二〇世紀ひみつ基地

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2004年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年01月

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歳末の秋田市民市場

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混雑する市場にて、旅行者とおぼしき若い外国人カップルが、真赤な酢蛸の前でしばらく佇み眺めていた。カルチャーショックを受けたに違いない。

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歳の市・正月花

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秋田市民市場周辺

今でこそ、しめ飾りをはじめとする正月の飾り物しか扱わない歳末の歳(とし)の市も、かつては様々な生活用品が並べられていた。

人生の大半を旅に生き、晩年の二十八年間、秋田に定着し膨大な紀行文を残した、日本民俗学の先駆者・菅江真澄は、享和元年(1801)の日記、『雪の道奥(みちおく)雪の出羽路(いでわじ)』で、久保田町(秋田市)通町での、歳の市の活気あふれる様子をリアルに描写している。

十二月二十九日 家々の軒先に借り家を並べて売っているのは、なのりそ(ほんだわら)、あらめ、芹、青菜、いも百合、すじこ、たかねこ、さけのおほにへ(塩引き)、鱒の新巻、ごぼう、にんじん、ねぎ、大根。
「つかーふなふな」という声はチカと鮒を売る。

あぶりこ、火箸、高坏(たかつき)、くぼつき、折敷(おしき)、みかけばん(高足膳)、鍋、皿、瓶子などの陶器。イカ(凧)、鶯笛、桶、タライ。

「若水桶はどうかね。雪舟木(そりぎ)雪舟木、そりの爪。しんべ、ごんべのわらの雪ぐつ。ぞうりぞうり、あとがけ、乳小(ちご)ぞうり」

「挿し櫛、かんざし、こうがい(整髪道具)、針や南京(太糸で厚地に織った平織りの綿布)、みすやはり(みすやブランドの針)、白い物(おしろい)、べに(口紅・頬紅)や、みやこ(都)の」

「ぶりこ、ひろめ、からすみ、うたあわび、ノリよ、くろのり、ふくろのり、籠行灯(かごあんどん)、むしろ」

「松よ、小松よ、姫小松、霜降り(霜降り松)、五葉(五葉松)、ゆづり葉、炭、柿、かやのみ、くねみ、栗、ゆず、みかん、ほんだわら、ことのばら(ごまめ)」

雪を土手のようにつき固めて、その上に紅葉したカエデ、ハゼノキ、コナラ、山橘、白ヨモギ、シノブ、カヤの葉、ハマゴウ、アスナロ、ツルウメモドキ、アオキバなど、一年間の草木の造花。中には雪の降る今の野山の草木も混ざっている。
「たぶさにけがれたるは、ふりかかる雪にきよまはりて奉る。めせめせ三世の仏の花を(手でけがれたのは、降りかかる白い雪で清めてください。買ってください。過去・現在・未来の諸仏にささげる花を)」といいながら、雪の上に木枝を折っては散らしている。

以上、現代語訳したものをアレンジしてある。「」は売り声。

食料品、雑貨、化粧品、正月の飾り物、凧などのおもちゃまで、バラエティに富んだ品ぞろえ。売り声の言葉も美しい。この当時の歳の市は、まず、十二月十三日を初市として一日市を開き、二十日から三十日までは毎日開かれたようだ。

真澄が記したもので、今も歳の市に残っているのが「正月花」と呼ばれる造花(ドライフラワー)。

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30cmほどのタラの木を台木として、五葉松・浜ガキ・樅(もみ)・ウメモドキ・浜ヨモギなどの枝を交互に差し込み、一本の花を咲かせたようにしたもので、神棚、仏壇、床の間に供える。

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浜ヨモギ(白)、サルトリイバラ・浜ガキ(赤)、かさかさ花(紫)、ユズリハ・五葉松(緑)

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勝平得之「造花」(部分)昭和十二年

冬季間は生花などほとんど無かった時代、冷たいモノトーンの雪景色に彩りを添える色とりどりの造花たちは、現代よりもなお一層の輝きを放っていたことだろう。

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餅つき大会

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弥高神社境内・秋田市千秋公園

鏡餅は生命の根源である太陽の象徴。
鏡餅のカタチは神社の御神体として祀られる凸面鏡。

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マカロニしるこ・給食

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小学校の給食で出された印象深いメニューの一つ、「マカロニ入りおしるこ」。

コッペパンとオカズに添えられたデザートで、一見奇妙な組み合せだが、餅の代用品であるマカロニのプニュッとした食感が、甘いおしること意外にマッチしていてた。メニューには「おしるこ」とだけ記され、貝マカロニもあったはず。これが出るとみんな喜んでいたのは、その甘味の魅力もさることながら、脱脂粉乳のかわりのメニューであったこと、まずい脱脂粉乳からの解放感だった。

昭和三十~四十年代の給食献立を再現した『なつかしの給食』(アスペクト編集部編)によれば、行事などハレの日に出された、昭和三十年代から四十年初頭のメニューで、四十年代からは白玉が主流になったという。

『なつかしの給食』には、人気メニューだった、「鯨の竜田あげ」「カレーシチュー」「あげパン」などが、レシピと写真で再現されている。マカロニにキナコをまぶした「マカロニのあべかわ」というのもあるが、こちらは記憶がない。

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なつかしの給食
アスペクト編集部
アスペクト
1997-07

なつかしの給食 献立表
アスペクト編集部
アスペクト
1998-03

なつかしの給食 おかわり!
アスペクト編集部
アスペクト
1998-09

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北東北のシンプルをあつめにいく

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表紙が角館のイタヤ馬、裏表紙には、杉山寿山堂の秋田諸越がデザインされたエッセイ。

著者の堀井和子さんは、料理スタイリストという、よくわからない肩書きの人だが、その著書は人気があり、熱烈なファンも多いらしく、手元にあるものは、2004年3月18日第1刷発行、4月15日第2刷発行と、一ヶ月のうちに版を重ねている。

「北東北」のタイトルにそぐわず、内容の大半は、秋田の食材と料理のこと。というのも、旦那さんが秋田市出身のため、帰省をくり返しているうちに、地のもので、お母さんが作る料理の魅力に、はまってしまったわけ。

堀井さんがとりこになったもの。
とびきり温かな金萬  グミッとまとわのつくような秋田のいちじく
しゃきっとした歯ごたえのミズたたき  どこか澄んでいるイタヤ馬
誇らし気にすっと胸を反らしている、曲げわっぱのお櫃
子供がいたら覚えさせたい、5月5日の笹巻き
あと、白玉、柏のお椀、まだまだ・・・・・・。(帯より)

白玉は東京で買うものとは風味が違うんだそうだ。
旦那さんの実家のすぐそばの、せきやマーケット、後藤酒店や、市民市場、そして鈴和商店のことなども登場し、秋田を離れている人たちには郷愁を、秋田在住のものにとっては、再認識の一冊。シンプルな装丁、添えられた写真も美しい。

どうか若い人たちには、おふくろの味ををしっかりと伝承し、後世に残してもらいたいと切に願う。

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北東北のシンプルをあつめにいく
堀井 和子

講談社
2004-03-18
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マルサン・レクイエム

1994年7月に閉店し、秋田市広小路で廃虚を晒していた、マルサンショッピングセンターの解体が始まった。

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土地は5月に秋田地裁が実施した入札で、「共立メンテナンス」(本社東京)が約1億3000万円で落札、2006年4月をめどに長期滞在型の大浴場完備ホテルを建てることを発表している。市内では他に二件のホテル建設が進行しているが、こんなにホテルばかり増えて大丈夫なのだろうか。

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マルサン(旧名・丸三)は1961年の創業、庶民のスーパーとして永年県民に愛され続けた。特に秋田市近郊の農家のおばちゃんたちには、敷居の高いデパートよりも、マルサンが一番人気だった。大阪弁で話す名物社長もなつかしい。

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1975年の広告

最上階には見晴らしの良い森永レストランと、焼ソバコーナー、ゲームコーナー。
父親の転勤で中学時代に秋田に来た山瀬まみ、当時、その父親は森永レストランチェーンに勤めていたというから、ここで店長でもやっていたのだろうか。


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マルサン跡

広小路マルサン・お化け屋敷とビヤガーデン




| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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きりたんぽ・鈴和商店

新米が出回る九月ころになると、秋田市民市場近くの鈴和商店ではきりたんぽ造りが始まる。添加物無しの炭火焼手造りきりたんぽは、風味が良く、機械造りと違って鍋に入れても煮崩れしにくい。おまけに値段も手頃なため、年末ともなればフル操業で客足が絶えることがない。

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このきりたんぽ焼き器は、赤く燃える備長炭を中心に杉串を入れる穴が同心円に並んでいて、まずは外側の列で暖め、徐々に水分を抜き、最期は最前列でキツネ色に焼きあげる。

炭火で室温が高くなるため、よほどの吹雪でもなければ引戸は開け放たれ、あたりには香ばしい香りが漂う。右のガラスごしにみえるのが隣の売店。

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鈴和商店の主力商品は雑穀、とくに豆類が豊富。小豆・大豆・金時・大福豆・白花豆・青大豆・紫花豆・ひよこ豆など、色とりどりの豆が並ぶ店頭は、カラフルで見ているだけでも楽しい。

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雑穀の総合問屋・鈴和商店
http://www.mame.co.jp/
きりたんぽのことは「会社概要」にあり。ただし量産できないため、電話やネットでの販売はしていない。

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うぎんのコロちゃん

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銀行の貯金箱マスコットが広く配布されるようになったのは、昭和三十年代半ばからのこと。

秋田犬の仔犬ををデザインした、羽後銀行(現北都銀行)のマスコット「うぎんのコロちゃん」は昭和三十八年に誕生し、四十年には、「コロちゃんの歌」が、ボニージャックスによりレコーディングされたと社史にある。CMソングとしてメディアにも流れた思われるが、この歌はまったく記憶にない。

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楽譜、5小節目の冒頭「きょ」の部分が抜けている。

平成五年、羽後銀行は秋田あけぼの銀行(旧相互銀行)と合併し、北都銀行と商号変更。
永年県民に親しまれた「うぎんのコロちゃん」は引退し、同じく秋田犬の「ほっくん」として蘇ったが、往年の魅力は失われてしまった。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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「菊谷小路」という不可解

秋田市・歴史の小路(一)

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勝平得之『雪の街』昭和七年

勝平得之の「雪の街」は、戦前の通町と菊谷小路入口の風情を描いた傑作だ。

ボタ雪の降りしきるなか、一仕事終えたのだろうか、酒屋の前に馬橇を止めて馬方が店先に入っていく。

この絵は、その昔、酒屋の前で馬を止め、入り浸りになっていた大酒飲みの馬方がおり、主人が変わっても馬は酒屋の前で立ち止まる癖がつき、押しても引いても動かなかったという逸話からヒントを得て描かれたという。

中央に菊谷小路の愛称起源となった造り酒屋「菊屋酒店」、左手の「タバコ」と「婦人小間物」の看板がみえる店は「亀谷雑貨店」だが、今と比べると菊谷小路の道巾がやけに狭い。

その理由は……。大東亜戦争末期、災害や空襲に備えて建て物の強制疎開が始まり、菊谷小路では「菊屋酒店」のある東側一軒分を取り壊すこととなり、小路の突当りまで、約五百メートルの家宅が一週間にして消滅し、道幅が広げられたという。そのため西側には戦前からの古い商店が残っているが、東側には無い。

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現在の菊谷小路

左手にみえるベージュ色の二階建てが現在の「亀谷雑貨店」。戦前と同じく「タバコ」と「婦人小間物」を商っている。

道幅は、もはや「小路」ではなく、「通り」と呼ぶほうが違和感がないが、「菊谷小路」という愛称には、藩政期からの歴史と土地の記憶が深く刻まれている。

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「菊屋酒店」は明暦年間、久保田町中通町(保戸野通町)に創業、姓は菊谷、屋号を「菊屋」と号す。
清酒「菊水」のほかに白酒も醸造し「菊屋の白酒」として親しまれた。「菊水」は大正二年、秋田酒造組合品評会で一等賞、昭和七年、第十三回全国清酒品評会で優等賞を受賞するなど、高い声価を得ている。

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清酒・菊水ラベル


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旧・菊谷小路

| 秋田市今昔 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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