二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

≫ EDIT

すずらん通り「音の店」楽器とレコードとオーディオと

音の店フジタ
▲昭和26(1951)年 新聞広告

秋田市大町「赤れんが館」南側、すずらん通り(三丁目小路)に、昭和25(1950)年創業の「音の店フジタ」は、レコードと音響機器、楽器と楽譜など、音楽に関する商品を取り揃えた「音」の専門店であった。

新聞広告にある「録音 10吋(インチ)レコード両面 吹込料共600円」の文面が気になる。

当時のSPレコード(78回転)の収録時間は10インチ(25センチ)盤で片面3~4分ほどだから、一枚につき6~8分の収録が可能。

その録音に使用した機材は、「日本電気音響」(DENON)が昭和24(1949)年に発売した「円盤式 RC-1 型録音機」に違いない。

円盤式録音機

大東亜戦争の終結を天皇陛下が伝えた玉音放送を記録したことで知られる「日本電気音響」の円盤式録音機は、戦争の影響で輸入が途絶えた円盤式録音機に代わって、昭和14(1939)年9月、日本放送協会(NHK)仕様の第1号機が完成。

その業務用録音機を携帯可能に小型化、民生用として発売したのが「円盤式 RC-1 型録音機」。ターンテーブルに乗せた10インチ録音盤を、録音用カートリッジでカッティングする方式で、ポータブル機といっても重量は15kgある。

満を持して発売された同機であったが、国産テープレコーダーの登場により、わずか一年で生産を終了してしまう。

昭和25(1950)年「東京通信工業」のちのソニーが、日本初のテープレコーダー「G型」を発売。おもに官公庁に納入されて、裁判所の法廷記録、警察の調書記録などに使用された。

G型テープレコーダー
▲「G型」テープレコーダー

国産第1号テープレコーダー「G型」の重量45kg、価格16万円。ちなみに公務員の初任給が6千円ほどの時代である。わずか数10グラムで胸ポケットにスッポリと収まり、ステレオ高音質録音が可能な現代のPCMレコーダーとくらべると隔世の感がある。

吹込に失敗すると盤を廃棄するしかない円盤式録音機に対して、磁気テープを使ったテープレコーダーは、長時間録音ができ、消去・再録も簡単な上にテープを切り貼りすることで編集も可能。おまけにコストも低いとあっては、時代後れな円盤式録音機が淘汰されるは時間の問題であった。

音の店フジタ
▲「音の店フジタ」昭和30年代中期

真空管ステレオ電気蓄音機やオルガンが所狭しと陳列された店内の壁に、「山葉ピアノ オルガン 日本楽器特約店」と記されたプレートがある。

「山葉」は当初「日本楽器製造」(現・ヤマハ)のブランド名だったが、のちにそれが社名となった。

当時のピアノは超贅沢品、昭和34(1959)年前後を例に挙げると、山葉ブランドで最も安価なアップライトピアノが26万円。公務員の初任給が1万2千円の時代で、20回分割払いの場合でも、頭金として約10万円が必要だったため、購買層は富裕層や教育機関、公共機関などに限られていたが、 高度経済成長の波に乗って一般家庭へのピアノ・エレクトーンの普及率は、昭和55(1980)年頃まで右肩上がりが続いた。

音の店フジタ
▲昭和41(1966)年 新聞広告

やがて、手狭になった すずらん通り本店から楽器部門を山王通りに移設、その後、仲小路の秋田駅前金座街西側、仙台高裁秋田支部跡地の一角に移転。「本金西武」(現・西武秋田店)が入る「秋田中央ビルディング」の工事が始まる前まで営業していた。

山王通り「音の店」楽器部の所在地は定かではないが、年代を考えると、二丁目小路(現・山王大通り)の拡幅工事にともなう移転だった可能性も。

秋田駅前

▲昭和55(1980)年 新聞広告(部分)全体図は下記関連記事に

仲小路との角地に「金萬食堂」がある金座街が現在のアゴラ広場。青丸で囲った「音の店楽器センター」は、今でいえば「西武秋田店」仲小路側出入口の付近に位置する。

「音の店楽器センター」の西隣に、当時大流行した「インベーダーハウス」がある。テーブル筐体のインベーダーゲーム機を並べ、ピコピコと電子音が流れるなか、サラリーマンや学生がゲームに熱中していた。

1975秋田駅前航空写真
▲昭和50(1975)年撮影 金座街周辺
1975map

音の店フジタ跡
▲すずらん通り「音の店フジタ」跡

レコードを買うのは秋田駅前広小路の「全音」か、同じく広小路の千秋公園入口に近い「河合楽器」と決まっていたが、80年代中頃「音の店フジタ」で何度かLPレコードを取り寄せたことがある。ちょうどレコードからコンパクトディスク(CD)へと移り変わりつつある時代だった。店を閉じたのは21世紀に入ってからだろうか。

大館市字大町にも「音の店」を名乗るレコード店「音の店 いわしや」(昭和40年創業)が存在したが、こちらは平成27(2015)年に閉店している。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

川反(駅前)にストリップ劇場があった時代

▼川反四丁目にストリップ劇場開場
 

ストリップ劇場
↑ 昭和43(1968)年 新聞広告

昭和43(1968)年9月、秋田市川反(かわばた)四丁目、老舗料理屋「かめ清」の北隣「キャバレー都」(ナイトスポット都)二階に、ヌード劇場「秋田ミュージックホール」が開場する。

翌44(1969)年、二階から一階に「秋田ミュージックホール」を移し新装オープン。

ストリップ劇場
↑ 鎌田五十治写真集『川反』’72~’73(1974)より

ストリップ劇場

成人映画と実演のプログラム。出演のストリップ嬢は、ローレン美山、リリー界、ローズ紅。

上掲の広告や看板に「関西ヌード」とあるが、おおまかにいえば、浅草六区を起源とする比較的に健全な関東系ストリップに対して、関西系は猥雑さを特徴としていた。

昭和45(1970)年11月、同劇場において、猥褻なヌードショーを演じたとして、コメディアン、ストリップ嬢、計12人を検挙、3ヶ月の営業停止処分を受ける。

ヌード劇場など営業を停止

‥‥前略‥‥
三カ月の営業停止処分をうけたのは秋田市大町四丁目(通称川反通り)のヌード劇場「秋田ミュージックホール」=同市川尻町●●●●、●●●●経営。さる十一月十日同劇場で観客の前で踊り子、コメディアンを使ってワイセツなヌードショーを演じて十二人が検挙された。営業停止期間は十二月二十三日から来年三月二十二日まで。‥‥後略‥‥
昭和45(1970)年12月25日『秋田魁新報』より

 

▼「秋田ミュージックホール」秋田駅前骨董ストリートに移転

摘発事件から間もなく、劇場を秋田駅前の市民市場裏通りに移転。短期間の営業の後に廃業した。

ストリップ劇場
↑ 新聞折り込みチラシ

ストリップ劇場跡
↑ 秋田駅前「秋田ミュージック劇場」跡 2016.06

右手(西側)角地が「秋田ミュージック劇場」跡。その向こう側右手に、最盛期は5軒ほどの骨董店が軒を連ね、高度経済成長期のはじめに発生した民芸ブームの影響もあって、県内外の客をあつめて繁盛していた。

「秋田ミュージック劇場」が存在した1970年代中期の住宅地図から同地区の骨董店を挙げると、南側から「太閤堂」「恋壺庵」「みちのく」「岩本美術店」「村越三笑堂」。

今は駅東に店を構える骨董店「温故堂」も、初期はこの地で営業したあと、中央通り「三光堂書店」斜向いを経て現在地に移転している。

80年代末の頃から徐々に閉店・移転が相次ぎ、最後まで残った「恋壺庵」が昨年(2016)移転、在りし日の骨董ストリートの面影は消失した。

かつての骨董ストリートを北進すると中央通りにぶつかり、その向こうに「金座街」があったことから、この通りには「南金座街」という通称もある。


↑ 秋田駅前「秋田ミュージック劇場」跡

都野鳥
↑ 川反「キャバレー都・秋田ミュージック劇場」跡「都野鳥」 2017.03

「キャバレー都」については下記リンク先を参照のこと。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

秋田駅前・金萬の「牛どんや」・1980年代後半

秋田駅・吉野家
▲吉野家 秋田駅ビル トピコ店 2016.12

平成28(2016)年1月17日、秋田駅ピル「トピコ」一階の「ミスタードーナツ」が経営不振を理由に閉店。その後、秋田県内でミスドを独占展開する「KAMADAスマイルコーポレーション」(旧・鎌田会館・マルシメ鎌田)が経営破綻していたことが判明する。

閉店した「ミスタードーナツ」秋田トピコショップ跡地に、平成29(2017)年11月22日「吉野家」秋田駅ビルトピコ店オープン。

秋田市に全国チェーンの牛丼店が初登場したのは平成9(1997)年11月のこと。横山金足線沿い、桜一丁目に11月4日「すき家」がオープンしたのにつづき、そこから北に数100メートル離れた広面字樋ノ沖に「吉野家」がオープン、互いに集客を競うが「吉野家」が先に撤退。「すき家 秋田東店」は現在(2017)も同じ場所で営業している。

▼秋田初の牛丼専門店は金萬の「牛どんや」?

全国チェーンの牛丼店が秋田に進出した平成9(1997)年からさかのぼること約10年前、秋田駅前に牛丼専門店「牛どんや」がオープンする。おそらくこれが秋田で初の牛丼専門店。

スタンド席のみの奥行きのある店内で、結構ボリュームのある並盛りが350円から400円ほどの価格は、当時の全国チェーン店とほぼ同じだった。

金萬・牛丼屋

 

秋田駅前1990

南側のパチンコ店「秋田レジャーセンター」および「秋田会館」から、北側の「サーティワンアイスクリーム」までが、金萬グループが経営していた店舗。その一角、「金萬」売店の隣に「牛どんや」があった。

▼「金萬」の誕生とレジャー産業への進出

湯沢市出身で「金萬」創業者の大内正見氏は、露店の闇市、バラックの引揚者住宅などが雑然と建ち並んでいた戦後間もない秋田駅前で雑貨や青物などを売る商売をはじめ、昭和23(1948)年完成の駅前商店街「銀座街」に入居し「正味食堂」を開く。その店名は店主の名前にちなんだものだろう。

「銀座街」は「たけや製パン」発祥の地だが「金萬」のルーツもこの地にあった。「正味食堂」廃業後、跡地に中華料理店「幸楽食堂」が入る。

ある日、東京に出かけた大内氏は、浅草のデパート「松屋」の食品売場で、その後の人生を左右するあるものに出会う。それは当時、東京で流行していた「都まんじゅう」の実演販売。

「都まんじゅう」の繁盛ぶりに感じ入り、早速その製造機械を購入した大内氏は、昭和28(1953)年、秋田駅前・金座街で「金座街のまんじゅう」略して「金万」(のちに金萬と改称)のネーミングで実演販売を開始。厳選した原料を使い「都まんじゅう」に負けない味を追求した。

できたてホヤホヤのおいしさと、ガラス越しに製造工程を見せる商法がヒットして、最盛期は1日2万個から3万個を販売。その利益をもとに食堂事業を拡大し、昭和30年代中頃にパチンコ店を開業してレジャー産業に進出。その後、ボウリング場、ゲームセンター、ブティックも経営する。80年代後半に入ると、サーティワンアイスクリーム、マクドナルドとフランチャイズ契約を結び出店。

「金萬」が「秋田名菓」を冠するようになったのは、創業者の大内正見氏(1921~1986)が亡くなってからのこと。

「金萬」の歴史とその製造機械などの詳細は下記リンク先に。

秋田駅前1990

▲秋田駅前・金萬ストリート・1990年頃

地下道出入口の向こう、仲小路の角地に建つ三角屋根のレトロ建築は旧「日本通運」秋田駅前支店。改築して一階をパチンコ店「秋田レジャーセンター」二階に金萬事務所が入った。


▼秋田駅前北地区再開発計画の頓挫

平成28(2016)年5月に廃業した「金萬ボウリングセンター」を最後にレジャー産業から手を引き、2軒のパチンコ店・ゲームセンター・金萬売店・牛丼店・サーティワンが並んでいた区画は現在(2017)金萬駐車場になっている。

金萬駐車場と「エスポワール緑屋」などがある秋田駅前北地区は「フォンテ秋田」(旧・イトーヨーカドー)が建つ南地区に次いで、再開発共同ビルを平成13(2001)年度までに建設する計画であったが、折りからの不況も重なり断念。再開発のため更地にされた空間は有料駐車場となった。

更地になる前、金萬売店とサーティワンは「イトーヨーカドー秋田店」(現・フォンテ秋田)二階に移転。

秋田駅前・金萬駐車場
▲秋田駅前・金萬駐車場 2016.12

秋田駅前3Dmap
▲金萬駐車場周辺俯瞰

緑色の多角形建築 「エスポワール緑屋」は旧「やまじんビル」。家電・家具を販売していた「緑屋」が買収後、金座街(現・アゴラ広場)側に増築、さらに変形度を増した。現在は居酒屋のほか、6階に「アニメイト秋田店」などが入居。「やまじんビル」と「緑屋」のことはまたいつか。


金萬「牛どんや」跡

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

駅前居酒屋「秋田長屋酒場」焼失・村さ来跡

なまはげ炎上…秋田駅前の居酒屋で火災 無人の店内から出火

 28日午前9時20分ごろ、秋田市中通の居酒屋「秋田長屋酒場 秋田駅前店」から火が出ていると、付近の住民から119番通報があった。火は約4時間半後に消し止められ、木造2階建て約370平方メートルが全焼し、隣接する建物2棟の外壁が一部焼けた。けが人はなかった。

 店は28日午前1時に営業を終了して以降は無人で、その後に店内から出火したとみられ、秋田中央署と市消防本部が原因を調べている。現場はJR秋田駅前の飲食店が立ち並ぶ地域。

 秋田長屋酒場は巨大ななまはげの面の看板で知られる、きりたんぽ鍋など郷土料理の店で、地元住民や観光客に人気がある。

産経ニュース
2017.1.28 15:43更新

秋田長屋酒場・火災

秋田長屋酒場・火災

焼け落ちたなまはげの角と、手前のパイロン(カラーコーン)が似ている。

窓のない構造が消火活動をさまたげ、鎮火まで時間がかかったらしい。

秋田長屋酒場
1907.05

平成17(2005)年春、秋田駅前旧旭町通りに、大型なまはげ面がシンボルの「秋田長屋酒場 秋田駅前店」オープン。

昭和レトロ居酒屋「半兵ヱ」などを全国展開する「ドリームリンク」(本社・秋田市)の直営店で、東側に隣接する八竜ビルに入居する「トリス軒」も同社のチェーン店。

秋田長屋酒場
1907.05

なまはげ面は当初、赤面のみだったが、のちに青面も加わり、エントランス上部に竿燈提灯のレプリカが掲げられてバージョンアップする。

秋田長屋酒場
1909.03

秋田長屋酒場
1909.03

秋田長屋酒場
2015.03

「おいしい秋田米」の看板がある北隣の米屋は、明治10(1877)年創業の老舗「信太米店」。駅前再開発前は秋田駅の真向かい、現在のフォンテ(旧イトーヨーカドー)ビルの一画、中央通り側角地に店を構えていた。

秋田駅前・村さ来
1993.12

時代をさかのぼると、平成6(1994)年「国際タクシー秋田駅前営業所」跡に居酒屋「村さ来」オープン。県内で居酒屋チェーン「村さ来」を一手に展開していた「秋田飲料コンサルタンツ」(ドリームリンクの前身)が手がけた第8号店。

イタズラ書き風のユニークな壁面デザインは、全国の和風店舗の外装をまとめた写真集『かんばん 和風看板と店構え』(2000年・高須企画)にも掲載された。

ちなみに「村さ来」秋田1号店は、秋田市有楽町の複合映画館ビル「プレイタウンビル」の一階に、昭和58(1983)年オープン。安さとおいしさ、メニューの豊富さで人気をあつめ、若者を中心に連日満員の大盛況。当時、飲み物の定番はジョッキで飲む多彩なチューハイ。「村さ来」に代表される居酒屋チェーンがチューハイを全国に広め、80年代のチューハイブームつくり、昭和59(1984)年には日本初の缶入りチューハイ「タカラcanチューハイ」が誕生、ヒット商品となる。

秋田長屋酒場・火災

| 散歩写真・路上観察 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT