FC2ブログ

二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

≫ EDIT

県民会館の土手から西を望む・大正期



「秋田県民会館」南側の土手に立ち西方を眺めている。時代は大正末から昭和初期頃だろう。

今同じ場所から撮影するとこのような風景になる。


07.11

土手に植栽されたツツジが生長して視界をさえぎり、古川堀反通りが見えない。ツツジは「花いっぱい運動」の一環として昭和三十三年(1958)に植樹されたもの。ツツジが咲く初夏は色とりどりの花で彩られるが、それ以外の季節は繁茂する枝葉が景観を損ねる存在となる。年間を通してみるならば、隣の「平野美術館」敷地内に残る本来の土手のように、何も植えない草だけの土手のほうが美しい。

この土手は戦前まで子どもたちに「決闘の土手」として知られ、決闘に臨んでは「記念館(県民会館の前身)の土手で待っている」というのが決まり文句だったという。容易に逃亡することができない地形が真剣勝負に適したのだろう。

戦前から戦後、室内スケート場ができるまで、穴門の堀が厳冬期にスケートリンクとして利用され、昭和四年(1929)の「北日本氷上選手権」では、スケート競技のほかに、アイスホッケー(札幌師範対秋田中学校)の試合も行われている。


木内と県会議事堂

広小路に白壁の店舗を構える「木内商店」、その後ろ、現在の高層マンション付近にある洋風建築は、明治二十二年(1889)、県庁舎の隣に竣工した秋田初の煉瓦造り二階建の「秋田県会議事堂」。


古川堀反町

古川堀反町通りに目を移すと、ウナギの寝床のように長い、茅葺き屋根の「土屋旅館」。その左隣が、大正末から昭和初期まで営業していた「カフェー平和」と思われる。「カフェー平和」は貸ボートもやっていた。


新聞広告 大正十五年

古川堀反町通りの後方、中央やや左寄りに特徴的な屋根をみせているのは、大町二丁目の「日本銀行秋田支店」。さらにその右手にかすんでみえる日銀に似た屋根は、茶町菊ノ丁の「第四十八銀行」(現在の秋田銀行大町支店)。


日本銀行秋田支店

大正六年(1917)開設された初代「日本銀行秋田支店」の様式建築。戦後になって解体され、昭和二十七年(1952)、現在の重厚な店舗が竣工する。

_________

関連記事

県民会館の土手から広小路を望む・大正期

広小路堀端・定点観察

堀端から消えた龍神さま

| 秋田市今昔 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

お堀から消えた貸ボート

天気の良い放課後には、広小路に面した千秋公園のお堀に、ボートを浮かばせて遊んだ。

20060620222827.jpg
1973.06

日曜日ともなると家族づれで賑わい、また、アベック(もはや死語)の定番デートコースでもあった貸ボートが廃止されたのは、昭和五十五年(1986)というから、もう二十年も前のことになる。

穴門の掘(中土橋から西側)の貸ボートは、戦後間もないころ、民間業者が地権者である佐竹家から営業許可を得て営業を始めた。

貸ボートには一時期、二人乗りの足漕ぎボートもあったが、変り種としては、昭和二十三年(1952)、ラッキーボートと称する水上自転車がお目見え。レンタル料三十分三十円。スクリューと連動したペダルが重くて、漕ぐ人は汗だくだったとか。

20060620222810.gif
水上自転車

20060620222751.gif
新聞広告 昭和二十四年(1949)

貸ボート屋が宣伝と人寄せを兼ねて開いたボートレースには、多くの参加者が集まり、広小路と周囲の土手は、見物人で埋めつくされ、大盛況だったという。

20060620222735.gif
新聞広告 昭和四十三年(1968)

秋田署の裏通り、古川堀反町にあった押切商店経営の「秋田水族館」が、貸ボート屋を兼ねていて、店の奥にボート乗り場があった。


1973.06
後ろが「加賀屋商店」(現・モードスタジオQ)

貸ボートが消えた原因は、当時、大手門の掘(中土橋から東側)に放されていたコブ白鳥のためという。

大手門の掘は蓮が水面に広がり、白鳥にとっては狭いため、穴門の掘に移したいという市の意向があり、佐竹家と業者の間に市が入って数年間の話し合いがもたれた結果、昭和五十五年四月三十日をもって、業者が水利権を返上、貸ボートの廃止が決定される。この時点のボートは三十艘。

ボートと白鳥の共存も検討されたが、白鳥にとってボートは脅威となり無理との結論であった。

ちなみに、その白鳥は、昭和四十四年(1969)、市内の会社経営者が市に購入費八十万円を寄贈し、動物商から十羽買い入れたのが始まりという。

ボートが消えたあとに、穴門の掘の主役となった白鳥は、徐々に数を減らし、いつの間にか姿を消し、モータリゼーションの発展にともない集客力を失った広小路は、人影もまばらな、淋しい街になってしまった。

20060620222540.jpg
1973.06

日曜日の昼下がり、ボートで遊ぶ親子。

お堀の向こう、広小路は買い物客で賑わっている。
「セントラルデパート」から「長崎屋」(現・スタジオパレットビル)のあたり。

-----------

関連記事

1973 県民会館の土手から

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT |