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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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1987「AKTジャンボ迷路椿台」オープン

▼80年代後半の巨大迷路ブーム

1980年代の後半、日本で巨大迷路(立体迷路)ブームが巻き起こり、最盛期には津々浦々に100ヶ所を上まわる迷路施設が営業していた。

その巨大迷路ブームの火付け役は、ニュージーランドのスチュアート・ランズボロー。

迷路(通り抜けにくくつくられた道)

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

‥‥前略‥‥

 日本で1980年代後半に起こった迷路ブームは、スチュアート・ランズボロー Stuart Landsborough が、ニュージーランドのワナカという小さな村で始めた商業迷路がきっかけである。彼はいろいろな試行錯誤を重ね、迷路の立体化、チェック・ポイントの設定、仕切り壁の自由変更などで、人間の動きのコントロールのノウハウを得て、1985年(昭和60)に日本に乗り込んだ。日本では、87年には、ランズボロー・メイズという名のもとで20か所、そのほかを含めると百数十か所の迷路施設が商業化されていた。大きいものは、縦・横各90メートルもあり、平均所要時間は1時間前後である。迷路は単なる知的遊技にとどまらず、一種の軽い屋外スポーツとしての意義から、広く支持を受けたが、ブームが去るとこれらの施設は相次いで閉鎖された。[芦ヶ原伸之]

迷路とは - コトバンク より

スチュアート・ランズボロー
▲スチュアート・ランズボロー 1993年12月『The Rotarian』誌より

  • Puzzling World (パズリング・ワールド)ニュージーランド ワナカ
  • ランズボロー創設の元祖巨大迷路とトリックアートのアミューズメントパーク

ランズボロー式迷路の特徴は、4つのチェックポイントを配置し、仕切パネルを可動式にしたこと。生垣などを使用した従来の古典的迷路と異なり、コースを自由に変更できるため、定期的にバターンを変えることでリピーターを飽きさせない。

大阪の「メイズプロダクツ」がランズボロー迷路の国内独占権を取得して、フランチャイズ展開。同社傘下のランズボロー設計による迷路施設は、島根県に現存する「ランズボローメイズ匹見」のように、創始者の名を冠したが、その成功を受けて、ランズボロー迷路を模倣した非公式の巨大迷路が各地のレジャー施設内などに続々と誕生する。

秋田県内にはかつて3ヶ所の巨大迷路が存在したが、その先陣を切ったのが「AKTジャンボ迷路椿台」であった。

▼「AKTジャンボ迷路椿台」開園

1987(昭和62)年3月、河辺郡雄和町(現・秋田市雄和)の「雄和サイクリングターミナル」前に、秋田初の巨大迷路「AKTジャンボ迷路椿台」がオープン。

面積約2,800平方メートルの敷地に、秋田杉の素材を使用し、総工費3,000万円で建設。「秋田ステージ」が企画・設計し「AKT秋田テレビ 」が主催した。

東北初、立体迷路が完成
 ゴールまで1時間

AKTジャンボ迷路椿台

河辺郡雄和町の「雄和サイクリングターミナル」に建設が進んでいた立体巨大迷路が完成。きょう21日オープンする。同町の新たな観光拠点として定着、人気を集めている同サイクリングターミナルの第2次開発構想の第1弾で、全国的にブームの立体迷路がお目見えするのは東北で初めて。

完成した巨大迷路は、同ターミナル向かいの草地に建設。施設の総面積は約2,800平方メートルで、この敷地の上に合板パネルを立ててジグザグ模様に複雑な仕切りをつくる。パネルの高さは2.2メートル。入口でタイムを記録、迷路の中にある4ヶ所のチェックポイントで通過確認のスタンプを押し、ゴールするまでの時間を競う。入口と中心部の合わせて3ヶ所にやぐらがあり大まかな自分の位置が分かるようになっている。

迷路は1時間前後で抜け出られるようになっているが、万が一“お手上げ”の場合は。途中4ヶ所にある“非常脱出口”から逃げることができる。

コースはコンピュータで管理され、1カ月前後で組み替える予定。

‥‥後略‥‥

1987(昭和62)年3月21日 『秋田魁新報』より

AKTジャンボ迷路椿台AKTジャンボ迷路椿台▲1987(昭和62)年3月 新聞広告

東北初登場! AKT ジャンボ迷路 椿台
あさって
3月21日(土)AM10:00 OPEN!

春休み ドカーンと挑戦しようぜ!
脱出までなん時間?

迷い心地、満点。話題のウォーキングパズル

いったんこの迷路に入りこんでしまったら頼れるのは自分の体力と根気、そして方向感覚だ
とにかく歩かなければ出られないから、日頃マイカーに頼ってばかりの人にはピッタリの遊び

■開場時間/AM10:00〜PM4:00(日・祭日 AM9:30〜PM4:00)
■入場料金/一般 500円 小中学生 400円
■場所/雄和町サイクリングターミナル前
●主催/AKT秋田テレビ
●後援/秋田県/秋田県教育委員会/雄和町/秋田魁新報社/雄和町サイクリングターミナル
●協賛/大塚製薬
●企画製作/秋田ステージ

〈迷路の遊び方〉
この迷路はスバリ紙面迷路の立体版です。
約2.640㎡の敷地にジグザグの木製パネル仕切迷路を作り、入場者が4つのチェックポイントを通過しゴールを目指す、ニュータイプのレジャーランドです。まず入口でタイムカードを押し迷路に入り、知恵を使って次々にチェックポイントを探し、そのチェックポイントで通過証明のスタンプを押し次を目指します。めでたくゴールインしたらゴールタイムを押して、入場者の通過タイムがわかる仕組みになっています。ご家族で、グループで、恋人、友人、また一人でも楽しめる遊びです。中央の塔にはスタッフがおり、4ヶ所に非常口も設けられ、、万一お手上げの方はリタイヤもできます。
何度チャレンジしても面白いプレイゾーンです。

キャラクターショー
超人機メタルダー

1987(昭和62)年3月から放映された、東映製作の特撮テレビ番組『超人機メタルダー 』のキー局は「テレビ朝日」だが、まだ系列の「秋田朝日放送」が存在しないため、日テレ系の「ABS秋田放送」にて放映された。

AKTジャンボ迷路椿台
▲ストップウォッチとモグラ?を組み合わせたロゴ

AKTジャンボ迷路椿台

主催社である「AKT秋田テレビ」では連日CMを放映。下記YouTubeにて、当時のCM映像およびテロップCMを閲覧できる。

  • 秋田ローカルCM集(昭和編)④ - YouTube
  • 0:14 でっかく遊ぼう「ジャンボ迷路椿台」
  • 1:00 AKTジャンボ迷路情報
    ゴールデンウィーク 毎日先着100名様に特製テレフォンカードプレゼント
  • 1:33 AKTジャンボ迷路情報
    キリン株式会社主催 キリンカップ駅伝タイムトライアル参加者募集
  • 2:45 ゴールデンウィークは中央交通の増発バスで迷路に行こう

AKTジャンボ迷路椿台CM

AKTジャンボ迷路椿台CM

AKTジャンボ迷路椿台CM

 ゴールデンウィークには、中央交通による臨時直行バスが運行された。

1987(昭和62)年3月末のオープンから、11月後半の冬期休業まで、シーズン中13万人を超える入場者を記録する。

AKTジャンボ迷路椿台

▼ジャンボ迷路の移設と閉園

「AKTジャンボ迷路椿台」が開設された場所が「ミネソタ州立大学機構秋田校」の建設用地となったため、1989(平成1)年の春、サイクリングターミナルの東隣り、サイクル列車の線路内側、現在の有料市民農園「椿台スーパー農園」Aゾーンの地に迷路を移設。

移設を前にして、迷路は「AKT秋田テレビ」から雄和町に譲渡され、以降、AKTの冠が消えた「ジャンボ迷路椿台」の管理・運営は、サイクリングターミナルが担当するため、同テレビ局が主催した「AKTジャンボ迷路椿台」の時代は、オープンから2年間ということになる。

面積は初期が約2,800平方メートルに対して、約2,000平方メートルに縮小。移設に際して迷路の仕切り板を透明に変更し「向こうが見えながらも思うように進めない」というもどかしさを強調した。

「雄和サイクリングターミナル」は「日本自転車振興会 (競輪)」と県の補助を受けて1985(昭和60)年オープン。レンタルサイクルのほか、宿泊・宴会施設、レストラン、グラウンド・ゴルフ場などを備える。現在は第三セクターの「雄和振興公社」が運営。レストランの名物はジャンボおにぎり。

1995(平成7)年時点での「雄和サイクリングターミナル」内の遊具・レジャー施設は、ジャンボ迷路のほかに、変わり種自転車各種、ローラースケート、バギーバイク、ポニー乗馬、忍者屋敷、サイクル列車、オフロードゴーカート、レーザーガンゴルフなど。

雄和サイクリングターミナル
▲サイクル列車 宝くじ号

1988(昭和63)年7月、宝くじ助成金で導入された20人乗りサイクル列車は、各座席にペダルがある足こぎ列車。

AKTジャンボ迷路椿台

サイクリングターミナル前の長方形の土地が初期ジャンボ迷路の跡地。サイクリングターミナルの東側で、サイクル列車のレールに囲まれた後期ジャンボ迷路が営業中。

AKTジャンボ迷路椿台

初期ジャンボ迷路の跡地付近に「ミネソタ州立大学機構秋田校」の学生寮。後期ジャンボ迷路を囲んでいたサイクル列車のレールはすでに消えている。

1990(平成2)年に開校した「ミネソタ州立大学秋田校」は赤字の累積を理由に2003(平成15)年閉校。2004(平成16)年、その跡地に公立大学法人「国際教養大学」が開学する。

1999(平成11)年10月「ジャンボ迷路椿台」閉園。最後は無料開放された。

1987(昭和62)年の開園年に13万人を超えた入場者数は、1989(平成1)年に約3万人、閉園の前年、1998(平成10)年には約3,000人まで落ち込んでいた。

「AKTジャンボ迷路椿台」がオープンした翌月、1987(昭和62)年4月末「仁別レジャーランド」内に県内2番目の巨大迷路が開園するのだが、そのお話しはいずれまた。

1989(昭和64)年5月、由利郡(現・由利本荘市)岩城町に開園した「天鷺遊園ファミリーランド」(2008年閉園) 内に、アスレチック要素を加味した巨大迷路「巨大あまさぎ忍者迷路」がオープン。詳細は下記関連リンク先に。

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昭和レトロに逢いに行く・エリアなかいち界隈散歩

雲ひとつなく晴れあがった土曜日、「エリアなかいち」でのイベントをのぞきながら、千秋公園界隈に遅い朝の散歩。

バックトゥザセンター「ファイナルイベント」~昔懐かしい!がなかいちに集結!~
2012年09月08日(土)
場所・エリアなかいち にぎわい広場・にぎわい交流館・千秋公園穴門堀
主催・秋田商工会議所 ABS秋田放送 秋田まちづくり株式会社

イベント内容チラシ(PDF書類直リン)↓
H24.9.8 「バック トゥ ザ センター!」 ~昔懐かしい!がなかいちに集結!~





貸しボー屋を兼ねていた、秋田水族館(押切商店)のボート乗り場跡に近い、穴門堀ポケットパーク(木内向かいに2012年春オープン)を乗り場に、一日限りの貸ボート復活。一人100円。

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穴門堀、本日のアオコ発生状況




ポニー馬車・横手市大森町「ポニーランド仁真園」より参加

関連リンク
ポニーランド仁真園






ダイハツ・ミゼットDK型「西仙オールドカークラブ」出品





昭和32年(1957)発売の商用三輪自動車「ミゼット」シリーズ初期型。

乗車定員1名、250ccエンジン、バーハンドル、ドア無し。運転席と荷台には下記画像のように幌が張られていた。キャッチフレーズは「街のヘリコプター」。後継機は丸ハンドル、二人乗りとなり、ドアと屋根が完備する。




ダイハツ「ミゼット」生コマーシャル

ダイハツ工業が一社提供していた、ABC放送のコメディドラマ「やりくりアパート」内での生コマーシャル。商品名を連呼するのは、ドラマ主役の大村崑と佐々十郎。


駄菓子屋コーナー・展示品はNPO法人「油谷これくしょん」提供(以下同様)

アイスクリーム用魔法瓶とパチンコ式ゲーム機。

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パチンコ式ゲーム機(京極製)







ごく最近の製品の中に戦前のパッケージがまざるなど統一感に欠けた展示。








貼りまぜ屏風・NPO法人「油谷これくしょん」提供

秋田市内の商店の包装紙・チラシ・ラベルなどの複製を貼りまぜた屏風から、百貨店(デパート)時代の「木内」包装紙をピックアップ。



クリスマスシーズンに使われた包装紙。こんな包装紙に包まれたクリスマスプレゼントを、当時の子どもたちは、胸をときめかせながら開封したのだろう。木内で買ったクリスマスプレゼントを貰える子どもなんて、そんなに多くはなかった。



左手になじみ深い現役の包装紙。その右手も木内のクリスマスバージョンで、雪を白抜きにしたデザインがオシャレ。クリスマスシーズンは毎年違うデザインで造っていたのだと思う。



そうそう、木内にはこんな包装紙もあった。現役のペイズリーっぽい包装紙からリニューアルしたものの、不評で元に戻したものか、用途によって使い分けたものか不明だが、いずれの包装紙も昭和の百貨店的デザインが秀逸。

11月のバーゲンセール「誓文払い」のチラシは、建物のイラストと「駅前店」の記述からみて、昭和20年代後期の物件だろう。
せいもん ばらい【誓文払い】
近世、陰暦10月20日に京都で商人・遊女などが四条京極の官者殿(冠者殿)に参詣し、日ごろ商売上の駆引きに嘘をついた罪を祓い、神罰の放免を請う行事。今でもこの日の前後、京阪の商店は特に安値の売出しをする。
広辞苑 第六版 (C)2008  株式会社岩波書店

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「油谷これくしょん」について

「油谷これくしょん」とは、湯沢市秋ノ宮の油谷満夫氏が10代後半から約50年間にわたって収集した、本人でさえ全体を把握できないほど膨大な、日本屈指の個人コレクション。

収集範囲は古文書、民具、家電、生活雑貨、紙モノ(印刷物)、看板、玩具、駄菓子屋商品など、希少価値の高いモノからガラクタまで、きわめて広範囲にわたる。

観賞のための美術品というよりは、庶民の生活と共にあって、その多くが廃棄されたモノたち。明治・大正・昭和とつづく近代秋田の庶民生活史を語る上での貴重な資料となり得るモノが多くを占める。

コレクションの一部、約50万点を同氏が経営する「秋乃宮博物館」で展示していたが、諸事情により2010年11月閉館。

2012年、秋田市に関連するコレクションを中心に、約20万点を秋田市に寄贈することを申し入れ受諾される。

NPO法人「油谷これくしょん」を立ち上げ、市内の廃校になった学校にコレクションを搬入、整理分類にあたるというが、なにしろ膨大な点数だけに、作業が終了するまでには相当な期間が必要と思われ、分類後の展示場所など、具体的な活用方法もまだ決まっていない。


ババヘラのいる風景・秋田県民会館前






弥高神社・リムジン送迎車






中土橋よりエリアなかいち

「エリアなかいち」中央通り側の住宅棟も竣工間近。





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秋田銘菓?「金萬」製造ロボットを見学しよう! 金萬の歴史


◆福岡の鉄工所からすべてが始まった




以前に書いたように、秋田で「金萬」の商品名で知られる小さな焼きまんじゅうは、さまざまに名を変えて全国各地に分布している。その代表的ネーミングが「都(みやこ)まんじゅう」。

秋田銘菓「金萬」の歴史をたどると、東京の「都まんじゅう」を経由して、その自動製菓機とレシピを考案した福岡の城野(きの)鉄工所に行きつく。この小さな鉄工所からすべてが始まった。
都まんじゅう(みやこまんじゅう)とは、白あん等をカステラ風の生地で包んだ焼き饅頭。

日本中に次のような共通点を持つ異名同種の饅頭が存在する。

●機械による自動製造
●形は小型の今川焼(直径5cm、厚さ1.5cmほど)
●表面に図柄等の焼印

元々は製造機械のメーカーでもある福岡県の城野鉄工所が、昭和10年代に地元で菓子店を出店した後、東京に進出したことから「都まんじゅう」と名付けられ、製造機械の販売に伴い日本中に広まった。現在は愛知県の森川フードマシン株式会社が製造機械を販売している。
Wikipedia(最終更新 2011年4月3日)より
自社開発のキノ式自動製菓機を使った菓子店を開業した城野鉄工所は、店頭で実演販売を見せることで、まんじゅうを販売しつつ、同業者候補へのデモンストレーションを展開、一石二鳥に「都まんじゅう」系を全国に広めていった。


