二〇世紀ひみつ基地

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居酒屋建築を鑑賞する・大町散歩



秋田市大町五丁目、第一会館本部の真向かいに最近オープンした、ドリームリンク直営の「男鹿漁港波止場食堂」。

黒壁の建物に大漁旗をモチーフにした派手な大看板、のぼり旗などのディスプレーが目を惹き、炭火焼きの鮮魚を店頭で販売したりと、漁港の雰囲気を演出している。




旧店舗

「男鹿漁港波止場食堂」の前は同社経営の「川反ホルモン」、その前は「牛角秋田大町店」がこの場所で営業していた。

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株式会社ドリームリンク

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昭和レトロ風ラーメン屋の夜も更けて・川反散歩





川反四丁目に、この5月オープンした「博多長浜屋台ラーメン・あぁ博多人情」。

昭和風情のトタン張りバラック風店舗にタングステン電球のあかりが灯り、どこか懐かしさを漂わす、お祭りの夜のひととき。

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博多ラーメン新店舗・川反散歩

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池永小路の闇にタヌキを見る

昨日の夜8時頃、池永小路(秋田市中通5丁目)を散歩していると、側溝のあたりをなにやら小動物がうごめいている。猫かと思って声をかけるが反応もなく、よく見ると子犬のようでもある。

逃げ込んだ駐車場の暗闇を凝視しつづけ目が慣れると、こんな街中にまさかとは思ったが、そいつは紛れもないタヌキの子どもであった。


08.08.17 07:53:43 PM

市の中心部でタヌキを見つけたのは、もう7年ほど前の夜中、寺町の寺の門前にちょこんとお座りしていた大きなタヌキに遭遇して以来のことだ。あのときはカメラを携帯しておらず、近所の人に聞いても、このあたりでタヌキなんて聞いたことも見たこともないとのことであったが、間違いなくあれはタヌキだった。

寺町ならば緑も比較的に豊富で、寺の縁の下などすみかとなる場所に事欠かないが、この辺ではどこをすみかとして、どんな生活をしているんだろう。飼いタヌキが野生化した可能性も捨てきれない。


●市内に現れたタヌキのこと

近年秋田市中心部に出現したタヌキについて、魁新報の見出しを検索すると、1984年11月1日 朝刊「野生タヌキ飲食街をかっ歩 大捕物の末に御用 早朝の川反で一騒動」。1993年10月3日 朝刊「“新天地”求めタヌキ広小路へ 千秋公園から子別れか フライドチキンがお気に入り」などが出てくる。

千秋公園には、はたして今も生息するのだろうか。その頃まで千秋公園本丸に生息していた野生リスを今は見ることができない。

昭和32年(1957)5月には、上肴町(現・大町一丁目)「県水産市場」にて、魚をしこたま食べて、まるまると太った大ダヌキが捕まった。夜な夜な現れて魚を食い荒らす、正体不明の動物がいたため、ワナを仕掛けて捕まえたこのタヌキはその後、千秋公園内の児童動物園に寄贈されている。

このタヌキ騒動について、上肴町生まれの明治女・鷲尾よし子女史が取材している。
‥‥前略‥‥
 私は昔の話も思い出して県水市場へ行きました。そこで、このタヌキは何ぼう位になるものか、いつどこから来たものか、一匹か、夫婦ものか、子があるかを聞いてみたけれど誰も知らないという。
 どこに住んでいるかしらと話してみたが、どうもわからないが、市場は、通町に面した方と肴町に面した両方に入口があり、電気冷蔵の土蔵が二つ奥ふかくにあり、水がいつも流れて、この水が土管に入って往来の地下のマンホールに流れてゆくらしく、もしかしたら、マンホールに住んでいて夜な夜なふんだんにある魚類を食べに来ていたのではないだろうか、とも思われる節もあった。
 聞きたいと思った事は何もたしかめる事が出来なかったし、狸と狢と違うだろうとか同じだろうとかで話に花を咲かしたが、たゞ狸というものは一種異様な匂いのするものであるという事を話していた。

 も一つ不思議な話を若い衆が教えてくれた。

 狸を生捕りにして、動物園に寄付した次の朝、いつもの通り、市場は三時頃表戸を開けて営業を開始したそうですが、多勢の男衆が電気冷蔵の土蔵から魚をせっせっと運び出している最中、見なれない若い男の人が、ウロウロと歩き廻っていたそうですが、みんなは多分魚を買いに来た新しいお客筋だろう位に思っていたが、夜が明けかかってお客が来る頃になったら、いつの間にか、その男は姿を消していたというのでした。
 勿論言葉を交した人も居らず、ただその男はニヤニヤし乍ら歩き廻っていただけで姿をかくしてしまったという話でした。

雑誌『秋田』(鷲尾よし子主筆) より
さてさて、その怪しげな男は、捕らわれた親を探しに来た、人間に化けたタヌキだったんでしょうかねぇ。

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上肴町・魚市場

川反にタヌキの慰霊碑

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ケヤキ並木のレストラン・那波家水汲み場


08.07

那波家の水汲み場を見下ろし、ケヤキ並木がこんもりと茂る、秋田市大町二丁目橋のたもと、つい最近まで「秋田コミュニティFM」のスタジオだったガラス張りの建物を改装したレストラン。

建物の一角で営業していたレストラン「和我母」(わがママ)が、「秋田コミュニティFM」の移転にともない、スペースを広げて新規オープンしたもの。


06.11 水汲み場とケヤキ並木

川反の各町にあった水汲み場を「カド」といい、今も残る那波家専用のものは船着き場も兼ねた立派なもので、米、炭などの物資が陸あげされたとのこと。

もともと湿地帯であった久保田は良質な地下水に恵まれた場所が少なく、外町(とまち)の大半の家は旭川の清流を飲料水などの生活用水として頼ることを、明治四十年代に上水道が通じるまで続けた。


06.11 水汲み場とケヤキ並木

那波家が防火用に植栽した初代のケヤキは明治元年の火災で焼失、それが再び芽生え今に至るというから、樹齢は百四十年ほどになる。

昭和三十二年(1957)、対岸にあった秋田県庁の火災のとき、防火林は火の粉と熱風を見事に防いで、駆けつけた人々に感銘を与えたという。


04.06 土手長町通りから二丁目橋

レストランおよび隣接する小公園が完成する前、この地には那波家の土蔵が建ち並んでいた。山王大通り側から酒蔵、文庫倉、建築資材を収納した木蔵の土蔵三棟。この酒蔵を利用した思われる酒屋のことが昭和初期の新聞記事にみえる。那波酒造の清酒(秋田川・後に銀鱗)を飲ませたらしい。

昭和四十年代の山王大通り拡幅にともなう、二丁目橋の架け替え工事を前にして、老朽化した土蔵は撤去され、ケヤキの大木二本も切り倒される。

取り壊された土蔵跡地の一角に建てられたのが、アキタニューグランドホテル直営レストラン「ジャルダン」。


1972 新聞広告

「ジャルダン」が撤退したあと、貸事務所などを経て、平成十年(1998)「秋田コミュニティFM」開局、そして今年(2008)の六月、寺内三千刈に移転、その建物は再びレストランとなった。


08.07 二丁目橋及びケヤキ並木



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