、血肉と化すプロセスが進行中。悔恨と罪悪の念にさいなまれ、この世の無情を知るのだった。

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昭和三十年代始めに「カラーヒヨコ」を売り始めたのは、駄菓子屋のロングセラー商品「よっちゃんイカ」の創業者で現社長。処分されてしまう雄のヒヨコを孵化場からタダでもらい、生きているヒヨコはエアブラシでピンク色に着色し「カラーヒヨコ」として販売。死んでいるヒヨコは、原型をとどめないようにクチバシと足をハサミで切り、タレをつけて「スズメ焼き」として売りだし好評を得たという。

詳細はコチラ
「よっちゃんイカ」の社長インタビュー

日本の露店からは消えてしまった「カラーヒヨコ」は、東南アジアでは今も現役。
カラーヒヨコ

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夜店の明かりに誘われて

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千秋公園桜祭り・湖月池夜景


桜祭りの期間、千秋公園の入口(中土橋)から延々と両側に続いていた露店が一気に減少したのは、暴力団追放運動に関連して、テキヤの露店が軒並み排除されてからのことだった。味も素っ気もない素人露店がまばらに出ただけの、その年から数年間の桜祭りは寒々とした光景だった。その後、テキヤの露店も徐々に復活したが、あの頃の賑わいを取り戻すことはもう出来ないのだろうか。

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白熱電球のオレンジ色の明かりを放つ夜店は、一瞬にして郷愁の彼方へと連れていってくれる時間移動装置・・・・・・・・・・。一回使えばすぐに切れ味が落ちる万能ナイフ(ガラス切り)を、見事な実演と口上で売るオヤジ。人だかりの向こうの啖呵売(タンカバイ)の声は、ノコギリなどの刃物専門店。針金をペンチで巧みに曲げ、自転車、鉄砲などのオモチャを作るオヤジ。祭りの間だけは子供も楽しめるパチンコ台も並び、怪しげで魅力的な露店が連なる道を、胸躍らせながら時間を忘れて歩いたあのころ、幼なじみのあの娘は、裸電球の明かりに照らされて、いつもより可愛く見えた。

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弥高神社例祭・宵宮

弥高神社例祭 宵宮祭
五月一日
千秋公園内

昨年はとうに桜は散っていたが、今年は満開の桜の下で麗しく清々しい宵宮だった。

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神楽奉奏

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献詠歌

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太鼓奉奏

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