FC2ブログ

二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

≫ EDIT

なつかしき昭和のアイスクリームたち


昭和30年代前半 新聞広告

酒まんじゅうが名物だった「○〆(マルシメ)鎌田」の広告をネタに、昭和30年代の氷菓たちに思いをめぐらしてみよう。


●パインアイス

「特許アイスクリーム」とあるのは「パインアイス」とか「パイナップルアイス」などと呼ばれた、パインを輪切りにした形状の氷菓。

シフォンケーキを作るものに似た、中央が突起した金型に原料を入れ、外側と内側から冷凍させることにより、氷の結晶が放射状に成長する、その製法が特許を取得していたため「特許アイスクリーム」としたのだろう。



まるで本物のパインを輪切りにしたような「パインアイス」を、本物の果物を凍らせたものと信じて疑わない子どもも少なくはなかった。

その頃は人工甘味料と着色料まみれの「パインアイス」だったが、井村屋製菓が昔と同じ製法で現在販売している「こだわりの輪切りパインアイス」は、完熟パイン果汁80%を使ったこだわりの商品とのこと。


●アベックアイス

「マルシメ鎌田」のキャラクター・天然パーマ坊やが手に持つのは、六角形のアイスが二つ連なり、真ん中からポッキリと折ることができる「アベックアイス」。

友達や兄弟で5円ずつ出しあい一本買って分けて食べられる、小遣いの少ない当時の子どもたちに人気のアイスだったが、真ん中から均等に割れない場合も多く、その場合どちらが大きい方を取るかをジャンケンで決めたりもした。



この形状のものは「ペアアイス」「ダブルアイス」とも呼ばれ、のちに青色でソーダ味のアイスキャンデーが出回り、青色または緑色のものが、「ダブルソーダ」の名で、今も各社から販売されている。




●モナカアイス

これも「アベックアイス」のように、二等分にできる「モナカアイス」。近所のお菓子屋に5円玉をにぎりしめて「モナカアイス」を買いに行くと、店のおばあちゃんは、これを半分に割って売ってくれた。




●おっぱいアイス

上記の広告には載っていないが、これも昭和のアイスクリームのなかでは忘れがたい、小さなゴム風船に原料を流し込み、輪ゴムでゆわえて冷凍した、ミルク風味の「おっぱいアイス」。

食べるときは乳首のような突起部分をハサミで少しだけ切り、そこに吸いつく。はじめは固いアイスは手のひらで温められ柔らかくなりはじめ、さらに両手で揉んでシャーベット状にしてチューチューと吸いだす。そのカタチも食べ方もまさに「おっぱいアイス」。



そのコンセプトは面白いのだが、当時のものはゴム臭がきつく、また、乳首に入れた切り込み部分から裂け目が広がり、買ったばかりのアイスがツルンと地面にすべり落ち、抜け殻となってまるでコンドームのようなゴム風船を片手に、泣きたい気持ちになったこともあった。

商品名は「おっぱいアイス」の他に、お祭りの露店で売られる水風船に似ていることから「ボンボンアイス」「ヨーヨーアイス」、または「風船アイス」など。

これもまだ現役で、「たまごアイス」(井村屋製菓)、「恐竜の玉子」(福岡・丸永製菓)、「おっぱいアイスミルク」(高知・久保田食品)などのネーミングで販売されている。

_________

関連記事

鎌田の酒まんじゅう

秋田初のミスドは鎌田会館一階に

秋田駅前「金座街」晩期

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

保戸野「あきこうまえ茶屋」昭和レトロ建築



塗装のはがれた壁面にプラットホームを模した看板、年季の入った緑色のベンチ、退色した日除け、黄色い張り紙には「ニテコサイダーあります」。

旭川に架かる新中島橋を渡って秋田工業高校へ向かう途中にある駄菓子と格安軽食の店「あきこうまえ茶屋」。もともと駄菓子屋だった店を継承して開店したのが昭和57年(1982)という。

秋田工高の門前にあるため、学生のたまり場として愛された、OBにとっては郷愁とともに語られる忘れがたき店だったが、昨年の11月、閉店を知らせる張り紙を残し、惜しまれつつ店を閉じてしまう。

縁あって「あきこうまえ茶屋」の後継者となり、この3月に再オープンさせたのは、広島出身で放浪の旅を続けていた一人の青年だった。詳細は以下関連リンクで。


大きな地図で見る

_________

関連リンク

昨年閉店した「あきこうまえ茶屋」“県外客”が後継者に
見わたせば 耳を澄ませば - さきがけonTheWeb

広島のバックパッカー青年、秋田の「高校生のたまり場」を引き継ぎ開店
秋田経済新聞

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 20:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

郷愁の駄菓子屋・牛島商店街

20070712183404.jpg
07.7.8

梅雨時とは思えぬ、例年になく雲ひとつない晴天に恵まれた、今年の牛島の祭り。歩行者天国となる牛島商店街に存在する、昭和レトロ遺産「牛島のババの店」は、かき氷機もいまだ出されておらず、昨年と同様に閉店状態であった。

一方、「ババの店」に近い、商店街のもうひとつの名物店である駄菓子屋は、この日だけは盛況で客足の絶えることがなく、おばあちゃんも大忙し。

20070712183348.jpg
07.7.8

牛島小学校が近くにあった時代は、下校時の子どもたちでにぎわった駄菓子屋も、小学校の移転、住民の高齢化で子どもの数は少なくなり、最近では昔を懐かしむ大人の客が多いという。

20070712183336.jpg
店内 03.11

その昔、町内に一軒はあって、小銭を握りしめて「ごめんくださ~い」と入っていけば、店番のおばあちゃんが障子をあけて出てくる。そんな駄菓子屋も、秋田市内では、かろうじて数軒残るのみとなり、いずれは街から消えてゆく運命にある。

_________

関連記事

牛島の祭り・三皇熊野神社例大祭

郷愁のかき氷屋・牛島商店街

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

オバQと不二家の蜜月時代

「週間少年サンデー」で連載されていた、藤子不二雄の漫画「オバケのQ太郎」がアニメ化されたのは昭和四十年(1965)の夏。TBS系、毎週日曜日夜七時半からの放送、東京ムービーによるモノクロ作品、提供は不二家だった。

当時、秋田には民放はまだABS秋田放送(日テレ系)の一社のみであったが、TBS系の番組も多く、「オバケのQ太郎」も、TBSの本放送からまもなく放送が開始されている。

20070203003028.gif
昭和四十年・秋田放送タイムテーブルから

日曜夜六時から「オバケのQ太郎」、そして、牛乳石鹸提供の「シャボン玉ホリデー」、熱血青春学園ドラマ「青春とは何だ」、九時からは、毎週ドキドキハラハラの連続の海外ドラマ「逃亡者」が始まる。これがまた次回が待ち遠しくなるほど、いいところで終わるんだよ。

この時代はほんどが一社提供で、もっと前の時代のことだ思うが、画面の下に提供テロップが常に流れていた。吹き替えの海外ドラマでは、音声と映像がズレまくってわけのわからない状態になることや、放送障害で「しばらくお待ち下さい」のテロップが延々と流れることも良くあった。

約二年間放映された「オバケのQ太郎」終了後は「パーマン」、そのあとが「怪物くん」と、藤子不二雄作品がつづき、不二家からはそれぞれのキャラクターを起用したお菓子が発売され、様々な懸賞キャンペーンが展開されていく。

20070203003017.jpg
昭和四十一年(1966)「週間少年サンデー」

お菓子のパッケージ百五十円分を一口で、毎週五百名にオバQ賞「オバQラジコン」。P子賞は毎週一万名に「オバQマーチ」ソノシート。

20070203003002.gif
昭和四十一年(1966)「週間少年マガジン」

多忙な漫画家にかわって広告会社の社員が代筆したとおぼしきオバQには、オリジナルにはないまゆ毛が書き込まれていて、なんとなくおまぬけ。

こちらは葉書にオバQの絵を描いて応募する、商品を買わなくても参加できるオープン懸賞。一人で何枚送ってもよい。

特賞が家族づれ十名様(二人一組を五組)をケニア自然動物園ご招待。一等「オバQパンチミー」(大型起き上がり人形)一万名、二等「オバQエハガキセット」一万名。

ケニアへはオバQの代理として藤子不二雄(安孫子、藤本両氏)が同行、みんなで一緒に「オバQ音頭」を踊ったという。この年の同じオープン懸賞に「Qちゃんといっしょにおとぎの国デンマークへ行こう」というキャンペーンもある。海外旅行なんてまだ夢の夢の時代の豪華懸賞である。

20070203002951.jpg

明治マーブルチョコのパクリのようなこのチョコレート。食べ終わったら駄菓子屋にあった「浮き玉」のようにして遊べる、おまけ付きアイデア商品だったが、遊んでいるうちに空気もれが発生して、いくら吹いても玉が浮かばず、すぐに捨ててしまった記憶がある。

夏が近づくと「オバケのQ太郎」のエンディングが、櫓の下で盆踊りを踊るオバQたちのアニメに変わり、バックになんとも能天気な歌詞の「オバQ音頭」が流れた。

♪キュッキュキュのキュ(アソレ!)
♪キュッキュキュのキュ(コレマタ!)
♪オバQ音頭で キュッキュッキュッ
♪空は晴れたし ホイ オバQ 悩みはないし ホイ オバQ‥‥‥

不二家のハイカップ(カルピスに似た甘い濃縮飲料)の王冠に切手二十円分を同封して送ると、もれなく「オバQ音頭」のソノシートが貰えるキャンペーンがあった。

20070203002939.gif

ペコちゃんの振り付けイラストの入ったソノシートは、不二家が幼稚園などに無料配布したこともあって、たちまちのうちに全国に浸透。四十年以上たった今でも八月になればどこからか聞こえてくる、盆踊りの定番ソングになった。

20070203230633.gif
昭和四十一年(1966)新聞広告

秋田市産業会館ホールで開催された「オバQこども大会」。プログラムは「オバQ主題歌」「オバQ音頭・竹部バレー団」「腹話術・南三郎」「映画・オバケのQ太郎〈2本〉」。その他「藤子不二雄先生のオバQ書き方指導もあります。」

昭和四十六年(1971)オバQがカラーアニメ「新オバケのQ太郎」となって、日テレ系毎週水曜七時半に帰ってきた。オバQの声優が変わり、提供は不二家とプリマハムの二社になっていた。

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT