二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

≫ EDIT

秋田駅前・竜神堂と純喫茶「カカシ」界隈・1970年代初頭

昭和の秋田駅前

整理中に出てきた、とのことで頂戴した古いスナップ写真。今回はこの写真を考証するが、なかなか情報量の豊富な一枚であった。

撮影地点は秋田駅前・平和通りの裏側。現在の「フォンテAKITA」(旧イトーヨーカドー秋田店) 北側の大屋根下である。

手前から平和通りに所属するナショナルショップ「中央電気商会」「石川履物店」おもちゃの「ポパイ」洋服の「かめや本店」と並び、「かめや本店」西側の小路を左折すると、伝説的駅前食堂「まんぷく食堂」が店を構える末広町に抜ける。周辺の商店配置図等は文末の関連記事リンク先に。

「かめや本店」はのちに同店経営のジーンズショップ「ジーンズ・アベニュー」と変わり「かめや本店」が「金座街」の広小路側西角の「かめや第一支店」跡に移転。

秋田初の全天候型アーケード街・平和通りの裏通りにあたるが、「ポパイ」「かめや本店」のように、表通りと裏通りの両側に出入口を設けて、客の導入を促進する商店もあった。

秋田駅前大屋根下
▲2017.09 秋田駅前大屋根下

秋田駅前竜神堂

左手に「まんぷく食堂」の電柱看板。この日は駅前商店街の夏祭り期間中のようで「石川履物店」裏手に八大龍神の幟旗(のぼりばた)が立てられ、その下に御神輿が確認できる。手前の人物に隠れて、わずかに見える白地に赤く “祭” と描かれたとおぼしきものは、大人用の御神輿の頭頂部か。 

幟旗の向いに龍神様を祀(まつ)る古い「竜神堂」が鎮座していた。祭日は8月16日17日。明治35(1902)年に秋田駅が開業するのに先立ち、旅館や商店が建ち始めた頃に創建された神社だったのだろう。龍神は水神であることから、街を火災から守る火伏(ひぶ)せの神として信仰された。

川反や駅前の飲み屋で尺八を披露して日銭を稼いで生活していた、秋田の名物男 “中島のてっちゃ” は、駅員のお目こぼしで秋田駅の待合室や、秋田駅前「竜神堂」の縁の下もネグラにしていたという。

昭和の秋田駅前

「かめや」の “か” を亀の形にデザインしたロゴマークがある「かめや本店」の看板の向こう側、レンガ色の屋根が見える建物が、金座街の角地に位置した洋服の「森長」金座街店。

その後方に、現在の「秋田市公営駐車場」の場所にあった「東北電力秋田支店」の無線鉄塔がそびえる。

昭和48(1973)年9月、新国道沿いの山王五丁目に「東北電力秋田支店」新社屋竣工。当時、新社屋の向かいは「秋田中央交通」社屋とバスターミナル。その跡地に、昭和60年代「長崎屋秋田店」を核テナントとし、食品スーパー「ファミリーストアなかよし」が入居する「秋田中交ホリディスクエア」が開業。時を経て今は「ドン・キホーテ秋田店」となった。

昭和の秋田駅前

洋服の「森長」付近はピントが甘くて不鮮明だが、手前に「森長」東隣の喫茶店「パーラー・オクタ」(のちにポミエとなる) の丸形袖看板、そして右手に「森長」の二階に入っていた純喫茶「カカシ」のスタンド看板と店名入り装飾テントを確認。 これで70年代初頭の撮影と特定できた。

純喫茶カカシ
▲昭和46(1971)年 新聞広告

昭和46(1971)年1月26日「森長」金座街店二階に純喫茶「カカシ」オープン。

純喫茶カカシ

お待たせいたしました

純喫茶 カカシ 堂々オープン 

春は馬車に乗って、でもことしの春は装いも新たな純喫茶《カカシ》とともにやってまいりました。
ヨーロッパモードのデザイン・・・・・・。香り高いコーヒーのすばらしい味・・・・・・。
きっと《カカシ》はあなたのティールームとしてごきげんな店となるでしょう。
どうぞ彼女と・・・・・・彼と・・・・・・。ご一緒に早春とともにワイドオープンした《カカシ》へお出かけください。

純喫茶カカシ
▲純喫茶「カカシ」のブックマッチ(紙マッチ)

紳士服・森長

マッチの裏面に「森長」の広告。純喫茶「カカシ」は同店が経営していたのだろう。

秋田県内全域および「ダイエー山形店」盛岡の「協働社ビル」などに、80年代の最盛期には約30店を展開、年商30億を計上していた「森長」も、相次ぐ全国チェーン店の進出のあおりを受け、徐々に経営が悪化、本業を不動産業にシフトして経営を続けていたが、平成24(2012)年に破産。

最後まで名前が残っていた「フォンテAKITA」内の「森長」も、平成28(2016)年12月をもって廃業、50余年におよぶ歴史に幕を下ろす。「森長」のことはいずれまた。

純喫茶カカシ

新聞広告を見ると「カカシ」は当時、秋田のほか新潟・東京・甲府に店を構えるチェーン店で、どうやら筆頭の新潟市古町通(現・新潟市中央区古町通)の古町店が本店らしい。

「喫茶 カカシ」で検索すると「カカシ」古町店の一階はメンズショップ「ヤマダ」という紳士服の店だったとのこと。同業である秋田の「森長」と交流があったのかも。

 純喫茶カカシ跡
▲Googleストリートビュー 撮影日:7月 2018

Googleストリートビューで見つけた、メンズショップ「ヤマダ」と二階の純喫茶「カカシ」古町店の跡。

純喫茶カカシ跡
▲Googleストリートビュー 撮影日:5月 2018

こちらは純喫茶「カカシ」東京店が入っていた東京市品川区上大崎の「マツヤビル」。

昭和の秋田駅前

「秋田駅前商店街とヨーカドー変遷」に書いたように、銀座街、平和通り、末広町と、その界隈の建物が取り壊された跡地に、昭和55(1980)年「イトーヨーカドー秋田店」を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」がオープンすると、地権者である「中央電気商会」はファンシーショップ「Happy Day」として入居、おもちゃの「ポパイ」は飲食業に転業し、しゃぶしゃぶ・すき焼き・天ぷら「煌・あかり」うなぎ・なべ料理「六兵衛」をレストラン街に出店した。

次いで昭和59(1984)年、金座街跡地に買物広場(アゴラ広場)とバスターミナルがオープン。隣接する高裁跡地に「西武百貨店」と地元の老舗デパート「本金」が提携した「ほんきん西武」(現・西武秋田店) 開業。金座街にあった商店の一部もテナントとして入居する。

最後に「竜神堂」純喫茶「カカシ」旧「東北電力秋田支店」初期「まんぷく食堂」と、消えた駅前小路のおおよその位置を現在の地図に重ねて提示。駅前商店街周辺について言及した過去記事は文末の関連記事リンク先に。

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

秋田駅前定点観察・変形建築「緑屋ビル」近隣

▼秋田駅前定点観察 2004-2017

今回は記事が長くなったのであらかじめ概要を説明すると、まず前半は、秋田駅前「緑屋ピル」現在の正式名称「エスポワール緑屋」の西側、広小路に面した「ゼンオンビル」旧「美光堂」の、2004年から2017年にかけて、13年間の変化を定点観察。そして後半で「緑屋ピル」と近隣の、昭和から平成まで50年間をふり返る。

秋田駅前
▲2004.02

秋田駅前「緑屋ビル」一階右手にコンビニ「サンクス」が入居。その右隣に“カメラが安い”のキャッチコピーが見える「美光堂」は、すでに廃業してシャッターを下ろしたまま。

「美光堂」の左隣「緑屋ビル」の凹んだ壁面に張り付くように、小さな店を構える「キャッスルベーカリー」は、広小路「キヤッスルホテル」の焼きたてパンとエスプレッソコーヒーを販売する人気店。

秋田駅前
▲2004.03

カメラの「美光堂」右隣、居酒屋「屋々 YA-YA」が入る「ゼンオンビル」はもともと、レコード・楽器・楽譜を取り扱う「ゼンオン秋田営業所」があったビル。60年代末から70年代にかけて足しげく通った。

70年代末頃、仲小路「角繁ビル」一階に、支店「ミュージックスポット・ゼンオン」を開設。

秋田駅前
▲2004.04

カメラの「美光堂」が取り壊されて、ビルの谷間にポッカリと空間が出現。要塞めいた壁面を露出する「緑屋ビル」一階の「サンクス」はすでに閉店している。

美光堂
▲1973(昭和48)年7月 新聞広告

中央通りにも支店を置いた「美光堂」の現像所が、秋田市泉金ノ町の経営者宅地内にあって、そこで短期間バイトしたことがある。

広告のカメラは当時の人気機種「アサヒペンタックスSP」。今は手元にないが、自分がいちばん初めに手に入れた忘れがたき一眼レフ機。

秋田駅前
▲2004.10

「美光堂」跡地に新築された「コセキビル」にレストランなどが入る。

秋田駅前
▲2006.10

「ゼンオンビル」のテナントは「屋々 YA-YA」に代わって「東洋新食堂」。

秋田駅前
▲2009.11

「コセキビル」のテナントが一新。一階にドリームリンク経営の「炭火串焼き 助六」。二階のカフェ「Kissaten」は、2009年5月末まで秋田市保戸野通町で営業していた「てぃー・たいむはオブジェのように」が名を改めて復活した店。

「キャッスルベーカリー」が店舗と共に消失。現在(2017.08)後継店「キャッスルベーカリー 城東店」が秋田市広面字宮田の特別養護老人ホーム構内で営業している。

秋田駅前
▲2017.08

そしてこちらが最新の画像。

二台の自販機が並ぶ「キャッスルベーカリー」跡地。

「炭火串焼き 助六」跡に、ドリームリンク系の「駅前ラーメン すみたに」。「ゼンオンビル」のテナントは「東洋新食堂」に代わって「酒菜の隠れ家 月あかり」。

▼増殖する変形建築「緑屋ビル」

秋田駅前・緑屋ビル
▲Google Earthより

Google Earthで俯瞰すると、上に掲載した二つの飲食ビルが、緑色の「緑屋ビル」に囲まれているのがよく分かる。

「緑屋ビル」の前身「やまじんデパート」そのまた前身の「山甚ビル」も、扇形に近い不定形な敷地に建つ変形建築ではあったが「緑屋信販」が買収後、ビル裏側(西隣)に敷地を広げ、長方形・二階建ての別館(上掲画像右手)を増築。広小路側からもビルに出入りができた別館には、家具・インテリアが展示されていた。

さらにその後「やまじんデパート」時代にビヤガーデンが開かれた屋上に階を重ね、五階建てを七階建て?に増築したのが「MIDORIYA 家具インテリア」の箱文字看板が見える上階の突起部分。

このように増殖を重ねた末、まるで要塞のような変形ビルが完成。駅前再開発事業で金座街跡地にアゴラ広場が完工した前後に現在の外観となり、廃止された広小路側出入口につづく長方形二階建ての別館部分の多くが貸店舗となる。

1991年頃の西側別館のテナントは「アゴラ歯科」「サロンドマキシム」「アメリカンビリヤード」「シンデレラ」。

現在「緑屋ビル」の正式名称を「エスポワール緑屋」というが、ビル名にこの表記が見られるようになるのは1990年前後からで、最初はテナントが入る西側別館だけを「エスポワール緑屋」と称したらしい。


▲Google Earthより(GIFアニメ 動かない場合は画像をクリック) via GIPHY

緑屋ビル
▲ 2016.06 アゴラ広場から「緑屋ビル」を望む

 

▼アーケードのある駅前商店街 1979

秋田駅前広小路
▲1980年秋田市発行『秋田 わが街と人と』より

秋田駅前から「電巧堂」「マルサン」「長崎屋」など、今は消えた大型店舗の看板がつらなる昭和の広小路を望む。

秋田駅前広小路

雪の降るなか、ねんねこ(赤ん坊をおんぶする時に着る綿入り袢纏)を着て、買い物袋を提げた母親の姿が時代を感じさせる。「ジャスコ秋田店」(なかよしビル)で買いものをして、これからバスで帰路につくのか、ジャスコ前の横断歩道をバスターミナルへと向かっている。

駅前アーケードに目をうつすと、手前から「美光堂」「ゼンオン」そして「クレジットの緑屋」の看板が見える「緑屋ビル」広小路側出入口。

確認できるその他の看板は、金座街西角の「メンズショップ かめや本店」「VAN ハウス」とつづき、その向こうに、赤地に四つ葉のクローバーを配した「電巧堂」(現デンコードー)の大きな屋上看板。

60年代から70年代にかけて、アイビー・ルックで一世を風靡したファッション・ブランド VANの専門店「VANハウス」は、隣接する洋服店「かめや」が経営。70年代初頭「VANハウス」で奮発して購入した濃紺のダッフルコートは、さすがに品質が良く、永い年月を経て親類の子どもへのお下がり品となった。

1984(昭和59)年3月「緑屋ビル」前のアーケードが積雪の影響により、長さ40メートルにわたって倒壊、通行していた卒業式帰りの高校生4人が下敷きになり、重軽傷を負う惨事が発生。事故からさかのぼること10年ほど前「緑屋ビル」の出入に支障をきたすことを理由に、支柱を切断した行為が倒壊の原因と推定された。

秋田駅前
▲2014.08

上掲写真から34年後の秋田駅前広小路。ねんねこ姿のお母さんが渡っていた横断歩道はスクランブル交差点となった。

秋田駅前
▲2012.06 アゴラ広場前・広小路より

画像右手「秋田チケット」などのテナントが入る部分が、かつての「緑屋ビル」広小路側出入口。

70年代後半に「緑屋ビル」が西側に別館を増築する前、広小路に面したこの場所に、女優・浅利香津代の生家「浅利旅館兼食堂」があった。旅館を廃業したあとであったか、晩年は一階部分をSONYの電化製品を主に販売する「ソニーショップ・ミュージックエース駅前店」に貸していた。

▼駅前「緑屋」盛衰・昭和から平成へ

緑屋ビル
▲1972(昭和47)年 新聞広告より

秋田駅前「緑屋」オープン時の新聞広告のイラストに一部彩色。

増設される前の非常にシンプルな外観だが、前身の「やまじんデパート」時代にはなかった屋上看板が新設されている。その看板に見える四つ葉のクローバーをデザインしたロゴマークが「電巧堂」のものに少し似ている。

クレジット販売の「緑屋信販」が南通りから秋田駅前に進出した当時の営業品目をあげると、主力の家具・インテリア・電化製品を中心に、スポーツレジャー用品・ファッション用品・貴金属・カメラ・時計・メガネ・レコード・楽器・住宅設備用品、等々と食料品以外の生活用品を場広く取り揃えていた。

70年代後半、県内8ヶ所に支店を展開、従業員約200人、年商約40億円規模の優良企業に成長をとげるが、あいつぐ県外大手量販店の進出が影響して、次第に事業規模を縮小していく。

1984(昭和59)年、大手量販店に対抗するため、YESブランドの「そうご電器」とフランチャイズ契約を結び、家電部門の業務提携を開始。一階から三階フロアを「緑屋そうご電器」が占め、四階以上を自社の家具コーナーとした。

こうして秋田駅前を舞台に「緑屋そうご電器」と至近距離に先にオープンした「電巧堂」とのあいだに、折り込みチラシを主要武器にした家電戦争が始まり、その流れ弾が個人経営による街の電気屋さんのシェアを奪っていった。

1989(平成1)年「そうご電器」とのフランチャイズ契約更新の交渉が決裂し、同年8月「緑屋そうご電器」を閉店するが、家電売場は継続。「そうご電器」は同年、広小路の「三浦書店」とフランチャイズ契約を結ぶが、そのお話しはいずれまた。

その後、家電と家具の専門店「緑屋」一階に、CD・レコード・ビデオを豊富に揃えた、レンタル・レコードショップ「グリーンパーク」を新設。県内最大規模のレンタル・レコード店だった。

90年代初頭、消防法の改正によりスブリンクラーの設置が義務づけられたことを契機にに、秋田駅前北地区再開発事業を念頭にビルの新築を計画。

地下一階、地上八階建て、地下から三階までをテナント用スペース、四階以上を自社の家具売り場とする計画であったが、バブル崩壊後の不況も影響し、計画は立ち消えとなる。

緑屋ビル
▲1990年頃

カラフルにライティングされた「緑屋」の壁面に、広告文を記した懸垂幕が確認できる。

右手の袖看板は「家具&電器」その下が「レンタルショップ グリーンパーク」。階上レンタルスペースのネオンは「富士通」と「TDK」。

緑屋ビル
▲2004.12

時代は飛んで2004年。未使用スペースが多くを占める「緑屋ビル」。カラフルに駅前を彩っていた照明も消えて久しい。

2003年、市内の広告代理店「アクティブイエロー」が、壁面に「アクティブビジョン」と称した大型屋外ビジョンを設置、音声付きの広告を流し始め、7年間ほど運営したあとに廃止。

緑屋ビル
▲2014.09

アサヒビールの看板に覆われて隠れていた増築部分壁面の「緑屋」ネオンサインが久々に顔を見せた。

秋田駅前に五階建ての「やまじんビル」(やまじんデパート)がオープンして約50年、経営が傾いたそのビルを買収した「緑屋信販」が駅前に進出して45年。

未使用スペースが大半を占めるなか、2017年8月現在、ビル内で「緑屋」が経営するのは、ゲームコーナーのあるリサイクルショップ 「グリーンライフ」と、ビリヤード・雀卓・卓球台が並ぶ「遊間専科アソヴェ」。店内改装のため「グリーンライフ」が2017年9月中旬から一時休業とのこと。

テナントの飲食店は「まぐろ居酒屋さかなや道場」「秋田きりたんぽ屋」「柚柚」など。

2017年5月、ビル内で最もにぎわっていた「アニメイト秋田店」が「フォンテAKITA」(旧・イトーヨーカドー秋田店)地階に移転。

支店については、90年代なかば、四ツ小屋にオープンした郊外型大型家具店「緑屋」南店が2010年頃に店をたたみ、大仙市花館に唯一残っていた支店・家具の「緑屋」大曲店の前を、2年ほど前に通過したときは閉店セールの最中であった。

「山甚ビル」「やまじんデパート」「緑屋信販」のことはまた日を改めて。

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

秋田駅前・金萬の「牛どんや」・1980年代後半

秋田駅・吉野家
▲吉野家 秋田駅ビル トピコ店 2016.12

平成28(2016)年1月17日、秋田駅ピル「トピコ」一階の「ミスタードーナツ」が経営不振を理由に閉店。その後、秋田県内でミスドを独占展開する「KAMADAスマイルコーポレーション」(旧・鎌田会館・マルシメ鎌田)が経営破綻していたことが判明する。

閉店した「ミスタードーナツ」秋田トピコショップ跡地に、平成29(2017)年11月22日「吉野家」秋田駅ビルトピコ店オープン。

秋田市に全国チェーンの牛丼店が初登場したのは平成9(1997)年11月のこと。横山金足線沿い、桜一丁目に11月4日「すき家」がオープンしたのにつづき、そこから北に数100メートル離れた広面字樋ノ沖に「吉野家」がオープン、互いに集客を競うが「吉野家」が先に撤退。「すき家 秋田東店」は現在(2017)も同じ場所で営業している。

▼秋田初の牛丼専門店は金萬の「牛どんや」?

全国チェーンの牛丼店が秋田に進出した平成9(1997)年からさかのぼること約10年前、秋田駅前に牛丼専門店「牛どんや」がオープンする。おそらくこれが秋田で初の牛丼専門店。

スタンド席のみの奥行きのある店内で、結構ボリュームのある並盛りが350円から400円ほどの価格は、当時の全国チェーン店とほぼ同じだった。

金萬・牛丼屋

 

秋田駅前1990

南側のパチンコ店「秋田レジャーセンター」および「秋田会館」から、北側の「サーティワンアイスクリーム」までが、金萬グループが経営していた店舗。その一角、「金萬」売店の隣に「牛どんや」があった。

▼「金萬」の誕生とレジャー産業への進出

湯沢市出身で「金萬」創業者の大内正見氏は、露店の闇市、バラックの引揚者住宅などが雑然と建ち並んでいた戦後間もない秋田駅前で雑貨や青物などを売る商売をはじめ、昭和23(1948)年完成の駅前商店街「銀座街」に入居し「正味食堂」を開く。その店名は店主の名前にちなんだものだろう。

「銀座街」は「たけや製パン」発祥の地だが「金萬」のルーツもこの地にあった。「正味食堂」廃業後、跡地に中華料理店「幸楽食堂」が入る。

ある日、東京に出かけた大内氏は、浅草のデパート「松屋」の食品売場で、その後の人生を左右するあるものに出会う。それは当時、東京で流行していた「都まんじゅう」の実演販売。

「都まんじゅう」の繁盛ぶりに感じ入り、早速その製造機械を購入した大内氏は、昭和28(1953)年、秋田駅前・金座街で「金座街のまんじゅう」略して「金万」(のちに金萬と改称)のネーミングで実演販売を開始。厳選した原料を使い「都まんじゅう」に負けない味を追求した。

できたてホヤホヤのおいしさと、ガラス越しに製造工程を見せる商法がヒットして、最盛期は1日2万個から3万個を販売。その利益をもとに食堂事業を拡大し、昭和30年代中頃にパチンコ店を開業してレジャー産業に進出。その後、ボウリング場、ゲームセンター、ブティックも経営する。80年代後半に入ると、サーティワンアイスクリーム、マクドナルドとフランチャイズ契約を結び出店。

「金萬」が「秋田名菓」を冠するようになったのは、創業者の大内正見氏(1921~1986)が亡くなってからのこと。

「金萬」の歴史とその製造機械などの詳細は下記リンク先に。

秋田駅前1990

▲秋田駅前・金萬ストリート・1990年頃

地下道出入口の向こう、仲小路の角地に建つ三角屋根のレトロ建築は旧「日本通運」秋田駅前支店。改築して一階をパチンコ店「秋田レジャーセンター」二階に金萬事務所が入った。


▼秋田駅前北地区再開発計画の頓挫

平成28(2016)年5月に廃業した「金萬ボウリングセンター」を最後にレジャー産業から手を引き、2軒のパチンコ店・ゲームセンター・金萬売店・牛丼店・サーティワンが並んでいた区画は現在(2017)金萬駐車場になっている。

金萬駐車場と「エスポワール緑屋」などがある秋田駅前北地区は「フォンテ秋田」(旧・イトーヨーカドー)が建つ南地区に次いで、再開発共同ビルを平成13(2001)年度までに建設する計画であったが、折りからの不況も重なり断念。再開発のため更地にされた空間は有料駐車場となった。

更地になる前、金萬売店とサーティワンは「イトーヨーカドー秋田店」(現・フォンテ秋田)二階に移転。

秋田駅前・金萬駐車場
▲秋田駅前・金萬駐車場 2016.12

秋田駅前3Dmap
▲金萬駐車場周辺俯瞰

緑色の多角形建築 「エスポワール緑屋」は旧「やまじんビル」。家電・家具を販売していた「緑屋」が買収後、金座街(現・アゴラ広場)側に増築、さらに変形度を増した。現在は居酒屋のほか、6階に「アニメイト秋田店」などが入居。「やまじんビル」と「緑屋」のことはまたいつか。


金萬「牛どんや」跡

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

1972・秋田初のドーナツ専門店オープン・たけや製パン

ロッキードーナツ
1972.02 新聞広告

昭和47年(1972)2月、秋田駅前、千秋久保田町に秋田初のドーナツ専門店「ロッキードーナツ店」オープン。

「ロッキードーナツ」は一見、全国展開するチェーン店のように見えるが、経営していたのは地元の「たけや製パン」であった。

ロッキードーナツ
1972.02 新聞広告

昭和45年(1970)本場アメリカから「ダンキンドーナツ」が日本進出を果たしたのを皮切りに、昭和46年(1971)大阪に「ミスタードーナツ」日本1号店がオープン。日本に本格的ドーナツ・ブームが到来する。

ブームに乗って開店した「ロッキードーナツ店」は、ナウなヤングの心をつかみ、当初は大盛況。

ロッキードーナツ
1972.02 新聞広告

ロッキードーナツ
1972.04 新聞広告

ロッキードーナツ
1972.07 新聞広告

昭和47年(1972)7月、「ロッキードーナツ」を、金座街の「レアルたけや」内に移転、秋田初のドーナツ専門店は、わずか数ヶ月で消滅。移転とはいえ、事実上の撤退であった。

この年の10月、秋田駅前「鎌田会館」一階に、東北・北海道地区で初の「ミスタードーナツ」秋田ショップが華々しくオープンする。

「ロッキードーナツ」の早すぎる撤退は、ミスド秋田進出を聞きおよび、太刀打ちできないことを悟った末の決断だったのかもしれない。

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 秋田初のミスドは鎌田会館一階に

レアルたけや
1971 新聞広告

レアルたけや
金座街・中央通り角「レアルたけや」

昭和45年(1970)金座街・中央通り角の菓子販売店「丸丹」跡に、「たけや製パン」が、高級和洋菓子・ペストリーなどを直販するベーカリー「レアルたけや」を創業。二階は喫茶店「コーヒー茶房(さぼう)」。

昭和55年(1980)11月「イトーヨーカドー」を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」オープン。「レアルたけや」は地下一階に入居する。

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 秋田駅前商店街とヨーカドー変遷

たけや製パン
1972.05 新聞広告

「ロッキードーナツ」のロゴマークと同様、星条旗をあしらったパッケージ。

_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 秋田初のミスドは鎌田会館一階に

「たけや」二〇世紀ひみつ基地内検索

二〇世紀ひみつ基地 秋田駅前「金座街」晩期
二〇世紀ひみつ基地 秋田駅前商店街とヨーカドー変遷

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT