二〇世紀ひみつ基地

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昭和残影・色と音と光の専門店「デンキヤ」秋田市中央通り

デンキヤ
▲旧「デンキヤ」ビル 2015.06

秋田市中通三丁目、中央通りに面した旧「デンキヤ」ビルが、竣工から約50年経過した2019(令和1)年6月に解体された。

デンキヤ

デンキヤ
▲2019.05

デンキヤ
▲1970(昭和45)年6月 新聞広告

1970(昭和45)年6月17日、家電販売店「デンキヤ」オープン。

電気屋に「デンキヤ」とは、なんともストレートなネーミングだが、印象的で覚えやすい良い店名だと思う。

同店を経営したのは、山王大通りに本社を置く、三菱電機代理店「菱明三菱電機機器販売」。

菱明三菱電機機器販売
▲菱明電機機器販売株式会社 2017.07

デンキヤ
▲1970(昭和45)年8月 新聞広告

「お買いあげ10,000円以上の方を北島三郎ショー ご招待」サブちゃんはまだ30代前半。

17形(17インチ)カラーテレビの現金正価(現金一括払いで購入した場合の希望小売価格)が 157,000円(デンキヤ価格122,000円)15形で現金正価 129,000円(デンキヤ価格98,000円)と、公務員の初任給(基本給)が36,000円ほど時代、おいそれとは手が出せない高額商品。そのため分割払いで購入するのが普通だった。

三菱カラーテレビ高雄▲1970(昭和45)年

同じ1970(昭和45)年の三菱カラーテレビ「高雄」19形の現金正価は197,000円。

1969(昭和44)年末時点の秋田県内の白黒テレビ普及率が89.9%なのに対して、カラーテレビ普及率はまだ14.2%。

70年代、カラーテレビの普及率は年ごとに倍増、量産が進むにつれ価格は下がりつづけた。

デンキヤ
▲1970(昭和45)年10月 新聞広告

秋田で初めてのスピーカー制作コンクール

パイオニアスピーカー PIM-16A(ロクハン)を¥1,700を特別価格¥1,000でおわけします。作り方はあなたの自由です。ユニークで優秀な音のスピーカーシステムに完成させてください。お寄せ頂いたスピーカーは全部メーカー専門工場で測定し、順位を決め後日表彰、豪華賞品を差しあげます。

パイオニアの名器、16cm フルレンジ スピーカーユニット PIM-16A を使った、自作派オーディオマニアをターゲットにした、スピーカーシステム制作コンクール。パイオニアの主催で全国で開催された。

デンキヤ▲1972(昭和47)年6月 新聞広告

2年前の1970(昭和45)年の広告と比べると、三菱17形カラーテレビの現金正価が 157,000円(デンキヤ価格122,000円)だったのが、現金正価126,000円(デンキヤ価格98,000円)と実売価格で10万円を切っている。

さらに、10万円以上のカラーテレビを買うと古いテレビを25,000円で下取りするサービスも。

そのほか、三菱カラーテレビ「高雄」20形が現金正価149,000円(デンキヤ価格124,000円)。三菱14形ポータブルカラーテレビの現金正価89,800円(デンキヤ価格76,000円)。白黒テレビで最も安いのは、ビクター12形白黒テレビ 定価29,000円(デンキヤ価格22,000円)。

デンキヤ
▲1974(昭和49)年1月 新聞広告

菱明OA電算事業部
▲1983(昭和58)年12月 新聞広告

1983(昭和58)年12月、廃業した「デンキヤ」跡に「菱明三菱電機機器販売」OA電算事業部が新事務所「コンピュータ」を開設、一階に各社オフィスコンピューター等を展示するショールームを置く。

三菱MULTI16▲1983(昭和58)年 雑誌広告より

●16ビット●日本語●オンライン
三菱パーソナルパソコン
MULTI16

8インチモデル

MP-1622
モノクロディスプレイ、主記録装置192KB
標準フロッピーディスク2台、標準キーボード
93万円(標準価格)

MP-1625
カラーディスプレイ、主記録装置256KB
標準フロッピーディスク2台、標準キーボード
113万円(標準価格)

「デンキヤ」跡に「コンピュータ」が開設された年、三菱から発売されていたパソコンMULTI16シリーズ。パーソナルパソコンとあるが、個人向けではなく、主に業務用に使われた。

8インチ8色カラーディスプレイ・メモリ256KB・8インチ2Dフロッピーディスク×2で113万円。ハードディスクは内蔵されず、オプションで追加できる外付ハードディスクの容量は20MBで、価格は30万円ほど。

同年のMULTI16シリーズで最も安価なMP-1601Sは、5インチモノクロディスプレイ・メモリ128KB・5.25インチ2Dフロッピーディスク×1で53万円。

8インチは小型タブレットサイズ、5インチといえば、小さめのスマホのサイズだ。

デンキヤ
▲2018.09

「コンピュータ」時代にビルの側面に掲示された「三菱コンピュータ」の文字は、西隣にビルが建ったことで隠れてしまったが、ビルの狭間に注目すると、三菱の赤いロゴマーク・スリーダイヤがチラリと顔をのぞかせている。 

デンキヤ
▲2004.02

「コンピュータ」撤退後、2000年初頭、一階にコンビニ「ローソン」が短期間入居。

上掲画像、旧「デンキヤ」ビルの小路を隔てた東隣に見える呉服店、旧「きもの有坂」ビルも2018(平成30)年に解体されて、今は駐車場になっている。


▲家電販売店「デンキヤ」跡

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秋田に聖火がやってきた・1964 東京オリンピック

▼東京オリンピック・聖火リレー記録映像

NHK の「2020 東京オリンピック」特設サイトにて「1964 東京オリンピック」における、秋田県内の聖火リレーを記録した動画が公開されている。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

オリジナルは「秋田公文書館」所蔵の「県政映画」フイルム。県が制作・配給した「県政映画」は、昭和30年代初頭から県内各地の映画館で、映画の幕間に全国版のニュース映画や予告編とともに上映された。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

東京オリンピック 聖火リレー 秋田


▼秋田県庁 噴水広場で聖火歓迎式典

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲昭和39(1964)年9月22日午後「秋田県庁」において聖火歓迎セレモニーを開催。

マーチングバンドが進む先に、昭和36(1961)年開催の「秋田国体」を記念して建造されたモニュメントが見切れている。

右手後方の白抜きテロップが屋根に重なる建物は、初代「秋田市立体育館」(別名・山王体育館・秋田スポーツセンター) 側面。現在その跡地に「秋田県第二庁舎」が建つ。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲午後3時頃、北高合唱隊による「県民の歌」に迎えられ、産業会館前の二丁目橋で聖火を引き継いだ、北高陸上部に所属する当日の最終ランナーが会場に到着。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲「秋田県議会議事堂」をバックに、ランナーからトーチを渡され、聖火台に点火するセレモニー実行委員長は、今も「人見スポーツ賞」に名が残る、秋田スポーツ界の功労者・人見誠治。

点火の瞬間、ファンファーレが鳴り響き、五輪を表現した5色のバルーンが空に放たれた。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲五輪が掲示された「秋田県庁」東側面の一階部分は、見ての通り、柱に支えられ、外部に開かれた空間、建築用語でいうピロティになっていた。

ピロティ奥の壁面は一面のガラス張りで、一階の県民ホールに自然光を導入していたが、のちにピロティが廃止されて、上階部分と同様な中央に窓を配置した壁面に改装。ピロティ・スペースの分、一階ホールが拡張された。

いつ頃改装されたのかは不明だが、強度に不利があるピロティ構造の耐震性を考慮した上でのことだったと想像する。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲噴水池の中央に仮設された聖火台を囲み「東京オリンピック」のテーマソングにして昭和の国民的名曲「東京五輪音頭」 を踊る秋田市婦人会の会員たち。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲五輪のマスゲームがくり広げられる広場の周囲、車両通行止めとなった左上の山王通り、右上の「秋田市立体育館」西側は人で埋まり、右下の「秋田県議会議事堂」屋上にも人垣ができている。当日は県議会の会期中であった。

この年「NHK秋田放送局」が亀ノ丁新町(現・中通総合病院の一角)から、県庁舎斜め向かいに移転、9月6日から放送を開始。

また「秋田市役所」が土手長町上丁(現・千秋矢留町)から、秋田県庁舎向かいに移転、10月に落成式を挙行、11月から業務を開始。

こうして、田園が広がっていた山王地区が、徐々に官庁街の体裁を整えてゆく。

秋田県庁 噴水跡

▲噴水広場周辺の現在。駐車場のあたりが聖火台が置かれた噴水池跡。

秋田県庁 噴水跡 駐車場

▲正面に「秋田県議会議事堂」右手に秋田国体記念モニュメント、その後方に前出の改装された県庁舎東側面。


▼市内の聖火コース・牛島橋で引き継がれた聖火を見送る

昭和39(1964)年9月22日午後1時30分頃、金足農業高校入口で天王町から秋田市に引き継がれた聖火は、土崎〜新国道〜通町〜秋田市役所(土手長町上丁)前〜広小路〜秋田駅前〜南通り〜産業会館前〜山王通りを通過、午後3時頃、秋田県庁に到着。

翌23日(秋分の日)は悪天候を考慮した予備日で休養。

9月24日午前9時30分、秋田県庁を出発、山王通り〜秋田郵便局前(大町四丁目)〜横町〜有楽町〜登町〜牛島〜仁井田〜四ツ小屋を通過、午前10時40分頃、御所野変電所前で河辺町に引き継がれた。

牛島橋
▲牛島郵便局前から牛島橋と旧後藤商店 2018.04

聖火コースに近い学校では授業を休止して聖火リレーを見学。

築山小学校に近い「牛島郵便局」前にずいぶんと早くから陣取り、しばらく経過した午前10時頃、羽州街道をパトカーと白バイに先導され、白煙をまとった集団が牛島橋を通過。

鈴なりの観客からの拍手と歓声、日の丸の小籏をふる音がまざり合うなか、ランナーたちは太平川橋を渡り、牛島商店街を白煙を残して駆け抜けていった。

「牛島郵便局」前から、往時の面影を良く残す牛島橋方向に目をやると、あの秋日の熱いさざめきが、まざまざとよみがえる。

秋田市における「2020 聖火リレー」のセレモニー会場は「エリアなかいち」に決定。リレーコースの詳細は今年末に発表されるとのこと。

あれから55年の歳月が流れた令和2(2020)年6月、同じ場所で聖火を見送ることができるならば、感慨もまたひとしおだろう。

「牛島橋」が川のない橋となった経緯については「川のない橋「牛島橋」界隈を歩く」を、牛島ではなく楢山にあるのに「牛島橋」「牛島郵便局」とはこれ如何に?の解説は「牛島橋たもと「後藤商店」(後藤書店) レトロ建築」の後半を参照のこと。

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消えゆく赤「ぢ」看板

山田相談薬局ホーロー看板
▲秋田市旭北栄町(消失家屋)2005.02 

赤い“”文字が眼を惹く「山田薬局」の看板。

「赤ちゃん用品 育児相談 ひふ病で評判の」とキャッチフレーズがある「山田薬局」(現・山田相談薬局) の住所、秋田市大町に「旧大工町」と旧町名が添えられている。

秋田市の町名が旧町名から新町名に変わったのが1967(昭和42)年。秋田局の市内電局番が二桁になったのは1969(昭和44)年だから、昭和40年代中期に設置されたものだろう。

昭和の街角によく見られた「」看板や痔薬の広告も最近あまり見かけなくなった。

船木薬店
▲秋田駅前・広小路「船木薬店」(消失店舗)2004.02

現代仮名遣いで「痔」のふりがなは「じ」が正解。しかし痔薬においては歴史的仮名遣いである「」が伝統的に使われている。

「痔」を表現するには「じ」よりも「」のほうがふさわしく、圧倒的に訴求力がある。

」は日本でいちばん短いひらがな文字看板。ひらがな一文字で通じる看板も珍しい。赤文字の「」は「血」に通じ、そのふくらんだ形状は「イボ痔」のようでもある。

昭和の元祖「」看板といえば「ヒサヤ大黒堂」のネオン看板。↓

上掲画像は銀座の夜に輝くネオンサイン。太く力強い「」の濁点が飛び散る血液のようでダイナミック。

慶長16(1611)年創業という「ヒサヤ大黒堂」の薬品は一般の薬局では取り扱わず、直営店と通販のみで販売。昭和40年代から新聞広告を大量に掲載し、各地に支店を拡げ、香港支店に「」のネオン看板を出すまでに成長するが、現在はその規模を縮小、ネオン看板が残っているのは銀座だけのようだ。

ヒサヤ大黒堂・新聞広告
▲1969(昭和44)年「ヒサヤ大黒堂」新聞広告

ヒサヤ大黒堂
▲1982(昭和57)年「ヒサヤ大黒堂」新聞広告

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秋田駅前・竜神堂と純喫茶「カカシ」界隈・1970年代初頭

昭和の秋田駅前

整理中に出てきた、とのことで頂戴した古いスナップ写真。今回はこの写真を考証するが、なかなか情報量の豊富な一枚であった。

撮影地点は秋田駅前・平和通りの裏側。現在の「フォンテAKITA」(旧イトーヨーカドー秋田店) 北側の大屋根下である。

手前から平和通りに所属するナショナルショップ「中央電気商会」「石川履物店」おもちゃの「ポパイ」洋服の「かめや本店」と並び、「かめや本店」西側の小路を左折すると、伝説的駅前食堂「まんぷく食堂」が店を構える末広町に抜ける。周辺の商店配置図等は文末の関連記事リンク先に。

「かめや本店」はのちに同店経営のジーンズショップ「ジーンズ・アベニュー」と変わり「かめや本店」が「金座街」の広小路側西角の「かめや第一支店」跡に移転。

秋田初の全天候型アーケード街・平和通りの裏通りにあたるが、「ポパイ」「かめや本店」のように、表通りと裏通りの両側に出入口を設けて、客の導入を促進する商店もあった。

秋田駅前大屋根下
▲2017.09 秋田駅前大屋根下

秋田駅前竜神堂

左手に「まんぷく食堂」の電柱看板。この日は駅前商店街の夏祭り期間中のようで「石川履物店」裏手に八大龍神の幟旗(のぼりばた)が立てられ、その下に御神輿が確認できる。手前の人物に隠れて、わずかに見える白地に赤く “祭” と描かれたとおぼしきものは、大人用の御神輿の頭頂部か。 

幟旗の向いに龍神様を祀(まつ)る古い「竜神堂」が鎮座していた。祭日は8月16日17日。明治35(1902)年に秋田駅が開業するのに先立ち、旅館や商店が建ち始めた頃に創建された神社だったのだろう。龍神は水神であることから、街を火災から守る火伏(ひぶ)せの神として信仰された。

川反や駅前の飲み屋で尺八を披露して日銭を稼いで生活していた、秋田の名物男 “中島のてっちゃ” は、駅員のお目こぼしで秋田駅の待合室や、秋田駅前「竜神堂」の縁の下もネグラにしていたという。

昭和の秋田駅前

「かめや」の “か” を亀の形にデザインしたロゴマークがある「かめや本店」の看板の向こう側、レンガ色の屋根が見える建物が、金座街の角地に位置した洋服の「森長」金座街店。

その後方に、現在の「秋田市公営駐車場」の場所にあった「東北電力秋田支店」の無線鉄塔がそびえる。

昭和48(1973)年9月、新国道沿いの山王五丁目に「東北電力秋田支店」新社屋竣工。当時、新社屋の向かいは「秋田中央交通」社屋とバスターミナル。その跡地に、昭和60年代「長崎屋秋田店」を核テナントとし、食品スーパー「ファミリーストアなかよし」が入居する「秋田中交ホリディスクエア」が開業。時を経て今は「ドン・キホーテ秋田店」となった。

昭和の秋田駅前

洋服の「森長」付近はピントが甘くて不鮮明だが、手前に「森長」東隣の喫茶店「パーラー・オクタ」(のちにポミエとなる) の丸形袖看板、そして右手に「森長」の二階に入っていた純喫茶「カカシ」のスタンド看板と店名入り装飾テントを確認。 これで70年代初頭の撮影と特定できた。

純喫茶カカシ
▲昭和46(1971)年 新聞広告

昭和46(1971)年1月26日「森長」金座街店二階に純喫茶「カカシ」オープン。

純喫茶カカシ

お待たせいたしました

純喫茶 カカシ 堂々オープン 

春は馬車に乗って、でもことしの春は装いも新たな純喫茶《カカシ》とともにやってまいりました。
ヨーロッパモードのデザイン・・・・・・。香り高いコーヒーのすばらしい味・・・・・・。
きっと《カカシ》はあなたのティールームとしてごきげんな店となるでしょう。
どうぞ彼女と・・・・・・彼と・・・・・・。ご一緒に早春とともにワイドオープンした《カカシ》へお出かけください。

純喫茶カカシ
▲純喫茶「カカシ」のブックマッチ(紙マッチ)

紳士服・森長

マッチの裏面に「森長」の広告。純喫茶「カカシ」は同店が経営していたのだろう。

秋田県内全域および「ダイエー山形店」盛岡の「協働社ビル」などに、80年代の最盛期には約30店を展開、年商30億を計上していた「森長」も、相次ぐ全国チェーン店の進出のあおりを受け、徐々に経営が悪化、本業を不動産業にシフトして経営を続けていたが、平成24(2012)年に破産。

最後まで名前が残っていた「フォンテAKITA」内の「森長」も、平成28(2016)年12月をもって廃業、50余年におよぶ歴史に幕を下ろす。「森長」のことはいずれまた。

純喫茶カカシ

新聞広告を見ると「カカシ」は当時、秋田のほか新潟・東京・甲府に店を構えるチェーン店で、どうやら筆頭の新潟市古町通(現・新潟市中央区古町通)の古町店が本店らしい。

「喫茶 カカシ」で検索すると「カカシ」古町店の一階はメンズショップ「ヤマダ」という紳士服の店だったとのこと。同業である秋田の「森長」と交流があったのかも。

 純喫茶カカシ跡
▲Googleストリートビュー 撮影日:7月 2018

Googleストリートビューで見つけた、メンズショップ「ヤマダ」と二階の純喫茶「カカシ」古町店の跡。

純喫茶カカシ跡
▲Googleストリートビュー 撮影日:5月 2018

こちらは純喫茶「カカシ」東京店が入っていた東京市品川区上大崎の「マツヤビル」。

昭和の秋田駅前

「秋田駅前商店街とヨーカドー変遷」に書いたように、銀座街、平和通り、末広町と、その界隈の建物が取り壊された跡地に、昭和55(1980)年「イトーヨーカドー秋田店」を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」がオープンすると、地権者である「中央電気商会」はファンシーショップ「Happy Day」として入居、おもちゃの「ポパイ」は飲食業に転業し、しゃぶしゃぶ・すき焼き・天ぷら「煌・あかり」うなぎ・なべ料理「六兵衛」をレストラン街に出店した。

次いで昭和59(1984)年、金座街跡地に買物広場(アゴラ広場)とバスターミナルがオープン。隣接する高裁跡地に「西武百貨店」と地元の老舗デパート「本金」が提携した「ほんきん西武」(現・西武秋田店) 開業。金座街にあった商店の一部もテナントとして入居する。

最後に「竜神堂」純喫茶「カカシ」旧「東北電力秋田支店」初期「まんぷく食堂」と、消えた駅前小路のおおよその位置を現在の地図に重ねて提示。駅前商店街周辺について言及した過去記事は文末の関連記事リンク先に。

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