◆僕らは“まんじゅう製造ロボット”に釘付けになった

YouTube に投稿されている各地の「都まんじゅう」系・自動製菓機の動画をプレイリスト化してみた。






京都市新京極・ロンドンヤ「ロンドン焼」By scchiang


◆金座街に「金萬」誕生・実演販売もヒットの要因

「都まんじゅう」が全国に広がりはじめたのは戦後復興期の頃。昭和28年「金萬」創業者・大内正見氏は東京で繁盛する「都まんじゅう」店に刺激されて、秋田駅前・金座街で「金万」を売り出す。


昭和30年 新聞広告

黄金色の“金座街まんじゅう”略して「金万」のネーミングは、ほどなく「金萬」表記に変わる。広告に「登録銘菓」とあるからこのとき商標を登録したのだろう。

当時、大内氏が秋田駅前で経営していた飲食店は、金座街の食堂・喫茶「金萬」のほかに食堂「正味」(銀座街)、生蕎麦「大内」(平和通り)の三店。

リズミカルな金属音を響かせ、甘い香りをただよわせながら、次々とまんじゅうが焼きあがるようすを、ガラス越しに見せる実演商法が大当たり。秋田駅前・金座街の名物として定着した「金萬」はやがて秋田土産の定番となり、その名声を不動のものとする。

ちなみに「金萬」が「秋田名菓」を名乗るのは、創業者である大内正見氏が亡くなった昭和55年以降。

「金萬本舗」では現在、駅東の工場で集中生産したものを各売店に配達しているが、「都まんじゅう」系は、同時代に全国に普及した「大判焼き」と同様に、店頭での実演販売が本来の姿なのだ。


金萬CM(邪魔なコメントを消すには右端のフキダシをクリック)


金萬CM三種

下記関連リンクに各地の「都まんじゅう」系の記事を集めた。百貨店の一画で実演販売をする店舗が想像以上に多い。廃業した店もあれば、なつかしの味を復活させて好評を博した例も。一個30円という庶民的価格の店もあり、その色合い・風合いもさまざまだが、見た目の良さとネーミングに関していえば「金萬」が上位に入るのではないだろうか。

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関連リンク

都まんじゅう - Wikipedia
金生饅頭 - Wikipedia
とうまん - Wikipedia

◆各地の「都まんじゅう」系

都まん本舗「高知の銘菓 “都まん” 」

浅草 中村屋・都まんじゅう

上野の「都まんじゅう」:わたしのあしあと

都まんじゅう 真砂町 - 新清水/和菓子 [食べログ]

【お土産】つるや製菓の「都まんじゅう」(八王子)

都まんじゅう|湘南ひらつか名産品選定委員会推奨品

とうまん 冨士屋アピア店 - 札幌/和菓子 [食べログ]
とうまん冨士屋 丸井今井B1店 - 大通/スイーツ(その他) [食べログ]

菊川商店 箱根まんじゅうカステラ焼き/和菓子 [食べログ]

カステラ饅頭の秋芳堂 浜松市
カステラ饅頭再び - ねこじゃらし・Kの懐かし処

京都 ロンドンヤ《ロンドン焼10個525円》

昔ながらの変わらぬ味。デパ地下名物・いづつや饅頭 | 北九州市井筒屋百貨店
たろちゃん饅頭!!・飯塚井筒屋
ほんまち饅頭 - 飯塚井筒屋サロン

大丸饅頭 大丸梅田店 - 北新地/和菓子 [食べログ]
大丸饅頭・大丸焼きの謎

【愛知】懐かしのまんじゅう復活「かぶき家」が旧豊橋西武の名物再現

そごう饅頭:千葉そごうデパート

復刻!! 回転玉屋まんじゅうオープン!!:老舗百貨店「玉屋」

「いちょう小町饅頭! くまもと県民百貨店にて。」

千両饅頭 - 熊本・鶴屋百貨店 [食べログ]

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末廣カップラーメンに吾作ラーメンを想う


10.10.27

数日前、サンクスに入ったら、入口に面したいちばん目立つ特設コーナーと、高級カップ麺の棚が赤と黄の「末廣ラーメン」カラーで埋めつくされていた。話題性を期待できる商品だけあって、サークルKサンクスの力の入れようがうかがえるディスプレーぶりである。


秋田駅前店


とかち麺工房「末廣ラーメン本舗」店主監修

食した感想は、この手の再現商品にありがちなことだが、ある程度オリジナルの味を再現しているものの、店舗で味わう満足感には遠くおよばず、もう一度食べたくなるほどのリピート性に乏しい。

再現ラーメンをコンビニ向けに製造している「とかち麺工房」による、独自製法の氷結乾燥ノンフライ麺は好みの分かれるところで、300円弱も出せばもっとおいしいカップ麺がざらにあるのだから、最初は話題性でそこそこ売れるだろうが、価格を下げて在庫処分されるのも時間の問題かもしれない。

今度は末廣の「黒い焼飯」を再現したらどうだろう。あれはラーメン以上にやみつきになる味だ。

京都の老舗ラーメン店のノーハウを買い、秋田向けにより濃厚な味付けにしたという「末廣ラーメン本舗」の味を再現した、ポーク味のしょっぱい醤油スープを味わっていたら不意に「吾作ラーメン」のことを思い出した。

濃厚な醤油味のスープにチャーシュが乗って、元祖秋田ラーメンともいわれた能代発祥「吾作ラーメン」。新国道の東北電力に近い山王店はかつて食事時には行列ができる人気店で、最盛期には北隣に「SL寿司・吾作」を開業。模型の蒸気機関車で注文した寿司が運ばれてくるユニークな寿司屋も、ラーメンと同様に家族連れの客で繁盛していた。店舗を改装し食券式にした頃から味が落ちて急激に客足が遠のき、競合店が増加した今ではその影も薄くなってしまった。


70年代初頭に流れていたなつかしの TVCM「ラーメンじいさん今日も行く 吾作ラーメン大繁盛」

下記にリンクしたオフィシャルサイトで歴代の CM を見ることができるが、なかでもこのアニメ CM が印象深い。

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末廣ラーメン本舗 【昭和十三年屋台の味】

吾作ラーメン

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小さな瞳 夢みるチョコレート・追悼しばたはつみ

先月の末(10.03.27)実力派歌手・しばたはつみ が57歳で急逝した。   昭和27年(1952)に生まれ、米軍キャンプの将校クラブで唄い始めたのが9歳、CMソング関しては15歳頃からだという。その後、昭和のテレビジョンで数多くのCMソングを唄った。

NHK紅白歌合戦(昭和52年)に出場を果たした代表作「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は東洋工業のロータリーエンジン搭載車・マツダコスモのCMソング。そのシングルレコードのジャケットにもコスモが写っている。


マイ・ラグジュアリー・ナイト/しばたはつみ

しばたはつみ が歌唱を担当したCMのなかで最もインパクトがあったのがこれ。


OH! モーレツ(1969 丸善石油)
出演・小川ローザ、歌・ はつみかんな&ハニー・ナイツ(しばたはつみ)

はつみかんな は しばたはつみ の初期の芸名。小川ローザのパンチラ姿が話題を呼んだ、お色気CMのさきがけとなった映像に、まだ17歳かそこらの少女とは思えぬ、しばたのパンチの効いた歌声がさらなるインパクトを添える、猛烈な右肩上がりの時代を象徴するCMだ。

ロッテチョコレートのCMソング「小さな瞳」は、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。


しばたはつみ 「小さな瞳」

1960年代を中心に歌謡界で活躍した浜口庫之助(ハマクラ)が作詞作曲した、胸キュンなCMソングの名曲。音源は非売品のプロモート盤シングルで、B面にはオリジナルとはおもむきを異にした、ファンキーな英語版も収録されている。


my sweet little eyes (「小さな瞳」英語版) しばたはつみ


ロッテガーナチョコレート 1970年 歌・相沢政子

こちらが相沢政子が歌う初期のCM、出演は九重祐三子と関口宏。この他にビリー・バンバン、最近では田島貴男(オリジナル・ラヴ)やキリンジがCMで同曲を唄っているが、なかでも しばたはつみ のセンチメンタルな歌唱がこの曲によくマッチしている。

メロディだけが流されることも多く、断続的ではあるが、これほど長いあいだ世代を超えて愛されたCMソングも珍しい。

時代を1960年代までさかのぼると、「小さな瞳」と同じメロディーの「瞳の世界」という曲がある。


パープル・シャドウズ 瞳の世界 1968

「小さなスナック」でデビューしたパープル・シャドウズのサードシングル「さみしがりや」のB面に収録された「小さな瞳」の元歌で、目薬のCMソングとして使われたという。

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関連リンク

歌手のしばたはつみさん死去 「OH!モーレツ」「レナウン娘」 - MSN産経ニュース

湯船で翌朝発見…しばたはつみさんが急死(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

■♪しばたはつみ♪■ オフィシャルページ

YouTube - しばたはつみ

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