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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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咲き匂う太平川桜並木 2015

平年より一週間ほど早く満開となった太平川沿いの桜並木を歩く

2015.04.19 撮影
くもりのち晴れ

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

 

桜花の百石橋・太平川定点観察
太平川桜並木とは?

花曇る太平川の桜並木 2013

花見には空から酒が舞い降りた

明治時代の観桜会・千秋公園

大正時代のコスプレ観桜会

千秋公園「鯉茶屋」界隈今昔

本丸の桜花のもとの花七輪

花祭り・田の神・お花見

夜桜に夜店の明かり赤々と

千秋公園の大衆食堂・消える昭和

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花曇る太平川の桜並木 2013

このところの低温の影響で、例年よりも大幅に遅れた桜の開花。秋田市で見頃となった連休中も、花曇りもしくは雨模様の、あいにく天候が続いた。

昭和35年(1960)浩宮生誕記念植樹から50年以上の歳月が流れ、秋田県内屈指の桜の名所に成長した太平川桜並木を歩く。

たおやかに蛇行する太平川の水面に影を落とす、総延長2kmにおよぶ染井吉野は見事。

撮影 2013.04.29~05.02

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

29cherry

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

羽根の障害のためか、北上する群から取り残された残留ハクチョウ。桜の開花に合わせるように下流からやってきた。

太平川桜並木 12cherry

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木
愛宕下橋

太平川桜並木
愛宕下橋

太平川桜並木
太平川橋

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木

太平川桜並木
愛宕下橋より百石橋および金照寺山を望む

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▼巻末附録「太平川桜並木」定点観察 1970-2012

太平川桜並木1970
1970(S45)

植樹から10年目の染井吉野の枝がまだ細い。左手には生垣が続き、その向こうの低地に数本のポプラ。

太平川桜並木
2012.04・同地点

上掲画像から40年余りのあいだに、雨が降りつづけると悪路となった土手は舗装され、車輌の増加にともないガードレールが設置された。

道の向こう、百石橋と太平川橋の中間に、新たに愛宕下橋を架設。牛島から楢山愛宕下を経由して、築山小学校裏を通り、大堰端へ抜ける道路、および、登町方面に通じる道路が貫通した。

左手の生垣は少し残っているが、その向こうのポプラがあった低地は、かさ上げ整地され、今は住宅街になっている。

その他の定点観察画像は下記関連記事を参照のこと。

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千秋公園「鯉茶屋」界隈今昔



時代は大正の始め頃、カメラは本丸から、桜花咲く二の丸の鯉茶屋付近を見下ろしている。





こちらは大正末頃の同地点。開放された二階のある鯉茶屋は、数年前に建て替えられるまで、ほぼこのままの姿で残っていた。

明治三十八年頃の創業で、初代経営者が店の前に広がる胡月池に群れる鯉にあやかり、鯉茶屋の名を付けたという。



看板の文字は「即席 御料理 寿し」。その下に籐細工の乳母車二台。



鯉茶屋の向かい、桜のもとでは食べ物屋らしき露店。


新聞広告 大正十年


桜の鯉茶屋 09.04


桜の鯉茶屋 09.04


ツツジと鯉茶屋 08.05

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イベント広場としての二の丸・千秋公園

●観桜会名物・川反芸者の手踊り



昭和初期の撮影とおぼしき、花見時期の千秋公園二の丸のにぎわい。舞台では恒例の川反芸者の手踊り、左手の移動屋台に「アイスクリーム」の文字がみえる。

なにしろ、大正の全盛期には約三百人の川反芸者がいたのだから、観桜会期間中は連日、それぞれの家(置屋)から選ばれた芸者たちが舞台にあがり、揃いの着物で妍(けん)を競ったものだろう。

観桜会での川反および土崎芸者の手踊りは、戦中から戦後にかけて中断され、昭和三十年代に復活するが、戦後は芸者の数が激減、やがて人数が揃わなくなり消滅する。


千秋公園二の丸 09.04


●二の丸を再びイベント広場に

秋田初の野球リーグ戦が開催された二の丸広場は明治からの運動場であり、各種イベントが開催された場所。いくつか例を挙げれば、昭和初期の「大音量レコードコンサート」、春の夜の「さばぐち」(綱引き)、真夏の夜の「納涼映画会」。戦後も「納涼映画」が上映され、サーカスのテントが張られたこともあった。


二の丸運動場・大正期

さらにさかのぼる藩政期には、能舞台の仮設や、ささら踊り、外町や湊町の町踊りを催し、桟敷席を設け、一般町民にも見物させることもあったという。

乾燥した日が続くと、土ぼこりの舞った二の丸に、芝生と樹木が植えられて整備されたのは、昭和28年頃のこと。しばらくの間、その芝生には“立入禁止”の立て札が打たれ、のちに池のあるモニュメントなどが置かれて今の姿に。

二の丸の整備にともない観桜会の特設舞台は本丸へ移動。その場所は御隅櫓の下、戦前は招魂社(現・護国神社)があった人工滝のあたりと思われる。昭和45年頃から観桜会の特設舞台は廃止され、昭和61年の春、二の丸に戻って復活。

周囲に住居もなく、騒音公害を心配する必要もない二の丸は、野外音楽イベント会場として最適な環境なのだが、現在、市ではそのような目的での使用を許可しないようだ。

例えば、中央の樹木を撤去しモニュメントを移転、北側もしくは西側に屋根付きの野外音楽堂を設置し、フリーマーケットなどにも使える、市民のイベント広場として二の丸を開放してはどうだろうか。

中央の芝生が踏み荒らされることを心配するのなら、いっそのこと芝生の代わりに、柔らかく水はけの良い「コルク入り弾性舗装」にでもすれば良い。



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