二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

2004年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年02月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

秋田市広小路・雪景

20050131225018.jpg
(秋田)広小路通の雪景 大正期の絵葉書

自動車という文明の利器は、まだ夢の夢の時代、積雪地帯での冬期の運搬はもっぱら馬橇か人力の橇となり、人力車夫も幌のついた箱橇を押した。

荷物を積んだ橇は駅に着いた荷物を、通町あたりまで運ぶ途中だろうか。
左手にみえる洋風建築は、秋田における本格的百貨店のはしりであった「新田目本店」。
その向かいのあたりは県庁の敷地。
広小路名物・三本松が道をふさぐようにそびえ、その向かいには、のちにデパートとして栄える「木内商店」の白壁の建物がみえる。

20050131225007.jpg
橇を押す人力車夫。右上が「木内商店」。

20050131224954.jpg
現在の同地点


| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「たろんぺ」は由緒正しき方言

20050129005504.jpg

雪の中を夢中で駆けまわり、のどが渇いたら、雪を食べるか、軒にぶら下がった「たろんぺ」をなめたりかじったりして、のどを潤した子供のころは、今よりも雪は高く積もり、容易に軒に手が届いた。よく育った長い「たろんぺ」はチャンバラの刀にもなるが、すぐにポッキリ折れてしまう。子供らにとって「たろんぺ」は、その名の響きとともに親しみ深い存在だ。

秋田の方言「たろんぺ」の語源は「垂る氷・たるひ」つまり、「垂れ下がる氷」という意味の古代のことば。それに対して標準語の「つらら」は氷柱ではなく、普通の「平らな氷」を意味していた。しかし、中世からは「たるひ」が廃れ、「つらら」が転用されるようになって現在の標準語となった。

「たるひ」系の方言は、東北と北陸や九州の一部に残る。
県内では「たろっぺ」「たらんぺ」「たろんぺ」「たらこ」等が分布。変わったところでは、由利地方の「たろごじろご」、南秋田の「がら」がある。

朝日さす軒のたるひは融けながら
などかつららの結ぼほるらむ
『源氏物語』

現代語訳
軒の氷柱は朝日にとけながら、
どうして地面に張った氷はとけないでいるのでしょうか
意訳
あなたは表面は気を許したように見えながら
どうして底の方で打ちとけないものがあるのですか


| 祭り・民俗・歳時記 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

旧野口酒造酒蔵・通町

20050127222422.jpg
秋田市通町 明治初期の酒蔵だけが残る

藩政期の秋田には酒造家(さかや)が多かった。明和七年(1770)の記録では、久保田町(土崎、新屋、牛島などをのぞく秋田市中心部)だけでも、五十三軒もの数が記録され、通町だけで五、六軒の造り酒屋があった。

通町のなかでも、野口酒造は最後発の酒造家。
明治四年、秋田市上通町に初代・野口周次郎が創業。酒酩「親玉」。
北海道市場開拓に努め、当時他県の有名銘柄も入り込むのが困難だった北海道に堅い地盤を広めた。「親玉」は大正九年、奥羽連合清酒醤油品評会で優等賞、大正七年、十年に秋田県清酒品評会で優等賞を受賞し声価を高める。昭和十九年、国の企業整備により廃業、秋田酒類製造株式会社(高清水)に整理・統合され、株主構成員として参加する。

20050127222408.jpg
鏡、剣、玉の三種の神器をデザインした包装紙

インパクトのあるブランド名である。

| 秋田市今昔 | 22:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

アイスキャンデーのおもいで

20050124012818.jpg

子供のころの冬の楽しみのひとつ「手づくりアイスキャンデー」。

用意するもの
●渡辺のジュースの素
(チクロ(有害人工甘味料)&人工着色料たっぷりの粉末ジュース)
●コップ
●割ばし
●塩
●金ダライ

つくりかた
○粉末ジュースをコップに入れ水で溶き、割ばしを入れる
○外に出て、雪の中に金ダライを埋める
○タライの中にも雪を入れ、塩を加えてかき回す
○ジュースの入ったコップをタライにいれる
○しばらく待てば出来上がり


キャンデーを舐めると、舌は着色料でカラフルに染まる。
まだ冷蔵庫など贅沢品で、あまり普及していなかった時代の子供の冬の風物誌。一月から二月にかけての、厳冬期だけの楽しみだったが、最近は地球温暖化の影響か、寒さも続かず、積雪も少ないため、なかなかこんな風流な遊びも再現できない。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

せきや・秋田市通町

20050115205612.jpg

「せきや」が通町に店舗を構えたのが昭和30年代、周囲の商店と比べると歴史は浅いが、衰退いちじるしい地元商店の中にあって、もっとも活気あふれ、今ではこの町になくてはならない存在になっている。

20050115205559.jpg

敷地内にまつられた、鰻と魚を供養する「鰻塚」。「己の身をすり減らしても人に尽くす」という社訓を象徴する「すりこぎ棒」。

生鮮食品、特に鮮魚が豊富。川反から近いこともあって、飲食店などの得意先も多く、珍しい酒の肴や、市民市場でもみつからない食材にめぐりあうこともあるが、せきやの目玉はなんといっても自家製総菜。豚足などの中華系から、漬物を始めとした、昔なつかしい郷土料理などが豊富に並べられている。仕出し屋でもあるだけに味は間違いない。

80年代、秋田市との姉妹都市になった中国蘭州市から、市の肝いりで料理人が来日し、市内に蘭州料理店を開いたものの、間もなく閉店。その料理人たちをスカウトし、中国総菜を売り出して、評判になったこともあった。

20050115205541.jpg
ハタハタ寿し

20050122114151.jpg
カスベの甘煮

20050122114141.jpg
棒タラの甘煮

20050122114131.jpg
秋田のニシン太巻(昆布巻)

20050115205524.jpg
あさづけ

うるち米をすりおろしたものを煮て、酢と砂糖で味付し、果物などを添える秋田のデザート。

スーパーではあるが、対面販売が基本。
以前は午後5時ころまでの営業で不便だったが、最近になって午後7時まで延長している。


大きな地図で見る

| 食材・食文化 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ハレの日の「べっこう寒天」

20050115205444.jpg


椎茸・卵・砂糖でつくる醤油味のカンテン料理は、我家では正月の定番だった。

もともとは「べっこう」「えびす」「べろべろ」「ゆべし」などと呼ばれる、金沢を中心に北陸に広がる料理らしい。

「べっこう」という命名は、「鼈甲・べっこう」の質感・色彩に似ているため。「べろべろ」は食感からの命名。懐石料理では、とき卵がつくりだす模様から「むら雲寄せ」という風流な名前も。

山形や秋田の地菓子なども北陸系が多いので、同じ北前船ルートで秋田にやってきたのだろう。北陸から土崎に移住した人たちから広まり、定着したと考えてもよい。

ただ、秋田では椎茸を使うが、北陸では使わない。この料理は椎茸のダシと香りが特徴なので、同じ系統にありながら他とは全く違った料理になっている。

| 食材・食文化 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

復刻版「エンゼル」たけや製パン

20050118135015.jpg
秋田市・たけや製パン製

エンゼルリングのケーキ型を使い、大豆を練りこんで、ふんわりと焼いた、なつかしの菓子パン。
オリジナルパッケージは、森永のエンゼルに似たイラストだった。

20050118135005.gif

ついこの間のことと思ってたら、もう20年も前のことなのか……。
口に入れると、あの頃の生活や心模様が蘇ってくる。

_________

関連記事

たけや製パン -(ひみつ基地内検索)

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

梵天奉納

秋田市赤沼・太平山三吉神社里宮
一月一七日

法螺貝の音色、村札をぶつけ合う音、ジョヤサの掛け声、そして三吉節の歌声。

わたしゃ 太平(おえだら) 三吉のこども
人におし負け 大嫌い

伊勢に七度 高野に八度
出羽の三吉に 月詣り

今日はめでたい 三吉のまつり
ジョヤサ ジョヤサの 人の波

三吉節(保存会版)

地元町内・企業の青年らが、ほら貝を吹き鳴らして神社に集結し、一年の五穀豊穣・家内安全・商売繁昌などの願をかけ、先陣を競いながら、梵天(ぼんでん)と呼ばれるヒモロギ(神の依り代)を奉納する。

喧嘩梵天と呼ばれ、先陣争いは必ず血を見るほどの激しさだった。最近は奉納の順番が決められ、ずいぶんおとなしい祭りになったものの、クラスマックスの村梵天(近隣町内)だけは往年の激しさを残している。

20050118010807.jpg

神社までの道筋、ほかの町内や企業と出会うと、村札(町名・企業名が記され木札)をぶつけ合い挨拶する。

20050118010836.jpg
村梵天の先陣争い

20050118010927.jpg
梵天の極彩色で埋め尽くされた奉納棚

| 祭り・民俗・歳時記 | 23:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

梵天売り・今昔

20050118011018.jpg
勝平得之「梵天賣」昭和十年

藁に挿した梵天の玩具を売るアネッコ

20050118010958.jpg

現代の梵天売りのアネッコ

| 祭り・民俗・歳時記 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

旧亀谷染物店・保戸野

20050116231818.jpg

旭川に架かる保戸野新橋のすぐそばに建つ、かつては染物屋を営んでいた家。
奥行きが深く広大な敷地は、往年の繁栄を物語っている。
明治三十一年発行「秋田市商工人名」によれば、「保戸野愛宕町・呉服太物兼染物業・亀谷元吉」とある。

秋田では旭川の川反に沿って染屋が多かった。川反四丁目の割烹「かめ清」は明治十九年の創業だが、それ以前はここで染物屋を営んでいたし、川反二丁目には四軒の染物屋があったという。染め上げた反物や手拭地、芝居の幟幕などを旭川の流れに晒し、川岸に並んだ物干し場には、染物が風になびく風景は川反名物だった。旭川の水が市民の飲料水だったころのお話。

次第に川の流れを利用できなくなった染屋は、川反から離れ、また廃業するものもあったが、川反三丁目には「大山紋所(もんどころ)」と、「工藤大次郎染物店」が並んで残っている。「工藤大次郎染物店」は「洗い張り・染み抜き」のみで、今は染物はやっていないようだ。

20050116231830.jpg
大山紋書縫紋所

着物の家紋を染めたり、刺繍する紋所(もんどころ)。
歴史を感じさせる彫刻看板である。

| 秋田市今昔 | 23:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ココアシガレットはオトナの香り

20050115201021.gif

駄菓子屋のロングセラー、露店の射的の景品としても定番、大阪オリオン株式会社の「ココアシガレット」。

昭和二十六年から発売、パッケージはタバコのピースをイメージしたデザイン、60年代のピーク時には年間1,800万個を出荷。ここ数年はレトロブームに支えられ、年間500万個の売りあげという。

当初は一箱5円というが、わたしらの時代は10円だった。
そのころの製品は、ココアを白いハッカでくるんだ両切タバコそっくりのもので、おもむろに胸ポケットから青箱を取りだし口にくわえ、タバコを吸う真似をしては、大人の反応を楽しんだりしたものだが、なにか問題があったのか、それとも製造工程の簡略化か、今ではご覧のような、つまらないカタチになってしまった。

20050115201032.jpg

ヒットの要因は「タバコそっくり」なカタチで、大人の真似をしたがる子供の心理を掴んだためなのに、これじゃあパッケージに偽りあり、魅力も半減だ。

平成三年ころ、パッケージのデザインをリトルボブドッグという犬のキャラクターに変更するも、苦情が殺到し、平成五年、元に戻している。オリオンでは子供向けに販売していたが、予想外に大人のファンが多いことを確認したという。

箱の裏に印刷されていた「本品は近代人の味覚に適った砂糖菓子とし……」(画像参照のこと)という文章は今はない。「紳士淑女お子様方……」という文面を見ると、初期は大人も販売対象だったことがわかる。かつて、森永キャラメルなども、大人もターゲットに「滋養豊富・煙草代用」のコピーで宣伝していたのだから意外ではない。

オリオン株式会社
http://www.orionstar.co.jp/indexp.htm
ココアシガレット以外のヒット商品は、昭和四十八年開発の梅ミンツ、昭和五十三年開発のミニコーラ。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

秋田県アホ・バカ分布図

20050113202657.jpg

この図は1991年に、朝日放送「探偵ナイトスクープ」のスタッフが全国市町村の教育委員会に配付したアンケートをもとに作成した「全国アホ・バカ分布図」の一部。

バカとアホの境界線はどこにあるのか、という視聴者からの疑問が発端になり、分布調査は全国に展開し、異例の長期シリーズ化。その年の放送賞を総なめ。言語学の素人であるスタッフによる取材結果は学会で発表され、その後出版された「全国アホ・バカ分布考」はベストセラーになった。

秋田県内で使われている主なものは、ホンジナシ系、バカ系、ハンカクサイ系、タクラダ系。

    バカ(バガケ)系
三日月  ホンジナシ系
    ハンカクサイ系
    タクラダ(タクランケ)系

「ホジナシ」のホジは仏教用語の「本地」(仏・菩薩の本来の姿)から来ていて、後に「正気・本心」という意味に使われた。つまり「ホジナシ」は、その本地(正気)が無い者、しっかりした意識が無いヤツを意味する。秋田では子供に「ホジついてきたなぁ」(しっかりした子供に成長してきたな)とも使われる。

バカ系はややこしいので省略。

「タクランケ」は室町時代の京都人が中国に実在すると信じていた、麝香鹿そっくりな動物「田蔵田・タクラダ」から発生したことば。中国の猟師に高価な麝香鹿と間違って殺され、捨てられてしまうマヌケで愚かで悲しい動物。

「ハンカクサイ」のハンカは「半可」。「バガケ」「ホジナシ」「タクランケ」は京都から広がった中世のことばだだが、これは江戸で生まれた比較的に新しいもので、吉原の遊女が通人ぶった客の野暮ったさを皮肉る「半可通」の「半可」が語源。秋田では「小生意気」とか「キザ」の意味合いで使われることが多い。

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路
松本 修

新潮社 1996-11
売り上げランキング 28,774
おすすめ平均 


| 読む・観る・聴く | 23:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

大正期の中土橋・千秋公園入口

20050111170626.jpg
千秋公園入口・大正初期の絵葉書

平野美術館の構内にある土手が、この当時は大きく突き出して道をふさいでいる。土手の裏には秋田の武道館だった武徳館(今で言えばさしずめ市立体育館)、その後ろには明徳小学校。左手の現・県民会館の高台には大正七年に惜しくも焼失したルネッサンス様式の県公会堂が望め、撮影年代の判定材料となっている。

20050111170838.jpg
秋田千秋公園の桜 秋田三色堂発行・おなじく大正初期

20050111170914.gif
明治元年発行・秋田城郭市内全図より

黒い太線が土手を表す。堀に架かる土橋を渡ると土手がさえぎり、手前の土手(今も県民会館の地に残る)と二重構造になっている。写真は手前の土手から撮影された。美術館の入口辺りまで堀が張り出し、ここが少し埋め立てられたことが分かる。市立図書館(旧・明徳小学校)付近にあった内堀は大手門通り(脳研側)まで連なり、下中城は水に囲まれた浮島のようだ。この内堀が埋め立てられたのは明徳小学校が建て直された昭和三十二年のこと。

20050111170931.jpg
中土橋界隈・再現模型

この再現模型のように、中土橋をわたるとまず「一の門」にぶつかる。「一の門」をくぐり、左に曲がると「二の門」に相当する土手にはさまれた「楼門」(中央の白い建物)が建つ。二つの門を抜けると、左手には渋江家(現・県民会館の高台)、右手に梅津家といった家老クラスの屋敷の長屋門が連なり、内堀にかかる橋を渡り、大阪の石段をのぼると、松下門の番所で取り調べを受け、ようやく二の丸広場に至った。ちなみに久保田城の正門は中土橋ではなく、東側の大手門。

20050111170949.gif
現在の下中城周辺地図、緑色が残存している土手

大正十四年、昭和天皇が摂政殿下として御来園時に、迂回した道は車両の通行に不便とのことで、例の土手は取り去られ、今のようなまっすぐな道路となったという。

20050111170859.jpg
現在の中土橋通り

左に県民会館入口、右端に平野美術館敷地に残った土手の一部がわずかに見える。


大きな地図で見る



| 秋田市今昔 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

八幡秋田神社焼失す

20050110220830.jpg
秋田市千秋公園内

一月九日午前四時ころ出火し本殿と拝殿を全焼する。

20050110220844.jpg
昨年の元旦

茨城の太田城に創建した佐竹家の氏神を久保田に移し、のちに初代藩主・佐竹義宣を祀る秋田神社を合併し、八幡秋田神社と名を変え内町(武士の町)の総鎮守となった。我家は佐竹家が久保田に入る以前は太平に住んでいたが、のちに佐竹の家臣のはしくれとなったため、八幡秋田神社が氏神となっている。また、竿燈祭り初日の早朝、竿燈のてっぺんに付ける御幣が渡される「御幣渡しの式」が行われる神社でもあった。

20050110220917.jpg
本殿
佐竹家の紋章があしらわれた、銅瓦棒葺屋根に鬼瓦

20050110220931.jpg
拝殿入口

秋田県有形文化財だった本殿は天保三年(1832)建立、拝殿は明治三十二年以降の建築、両社とも豊富な彫刻が施された立派な建物だっただけに惜しまれる。関係者の落胆はいかほどのものだろうか。

神社の火災といえば、平成二年の過激派による秋田護国神社(寺内)放火事件を思いだす。あのときは再建までは二年ほどかかったはず。原因はまだ発表されていないが、もし放火ならば罰当たりなことをするものだ。

-----------

二月九日追記

出火原因やはり放火だったようだ。
容疑者・三十五歳の供述によると、賽銭を盗む目的でに侵入したが、「金がなかったので腹が立った。火を付けて燃やしてしまおうと思った」という。あまりに短絡的な思考にあきれはて、もはや怒りすら湧かない。

江戸時代の職人たちが丹精込めて築き上げ、百七十年以上の風雪を耐えた建築物が、一人の馬鹿者によって焼失してしまった。たとえ新たに社殿を再建しても、その歳月を経た風格と歴史は取り戻すことはできない。

| 祭り・民俗・歳時記 | 22:35 | comments:5 | trackbacks:2 | TOP↑

≫ EDIT

秋田市上肴町・魚市場


上肴町・魚市場 大正末頃

通町と上肴町界隈は秋田市の商業の中心地であった。通町側から今の「仏壇の升谷」のあたりまで魚問屋が両側に並び、店の前面にはアーケードの様に、コミセ(ヒサシ)が設置され、日差しや雨雪を防いでいる。



上肴町の米屋に明治二十八年に生まれ、幼少期を過ごした文化人・鷲尾よし子は、幼いころの記憶を書き残している。

馬から降ろされた大籠(十貫も入る長方形)から、貝焼皿で五匹づゝ計られるブリコハタハタがベロベロすべって藁包に入れられる。
「高げアなァ」
「ふん高げアがら、さらげ(やめれ)男鹿コの初物だでア、サアさらぐが、さらがねが(止めるか止めないか)・・・エエひまづれだでアこのアバ」
と魚売りオドは、あわや鰰をカゴにもどそうとする。
「せエば買ウでア」とアバ
……中略……
大籠のそばには雪の上にゴロゴロと転がされた鰰やサメ、台の上には鮭や鯛ひらめが、グズやチカなどを家来のようにして豪華に並んでいた。そこへ「よれよれ」と大声で馬が来る。魚が降ろされる。売る者買う人、どやどやと右往左往、雪の路上で、「高い」「負けれ」と、けんけんごうごう、時の声を作って騒ぐのだった。
男鹿、土崎方面から、或は新屋方面から海の魚、潟の魚が全部此処に出荷されて食い道楽の秋田市の民の魚は上肴町朝市でさばかれるのである。

雑誌「秋田」(鷲尾よし子主筆)より

「やめる、終わりにする」を意味する「さらぐ」は八郎潟あたりの方言。「グズ」は「グンジ」=「ハゼ」。

鮮魚は男鹿・土崎・新屋方面から馬に積まれて、この町で降ろされた。土崎港からの遠洋もの、汽車や自動車で近海ものなども入り、未明からの卸売りが済めば小売もし、昼前まで賑わった。

20041223140721.jpg
現在の同地点、通町から大町一・二丁目を望む

上肴町は、土崎湊にあった肴町の魚商人が、佐竹氏の時代になって移住した町。土崎は他国からの移住者が多く、生まれ故郷を偲び、出身地名を冠した酒田町、加賀町などという町名が残り、山口屋、丹波、讃岐屋、播磨屋、対馬などの屋号・姓も多い。このような地名を起源にした姓は、土崎だけでも七十種といわれる。

また、織田信長から弾圧された一向宗の信徒が逃亡して、土崎に定住したケースがあり、北陸系の加賀屋、能登屋、越後屋、金沢、越中などの屋号・姓には今も一向宗が多い。

20041223140630.jpg
加賀喜商店
左に通町、向かいが「せきや」

加賀喜商店は安政年間の創業という。木製文字の金網看板は通町拡張以前からのもの。昭和五十年、外旭川に市中央卸売市場ができるまで、十軒ほどの魚問屋が軒を並べ賑やかだった上肴町も、今では加賀喜商店だけになった。


大きな地図で見る
旧・上肴町

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 肴町に魚屋はなく年の暮れ

| 秋田市今昔 | 22:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

寒天・市民市場

20050106214433.jpg

秋田市民市場、総菜の「川和田商店」の寒天。

おせち料理にはかかせない寒天料理。
母親の造る寒天は、醤油と椎茸を使い、とき卵を加えたものだった。

| 食材・食文化 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

あきぎんのアコちゃん

20041221001422.jpg

現役時代から人気があり、銀行貯金箱マニアの間でも評価が高い、秋田銀行のマスコットキャラクター「アコちゃん」。その人気の要因は、素朴でかわいいキャラクターデザインの秀逸さとともに、バリエーションの豊富さにあると思われる。

稲穂を手にしたお馴染みの秋バージョンの他に、四季に応じた貯金箱が配布された。 ピンクのエプロンに蕗の葉を傘にした春バージョン。夏バージョンは、水色のハッピに「祭」のうちわを手にしたものと、浴衣姿で朝顔のうちわを手にしたもの。わら靴を履く冬バージョンは、スコップ、はこぞり、雪だるまの三種類。その他、銀行のカウンターに飾らていた、大型のアコちゃんは、社員の結婚・出産などに記念品として贈られたという。

20041221001502s.jpg
クリックで拡大

かつてのノベルティ勢揃い。定番だったマッチも、嫌煙指向が広まり、いまではすっかり姿を消してしまった。蕗やうちわは取り外しできるため、現在そのままの姿で残っているものは少なく貴重。

貯金箱にはこんな説明書が添えられていた。

わたしは、あきたおばこのアコちゃんです。 あなたの希望を育てるマスコットとして、いつもおそばにおいてください。 10円玉で1.000円、100円玉で10.000円入ります。

いっぱいになったら、お近くの〈あきぎん〉へおもちください。 1円から出し入れ自由な普通貯金通帳をおつくりします。

なみさまの秋田銀行

◎「あけ方」 頭を折曲げて胴からはずして下さい。組立ての場合は胴を温湯の中に入れてあたため頭に差し込んで下さい。

いちど首をはずすと、組立て直すのに難儀したものだ。ソフビが固くなる冬場は特に。1.000円など貯めたことがない、ましてや10.000円など夢の話。100円も貯まらないうちに駄菓子や駄玩具の資金になってしまう。

長期間、大量生産されたソフビ製ノベルティ貯金箱。その彩色は内職のおばちゃんたちによる手仕事のため、どれひとつ同じものはなく、また、時代による塗料の微妙な違いがみられるのも面白い。

ところで、「アコちゃんは谷内六郎のデザイン」との噂を耳にしたことがあるのだが、これは真実だろうか?

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

謹賀新年

20050101212921.jpg

| 祭り・民俗・歳時記 | 21:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |