鬼首水道道路を歩く・太平川水管橋と三日月湖
前回記事「 横森「水道道路」を歩く・手形山送水管」のつづき。
「手形山送水管」の役割と「水道道路」の定義については、前回・前々回の記事を参照のこと。
まず国土地理院地図で太平川付近の「手形山送水管」の配置と土地の変遷を。
▲昭和37(1962)年撮影 送水管敷設予定地
「手形山送水管」埋設以前の横森・広面地区。地下の送水管は水田の中を通る農道を北上し、手形山へと向かう。
▲昭和51(1976)年撮影
昭和37(1962)年時点で大きく蛇行していた太平川は改修され、旧河川の残骸が、二つの三日月湖として残る。
蛇行する河川は水害の要因となったため、主に昭和30年代中頃から改修された。同地区の河川改修については別記事で。
▲平成21(2009)年撮影
「手形山送水管」は、前回記事の、横森「水道道路」の終点(上掲地図・神社記号の北側)を東進、次の交差点を左折して旧農道を北上、両側に「横森市営住宅」見て進むと、太平川の土手に突き当たる。
水道局が設置した「ここであそんでは危険です あそばないでください」との看板がある太平川の土手。
▲太平川水管橋
地下から姿を現し、太平川を渡る「手形山送水管」。
送水管の上に管理用の通路が附属する橋を「水管橋」という。水道局の作業員以外は通行禁止。
地下に送水管が埋設されている「水道道路」を、水色の破線ラインでマーキング。水色の実線ラインが公道の地下を通る送水管。
▲昭和37(1962)年撮影 送水管敷設予定地
▲昭和51(1976)年撮影
右手に河川改修工事によってできた旧河川の残骸である三日月湖。現在は街区公園となっている。
▲平成21(2009)年撮影
太平川を越え、再び地下に潜った送水管は、秋田市広面鬼頭(ひろおもて おにこうべ)に到る。ここが、かつての水田を斜めに横切る、鬼首「水道道路」(水色破線部分) 。
水田などの一部を水道用地として買収し、地下に送水管を敷設したのが「水道道路」。
▲鬼首「水道道路」
▲鬼首「水道道路」三角公園
鬼首「水道道路」に沿って、旧水田を三角形に地割りされた土地・建物が目立ち、中間地点には三角形の空間に造られた「三角公園」がある。
▲鬼首「水道道路」
空き地が目立つ、鬼首「水道道路」の終点。上掲画像右手のアパートの壁面は「水道道路」に沿って階段状に傾斜している。
▲「太平川水管橋」と鬼首「水道道路」
「太平川水管橋」を越えると、南北に整列していた旧水田のグリッドに沿って形成された住宅地を斜めに走る「水道道路」。「水道道路」の建設によって生じた三角形の地割り。
▲鬼首「水道道路」と「太平川水管橋」を北から望む
▲「横森市営住宅」「太平川水管橋」鬼首「水道道路」とを南から望む
水色で塗装された「太平川水管橋」の手前、送水管コースをはさんだ両翼に建つ団地「横森市営住宅」は昭和48(1973)年から昭和53(1978)年にかけての建設。建設当初は近代的設備を誇る公営団地であった。
モダンな団地生活を夢みて、入居申込み日には徹夜組が数100人並び、数日前から待機する野宿組も出現するほどの人気を集めた。
広面の鬼首「水道道路」を抜けると、住所は東通と変わり「手形山送水管」は東通の公道地下を「手形山配水場」へと北上する。
▲手形山送水管 楢山・横森・広面地区
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