二〇世紀ひみつ基地

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理髪館の消えたY字路・楢山桝取町

楢山桝取町床屋跡
2014.11

楢山のレトロ建築(旧・理髪館)が取り壊し中とのコメントがあり現場へ向かう。

大正から昭和初期にかけての建築と思われる、理髪館の特徴的なファサードはすでになく、解体は後方に連結する日本家屋部分におよんでいた。

もうひとつの変化は、ビニールシート方式のゴミ置き場が、画像のようにゴミ箱に変わったこと。そのため、以前は板と網ナイロンフェンスで隠れていた魔除けの石敢當(いしがんとう)が良く見えるようになった。

石敢當
石敢當 2014.11

楢山桝取町床屋
2004.05

廃業後、正面入口が閉鎖された理髪館。Y字路の分岐点から左手に進む道の、建物に沿って、側溝に縁取られて描かれた曲線が味わい深い。

子どもの頃から見慣れた、なつかしい景観がまたひとつ消えた。

理髪館のあるY字路

 

 

 


Y字路に謎の石柱・石敢當

 

 

 

NHK BSプレミアム「金照寺山からの風景」再放送

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旅する石敢當・登町「登利谷理髪店」前

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その十

秋田市楢山登町の一角、十軒町通りの突き当たりに位置した、登利谷(とりや)理髪店の前に、かつて、自然石をそのまま利用した、おもむきのある石敢當(いしがんとう)が存在した。


「登利谷理髪店」前 石敢當

旧町名・楢山入川橋通登町の登利谷理髪店が取り壊され、迎信寺前へ抜ける新道路(勝平地区と中央地域とをつなぐ幹線道路・新屋十軒町線の一部)が開通したのは昭和50年代のことだったか。

丁字路が十字路となって、石敢當が消えたのは、以前に書いた「南通り十字路の石敢當」と同じだが、その後のいきさつが異なる。


昭和24年発行 秋田市街図より

青マーキングが登利谷理髪店。赤マーキング部分は新設および拡幅された現在の道路。

水色ラインは旭川に通じる排水路。今は無いこの水路は入川(いりかわ)の名残で、登利谷理髪店前丁字路(現・十字路)の北側に、「楢山入川橋通登町」という町名の起源となった「入川橋」が架かっていたのだが、その話はいずれまた。


大きな地図で見る
登利谷理髪店前「石敢當」跡


2012.11 十軒町通りより旧丁字路を望む

登町を立ち退いた登利谷理髪店は旭南二丁目へ移転。その後、千葉県柏市に転出。かつて登町の丁字路に存在した石敢當は同家の前に今も健在という。

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消えた赤門・武家屋敷のおもかげ

「築地の赤門」が消えたとの連絡を受けて現地へ。


2012.03

子どもの頃から見慣れ、昨年の秋にはまだ存在したと記憶している赤門は跡形もなく無くなっていた。


2005.11

明治中期の建造で、形式は左右二本の柱の上部に横木を貫通させた屋根の無い「冠木門」(かぶきもん)。

以前に「赤門前の石敢當・紅色は魔除けの色」で書いたように、塗装に用いた紅色(べにいろ)の顔料「紅殻」(べんがら)には、木材を保護する目的の他に魔除けの意味合いもあった。

城下の武家屋敷のおもかげを今に残した保存状態良好の物件であっただけに消失が惜しまれる。

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歯医者さんの石敢當・中央通りで新発見

街角の文化財・魔除けの「石敢當」その九


2011.05

当ブログの読者から教えて頂いた、中央通りの丁字路で発見された石敢當(いしがんとう)。今年の3月11日、大震災当日の朝、除雪中に見つけ、ネットで調べているうちに当ブログにたどり着いたらしい。


2011.05

秋田市中央通りの「山内矯正歯科」前、東隣の旧「吹浦帽子店」との境界に設けられた、コンクリート塀の前面に「敢当石」と推察する文字の半分を隠して、コンクリートに同化するように埋め込まれている。

当物件についてはまったくの初耳で、今まで出版された関連資料にも載っていない。


大きな地図で見る

山内歯科は明治時代から続く歴史ある医院。しかし、この物件は御影石製なので、それほど古いものではない。そしてこの地が丁字路になったのも比較的最近のこと。


昭和24年発行「秋田市街図」より

中央通りは狭い小路で、もちろん仲小路通りもまだ存在しない、戦後間もない時代の周辺地図。高度経済成長期に新設および拡幅された道路のおおよそをピンク色でマーキングした。

広小路と中央通りにはさまれた区画は、秋田県庁舎と議事堂など関連機関が占め、中央通り側の一画に秋田警察署が建っていた。


大町から旧秋田県庁舎および議事堂を望む

昭和32年(1957)、県庁舎の三分の二を焼失。
昭和35年(1960)、旧県庁跡地の一角に「秋田産業会館」竣工。
昭和38年(1963)、秋田警察署、現在地に新築。中央通りの拡幅工事始まる。

山内歯科の向い側に小路が開通した昭和30年代後半の頃、新たに丁字路の突き当たりとなった歯科医院前に石敢當が建立され、その後、現在のビルに建て替えたとき、コンクリート塀に埋め込まれたものだろうか。そのビル工事の整地中、石柱の下部を破損したため、このような不自然な形になった可能性もある。

いずれにしろ、道の突き当たりに位置する家を災厄から守ると信じられた石敢當が、未曾有の大震災が東日本を襲う数時間前に日の目を見たことに、深い因縁を感じずにはいられない。


◆付録・旧「土手長町上丁」界隈

昭和初期の地図によれば、「山内歯科」の西隣が洋風建築「八柳写真館」、今の北都銀行本店営業部の場所に「秋田県物産館」とモダンな建物がならび、さらに土手長町通りを隔てた旭川の川岸に、連鎖商店街である「勧工場」(かんこうば)が昭和20年頃まであった。

中央通りの突き当たり、丁字路部分に位置した、その勧工場の商店前に「石将軍」と刻まれた石敢當が存在していたことが記録されている。




県物産館(手前が秋田警察署)昭和初期


土手長町通り・勧工場 昭和初期

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