フック船長の紙芝居屋さん
牛島商店街の貸本屋「牛島文庫」は、紙芝居屋を兼ねていたのか、それとも紙芝居を貸し出していたのか、店のわきに紙芝居を乗せた自転車を停め、腰をおろしてタバコで一服するおじさんの姿をよく見かけた。
楢山・牛島界隈を縄張りとするその紙芝居屋は、胸の前にぶらさげた大太鼓を打って、歩きながら子どもを呼び込み、紙芝居中に肝心な場面で入れる合いの手も「ドン!ドン!」と太鼓を鳴らす。

おじさんの片手は戦争で失ったのだろうか(復員兵の紙芝居屋が多かったという)、ピーターパンに登場する海賊のフック船長のような、クルンと丸い金属製鉤手(フック)の義手で、その銀色ににぶく光る片手を器用にあつかうおじさんの存在自体が、紙芝居の登場人物の一人であるかのような不思議な光景が、強く心の片隅にしみついている。
牛島文庫にはもう一人、赤ら顔でアル中気味の紙芝居屋がいたと思う。それがこのフック船長と同一人物であったのかもしれないが、そのへんの記憶が定かではない。
彼らは5円か10円ほどのセンベイや飴を売って紙芝居を見せる。お菓子を買った子どもらは最前列で堂々と見ているが、買えない子どもは後方で遠慮がちに“タダ見”する。人気のあったカタヌキ(下記関連リンク参照のこと)は、今もお祭りの露店で見かける精糖粉を原料にしたものではなく、べっこう飴を板状にしたヌキ飴で、絵柄を壊さずにヌクのは難しかった。

『黄金バット』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より

『ライオンマン』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より

『チョンチャン』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より
街頭紙芝居で演じられたジャンルは、活劇もの、漫画、冒険もの、時代もの、母子もの・・・・・・と幅広く、なかには不気味で猟奇的な内容の物語もあった。
昭和初期の紙芝居黎明期に誕生し、のちにテレビアニメにもなった『黄金バット』にしても、“赤マントをまとった骸骨”という奇っ怪な姿であったし、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』のルーツである、戦前の紙芝居作品『ハカバキタロー』(伊藤正美原作)は、姑にいびり殺され、胎児を孕んだまま土葬された嫁の墓の下で、主人公に成長することになる赤ん坊(キタロー)が、母の死体を食べて育ち、地上に這い出し、やがて姑に復習するという、なんともおぞましき物語。

『母の唄』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より
貰われた家で養父母に虐待される姉弟
紙芝居の起源は、明治時代に見世物小屋で演じられた「立絵芝居」という、紙人形を使った見世物に由来するという。見世物小屋の闇を源流とし、やがて街頭にとびだした紙芝居は、おのずと見世物的かつ大道芸的な泥臭さをともなう、特有な匂いをただよわせていた。
時代が下るにつれその傾向は薄められるものの、幼稚園や小学校で見せられた教育紙芝居とは対照的な内容の街頭紙芝居は、低俗な内容ゆえに当局による取り締まりの対象となることもあったという。

『妖怪大あばれ』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より
大道を舞台に、正義の味方が活躍する冒険活劇を演じ、ときには混沌と不条理うずまく、この世とあの世の闇をもかいまみせ、異界から訪れたマレビトの如きフック船長の紙芝居屋は『この続きはまた明日・・・』としめくくり、片手のフックをにぶく光らせながら、暮れゆく街並の彼方へと消えてゆくのであった。
_________
関連記事
二〇世紀ひみつ基地 貸本屋と貸本漫画の日々・消える昭和
関連リンク
カタヌキ菓子のサイト
楢山・牛島界隈を縄張りとするその紙芝居屋は、胸の前にぶらさげた大太鼓を打って、歩きながら子どもを呼び込み、紙芝居中に肝心な場面で入れる合いの手も「ドン!ドン!」と太鼓を鳴らす。

おじさんの片手は戦争で失ったのだろうか(復員兵の紙芝居屋が多かったという)、ピーターパンに登場する海賊のフック船長のような、クルンと丸い金属製鉤手(フック)の義手で、その銀色ににぶく光る片手を器用にあつかうおじさんの存在自体が、紙芝居の登場人物の一人であるかのような不思議な光景が、強く心の片隅にしみついている。
牛島文庫にはもう一人、赤ら顔でアル中気味の紙芝居屋がいたと思う。それがこのフック船長と同一人物であったのかもしれないが、そのへんの記憶が定かではない。
彼らは5円か10円ほどのセンベイや飴を売って紙芝居を見せる。お菓子を買った子どもらは最前列で堂々と見ているが、買えない子どもは後方で遠慮がちに“タダ見”する。人気のあったカタヌキ(下記関連リンク参照のこと)は、今もお祭りの露店で見かける精糖粉を原料にしたものではなく、べっこう飴を板状にしたヌキ飴で、絵柄を壊さずにヌクのは難しかった。

『黄金バット』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より

『ライオンマン』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より

『チョンチャン』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より
街頭紙芝居で演じられたジャンルは、活劇もの、漫画、冒険もの、時代もの、母子もの・・・・・・と幅広く、なかには不気味で猟奇的な内容の物語もあった。
昭和初期の紙芝居黎明期に誕生し、のちにテレビアニメにもなった『黄金バット』にしても、“赤マントをまとった骸骨”という奇っ怪な姿であったし、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』のルーツである、戦前の紙芝居作品『ハカバキタロー』(伊藤正美原作)は、姑にいびり殺され、胎児を孕んだまま土葬された嫁の墓の下で、主人公に成長することになる赤ん坊(キタロー)が、母の死体を食べて育ち、地上に這い出し、やがて姑に復習するという、なんともおぞましき物語。

『母の唄』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より
貰われた家で養父母に虐待される姉弟
紙芝居の起源は、明治時代に見世物小屋で演じられた「立絵芝居」という、紙人形を使った見世物に由来するという。見世物小屋の闇を源流とし、やがて街頭にとびだした紙芝居は、おのずと見世物的かつ大道芸的な泥臭さをともなう、特有な匂いをただよわせていた。
時代が下るにつれその傾向は薄められるものの、幼稚園や小学校で見せられた教育紙芝居とは対照的な内容の街頭紙芝居は、低俗な内容ゆえに当局による取り締まりの対象となることもあったという。

『妖怪大あばれ』 アサヒグラフ別冊『戦中戦後 紙芝居集成』(1995)より
大道を舞台に、正義の味方が活躍する冒険活劇を演じ、ときには混沌と不条理うずまく、この世とあの世の闇をもかいまみせ、異界から訪れたマレビトの如きフック船長の紙芝居屋は『この続きはまた明日・・・』としめくくり、片手のフックをにぶく光らせながら、暮れゆく街並の彼方へと消えてゆくのであった。
_________
関連記事
二〇世紀ひみつ基地 貸本屋と貸本漫画の日々・消える昭和
関連リンク
カタヌキ菓子のサイト
| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑
⇒ 洋 (04/08)
⇒ 洋 (03/11)
⇒ 川端たぬき (03/10)
⇒ 洋 (03/10)
⇒ あお(城南中出身·神奈川県在住) (02/22)
⇒ ゲロッパ (02/21)
⇒ ミンツ (02/20)
⇒ 川端たぬき (01/31)
⇒ アニキ (01/31)
⇒ blog-entry-1032掲載の崎衆 (12/11)